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哲学的志向のフットボーラー、西村卓朗を巡る物語「第十九回 ラストチャンス」

2015.08.01

「人生は七転び八起きだ 立ち上がり続けりゃ勝つんだよ」(『Nana』 矢沢あい)

文●川本梅花

〔登場人物〕
ぼく…西村卓朗(コンサドーレ札幌 所属)
妻…西村有由
コーチ…村田達哉(コンサドーレ札幌 コーチ)

1.村田コーチの助言によって救われる

 テレビから天気予報士の声がする。
「今日の天気は曇のち雨です。午後から雨が降るでしょう」
 窓ガラス越しから外の空を眺めると、いまにも雨が降りそうな空模様が広がっていた。
〈これがラストチャンスだ。今日の試合を1つの基準にしないとならない。そう決めよう。自分が納得のいくパフォーマンスができなかったら、もう何らかの決断を下さないと……〉。
 僕は心の中でそう思っていた。
 2日前、天皇杯1回戦の先発メンバーが発表になる。午前中の練習が終わりに差し掛かると、「これから読み上げるスタメンの11人は先に練習を切り上げなさい」という指示がある。呼ばれたメンバーの中には僕の名前が入っていた。開幕戦の愛媛FCでスタメンに名前を連ねてから7ヵ月。今シーズンやっと2試合目の出場が決まる。対戦相手は水戸ホーリーホック。水戸には元チームメイトが数人いる。小池純輝は浦和レッズで彼がまだ新人の頃だった。吉原宏太は大宮アルディージャで残留争いをともに戦ってきた。鈴木隆行はアメリカのポートランドで一緒になった。僕がこれまで加入したことのある全クラブのメンバーが1人ずつ水戸に在籍している。〈奇妙な巡り合わせだな〉と思う。
 試合当日の朝、クラブハウスに集合するために家を出ようとして玄関のドアに手をかける。
「行ってらっしゃい」
 と妻の有由がいつもより甲高い声をあげた。
 その声に少し驚いてうしろを振り向く。僕の目をじっとみつめる妻の瞳は何かを語りそうだった。〈この試合がラストチャンスになると気づいているんだ〉と僕は彼女の瞳を見てすぐにわかった。

 ちょうど1週間前に、僕は、自分の気持ちを1つひとつ整理していた。〈やらなきゃならない〉と思っていても体がついていかずに、パフォーマンスが上がってこない。練習の中で、監督やコーチに「若い子たちとはここが違うな」と思わせるようなプレーができない。そのことで僕は過度なストレスを感じている。そうしたモヤモヤした日々が、僕自身の焦りとなり、プロとして現役を続けていく意欲を問われている気がした。〈今日は何もできなかったな〉という毎日がこのまま続くなら〈サッカー選手を辞めなければならない〉と、リアルに実感していた。そうした気持ちを抱えたまま、その日の練習が終了した。

 リーグ戦に出場する選手たちは先に練習を終えていたので、クラブハウスには人影が少なかった。僕は、汗を流すために浴室に行くと、先に誰かが入浴していた。風呂場のドアを開ける。そこにはいつも練習を見てくれている村田達哉コーチがいる。僕はシャワーから出てくる水を浴びながら、〈どうしようか……なんて切り出そうか〉と迷っていた。しばらくして、村田コーチが風呂から出ようとしたので、勇気を出して声をかけた。
「あの、相談があるんですけど、少しいいですか?」
――ああ、卓朗とは時間をとってゆっくりと話したかったんだ。
 コーチは、引き返して再び風呂につかった。
 僕は、どこかの機会でコーチと話がしたいとずっと思っていた。練習でのコミュニケーションは取れていたのだが、自分が腹を割ってぶつかっていく、ということはしてこなかった。僕は、これまでの思いの丈と今の心情を包み隠さず打ち明けた。ベテランという立場の僕にとって、コーチに自分の思いを吐露するという行為は相当に勇気が必要なことだった。

「練習の中で一生懸命はやっているんですけど、コンディションがなかなか上がっていかないんです。こんなことを言ってもしょうがないことはわかっているんですけど、自分はこれからどうしたらいいのか迷っていて……コーチから自分はどう見えますか?」

――いま自分ができていることは何か、逆にできていないことは何か、をわかっているでしょう? コンディションが上がらないのは見ていてわかるよ。体が動いていないときもあるし、動いているときもある。

 もしも、僕が若手だったら「もっと行け!」というのだろうけれども、ベテランの僕の経験を尊重してくれて、あえて黙っていてくれたのはわかっていた。けれども、どこかほっておかれているという疎外感も同時に僕は抱いていた。だから、シーズンの残り2ヵ月間、「気持ちを入れてしっかりやります」という自分の気持ちをなんとしても伝えなければと思った。

