2015.06.25

哲学的志向のフットボーラー、西村卓朗を巡る物語「第十一回 契約更新」

「明日さえ見えたなら ため息もないけど 流れに逆らう舟のように 今は 前へ 進め」(「only Human」 K)

文●川本梅花

〔登場人物〕
ぼく…西村卓朗(USL1部リーグ ポートランド・ティンバーズ所属)
妻…西村有由

1.明日さえ見えたなら

 監督との3度目の面談だった。
「OK。卓朗。来季もうちでプレーしてくれ」

 なかなか良い返事をもらえずに、焦らされ続けた数日間を過ごす。やっと監督から確約を得て、契約書にサインができた。これで、来年の3月から再びポートランドでサッカーができることになった。そしてまず、やらなければいけないことは、11月からのシーズンオフをどのように過ごすのか、ということだった。オフのあいだ、どこかでプレーする場所を探す必要がある。候補としては、ニュージーランドのクラブとフィラデルフィアにあるインドアサッカーのクラブでのトライアウトがある。もしも、その2つのクラブから良い返事がもらえなければ、オフは日本で過ごさなければならない。その場合ポートランドのアパートを引き払う必要が出てくる。
 
アパートのそばには10人ほどでいっぱいになる小さなカフェがあった。となりには花屋があり、店先は色とりどりの花と入り口を覆い隠すほどの緑色の草花で、少し近寄り難い雰囲気がある。そこはいつも通り過ぎていた花屋だった。ポートランドに引っ越してきて、初めてその店の中に足を運んだ。ぼくは、一輪のバラを買う。人が花屋でわざわざ花を買うのはどうしてだろうか、とふと頭をよぎった。きっと、誰かに言葉では伝えられない思いを伝えるために、人は花を買うのだろう。そしてぼくも、今日はその1人だ。
ぼくは、となりのカフェに入って、薄暗い奥のテーブルに座った。6ヶ月近くのアメリカ生活を終えて、今日、妻の有由が日本に帰国する。妻は、引っ越しの荷物の整理がついた部屋で、ぼくの帰りを待っている。コーヒーをすすりながら、妻と過ごした半年間と今季の自分の成績を振り返った。
ぼくは、架空の質問者を立てて自分に質問してみる。最初は、こういうものだ。
質問者: 今シーズンを振り返って、あなたは悔いのないシーズンを終えられたのか?
ぼく: まずはチーム探しからしなければいけなかったという点で苦労しました。所属先がないというのは、高校卒業以来、大学浪人をしていたことを含めると2度目のことですね。そう、こういう立場になったのは。プロに入ってからも、大宮でクビになったのは初めてだったので……。正直に言えば、今までにない不安というか……いま思えばですが……ありました。

質問者:12年前、大学浪人をしていた当時からすれば、いまアメリカのクラブでプレーしている姿は想像できませんよね。
ぼく:はい、もちろんです。自分でもあの頃は、プロサッカーの世界で生きていけるとは思っていなかったので。それに、浪人生活では、契約満了のように、そこまで大きなショックはなかったですし。次の年の受験で受かれば、またサッカー部に入れると、実際のところそう思っていましたから。でも、今回に関しては、チームが見つからない期間が長ければ長いほど、現役続行の可能性を狭めることになるし。海外でのチーム探しということも初めてだったので、それができたということに関してはとても満足しています。今回のチーム探しに関しては周りの方の協力、偶然の出会いなどが大きな要因としてありました。決して自分1人ではできなかったことだと思っています。

質問者:いままでのプロ生活に関して、点数をつけてみてください。
ぼく:100点満点で言うと今季は70点というところでしょうか。プロになって試合に初めて出たのがJ2時代の大宮で、04年のことでしたが、その年は80点です。大宮がJ1に昇格して、05年はフル出場できたので90点。06年は波戸康広君が大宮に移籍してきて、出場機会もかなり減ったので60点。07年に関しては、出場率はそれなりでしたが、パフォーマンスも良くなかったですし、それに怪我もあったので50点です。08年に関しては……20点くらいでしょうか。ここ数年の中で見ると06-08年の3シーズンで正直、自信を失いかけていました。それを取り戻せたのが今シーズンだったので、70点をつけましたが、出場率やパフォーマンスではもっと高いレベルをキープしなければと思っています。いろんな事が「初めて」だった、ということを考えると、それなりに納得のいくシーズンだったと思っています。

質問者:今季、自分ができたことと、できなかったことは。
ぼく:まず、できなかったことから話します。真っ先に来るのは「言葉」です。もちろん数ヶ月でしゃべれるようになるとは考えていませんでした。それは難しいことだとわかっていましたが……。実際に「もっとしゃべれれば」と感じることは、グランドの上でも山ほどありました。「英語」そのものに対する努力は少なかったと思います。コーチングもサッカーの中で大切な要素である以上、この努力も、技術、フィジカルと同等のものだと、もっと自覚しなければと思っています。
選手同士の会話、意思の統一ということを大宮時代から重要視していた自分としては「できなかった」という自分が情けないです。

