2015.06.06

哲学的志向のフットボーラー、西村卓朗を巡る物語「第八回 旅立ち」

「人間は行きたいほうへ行くがよい。人間はしたいことをするがよい。しかし人間は、自然がえがいている道へ、必ずまた戻ってくるに違いない」(ゲーテ『詩と真実』)

文●川本梅花

〔登場人物〕
ぼく…西村卓朗

1.契約満了という宣告

 ラジオから流れてきたのがダニエル・パウターの「バッド・デイ」だったのですぐにスイッチを切る。彼の曲はよく聴くのだが、このタイトルは嫌いだ。外の空気を確かめるために立ち上がって窓に向かう。カーテンを一気にひらいて窓を開けると、湿った空気が部屋に入り込む。《明日は雨か》と内心で呟く。ぼくは、目を閉じて夜の風を額で受け止めた。

 今季の大宮アルディージャの全日程が終了した翌日、朝からクラブハウスに車を走らせる。
 来季の契約の面談は背番号の順番で始まる。ぼくの順番を数えると、午後1時30分過ぎになりそうだ。クラブハウスに着くと、2階の会議室で行なわれる面談がすでに始まっていた。吉原宏太が淡々とした表情で姿をあらわす。
「あかんかった」
 と、言った後に口を一文字にする。
「え?」
 と、ぼくは驚くだけだった。
「大阪、とりあえず帰るわ」
 ぼくは、彼に何も言葉を掛けられなかった。

 しばらくすると、森田浩史が渋い顔で2階から降りてくる。無言でそのまま外に出て行く態度で、すぐに事情が飲み込めた。
 11月の末に、桜井直人がぼくに来季の居場所について話してきたことがある。
「卓朗、もし切られたらどうする?」
「ぼくは、続けます」
「このまま終わるのは悔しい。自分が公式戦に出て、納得いく形で終わりたい」
 と、桜井はきっぱりとした口調で話す。
「ぼくも同じ気持ちです。自分でダメだと思ってから終わりたいです」
 サッカー選手がスパイクを脱ぐということに関して、ぼくは、入団した時と今とでは、捉え方が大きく変わった。入団した時は、契約してもらえるチームがなくなったらスパイクを脱ぐ時だ、と思っていた。でも、今のぼくは、サッカー選手がスパイクを脱ぐ時は、プレーするチームがなくなったから脱ぐのではなく、チームは自分で探すもので、自分自身がサッカー選手を辞めようと思えた時にスパイクを脱げる、と考えるようになった。受動的にプレーする場所が与えられるのではない。能動的にプレーする場所を探せばいい。そうやって考えるようになって、実は、すごく楽に《引退》という二文字を捉えられた。自分が《もうダメだ》と思えたら辞めよう、と。

 もう少しでぼくの面談の順番がやってくる。この日に向けて心の準備はしていた。ぼくは、自分が契約を延長されることはないと、覚悟を持って会議室のドアを開ける。
「今シーズンどうだった?」
 GMの第一声がある。
「試合に使ってもらっても退場処分を受けて、年齢的にチームの役に立たなければいけなかったのに、まったく貢献できなかったのが悔しかったです」
 と、答えるしかなかった。
 そして、一枚の紙を手渡される。そこには、3つの事項が書かれてあった。

1.A契約締結の意志があります。
2.C契約締結の意志があります。
3.来季、契約する意志がありません。

 目に飛び込んできたのは、数字の3に丸印が記されていることだった。
「ベテランで今シーズン勝負だと思っていたのに、この数字しかあげられなかったので、契約満了には納得しています」
「この先どうする」
「現役を続行します」
 と言うと、ぼくは、席をすぐに立ってさっき入ってきたドアから廊下に出た。1階のロビーに降りようとして最初の階段に足をおろすと、ふと、言い残したことがあったような気になる。《あっ》と思うと、一瞬にして大宮での選手生活が走馬灯のように頭の中を駆け巡った。ぼくは、大急ぎで引き返して、再び会議室のドアを開ける。
「言い忘れたことがあったので、いいですか?」
 と尋ねると、一気に言葉を重ねた。
「ぼくが、大宮に来て4年半が経ちます。この4年半で一人前のプロサッカー選手にしてもらいました。大宮には感謝の気持ちしかありません。だからこそ、このチームがもっともっと強くなって欲しいし、今後もいいクラブになっていって欲しいんです」

 夏を過ぎた頃から、ぼくの心境に変化が起こった。《自分はどうでもいいから、大宮がJ1に残って欲しい》と、必死で願うようになる。ぼくは、合同練習の中でも雰囲気作りに努めていた。だからぼくは、自分が試合に使ってもらえなくても、《大宮が最終節で勝って、残れて本当に良かった》と、心底思えた。

 ちょうどチームが連敗していた時のことだ。藤本主税から電話がある。
「卓朗、明日空いてる?」
「大丈夫だけど、どうした?」
「慶行(小林)と大介(冨田)と食事行くんだけど、卓朗も、と思って」
《公式戦に出場していないぼくを誘う理由は、不振のチームのことか》と、電話の向こうの主税の意図はすぐに理解した。

