2015.06.28

哲学的志向のフットボーラー、西村卓朗を巡る物語「第十三回 シンプル」

「ひからびた言葉をつないで それでも僕等シンプルな 想いを伝えたいだけなの 吹き抜ける くすんだあの日の風は 昨日の廃墟に打ち捨てて 君と笑う 今を生きるのだ」(サンボマスター『青春狂騒曲』)

文●川本梅花

〔登場人物〕
ぼく…西村卓朗(北米サッカーリーグ[NASL] クリスタルパレス・ボルチモア所属)
アシスタントコーチ…トッド(同上チームの前コーチ)
チームメイト…ザック(同上チームに所属するボリビア人)
友人…沢穂希(日テレ・ベレーザ所属)

1.新シーズンはアシスタントコーチの退団から始まった

「本当にこれでいいんですか?」
 ぼくは、アシスタントコーチのトッドの顔をみながら訊ねる。
 彼は、運転席のドアを開けて、カバンを後部座席に放り投げる。
「これでいいんだ」

 トッドはそう言うと、グレーのシートに腰をおろして、ドアをバタンと閉めるとエンジンを始動させる。ひどく憤慨した態度の彼は、もはやこのクラブに匙(さじ)を投げたのか、詳しいことは何も語ろうとしなかった。唐突なアクセル音のあとに、トッドの運転する車が駐車場から出ていく。ぼくにはその光景が、スローモーションのようにゆっくりとしたものに見えた。

 彼がチームを退団したのは、開幕試合から3連敗した5日後のことだった。

 ぼくは、昨シーズンまで所属していたポートランド・ティンバーズを離れて、今シーズンからクリスタルパレス・ボルチモアにやって来た。今年始めに1年間の契約を結んでいたティンバーズから契約破棄を突然告げられ、新たな移籍先を探していたぼくをボルチモアに誘ってくれたのがトッドだった。彼は、アシスタントコーチという立場でバンクーバー・ホワイトキャップスから招聘される。トッドの練習メニューは、選手を飽きさせない献立だった。ミニゲームを多く取り入れて、ボールを常に使った練習が選手には好評だった。チームメイトとも「トッドはサッカーを知っているね」としばしば話題になったほどだった。また彼は、人間的にもすばらしい人で、英語力がつたないぼくにも理解できるようなコミュニケーション力を備えていた。彼の人柄やサッカーへの情熱から、選手たちの人望もとても厚かった。ぼくがアメリカに来てから、信頼できるサッカーコーチに会ったのは〈初めて〉といっていいほど、彼と一緒にチームを作って試合に挑むのが嬉しくなっていった。そんな矢先に、トッドはチームを去ることになる。

 チームのプレシーズンの成績は芳しくなく、さらに試合内容も褒められたものではなかった。プレシーズンを戦いながら、チームとしての戦術がほとんど選手に浸透できていなかったので、開幕してからも厳しい戦いになるのはある程度予測できた。案の定、公式戦に入っても、チーム状態に好転する兆しはみえなかった。チームが上昇気流に乗れない理由はいくつかあげられる。ヘッドコーチのジムの戦術が未だに選手に伝わっていないこと。ぼくも含めて新入団選手が数人レギュラー組にいて、連携が上手くいかずに選手の動きがバラバラになっていること。ただし、これらはどれも決定的な理由にはならない。最も大きな原因は、ジムの独裁的なやり方にあるように思えた。

 ある日、練習後のミーティングで選手全員を集めてジムはいきなりこう切り出した。

「自分のやり方が気に入らない選手は、チームから出て行ってくれてもかまわない」

 ジムは、2日後に、さらにはそれから3日後にも、選手を前にして同じセリフをまくしたてた。ジムのこうした発言を導き出したのは、何人かの選手が彼に意見したことが原因となっている。ジムに戦術的なところで意見をした選手は、次々とメンバーから外されていった。そうした彼らは主力組たったので、スターティングメンバーが次々と代わっていき、チームとして約束事を作って戦い方を修正する機会が持てなかった。