「言葉」に関して言えば、あれはちょうど、9月11日にAustin Aztexをホームに迎えた試合中の出来事だった。その日のコンディションやパフォーマンスの出来を左右する目安として、ファーストタッチをどのような感覚で持てるのかというものがある。ぼくは、右SBでスタメン出場する。試合開始早々、FWがボランチにボールを預けてからSBに経由されるパターンが多い。したがってぼくの場合、ボールをもらったら、ワンタッチ、ツータッチしてからロングフィードを前に送るやり方をすることで、自分のその日のコンディションの良し悪しを判断することができる。この試合は、ファーストプレーで理想的な感覚を持てた。ところが、ある不意の出来事によってパフォーマンスに狂いが生じる。
 ぼくは、自分がマークする右サイドハーフを追い込むために、プレスをかけようと前進した。その時に、ストッパーに起用されていたスコット・トンプソンが、背後から大声で「ドロップ」とぼくに叫ぶ。その声に少し戸惑って〈え!止まれって〉と思った瞬間に、体勢を崩して相手に振り切られる。日本語ならば、無意識に反応できる場面でも、英語が体に染み付いていない日本人のぼくは、「ドロップ」という言葉に、すぐに対応できなかった。
 
2.流れに逆らう舟のように

 次に、質問者のぼくは、こんなことを自分に問いかけた。
 質問者: できたことに関しては「体のケア」の部分ですか?
 ぼく: 日本にいる時には体は人にケアしてもらう機会が多かったのですが、こちらに来てからは自分でケアするしかないんです。その環境の中で最後には、良い状態を維持できるすべを身に付けられたのが最大の収穫です。Jリーグはとても恵まれた環境です。一昨年、昨年に関しては、そうした最高の環境の中にいても、良い状態にならない自分に絶望していました。プロとしてサッカーをやる資格が自分にはないと……。
だから過酷な環境の中で、悪い状態から、良い状態に自分自身で持っていくことができたのは、言葉にできないくらい嬉しかったし、自分の中でとても大きな自信になりました。

 コーヒーを飲み終えて、ぼくは、一輪のバラの花を手に持って、アパートに戻るために席を立った。
 ぼくと有由は、慣れない初めての海外生活ということもあって、ときどき喧嘩もあった。それはたわいもないことがきっかけだった。たとえば、彼女がガスレンジを掃除しているときだった。
「ねえ、力を入れてこすると汚れが落ちるから手伝って」
と、ぼくに声をかける。
となりの部屋でパソコンからメールを送信しようとしているぼくは、何も考えずに、こんな風に言葉を返す。
「どうせすぐに汚れるんだから」
彼女はそんなぼくの答えに、「こころない」と言って怒りだす。
こうしたたわいもないことなら数時間で忘れられる。でも、「2人で生きていく」という事柄に直面したときは、激しく言い争うこともあった。日本にいるときは、月給が約100万円あったので、欲しい物は「なんでも買っていいよ」という生活だった。アメリカに来て15万円の月給になって、その中からやりくりしなければならず、実際にどこかに旅行に出かけることもなくなった。そうした環境で彼女は相当に苦しかったのか、「『来い』と言われれば、どこにでもついていく私の性格も考えて」と一度言われたことがあった。でも、ぼくらはいつも2人で家にいて、日本にいたときよりも会話は多くなった。特に、サッカーに関する話を、ぼくは積極的にしている。あからさまに。何も飾らずに。格好悪い自分でもさらけ出して。そうした半年間の彼女との生活の中で、ぼく自身、これからどういう道に進むのか、次第にはっきりとしてきた。

 多くのサッカー選手がそうであるように、ぼくもサッカーを始めてから「サッカーノート」を記すようになった。アメリカでプレーするようになったいまでもそれは続けている。10月4日に今季の最後の試合を終えて、ぼくは今後のプレーに関する6つの課題をノートに記す。
1)自分の得意な「{攻撃時の}対人プレー」を伸ばす
2)自分の得意な「{攻撃時の}判断の速さ」を伸ばす
3)自分の得意な「狭い局面でのボール扱い」を伸ばす
4)自分の不得意な「{守備時の}対人プレー」の克服へのチャレンジ
5)自分の不得意な「無酸素運動の連続」の克服へのチャレンジ
6)自分の不得意な「フィジカルコンタクト」の克服へのチャレンジ
 実は、これらの課題は、ずっとぼくにつきまとってきたもので、日本でも周りから指摘されていたことだ。30歳を過ぎて、日本を離れてアメリカでプレーする現在でも、克服したいと願うテーマである。ぼくが来季もアメリカでプレーすることを望んだ理由の1つが、これらのテーマを克服するために、この地を最後の場所にしたいという考えが浮かんだのである。