――俺は、グアムキャンプのときの印象が強いんだよな。グアムではメリハリのある動きができていたし、他の選手との経験の違いも見せられていた。それが周りにちゃんと伝わって、コンサドーレは卓朗を欲しいと言ったんだろうし、あのときは動けていたと俺も思ったよ。怪我をしてから2ヵ月経って、もう怪我の心配もないんでしょ? 今回の怪我だって、半年以上も離れるような怪我じゃなかったんだから、なにかのきっかけさえつかめれば、グアムのときの動きを取り戻すことは無理じゃないと思う。あの動きを取り戻すためには、1日1日の練習の中で最初から100%でやってみるというのも1つの手じゃないのかな。1日のメニューの中で全体の半分しか動けなくても、それはまったくOKだよね。次の日は10分、その次の日は20分と少しずつ延ばしていけたなら、動きのよさを取り戻すきっかけになると思う。そっちの方が早いんじゃないの。練習を全部こなすことを考えるよりは、計算しないで、最初の1分から100%でやって、途中でリタイアしてもそれはかまわない。どうだろう、そうする方がいいんじゃないのか」

 風呂から上がった僕は、タオルを頭からかぶって、村田コーチに話されたことをじっと考えていた。「よし」と言ってタオルで顔を覆う。〈1から、1からもう一回やってやろう〉と心の中で呟いた。
 コーチの助言を受けてから2日間の練習は、途中で壊れてもいいから最初から100%の力でプレーした。〈怪我をしたら〉という恐怖を払いのけて、全力でやってみた。そうしたら不思議なことに、すごく体も動いてきてコンディションも急に上がり出す。僕は、もしも練習をすべてこなせなかったときに、「練習をこなせる体力がない」と首脳陣に判断されることを恐れていた。だから練習を全部こなすことが目的になってしまっていたのだ。本来なら、トレーニングとは、コンディションを上げることと、自分のプレーをどれだけアピールできるのかに目的が置かれるべきなのに、僕はいつのまにか、怪我をしないようにという気持ちがどこかで先行していた。〈壊れてもいい〉と思ったときに、僕は、怪我の再発という恐怖心から抜け出していたのだった。

2.1日1日の積み重ねしか希望はやってこない

 スタジアムに向かうバスの中で、僕は、携帯電話に登録してある住所録を見ていた。家族、友人、知人、ファンと出会った人たちの顔が思い出される。いろいろな出来事があって、〈自分はこういう人たちに支えられて今までやってきたんだな〉と思いながらページをめくる。出会った人たちのことを思い出したときに、〈体が動かないとか、どこが痛いとか、言っている場合じゃない〉と無心になれて、〈今の自分を出し切る最後で最大のチャンスなんだ〉と前向きになった。
 スタジアムにバスが到着すると、そうした記憶と感傷は振り払われ〈もうやるしかない〉という気持ちで落ち着いてくる。グラウンドに入ってアップをしていると、僕の名前が書かれた大きな断幕がスタンドに張られていた。その弾幕は、僕が札幌に加入してすぐに作られたもので、毎試合かかげられていたのだがグラウンドから見る機会はなかった。それを目で確かめたときに、〈ああ、ありがたいな〉と感謝した。
 本当に、久しぶりにピッチに立って、スパイクが芝生を噛んでいく感覚を得たときに、〈ここにいることがサッカー選手にとって必要なことなんだ〉とあらためて実感する。

 キックオフの笛が鳴って、僕がファーストプレーでボールを触ったのは、吉原との接触プレーの際だった。相手のスローイングからのボールを最初に吉原がボールに触って、彼と並行してボールを追っていき、体をひねりながら左足でしっかりとボールを奪う。このワンプレーで〈ゲームに乗れるな〉という感覚をもつ。
 次にボールに絡んだのは、右サイドを疾走してバイタルエリア中央に入っていくと、CHからショートパスが送られる。ボールを受けた僕は、右足で低い弾道のシュートをゴール左に打つ。ボールの中心を叩いたキックを、相手のGKにファインセーブされる。
 僕は、1週間前にコーチから言われた「倒れてもいいから最初から100%でやってみたら」という助言を何度も心の中に刻み込んで、試合開始1分から全力で挑んだ。〈90分の間、いけるところまで行う。代わりの選手もいるんだから。とにかく最初から100%だ〉。

 守備に関しても攻撃に関しても走り切れた。ボールにくらいついていける姿勢も見せることができたと思う。ここまでやれることができた、ここまで戻せることができた、というパフォーマンスになった。何度も長い距離が走れて、すぐに戻れる走りができていたので、こういうことを何回か繰り返していけば、まだできる、という確信を僕は得た。
 後半40分近くに交代して、僕は「試合に勝ちたい」という感情が湧き出て来て、ベンチから大声を張り上げていた。試合は、残念ながら延長の末に札幌が2対3で敗れる。

 振り返ってみれば、この試合が僕にとって、流れが変わったり、プレーが変わったり、人生が変わったり、そう思える試合になったと言えるかもしれない。そのためにも、1日1日を積み重ねて、この試合のようなパフォーマンスを出していけば結果はついてくる。プロとしては当たり前のことだけれど、そうしたことを継続していくことが本当に難しいことだとあらためて思う。

 〈ああ、サッカーが楽しくなってきたよ〉と感じられる僕がそこにはいた。

つづく

「第十八回 自己」
「第十七回 紙一重」
「第十六回 奇跡」
「第十五回 チャレンジャー」
「第十四回 誕生」
「第十三回 シンプル」
「第十ニ回 新チーム」
「第十一回 契約更新」
「第十回 荒野」
「第九回 新天地」
「第八回 旅立ち」
「第七回 結婚」
「第六回 同級生」
「第五回 同期」
「第四回 家族」
「第三回 涙」
「第ニ回 ライバル」
「第一回 手紙」

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