2015.05.27

哲学的志向のフットボーラー、西村卓朗を巡る物語「第五回 同期」

「疲れた人は、しばし路傍の草に腰をおろして、道行く人を眺めるがよい。人は、決してそう遠くへは行くまい。人間には、不幸とか、貧困とか、病気が必要なのである。なぜなら、人間は、すぐに高慢になるからだ。乗りかかった船には乗ってしまえ」(イワン・ツルゲーネフ『猟人日記』)

文●川本梅花

〔登場人物〕
ぼく…西村卓朗(Jリーグ大宮アルディージャ所属)
達也…田中達也(Jリーグ浦和レッドダイヤモンズ所属)
愛美…田中愛美(妻)
主税…藤本主税(Jリーグ大宮アルディージャ所属)

1. 田中達也との出会い
 
 彼ほどにストイックなサッカー選手をぼくは知らない。

 田中達也に最初に会ったのは、浦和レッズのトレーニングルームだった。淡々と筋トレに励む彼の姿に、ぼくは衝撃を受けた。選手の中には、形だけを追いかけてトレーニングしている者もいれば、何となくだけどやっていることに満足してトレーニングする者もいる。達也の取り組み方は、そのどれでもなかった。ひとつの動きにこだわりを持って、身体を動かしているのがすぐに分かった。ぼくは、自分よりも上手いサッカー選手はいくらでもいると思う。自分自身は、飛び抜けた身体能力を持っていないと自覚している。でもサッカーそのものに対する向き合い方だったら、誰にも負けないという自信があった。真摯にサッカーに取り組もうという想いが、ぼくを支えてきたのだと言ってもいい。けれども達也の姿を目の前にした時に、《こいつのひた向きさには適わないかもしれない》と思い知らされた。

 ぼくが浦和に入団できたきっかけは、当時のエースストライカー福田正博の口添えがあったからだ。高校時代まで在籍していた三菱養和のコーチに頼んで浦和の練習試合に参加させてもらう。対戦相手は学芸大だった。ぼくは右サイドバックで後半から出場する。この日に合わせてコンディションをベストにもってきた。福田がバイタルエリアに入る位置を予想して、右サイドから何本もセンタリングを上げた。福田は、試合が終わってからぼくに近寄って来る。
「お前、うちに来たいのか?」
「はい、行きたいです」
 と、即答する。
「良いプレーしてたよね」
 と言った彼は、スカウトの落合弘を手招きして「この子いいね」と話す。
この時の福田の一言が、スカウトの気持ちを押してくれたのだろう。

 ぼくは、《自分がとうとうプロになれた》ということで、精神的に少しだけ余裕が持てていた。つまり、自分のいるこの環境に、浸る余裕があったのだ。《この選手がいる》とか《こんなコーチがいるのか》とか、《こんな施設なんだ》と周りを気にかける自分があった。そんな中でも、同期に入団した達也は、一人だけ違っていた。彼は、サッカー選手としてやるべきことに集中していた。練習はもとより、日常生活においても、サッカーが優先だった。例えば、チームメイトに食事に誘われてた時に、〈明日の練習のために〉と一切の誘いを断る。高校時代から交際していた奥さんの愛美さんとのデートは、午前中の練習前の数時間だけだった。達也は、こうしてすべてをサッカーのためだけに捧げる。ぼくにとって、達也のそうした姿は、理想のサッカー選手像だった。もしも、達也に出会っていなかったら、いろんなトレーニングを取り入れようとせずに、サッカーの枠の中だけで、通例のトレーニングしかやらなかったに違いない。ぼくが、こんなにどん欲にサッカーに打ち込むこともなかったかもしれない。それだけ達也の存在は、ぼくにとって大きなものであった。

 ぼくらは寮生活をしていた。練習が終わった後、ぼくは達也の部屋にいた。

「高校で練習が終わってからどうしてたの?」
 と、彼に訊ねる。
「一時間とか二時間くらい、一対一をやったりしましたよ」
 という答えに《こいつの一対一はどんなものだろう》と見たくなる。サッカー選手同士のコミュニケーションのひとつが一対一の練習から生まれるものだとぼくは考えている。一対一をやれば、その選手がどんなプレーヤーなのかがすぐに分かる。ましてや達也と話をしていて、サッカー選手としての彼の原型が一対一の練習にあることがうかがえた。

「明日、練習の後でコンディションに余裕があったら一対一をやろうよ」
 と、ぼくは誘ってみる。
「はい。やりましょう」
 と、嬉しそうに話す達也がそこにはいた。

 そうしてぼくらは、合同練習の後に一対一をやるようになった。ルールは、お互いに10本やって勝ち負けを決めていた。正直に告白すれば、10本の内、9本は達也のドリブルに抜き切られている。ドリブラーには二つのタイプがある。一方が自分から仕掛けられるタイプ。他方がDFから仕掛けられた時に、それをかわすのが得意なタイプ。相手を外したり、逆を取ることはそう難しくない。ただし、相手を抜き切ることは簡単にできない。