 プロスポーツの世界というのはまさしく「荒野」そのものだと思う。「荒野」といえどもしばらくいると、居心地が良い場所になってくるものだ。きっと本当は、そうなった時点で環境に変化を求めるなり、あるいは自分自身がどんどんと変化しなければいけないはずだ。それが、プロのあるべき姿なのかもしれない。いや、それこそがプロアスリートの最大の魅力なのだろう。

 今季、環境を変えてみて、すごくいろんなことに気がついた。ぼくにとって、「荒野」というタームは1つのキーワードになった。またさらにぼく自身、大宮をクビになったこともあって「プロとはなにか?[m2] 」ということを、このアメリカでずっと自問自答していた。1シーズン、プレーできたことからそれが自信になって、ある答えが導き出された。
 それは、「自分自身の追求」ということだった。

 もちろんプロはお金を稼ぎ、自らのパフォーマンスでもって見ている人に喜びを与える、ということは大前提。しかしスポーツというのは相対的な要素が強いように思う。相手より自分が勝つことで、パフォーマンスの内容を脇に置いても、勝ったという結果が「良い」という価値基準を生む。つまり、その価値基準は、相手が自分を計る物差しになる。しかし、そのことを追求すると、自分は誰々より上とか下とか言うことでしか、自分が捉えられなくなってしまう気がする。つまり「勝つか負けるか」という戦いをする相手によって、自分の価値が決定されることになる。言い方を換えると、勝負を通して器が大きい方が、相手の価値を決定する基準になってしまう。

 ぼくは、それだけではその価値を見出すのに不十分だと思っている。たとえば、ある人が人間としての器を大きくする努力をしているとする。そうした努力の過程にこそ価値が生まれのである。アスリートならば自分を成長させていこうとする努力があって、いろんな人の心にプレーが響くのだろう。だからぼくは、勝負師としては甘いのかもしれない。

 もしも何か決断を迫られたとき、今のぼくならばこんな風に考えられる。〈自分にとって難しい判断はどちらだろうか〉と思案して、「荒野」と思われる方を選択する。なぜならば、「自分自身を追求する」というためには、「荒野」という場所に向かっていく姿勢が不可欠だからだ。

3.今は 前へ 進め

 ほとんど荷物がなくなった部屋の壁に、まだ剥がされていないカレンダーがそのままだった。そこには、ぼくがシーズンの後半戦から出場した試合結果が記入されている。

8月8日、対Charleston Battery 3-1 ベンチ入り出場なし(ホーム)
8月12日、対Montreal Impact 1-0 途中出場5分(アウェ)
8月15日、対Rochester Rhinos 4-1 スタメン 75分途中交代(アウェ)
8月22日、対Miami FC Blues 3-1 途中出場45分(ホーム)
8月28日、対Charleston Battery 0-0 ベンチ入り出場なし(アウェ)
9月3日、対Rochester Rhinos 1-2 ベンチ入り出場なし(ホーム)
9月7日、対Austin Aztex 1-0 途中出場5分(アウェ)
9月11日、対Austin Aztex 1-2 スタメンフル出場(ホーム)
9月13日、対Cleveland City Stars 0-1 メンバー外(ホーム)
9月17日、対Cleveland City Stars 1-0 スタメンフル出場(ホーム)
プレーオフ準決勝
10月1日、対Vancouver Whitecaps 1-2 スタメンフル出場(アウェ)
10月4日、対Vancouver Whitecaps 3-3 途中出場10分(ホーム)

「後半戦の試合は『荒野』と呼べるほど過酷なものだったな」と、経験した出来事を思い出しながら、カレンダーを押さえてあるピンを外して、きちんとたたんでバッグにしまい込む。来季も待ち受ける「荒野」への道のりを、ぼくは1人で進むべきなのか。それとも妻とともに歩むことが良いのか。サッカーでもって「自分自身を追求する」ために、彼女を道連れにしているのかもしれない。すべてはぼくの《エゴ》であって、そのために彼女に無理を強いているのかもしれない。いろんな考えが頭を駆け巡る。日本に帰国する彼女を、空港に送る時間が迫ってきた。部屋を出る前に、さっき買った一輪の真っ赤なバラを差し出す。
「有由がいたからここでやっていけた」
と、心底思って話かける。
そして、ぼくは、彼女に対して「ありがとう」という言葉しか言えなかった。

つづく

「第十回 荒野」
「第九回 新天地」
「第八回 旅立ち」
「第七回 結婚」
「第六回 同級生」
「第五回 同期」
「第四回 家族」
「第三回 涙」
「第ニ回 ライバル」
「第一回 手紙」