 プレシーズン中に、ぼくも一度監督に「SBのポジショニングと攻撃参加」に関する戦術的な部分を意見して、3試合スタメンから外されたことがあった。ぼくは、まず、ポジションを取ってスタメンで試合に出ることが優先だと考えて、スタメンを外されてから復帰するまで、じっと沈黙を通してチャンスをうかがった。そして練習試合で復帰したときに、一番喜んでくれたのがトッドだった。

 開幕試合が近づくにしたがって、トッドが組んだ練習メニューは変更されていき、ジムの提案した練習が行なわれるようになる。このことを、アシスタントコーチとヘッドコーチの主導権争い、といってしまえばそれまでだが、彼らの下でプレーする選手たちにとっては、どちらの意見に耳をかたむければいいのかはっきりしない状態が続いていた。そうしたトッドとジムの冷戦状態を決着させたのが、チームの経営を任かされているピートだった。

 開幕3連敗した5日後に、クラブハウスでピートとジム、トッドの3人で話し合いがもたれた。
 ヘッドコーチのジムが最初に話を切り出す。
――俺のやり方に不満があるんだろう。
――ヘッドコーチのやりたいサッカーが選手にきちんと伝わっていないと思う。今よりもベストな伝え方があるはず。まず、やりたい戦術を選手に理解させるために、練習メニューを工夫する必要があるのではないか。
 トッドは、ためらわずに進言する。
――つまり、俺のやり方が気に入らない。従えないということか。なあピート、ここにいるアシスタントコーチは、ヘッドコーチの方針に従えないらしい。どちらの指導を優先するのか、いま、ここで、はっきりしてもらわないと。俺だって今後の身の振り方もあるしな。俺をとるのか、トッドをとるのか。
 ピートは腕組みをしたまま、しばらく動かない。やがて顔をトッドに向ける。 「今日でチームを辞めてもらう」
 はっきりした口調でピートは解雇を告げた。
 
2.トッドから送信されたメール

 トッドがチームを辞めた翌日クラブハウスに行くと、チームメイトでボリビア人のザックが「タクロウ、聞いたか?」といきなり語りかけてきた。「なにかあったの」と言って彼の返事を待つ。ザックは顔をしかめながら「給料が遅れるらしい」と呟く。クラブの経営状態があまりよくないという話は耳にしたことがあった。けれどもまさか、給料が未払いになることはないと高を括っていた。こうしたことは、アメリカでは、しばしば起こりうることのようだ。幸いにも、数日後に給料を受け取ることができたのだが、この日は、トッドが解雇された翌日ということもあって、クラブハウスに集まった選手たちは、それぞれ自分の中に溜め込んだ思いを吐き出す機会になった。

「練習メニューが乏しい。それに練習の設定が下手だな」と、ザックが口火を切る。「それに、とにかく練習時間がダラダラ長いよ」と、どこからか声がする。ある選手は違う視点からモノを言う。「ジムは最近まで選手をやっていたから体はよく動くよな」。それに対して相槌をうち選手もいる。「確かに、コーチとしては、そこそこ体は動く方だよ」。そこからもう、誰がどう言っているのかわからないくらい、次から次へと言葉が交差する。
「ただ、俺らと一緒に練習に混ざりながら指導するのは勘弁してほしいよ。だって、ジムは自分がプレーすることに喜びを感じているように見えたりするから」。「ちょっと変わったコーチだけど、憎めないところはある」。「おそらくかなりのナルシストだな」。「良く見れば、情熱的ということか」。「ある部分では完璧主義者だよ」。「ただ問題なのは、練習でやることの準備というものがほとんどできていないだろう。行き当たりばったりの練習というか」。「でも、戦術的には自分なりの哲学はあるんだけどな。それを俺らに伝えきれていないから、俺らはこうしてかなり混乱しているわけさ」。「まあ、ただ、ものは考えようで、ジムは特別に誰かを目にかけるとか、特定の誰かだけを叱るとかはないよな。誰に対してもリスペクトをしない。つまり、独裁的だけど平等なんじゃないのか。そうだとすると、やっぱり変なヤツということになるんだけどな」。

