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哲学的志向のフットボーラー、西村卓朗を巡る物語「第十八回 自己」

2015.07.16

「発見の旅とは、新しい景色を探すことではない。新しい目をもつことだ」(マルセル・プルースト)

文●川本梅花

〔登場人物〕
ぼく…西村卓朗(コンサドーレ札幌 所属)
父…西村卓
友人…中川賀之(沖縄かりゆしFC 前所属)

1.友人の言葉

 窓のガラスが曇っている。台風は、北海道に入り込むと低気圧に変わる。雨はしばらく止むことはない。ぱらぱら、とか、ばたばた、とも聞こえる雨粒が窓を叩いてくる。

 三菱養和SCのジュニアユースからの友人の中川賀之の声は力強い。電話の向こう側から語られる彼の声は、雨音にも外の車の音にも負けていない。彼は、曖昧なことが嫌いで素直な物言いをする。
「上手くいかないときこそ人のためだよ。一生懸命取り組んでも、なかなか自分が好転しないときには、最終的に人のために自分は何ができるかでしょう」
 中川の言葉がぼくのこころにズシッと響いてくる。

 ぼくには今、妻と息子という家族がいる。独身時代は、自分のことだけを考えてサッカーをやってきた。どうやったらサッカーがもっと上手くなれるのか。どうやったら試合に備えてコンディションを高められるのか。どうやったら怪我を最小限に抑えられるのか。そのためにはどんなトレーニングを積めばいいのか。サッカー選手として、「どうやったら……」という問題意識を持って取り組んできた。それは今現在も変わることはない。しかし、1つ変わったことがあるとすれば、ぼくには家族がいて、食べさせていかなければならないから、今までのように自分のことのためだけにサッカーを見られなくなっていることかもしれない。中川の「人のためでしょう」という言葉は、「家族のためでしょう」ということに置き換えることができる。確かにそれはそうなんだ。でも、それだけではないような気がしている。ぼくは、ずっと自己に固執して生きてきた。上手くいかないときは、いつも自分と向き合って起こった問題を解決しようとしてきた。確かに家族は、ぼくの支えでもあるし守るべき存在でもある。だか、1人のサッカー選手として自分を俯瞰して見たときに、もっと違う考え方があるように思える。そう思わせたのは、ぼくがはじめて大きな怪我をしてしまったからだった。

 最初に、4月の中旬に左の股裏を痛めた。3日間練習を休んですぐに復帰する。次に、5月の初旬に同じ左の股裏に痛みが走る。軽い肉離れだったので、様子を見ながら練習を1週間休んだ。その後は、かなりいい感じでコンディションが上がってきたので、体に負荷をかけてみようと考えた。6月末になって、高校生との練習試合に出場した。試合の感覚も取り戻せてきた。翌日は1日オフとなったので、体のケアに時間を割いた。オフがあけた翌日、これはグアムキャンプでも意識してやっていたことだ。3チームに分かれて行う練習があった。ぼくは2番目のチームでプレーしていたが、3番目のチームの人数が足りないと見るや、「人数が足りないところに入ります」と手を挙げて参加した。それは監督やコーチに自分のコンディションが上がっていることをアピールできる機会になる。ぼくは、トライアウトに挑んだときにやったやり方で、もう一度、なり振り構わずやったあのときの気持ちを思い出して取り組んでいた。

 週が明けて、気持ちも新たにチームの練習が行われていく。フィジカルトレーニング。細かいステップ。スピードダッシュ。最初に、スピード系のトレーニングが組まれていた。10メーターくらい走り出して、グッとスピードが乗ったときだった。突然、股裏に激痛が襲う。今まで痛めたことがない右の股裏。4月に痛めたのは、対人プレーの際に強く踏み込んだときだった。それが今回は、ダッシュしている瞬間に起こった。

〈あれ、ちょっとおかしい感じだな〉と嫌な予感が頭をよぎる。

 それでも、〈いや、ぼくは怪我をしていない。絶対に怪我をしていない〉と言い聞かせて練習を続けた。
 メニューを2つこなして痛めた右の股裏をさすってみる
〈ああ、ダメなのか……〉
 ぼくは怪我をしたことを自覚した。

2.父の言葉

 結局、この怪我にはリハビリのために4週間を費やすことになった。20代前半の若い頃なら、たとえ4週間のリハビリ期間があったとしても、復帰には2週間くらいでゲームに戻れただろう。しかし、今のぼくのコンディションからすれば、4週間のリハビリは復帰までプラス4週間はかかってしまう。つまり、グラウンドで完全にプレーできるまでには、8週間くらいを費やすことになる。

「またやり過ぎたのかな」という思いと、「またやってしまった」という気持ちが交差して、怪我をした日からなかなか眠れなくなってしまった。肉離れを起こすのは、張りがあるそこの箇所に負荷をかけてしまい無理をしたときに起こる。怪我に関してはいつも十分に注意を払っていた。気をつけていれば半分以上の確率で防げるはずだと思っている。たとえば、足の裏をきちんとケアしていれば、そこの怪我はかなり防げる。軽い肉離れを4月と5月の段階でやっていたので、〈繰り返してはいけない〉とケアは怠っていなかった。ケアしていたにも関わらず、大きな肉離れをやってしまった。不意に起こる怪我だったら防ぎようはない。しかし、注意していての怪我だったので、〈いろんなことを見直さないといけない〉と考えるようになった。

