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哲学的志向のフットボーラー、西村卓朗を巡る物語「第十六回 奇跡」

2015.07.14

「『…したい』などという心はみな捨てる。その代わりに、『…すべきだ』ということを自分の基本原理にする。そうだ、ほんとうにそうすべきだ」(三島由紀夫『剣』)

文●川本梅花

〔登場人物〕
ぼく…西村卓朗(コンサドーレ札幌 所属)
妻…西村有由
友人…中川賀之(沖縄かりゆしFC 前所属)
友人…星出悠(ジョー・パブリックFC 前所属)
コーチ…漆間信吾(三菱養和SCチーフコーチ)
強化部長…三上大勝(コンサドーレ札幌 強化部長)
監督…石崎信弘(コンサドーレ札幌 監督)
ゴン…中山雅史(コンサドーレ札幌 所属)
土屋…土屋征夫(東京ヴェルディ 所属)

1.サッカーができる喜びを忘れずに

 ドイツでのトライアウトに失敗して日本に帰国したぼくは、[人生]の始まりと終わりについて考えていた。[人生]というのはいつ始まって、いつ終わるのだろうかと。始まりはたぶんこの世に生まれたときではないだろう。終わりはこの世から消えるときでもないのだろう。つまり、自分が[生きている]あるいは[生かされている]と実感するときが[人生]というもので、それはいつなのかということだ。

 初めて人に恋をしたときなのか? または、本を読んだりして、他者と関わったりして、自分とは違う存在があることを意識して自我に目覚めたときなのか? それとも、自分の中に潜む他者性をみて[もう1人の自分]と友情を結んだときなのだろうか? 
 たぶん、ぼくが考えるよりも遥かなところで[人生]はうごめいていたりするように思える。それは、なぜなのだろうか?
 年の瀬もせまったある日のこと、ぼくの運命を変える1本の電話があった。
 電話の相手はコンサドーレ札幌からだった。「練習に参加してほしい」と言われる。願ってもない誘いだったが、あまりの突然の連絡に驚く。でも、〈これが本当に最後のチャレンジなんだ〉という言葉がすぐに頭をよぎる。応接間にいた妻の有由に電話の内容を説明する。
「よかった……」
 言葉にならないかすかな声が返ってくる。
「死ぬ気でやってくるよ」
 ぼくはこのときに、〈最後のチャレンジに挑む〉という覚悟を決めていた。
 アメリカでのプレーに見切りをつけて、シンガポールからドイツへとトライアウトの旅に出たけれど、結果はついてこなかった。[現役引退]という文字がぼくの脳裏にリアルに刻まれようとしていたときだった。

 1月初旬に巣鴨にある三菱養和SCの練習グラウンドで、毎年恒例になった[初蹴り]が行なわれた。Jリーグに加入する現役選手と三菱養和の子どもたちを集めて「やりましょう」とチーフコーチの漆間信吾に声をかけたのが2006年だった。漆間コーチとの出会いは、ぼくが中学2年生のときで、それから高校3年生になるまでの5年間、サッカーを教えてもらう。レッズに加入することが決まった際に、コーチがぼくに話してくれた言葉がある。
「これからいろいろなことが卓朗を待ち受けているだろうけど、どんなときもサッカーをやれる喜びを忘れずにやってほしい」
 サッカーができる喜び。たとえば、試合に出られないときとか、怪我をしてしるときとか、サッカーができるという喜びを忘れがちになってしまうことがある。そしてときに人は、試合に使われないことを監督のせいにしたり、運がないと嘆いてしまったりするものだ。ぼくはそうした甘えた考えが自分を覆いそうになる瞬間、いつもコーチの言葉を思い出す。〈どんなときもサッカーができる喜びを忘れてはいけない〉と自戒して、自分の置かれた状況を冷静に見つめるようにしている。