 なんだかこの話が妙に説得力を持って聞こえてきたので、選手たちの抱えていたうっぷんは少し晴れたような雰囲気になった。そして、いつかしら、話題は解雇されたトッドに移っていった。

 ぼくやチームメイトで日本人の吉武剛を含め、複数の選手がトッドから口説かれて、このチームに移籍してきている。そうした事実がありながらも、彼の決断を責める選手は1人もいなかった。職業を途中で放棄するということは、自分の意志に忠実であるという点で勇気がいることだ。また見方を変えれば、周りの人に迷惑をかけることにもなる。しかし、トッドは、彼が考える正しい方向にチームを持っていくために、ヘッドコーチのジムに意見をぶつけていたのは選手全員がわかっていた。そして彼は、いつも選手のことを気遣いながら、グランド上では厳しく、緊張感のある練習を選手に与えることができていた。

 そうしたことを考えていると、トッドからメールが送られてきた。トッドが解雇されたあの日、ぼくは、急いで駐車場まで彼を追いかけて、伝えたかった言葉を一行だけメモにして渡した。だから、トッドからのメールは、ぼくのメモへの返信だろうと思った。トッドのメールは、彼が信頼できる人物だったことを裏付ける内容だった。

「私が、この前の金曜日、クラブから解雇された後で、あなたから受け取った優しいメモと親切心には、とても感謝しています。
 私は、クラブを運営している人々の方針と哲学を支持することができませんでした。私の個人的な主義からは、ずいぶん離れたものになってしまったのです。
 あなたと働くことは最高の喜びでした。そして、将来再び一緒に仕事ができる機会があることを信じています。あなたは、完璧なプロであり、あとに続く選手すべてのモデルと言えます。
 この電子メール・アドレスと717.×××.××××に電話でしてくれたら、いつでも連絡をとることができます。
 今度、一緒に昼食をしましょう。

 あなたの健康とフットボール、幸福が最上となることを望みます。
                               コーチ」

 ぼくは、トッドからのメールを読んで、自分がアメリカの地にサッカーをやるためにやってきたのは間違いではなかった、と確信できた。彼からのこのメールは、ぼくのトッドに対するささやかな感謝の気持ちを綴った言葉に対するもの。ぼくがコーチに宛てて書いた言葉は、次の一行だった。

「あなたは、心から尊敬できるコーチでした」

3.沢穂希の何気ない言葉とチームメイトからの言葉

 タンパベイ・ローティーズとの開幕試合は、個人的にとても楽しみにしていた。なぜならば、元サンガ鳥栖に所属していた山田卓也が、今季からタンパベイに加入したからだ。ぼくは、開幕を迎えるにあたって、1つの目標を立てた。それは、山田とピッチで対峙するために、スタメンで試合に出場することだった。

 試合は、0-1と敗れたのだが、35歳になった山田の当たりの強さは、彼よりも年下で大柄な選手に対して、一歩もひけをとっていなかった。ぼく自身、スタメンで試合に出場できたのはよかったが、敗戦はやはり残念だった。プレシーズンでは、なかなかコンディションが上がらずに、毎日焦りながらアパートと練習場を往復していた。プロサッカー選手になって初めての経験だったのだが、ヘッドコーチの方針として、選手にスロー調整を要求してきた。したがって、走るフィジカルトレーニングやボールタッチの回数など、練習量が少なかったので、開幕を控えた10日前くらいから、アパートの近くにある大学の野球場に朝早くから忍び込んで、朝練をするようになった。そこからしだいに、身体が動き出すようになった。毎日朝5時半に起きてサッカーボールを蹴る。〈自分が子どもの頃、サッカーを始めたのは新宿の公園でやる朝練からだったな〉と、そんなことを思い出しながら、ぼくは気持ちよく、朝から壁を相手にボールを蹴っている。