 達也は、自分の間合いを持っていた。

 ぼくはドリブルが得意なので、ドリブラーが嫌がることを熟知している。ドリブラーには、時間をかけて寄せられると抜けないタイプが多い。例えば、タッチライン際での攻防の場合、右にドリブルする選手と左に来るのが得意な選手がいる。そうした癖を読んで、ディフェンダーはドリブラーに対処する。でも達也は、どちらも得意なタイプだった。彼のドリブルは、右に来ると分かっていても、そこを破って抜き切るだけの威力があった。飛び込んでもダメ。待っていてもダメ。《じゃあ何をすれば止められるんだ》と、一対一を終わった後で考えさせられたほどだ。

「今でも思い出しますよ。卓朗さんとやった一対一を」
 と数年後に語った達也は、病院のベッドの中にいた。

2.「必ずピッチに立ってくれ」

 病院に向かったのは、秋が深い季節の午後だった。

 達也は、柏レイソル戦でディフェンダーのタックルによって「右足関節脱臼骨折」という大怪我をした。仰向けになって天井を見つめる達也の横に立っていた妻の愛美さんが、ぼくに軽く会釈をする。ベッドの周りには、ファンから贈られた千羽鶴が飾ってあった。枕の側に袖を通していない買ったばかりのシャツが置いてある。

「チームメイトが見舞いに来てくれて。着てくれって言われたんだけど」
 と、言いながらシャツを手に取って広げてみせる。
「それがさ、これ絶対に着ないような柄だし。それにサイズ合わないし。ましてやセール品のシール貼ってるし」
 達也のこの一言で少しだけ和やかな空気が漂う。 
「そう言えば……」
 と、思い出したようにぼくは話を始める。
「三菱養和の30周年の記念試合があったんだ。そこに土屋さんがいて、〈達也に何か伝言ありますか〉って言ったら、〈本当にすまなかった、と伝えてください〉と話をしていたんだ」
「んん。この前、見舞いに来てくれた。すごく気にしてくれて、謝ってくれたので、逆にこっちの方が申し訳なくなって〈謝らないでください〉って言ったくらい。土屋さん、いい人だったよ」
 達也の話をさえぎるように看護士が愛美さんを呼びにきた。ぼくらは、二人だけになる。達也が何か言う前に、ぼくは声をかける。
「絶対怪我、直して、必ずピッチに立ってくれ」
「ん」
 と、言ってから「サッカーできるようになるのかな」と呟く。
「ぼくは、身体的に恵まれていなかったから、〈サッカーを中心にストイックに生きる〉、そういう部分でおぎなっていくことでしか、上にあがるすべがないと思ったんです。何もしないでも、結果を出せる選手はいるかもしれない。サッカーにすべてを注いでも上にいけないかもしれない。でも、それはそれで……ぼく自身〈やったんだ〉と納得できることをしたかった。このままでは終わりたくない。ぼくは、全部をサッカーに注ぐことでしか、サッカーを中心にして生きられないんです。だから、サッカーができないことが悔しんです」
 しゃべり疲れたのか、達也は大きく息を吐き出す。

 病室を出る前に、「子どもが生まれて、サッカー選手だったということを覚えて欲しいから。それまではサッカーをやりたい」と話す達也に、復帰してピッチに立つ彼の勇姿をイメージさせられた。

 達也は、それから1ヶ月以上入院する。退院してからリハビリ生活を何ヶ月も続けて、やっと復帰したと思ったら、また怪我をして手術を余儀なくされる。ベストコンディションに近くなったのは、2007年のシーズンになってからだった。達也の長いリハビリ生活を支えたのは、奥さんの愛美さんの存在だった。スポーツ選手の奥さんは、選手の肉体的な側面や精神的な側面のよし悪しの影響を直接的に受けるものだ。ストイックに生きる達也にとって、愛美さんの明るさは救いになっているのだろう。そこにいてくれる人の存在。聞いてくれる人が側にいるというそのことがどれだけ大きいものなのか。「がんばって復帰して」と言って献身的に看病をする愛美さんの姿を見て、そうしたことを思い巡らせた。

 ぼくと達也が最初に同じピッチに立ったのは、2005年のカップ戦だった。ぼくはオレンジ色の大宮のユニホームを着て、達也は赤色の浦和のユニホームに袖を通していた。達也とピッチの中で顔を合わせられるのが楽しくて、試合の前からワクワクする自分がいた。その時は、最低限やっと同じラインに立てたと思った。

〈やっと同じ位置に、同じ場所に立てたんだ〉と。

 ぼくは、2008年の浦和戦を前にして、ピッチの中で達也と再会することを願った。ぼくの今シーズンは、怪我との戦いになった。膝や足首の痛み。痛めた箇所をかばってプレーすると、別の箇所に痛みが移る。こうした悪循環が、繰り返えされた。ある日の紅白戦は、あまりの痛さに途中でリタイアしたこともあった。長くサッカーをやっていれば、怪我は付いてまわるもの。そういた身体の状態とどうやって付き合っていくのか。
 以前、達也はこんなことを言っていた。
「怪我には、慣れたらいけないけど、慣れっ子になってしまった。でも焦らずに。焦ってもいいことがないから」
 達也のこの言葉を思い出して、ぼくは、週三回とか四回、トレーニングジムに通って、コンディションを上げようと努めていた。ぼくの願いが通じて、浦和戦を前にして横浜F・マリノスとのカップ戦に出場するチャンスを得た。この試合で活躍すれば、浦和との戦いに呼ばれるかもしれない。達也もコンディションを整えて出てくるかもしれない。《何としても、結果を出さなくては》と心に決めていた。
 