 それでも、病院でレントゲンを撮る前までは、〈そんなに大きな怪我じゃない〉と何度も自分に言い聞かせた。医者には「出血が出ているあとがある」と言われて「4週間はかけた方がいい」と助言させる。

 リハビリでは最初の1週間、何もしてはいけない。まったく体を動かさない。温かいお風呂に入って痛めた箇所にアイシングをする。さらに、酸素カプセルに入ったりした。2週間目に入ると、歩行からはじまって筋トレと軽いランニングを行う。3週間目では、ボールを軽く使ってチームの練習に部分的に合流した。4週間が経過して、つまり「復帰あけ」になるのだが、まったく体が動かない。

 今現在は、練習試合にも出場できて、コンディションも上向いてきてはいる。だが、5月に肉離れをしたときに、試合に出場するためにここから体を作って勝負は夏以降と考えていた。8月末のカターレ富山戦を1つの目標にしていた。
 人には成功体験の事例というものがある。上手くことが運んだのは、どんな風に取り組んだからだろうか、と回想してみる。具体的に取り組んだやり方をイメージして、上手くいったときと似たようなやり方をしようとする。

 ぼくの場合はどうだったのかと思い巡らす。大宮アルディージャから浦和レッズに移籍したときのことを振り返る。あれは、まだレッズに在籍していた5月だった。ハードなトレーニングがたたって疲労骨折してしまう。翌月の6月になって、今度は反対の足も疲労骨折する。7月になって復帰したら、その月の末になって、突然に大宮からオファーをもらってレッズを離れることになった。8月になり、大宮でJ2ではじめて試合に出る。〈物事って、こんなに短い時間に好転していくんだ〉と思えた。あのときにぼくは、どんな風に苦しさから脱却できたんだろうか。ぼくは、状況が良なかったときに徹底的に自己と向き合ってきた。だから今のように上手くいかないときにも、〈自分と向き合うことしかないんだな〉という思いに至る。今日の練習はどうだったのか。あの瞬間もっと全力でできたんじゃないか。そうやって想像して、上手くいかない自分を越えて行くことしかない。

 そう思って練習を終えて自宅に帰ってきたら、久しぶりに父から長いメールが届いていた。ちょうど、お盆の時期で妻も息子も東京の実家に帰省していて、ぼく1人だけで過ごしている。

「卓朗へ

 1人の生活は、如何ですか?
 
 卓朗は、1人で家にいて家族を待つということがはじめてじゃないのかな? アメリカでのトライアウトのときも、シンガポールやドイツでのトライアウトのときも、家族を待たせる立場だったよね。

 まあ、昔のぼくなら、どんな理由であれ1人でいれたならば毎晩飲み歩いていたんだけど(笑)。 
 そんなことをしたのは、1人でいることが寂しいからというよりも、家族から束縛されないという開放感からだったのかもしれない。
 でも卓朗は、ぼくとは違う。こういう1人になった機会に、いろいろと考えていることだろう。いつも、どんな状況でも、きちんと自分と向かい合うことのできる人間だからね。
 
 卓朗は、怪我をしていたときも、ぼくやママには詳しいことを言わないできた。だから、どんなコンディションにあるのか知らずにいる。先日、有由(卓朗の妻)さんがこっちに戻ってきて、4週間の怪我をしたことを聞かされた。リハビリがあけたそうだけど、今は苦しい状況にあるんだね。

 卓朗は、自分の人生の目標に向かって、まっすぐ努力してきた。いつもサッカーのことだけを考えていたように思う。
 そして客観的に見ても、じゅうぶんに結果を得られてきたと思う。周りの人もそう思っている。でも卓朗は、もっともっと上を目指す自分自身が好きだ。

 コンサドーレのトライアウトに向かうとき、卓朗は「死ぬ気で頑張る!」と言った。その言葉にぼくは、今までにない卓朗の覚悟を感じた。この機会を逃せば、妻と子どもを食わせていけない。どんなことをしても、やりとげる。そうした意気込みをひしひしと感じた。
 そして卓朗は、トライアウトに受かってそれを実現した。
 本当に素晴らしいことだと思う。

 そう言えば、トライアウトに受かったと知らされた日に、中川君から電話があってね。彼は、ぼくにこんな風に言ったんだ。「卓朗は自分たちの誇りだ!」と。「お父さん、超有名な選手ならともかく海外からJリーグに戻れる選手はいません」と言っていた。
 自分の息子ながら「卓朗はすごいなあ」と思ったものだ。中川君の言葉で、あらためて感激したんだよ。