2.4人での議論とトライアウトに向かうまで

 ヴェルディ戦を前にして、ぼくたち4人は、昨年チームが低迷していた時と同じように〈チームの何が問題なのか〉を議論し合った。ぼくは、ホームとアウェの試合を見る時も、自分の試合分析が役立つ日が来るかもしれないと思いながら、どうすればチームを立て直すことができるのかを、コーチのように観察してきた。まずぼくは、セットプレーに関して口火を切る。
「マンツーマンで守っていてあれだけやられるんだったら、いっそのことゾーンにするべきじゃないか」と提案すると、他の3人も「そう思う」とあいづちを打つ。主税は「紅白戦の中でセットプレーの練習を入れるんじゃなくて、守備も攻撃も場合も、セットプレーの練習を個別に時間を取ってやって欲しい」と話す。大介はFWのクレメン(ラフリッチ)に関して「クレメンをチームの保証というか、彼を使うならもっと徹底して彼にボールを預けないといけない」と言う。慶行はそれに対して「クレメンを活かすためには、彼に長いボールを入れないといけない。その場合、ボランチはボールを受けに行かないで、拾いにいくようにしなければ」と語る。この席でのぼくたちの統一した見解は、《守備にせよ攻撃にせよクレメンを活かすためのやり方を徹底しなければならない》というものだった。

 監督の理想としているサッカーは、ボールをもったらポゼッションを多くしてボールを支配したサッカーをやることだ。守備に関しては、外にボールを流して自分たちから追い込んで奪い取るやり方。しかし、クレメンを使うことで、この2つが成り立たなくなる。なぜならば、クレメンは守備では運動量が少ないからだ。最初にFWの追い出しがないから、サイドや中盤の選手がタイミングよくアプローチにいけない。攻撃の方は、スペースを作れるほどボールをキープできない。だから選手は、スペースがなくて飛び出せない。

 チームが連敗していた時の監督は、理想ばかりを唱えているように映った。もしクレメンを使うならある程度、理想を捨てないといけないはずだ。自分のやり方を徹底して貫くのか。あるいは、周りの人を信じて助言を受け入れるか。その頃の監督は、どっち付かずの立場だったように見えた。選手たちは意思統一を図ろうとして、コミュニケーションを盛んに取り合う。勝ち点を取るサッカーやろう、というのがすべての選手の合い言葉となった。

 クレメンを保証にして彼を活かすということは、やり方としてロングボールを彼に預けることを意味する。その場合、今までは、CBやSBがボランチにグラウンダーでパスしたボールを、相手がプレッシャーをかけてきていない場面でも、ロングボールをクレメンに入れなければいけない。そして、相手にボールが渡ったとしても、引いて守った中盤の選手は、相手にボールを回されているのではなく相手にボールを回させている、と考えられるようでなければならないのだ。

 4人でのこの議論の翌日に、ぼく以外の選手たちが、監督と話し合いの場を持つことになる。それは、ヴェルディ戦をむかえる前で、ぼくが公式戦に出られるかもしれないという最後のチャンスでもあった。その答えは、水曜日の紅白戦の中に出された。ぼくは、監督がどういう選択をするのだろうか、と様子をうかがっていると、若手の選手をレギュラー組に登用させる。《ああ、そういう選択か》と理解して、今シーズン自分が使われるのかどうかで《一喜一憂するのはやめよう》と決心する。ぼくはこの時に、今後の〈気持ちの整理〉を始めたような気がする。

3.アメリカへの旅立ち

 ぼくは、ある代理人と契約していた。代理人には、年俸交渉に長ける人とチーム探しが上手い人の2種類のタイプがある。ぼくの代理人は、前者の方だった。浦和から大宮に移籍した時は、年俸400万円代からのスタートだった。代理人は、クラブとの交渉の末に「レギュラーになってJ1昇格に貢献したら」という条件で、年俸アップの約束を取り付けてくれた。その約束は、2年後にきちんと果たされる。

 大宮から契約満了を言い渡されてから、代理人に連絡してチーム探しを依頼する。最初に、佐川印刷から話があると聞かされた。しかし、具体的な中身の提示はいつになっても明かされない。次に、愛媛からもオファーがあると話される。けれども、同じようにその後の進展はなかった。その結果、ぼくは、世話になった代理人との契約をやめて、個人でチームを探す決心をする。

 年末に行なわれるトライアウトに向けて準備をしなければならない。そのために、大宮のユースの練習に参加させてもらったり、志木のクラブハウスで、選手たちが自主トレを終えた時間の夜8時頃から、トレーニングルームを使わせてもらったりした。