 しかし、そこに待って現実は〈自分の存在を感じられない〉ものだった。
 
3.明けない夜はない

 今シーズンの大宮は、樋口靖洋監督のもとでサッカーが大きく変わった。昨シーズンまでのディフェンスのやり方は、引いて守って時間をかけて囲んで奪うというもの。今季は逆に、サイドバックが前に出て行って、一対一の局面を作って自分の方から仕掛けて取りにいくというやり方になった。ぼくは、そうした守備の変化になかなか対応できなかったのだが、ここにきてやっと自分の力を発揮できるまでになっていた。

 試合数日前に、監督は、ぼくに言葉をかける。
「今度の試合で使うのは、守備に対する卓朗のチャレンジの結果だから」

 また、藤本主税は「楽しんでこいよ」と久しぶりのスタメンに勇気をくれる。

 試合開始早々、小宮山尊信が仕掛けてくる。ぼくは、「来る」と思って利き足に力を入れてスタートをきる。低い態勢からダッシュした第一歩は、足に力が入らずになんだか浮いた感じがした。すでに最初の一歩が遅れてしまう。ジワジワと小宮山のドリブルが迫ってくる。〈そうだ。人に対して強くいかなければ〉と勢いよく前に進む。〈監督に求められていることをプレーで示したい〉と願う。でも〈このままでは、小宮山に抜かれてしまう〉と焦る。
最初のイエローは、気持ちと身体がバラバラになって、自分の判断ミスから生まれたものだった。

 ぼくは、試合が始まってすぐの小宮山とのマッチアップで、彼に裏を取られた。それが焦りとなって、イエローをもらってしまう。その時に、自分には今、〈ゲーム感がない〉ことがすぐに分かった。試合に常時出ていないから、状況判断が狂っている。普段なら、試合中に何が起こっているのかが、プレーしていても瞬時に分かる。でも、この時のぼくは、目の前の試合の状況を理解することさえできないでいた。

 数分後に二枚目のイエローカードをもらって、主審が胸に手をあてた時、ぼくは自分が退場になると知った。その瞬間、次に続くレッドカードの提示を見ることができなかった。下を向いたまま、エンドラインまで歩く。ゴールネットの裏に辿り着くと、さっきぼくがファウルした場所から蹴られたフリーキックが大宮のゴールを襲ってくる。そしてボールは、ぼくの方にやってきた。顔を上げると、ボールはネットを揺らして横浜の得点になっていた。

 ぼくは、この横浜戦を次の浦和戦につなげることしか考えていなかった。それしか考えていなかったんだ。これっぽっちも、これっぽっちだって、自分がまたしても退場するなんてイメージは持っていない。ゲーム前は、怖いとか不安はなかった。ましてやぼくが、三試合連続して退場処分になることなど有り得ないと。

《こういう現実になんでなるんだろう》と思った。
《ここにいないのは自分だけだ》と実感した。
《疎外感とか無力感》が襲ってきた。
 つまり、「自分の存在を自分で感じられなかった」のだ。

 自分に起こる現実には、何か意味がある。ぼくはずっとそう考えてきた。では、こうした現実は、いったい何のために起こっているのだろうか。

 ぼくは、100%やることを信条にしてきた。練習でも試合でもだ。絶対に自分をごまかさない。手を抜かない。それがサッカーに対する、自分の責任と誠意だと思ってきた。何かを追求した先には、何があるというのか。そこには、何者かが待っているというのか。ぼくは、何かにゆだねるしかできないのか。ぼくは、いったい何者に自分の現実をゆだねればいいのか。

 試合が終わった数日後、「〈もっと力抜いてやれよ〉って言ったじゃん。力を入れすぎて空回りしたんだね」と主税が慰めてくれる。彼の言葉で《気負っていたのか》と、あらためて認識させられる。

 ぼくは、いつのまにか自分を画一化して、物事を捉えようとしていたのかもしれない。人生の中で起こった出来事に、一つの見方を求め過ぎてきたのだろう。そうして自己自身を、凝り固まった不変の一個人に追いやっていた。ぼくは、さまざまな人生の状態のかすかな声に耳を傾けて、さらに高い価値を求めていくしかないのだ。

「怪我をしてから、サッカーが仕事だと割り切れるようになった。楽しいことには変わりないけど、その何倍以上にも厳しい仕事だと分かった。10回チャレンジしてその内の1回成功するかしないか。つまり9回は失敗している。良かったら誉められるけど、失敗したら批判される。だから自分自身、ぶれてはいけない」と達也が話したことを、今、ぼくは実感している。

つづく

「第四回 家族」
「第三回 涙」
「第ニ回 ライバル」
「第一回 手紙」