 ただ、ぼくはその後、1つの心配事があった。
「燃え尽き症候群」というか、家族と自分のプライドをかけたトライアウトで、ものすごいエネルギーが費やされたのではないか、と心配していたんだ。
 そして目標であった、開幕の右サイドバックでのスタメンを勝ち取ったことで、逆にこれから戦っていかなければいけないパワーを失わせたのかもしれない。そういう思いも抱いていた。

 それに気になることがある。これは余計なことかもしれない。卓朗のブログを訪問して思うことだが、心身の調子の悪いときは「更新」されてないということ。調子が悪いときや、試合に出られないときには、ブログを書けないという気持ちはよく理解できる。でもファンの気持ちを察すれば、卓朗の素直な気持ちから吐露された言葉を待っているんだと思う。 厳しい言い方かもしれないが、自分の調子の良いときだけブログを更新するという姿に、ぼくは引いてしまうときがある。おそらく、それは卓朗のファンも同じ気持ちじゃないかと思う。

 更新されずにホームページにずっと載っている息子のヒロの1才の笑顔を見たって、いいときでも悪いときでも応援してくれたファンは、卓朗が経験している全ての「喜び」を感じられないと思う。

 調子が悪いときだってどんなときも、ファンはいつも応援してくれたんだからね。」

3.自分の言葉

 父からの文面を読んで、しばらく動けなかった。書かれた内容には、納得できることもあった。ただ、トライアウトに受かったことで、「『燃え尽き症候群』になってはいないか?」という問いには、「なっていない」と答えることはできる。でも、怪我のため長期離脱をしたことで、もう一度サッカーに対する取り組み方を見直す機会かもしれないとは考えている。そのことを含めて、ぼくは父に返信することにした。

「メールありがとう。

 読みました。怪我から復帰して、今は、1日、1日、後悔をしないように取り組んでいこうと思っています。
 練習が終わったその日は、「完全燃焼できた自分だったのか」と1日を噛み締めています。ぼくがどんなタイプなのかを考えました。そのときどきに燃焼するタイプなのか? それとも、計画的に駒を進めてやるタイプなのか? たぶん、あと先のことを考えないで、やるタイプなのかもしれません。

 ぼくのサッカー人生は、上手くいかないときに、なぜ上手くいかないのかを考えて、解決策を講じてきました。対策を練った結果、その先には物事がちょっと上向きになる。その繰り返しだったと思います。
 
 8月15日で34歳になったぼくは、サッカー選手として年齢での衰えという考えを受け入れたくないとの思いがあります。ただ、今回、怪我をして感じたのは、コンディションを戻すのに時間がかかるということです。若いときは、2週間休めば戻ったものを、リハビリに4週間当てたなら、復帰するのに倍の4週間近くはかかるという事実です。身体的には、緩やかでも下っていくのを抑えること。あるいは、緩やかでも上げていくことが必要なこと。そのためにもトレーニングのやり方や怪我への新しい対処法を取り入れていかないとならないと考えています。

 良かったことも悪かったこともしっかりと向き合う自分でいれる。向き合い続けるということが大切なことだとあらためて思います。

 コンサドーレに加入させてもらった限りは、コンサドーレに貢献したい、というのがはじめの気持ちでした。それは、今も変わりません。この先、自分の毎日の練習の取り組み方でしか、結果は出てこないのかな、と思います。それしかないのかな、と。どんなにキツい状況が訪れ続けたとしても、そうしたものには気持ちを折れさせない。それが一番大事なことだと信じています。

 ときどき、「人のため」とか「誰かのため」とはどういう生き方なのか、と考えることがあります。ぼくならば、妻や子どもや両親やお世話になった人のために、ということは理屈ではわかるのです。でも、なんだかしっくり自分の中に落ちてこないのです。どうやって、という具体的なことがぼくには見えていなくて。そういうことが自分にとって、生きる中でポイントなんじゃないかと思うんです。

 先日、中川と話をしていて、「上手くいかないときこそ、人のことだよ」と言われました。「自分のことをやって自分のことを一生懸命やっても、なかなか上手くいかないときは、人のためでしょ」と彼は語った。そのことがぼくの脳裏にこびりついていて、なかなか離れてくれません。ぼくは、自分のためにやってきたことはあったけど、誰かのために、と行動したことがあるのか、と自問自答しています。

 チャンスは必ずやってくると信じて取り組んでいます。
 そのチャンスがきたときに、いつでもチャレンジできるように準備しておくことが、ぼくに今できる最も大切なことだと思っています。」

 ぼくは、父に返信してから、静かにパソコンを閉じた。

つづく

「第十七回 紙一重」
「第十六回 奇跡」
「第十五回 チャレンジャー」
「第十四回 誕生」
「第十三回 シンプル」
「第十ニ回 新チーム」
「第十一回 契約更新」
「第十回 荒野」
「第九回 新天地」
「第八回 旅立ち」
「第七回 結婚」
「第六回 同級生」
「第五回 同期」
「第四回 家族」
「第三回 涙」
「第ニ回 ライバル」
「第一回 手紙」

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