 札幌からトライアウトの話をいただいて、ぼくはすぐにコーチに連絡する。コーチはいつものように淡々とした口調で、「一度退いたら戻れる世界ではないからね。ましてやJリーグのチームが声をかけてくれたんだから。ここまでやってきたのなら、できるところまでやってほしい」と語りかけてくれた。
 [初蹴り]に今年参加してくれたのは、土屋征夫(ヴェルディ)、小川佳純(グランパス)、青木良太(ジェフ)、田中順也(レイソル)などのJリーガーだった。ミニゲームが終わったあとで、Jリーガー1人ひとりが子どもたちにメッセージを贈る。最初に土屋が挨拶に立つ。
「37歳になってもまだ現役でやっています。ジュニアユースの頃は、体も小さくてサッカーも上手くなかったけれども、上手くなりたいという気持ちを持ち続けながらずっとやってきて、ここまでこられました。今はレギュラーじゃなくても、サッカーが上手くなりたいと思って続けてやっていけば、プロになれる可能性だってある。ぼくがそうだったから」
そして、最後にぼくに挨拶の番がやってくる。かつてコーチが話してくれた言葉を子どもたちに贈る。
「自分のこだわりを持ってサッカーをしてほしい。サッカーを楽しんで、サッカーができる喜びを忘れずにやってほしい」
子どもたちに語ったこの言葉は、これから札幌の練習参加に旅立つぼく自身に贈った言葉でもあった。

2.グアムキャンプでのトライアウト・サバイバル

 グアムキャンプでの17日間で、ぼくのサッカー選手としての運命が決まる。初日から10日間、午前は筋トレと600メーター走や1000メーター走のミドル系の走り込みが行なわれた。午後はボールを使った守備の練習にさかれる。
 ぼくのプレーの中で関係者にまず見られるのは、「走れるのか」と「怪我なくできるのか」についてだと考えた。ミドル系の走りには、浦和、大宮時代も〈走れる〉というのがぼくの特徴だったので、〈ここを全面的にアピールしないといけない〉と初日から全力でプレーした。それもトップグループに参加して走り続けないと意味がない。グアム出発前の札幌でのミニキャンプでは、乳酸値や心拍数を計って3つのクループにわけられていた。ぼくは、2番目のグループに当てられる。「自分は走れます」という意志をフィジカルコーチに伝えて、トップグループに昇格させてもらう。そして、いつもどんなときでも〈過去にJリーガーだったというプライドを捨てて〉新人選手のように先頭に立って走り続けた。

 次に、トライアウト合格のための2つ目のポイントは、対人トレーニングだろうと想定した。「どれくらいまで動けるのか」と「対人に対してどこまで対処できるのか」が見られる。キャンプ残りの1週間は1対1、2対2、4対4と対人トレーニングが設けられた。4対4のトレーニングをやったら、次の練習が始まるまで4分間のインターバルをとる。一息入れたあとで始まる4対4では、しばしば人数がそろわないときがあった。ぼくは、「自分が入ります」と志願してプレーを続ける。ぼくの他にもう1人練習生が参加していたのだが、クラブは絶対に1人しか取らないと思っていたので、彼よりも自分の方が「走れる」ことを証明しなければ、ここには残れないと考えていた。

 石崎信弘監督のトレーニングや練習メニューは、ぼくがチャレンジしたいと思っていたことだった。ぼくのサッカースタイルは、大宮時代の三浦俊也監督(現ヴァンフォーレ甲府監督)の影響を受けている。SBの役割に関しては自分のゾーンを守るということが重視されていた。石崎監督のスタイルは、ゾーンを守るということより、相手からボールを奪うというものだった。つまり、自分のポジションを捨ててでも前に出てボールを奪うというやり方。そういうアクションがとても新鮮だった。確かに、今まで経験してきたSBの動きよりも運動量が要求され、球際での戦いを求められるからフィジカル的にも厳しい攻防になる。そして、高い位置でボールを奪ったなら早く攻めることを意識させられた。全員で守備をして全員で攻撃参加するモダンなサッカーと言える。
 監督は、練習中には厳しく、細かい部分まで指摘される。グアムキャンプは守備を中心にということだったから、マークの原則の確認やボールとマークのポジションのチェックを各練習の中で要求してきた。ボールタッチ、パス、ポゼッションの練習。5対2、3対1、7対3。人数と練習の中身の設定を変えながら、2タッチのときもあれば1タッチのときもある。または2タッチのあとは1タッチでという約束事を設ける。7対3だったら3人がディフェンスにあたり、その際にディフェンスに要求するのは、ボールを奪い取るということ。そしてインターセプトしたらそこで終わりではなく、ボールを奪い取った側は次にドリブルしてボールを進める。奪われた側はもう一度ボールを奪い返しに行く。もしもボールが奪えたならばボールを回していいというやり方。それは[攻めから守りへ]と[守りから攻めへ]の切り替えを意識させた合理的な練習だった。〈こういう練習をしたら間違いなく選手は伸びていく〉とぼくは実感していた。