 開幕試合を終えたその日、現地に在住する日本人の方を含めて、吉武や山田と食事会が開かれた。そこに、たまたま試合を見に来ていたサッカー日本女子代表で友人の沢穂希が在席していた。沢とは、今年の1月にも日本で話をしていた。食事が進むにつれて、集まった日本人の方のアルコールの量も増えていく。ある男性が、沢に向かって質問してきた。
「あんたは、よくやるよ。30を過ぎてアメリカでプレーしたなんて、すごいことだね」
 男性の言葉は、励ましにも皮肉にもとれるニュアンスだった。沢は、きっぱりとした言葉の響きをもって返答する。
「はい。わたし、サッカー好きですから」
 ぼくは、サッカーをやってきたいろいろな人から、この言葉を何度ともなく聞かされた。ぼく自身も、同じ言葉を返したことがある。しかし、沢が言った「サッカー好きですから」という文句は、今まで聞いた誰のものよりも、ズシッと心に落ちてきた。サッカーに対する純粋さと潔さ。彼女が歩んできたサッカーの道は厳しかったのだろうけれど、自分の選んだ道は間違いではない、と確信させるものがその言葉にはあった。

 しばらくして、食事会も終わりになって、それぞれが次のステージに向かうために座席をあとにした。アパートに帰ると、日本から国際郵便が届いている。送り主は父親だった。パッケージを開けると、何冊か本が入っていた。クラブが加盟する北米リーグは、遠征が多いので、旅のあいだ時間を潰せると考えてくれたのだろう。送ってくれたものの中に、元楽天イーグルスの監督だった野村克也の本があった。〈風呂から上がって、寝る前にベッドの中で読めばすぐに眠れるかな〉というほどしか捉えていなかった本だったが、いざ読んでみると、どんどん先に進んでいって、やがて、ある一文に釘付けになる。
「恵まれすぎることは、恵まれないことより劣る」
 ぼくはこの一文を前にして、〈やるしかない〉と心の中で呟く。〈今のこの環境の中で最大限のことを、やるしかない〉。〈整っていない環境だからこそ、やれることは山ほどあるはずだ〉。〈やるしかない〉と自分を追い込んでいた。

 翌日の練習は、次の対戦相手のことを考慮して、守備に重きが置かれた。ヘッドコーチの指示通り、彼の要求を忠実に実行した。しかし、結果はついてこなかった。第2節のプエルトリコ戦は1-3で敗戦。第3節のセントルイス戦も0-1で敗れる。ぼくは、この試合、メンバーから外されてしまう。遠征に帯同できないぼくに、まっさきに電話をくれたのが同じく遠征から外されたザックだった。
「ヘッドコーチはかなり変わっているから気にするなよ。それよりさ、試合に行けないなら週末を楽しもうよ!また連絡する」とザックは話をした。「遠征に行けないなら、週末が楽しめる」という発想がいかにも外国人っぽくて、電話を切ったあとに落ち込んでいた分少し気が楽になった。ポジティブシンキングな対処がぼくには新鮮に感じられる。

 ボルチモアに来て、自分の思った通りに物事は運ばないし、日本では当たり前とされる基準も、アメリカではかなり違う。しかし、海外生活をして、そこでサッカーをすることで、モノの捉え方や気持ちの切り替え方に変化が起きているような気がした。今回のように、遠征のメンバーから外れた、その瞬間から「なぜだ」といろいろ考えて、あとに引きずる傾向がぼくにはあった。上手くいっていないのに、それに対して悔しいと思わなくなったら、プロ選手として〈終わりだ〉と日本では考えていた。だが、ザックが言うように、自分ではどうしようもできない部分があるのなら、それをずっと嘆いているのではなく、フリーな時間が与えられたと思って「楽しもう」という感覚が、時に必要かもしれない。

 どちらの感覚が自分に合っているかは、正直わからない。ただ、ぼくは、今まで考えてきた生き方とは違う、別のなにかを、ここアメリカで手に入れられるかもしれない、と感じ始めている。

つづく

「第十ニ回 新チーム」
「第十一回 契約更新」
「第十回 荒野」
「第九回 新天地」
「第八回 旅立ち」
「第七回 結婚」
「第六回 同級生」
「第五回 同期」
「第四回 家族」
「第三回 涙」
「第ニ回 ライバル」
「第一回 手紙」