 すぐに時間が過ぎ去っていき、トライアウトに参加させてもらうために神戸に出発する日がやって来る。前の日に神戸に入るために、家を出ようとしたら、妻の有由が「新幹線の中で読んで」と手紙を渡してくれた。ぼくは、「じゃあ、頑張ってくるから」と言って東京駅に向かい、伝えられたように座席に着いてから彼女の手紙に目を通す。

 「今年も一年間お疲れ様でした。今年は本当に色んな事があったシーズンだったね。でも、その中で、感じた事、気付いた事、学んだ事が沢山あったと思う。順調に進んでいる時には見えない景色が見えたはず!! 私は、前にも少し話したけど、サッカー選手だからとかでは無く、ただ西村卓朗っていう1人の人間に、ものすごく価値を感じているんだ。だから卓朗くんにも、自分自身をもっと愛して認めて、自信を持って欲しいな。そうすれば今までやってきた事、これから挑戦する事がもっと生きてくると思う。今、この時期を思い切り楽しんでね。私は、いつでも応援しています。思う様な結果がでない時も、私にとって卓朗くんが最高の存在だって事は変わらないから。たまには、サボる位が人間らしい! 明日は気負わず大好きなサッカーを楽しんできてね。何があってもこの世の終わりではないから。2人で力を合わせて頑張ろう。私には来年もサッカーをしている姿がイメージできているから大丈夫。笑顔を忘れず、サッカーに愛を伝えてきて下さい!!」

 妻からもらった手紙を胸に、与えられた短時間の中で、今できる自分のプレーをすべて表現しなければならない。ぼくと同じ組になった選手には、昔から知っている顔がいた。岡野雅行は「卓朗、やれるだけやろうぜ!」と弾んだ声をかけてくれる。試合では、何本かセンタリングを上げることができたし、周りからは「これだけ動けるなら、なんとかなるかもね」とも言ってもらえた。トライアウトでの自分のプレーは、満足がいくものだった。ただ、公式戦で一試合も出ていないことが、ぼくの今の評価の基準になっていることは理解している。だから、どこからも移籍の話がない場合もあるだろう覚悟はしていた。

 帰りの新幹線の車中は、同じトライアウトを受けた大宮の選手たちとシュナイダー潤之介が一緒だった。
潤之介は、ぼくの隣に座ってから、ため息まじりに言う。
「年内で決まったら……いいな」
 それは誰もが同意する言葉だった。
「サッカークリニックに誘われているんだ。現実としては、サッカーが好きだというだけで、続けることはできないから。卓朗は、どうする?」
「現役続行モード。実は、アメリカに行って挑戦し続けようかと考えているんだ」
 契約満了を宣告された日に、カナダのバンクーバーでプレーしている平野孝からこんな電話があった。
「お前どうするんだ。海外に興味があるって話していたけど、まずは日本でやれるんだったら、そっちの方がいいよ。海外は、自分でチームをつかむ場所だからな。レベル自体はそんなに高くないけど、サッカーの質が日本とは違う。それに、いろんな意味でたいへんだよ」

 今季、リーグ戦に出場記録を持たないぼくの成績では、どこで現役を続行することがベストなのか? ぼくは、カテゴリーを落としてでも、日本でプレーしたいとは思えなかった。
 ぼくの中で、ここ数年の不甲斐ないプレーに対して、きちんと決着をつけていないという自問自答がある。サッカー選手の決着のつけ方とは、ピッチの上で行なうパフォーマンスで、納得いくように自分に借りを返すことだと思う。だから、《自分への挑戦をしてからサッカーを辞めるんだ》とか《まだまだやり終えていない》という内なる声をさえぎることができない。ぼくがアメリカへ行ってチームを探すのは、選手として、なんとかもうひと花を咲かせたい、と願ったからだ。
 
 どこまでもサッカー選手でありたいという願いは、今のぼくの信念となっている。それは、この世には絶対的な真理があると確信している信仰に近いもの。だから、この信仰というものは、絶対的な真理に到達するための完全な方法を持っている、という逆の側からみた信念にも支えられている。
 たとえればぼくは、信念のために自分の身を犠牲にしようとする、あどけない子どものようなものだ。ぼくは、自分の行動が正しいと思い込んでいる。自分の意志を貫徹させるためだけに、アメリカへのチーム探しの旅に出るのだろう。実は、こう言ったぼくの意志というものが一番やっかいで、ぼくの行動の黒幕であるのかもしれない。

 サッカー選手が、現役を辞める場合、辞め方にはいろいろある。出した結果に満足して辞めるのか。あるいは、自分の気持ちに満足して辞めるのか。ボールを蹴れる場所をとことんまで求めて、チャレンジし続けて、満足感を得ることが、ぼくのやり方であるに違いないと思う。ぼくはサッカーに対して諦めが悪い。だから、好きなサッカーで自分を認められるまで、ボールを蹴り続けることでしか、ぼくは終われない。

つづく

「第七回 結婚」
「第六回 同級生」
「第五回 同期」
「第四回 家族」
「第三回 涙」
「第ニ回 ライバル」
「第一回 手紙」