 2月初旬に監督と個人面談があった。
ホテルの部屋に呼ばれると、監督はチームの中でのSBの役割を説明しながらぼくに求める働きを話してくれた。
「守備に関してしっかりとトライしてほしい。ミスを恐れないで、近い位置で相手にプレッシャーをかける。仮に、相手にやられてもいいから、今はそれにトライしてくれ。SBの役割は今のサッカーでは重要なポジション。ビルドアップに参加してゲームを組み立てる役割には期待している」
 面談が終わって部屋を出ようと椅子から立ち上がると、監督はぼくに言葉を投げかける。
「ダメだったらどうする?」
「いやー正直、終わったあとのことは考えていないです」
「明日、強化部長が来るから。アルディージャの試合では頑張ってアピールしてくれ」
と話す監督の言葉を耳にして、〈いよいよ最後のサバイバルが始まるのか〉と思って部屋の扉を静かに閉めた。

3.奇跡を知らされた夜

 2月8日の練習を終えた夜、トライアウトの結果を8日に知らされると話されていたので、合否の答えをもらうために三上強化部長の部屋のベルを鳴らす。
「どうだった?」
と最初に尋ねられる。
「2週間の中で精一杯のプレーはしたつもりです。コンディションが上がればもっとやれる自信があります」
 ぼくは、自分がどういう意志で練習に参加して、自分のプレーがどうだったのかを客観的に正直に説明して、強化部長の返答を待つ。2人の間に少しの沈黙がある。
「今はまだ白でも黒でもない」
と語る強化部長の言葉に〈まだ決まっていないのか〉と不安がよぎる。
「俺も正直に話すけれども、卓朗のプレーは無難だった。もう少しできると思ったよ」
 ぼくは、強化部長がグアムにやって来ることを知らされた翌日から、彼の目を意識し過ぎて動きが固くなってしまったように感じていた。練習試合の大宮戦は、古巣との対決という意識よりも、アピールしなければいけないという焦りとミスをしてはいけないという警戒心から、プレーに関して[無難な選択]をしていたのだろう、と今になって回想する。[サッカーができる喜び]という根本的なことを忘れて、アピールしなければという強烈なプレッシャーの中でプレーしている。だから、自分が主導してサッカーをするという意識ではなく、強化部長に〈見られている〉ことを意識しながらサッカーをやっていた。
〈ああ、ダメかもしれない〉という失意の中で強化部長の言葉が耳に入ってくる。
「サッカーに対する取り組みは評価している」

 自分の部屋に戻るとキャンプで同室になった中山雅史さんがソファーに座っていた。このトライアウトで不合格だったなら、もうゴンさんと話す機会もないかもしれないと、ふと、頭をよぎる。
「ひとつ質問していいですか?」
と思い切って尋ねてみた。
「ゴンさんは、引退しよう考えたことはなかったんですか?」
「ああ、あるよ。ジュビロを辞めるとなったときだな。あのときに辞めるのが、一番きれいな辞め方だったかもしれないけど」
「なぜ辞めなかったんですか?」
「札幌というチームが誘ってくれたから。まだ自分に期待してくれている人がいると思えた。それに、俺はまだ走れるし。一概には言えないんだけど。たとえば名波(浩)の引退理由は、彼が蹴ろうと思ったところから10センチだけズレしまったから、それが許せなかったっていうんだよ。痛い足をかばってやっていてもダメだと感じて引退を決めた。俺の場合、そういうタイプの選手じゃないから。サッカーはヨーイドンのスポーツじゃないし。自分が工夫してやれば、埋まらないところも埋めることができると思う。まあ、俺、まだ走れるから」
「もしこれがダメだったら、引退を考えているんです」
「まだお前、走れるぞ。続けるか、続けないかという基準は人それぞれ違うけれども、俺はまだ走れる。お前を見ていてもまだ走れていた」
 ゴンさんの話を聞いて、〈そうだよ、ぼくはまだ走れる〉と自分に何度も言い聞かせる。しかし、強化部長の「卓朗のプレーは無難だった。もう少しできると思ったよ」という言葉が頭から離れない。こんな不安な気持ちのままで眠りにはつけなかった。誰かに今の心境を話さなければ、心が崩れ落ちそうなる。妻には電話で面談の内容を話したが、これ以上心配させたくなかったので、自分の不安な心の襞まではあえて語らなかった。夜中の時間が過ぎていく中で、ふと、三菱養和のころからの2人の友人、中川賀之と星出悠のことを思い出し、彼らにメールを打つことにした。

「結論から言うと、まだ決まってないようです。このモンモンとした日々があと少し続きそうです。事が重大過ぎて、自分でも現状を冷静に判断ができない。ポジティブに大丈夫とも思えない。どっちかというと強烈なインパクトが残せなかった分、ネガティブな心理状態になる時間の方が正直長いかな。もし駄目だった時には現段階では自分の中でもう一度海外でチーム探しをするっていうエネルギーや、金銭的な部分の余裕もなくなっている。今から練習参加ができる日本のチームがなければ『引退』ということも本当に現実味を帯びてきた。いよいよ追い込まれてきたよ。駄目になった時にしか湧いてこないようなイメージもある。そうなった時にはもう一度自分の気持ちと向き合うようにするつもりではいるけどね。ただ今回の札幌のグアムでのキャンプでは、自分で色々なことを判断しようと思っていた。客観的に見て今の自分の実力ってどのくらいなんだろうとか。プレーに関しては、『無難』だったというのが今回キャンプに参加して感じたこと。もう少しコンディションが上がれば、もっとできるという自信はある。グアムに来てからは、『走れる』という自分の感覚が戻り始めた。明らかに昨年よりは動けるようになってきたんだけど、まだベストには及ばない。ベストな状態ではないと、やはり『無難』になってしまうのが、今の自分ということ。自分に自分で判断を下すって本当に難しいね。『まだできる、まだできる』って思いでここまできたけど、『今の自分』というものもしっかり受け容れないといけない。ただ思うのは、今は自分の特徴と武器で勝負したいっていうこと。なんかまとまりのない、話になってしまったし、結論は出ないけど、追い詰められてきて、自分の中で自問自答している内容がこんな感じです。また結果がわかったら報告するね!ではまた!」

 グアムから帰国してクラブから合否の連絡を待つ前日の夜、1本の電話が鳴る。電話の相手は強化部長からだった。
「ありがとうございます」
正式契約の知らせが届く。
ぼくは、妻にすぐ知らせようとしてうしろを振り向くと、部屋の扉が開いてそこに彼女が立っている。
「大丈夫だったよ」
妻は顔に両手をあてて泣き崩れる。
ぼくは彼女を抱き寄せて一緒に号泣した。

つづく

「第十五回 チャレンジャー」
「第十四回 誕生」
「第十三回 シンプル」
「第十ニ回 新チーム」
「第十一回 契約更新」
「第十回 荒野」
「第九回 新天地」
「第八回 旅立ち」
「第七回 結婚」
「第六回 同級生」
「第五回 同期」
「第四回 家族」
「第三回 涙」
「第ニ回 ライバル」
「第一回 手紙」

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