2015.06.24

哲学的志向のフットボーラー、西村卓朗を巡る物語「第十回 荒野」

「見よ、私はあなたより先に使者を遣わし、あなたの道を準備させよう。荒野で叫ぶ者の声がする。『主の道を整え、その道筋をまっすぐにせよ』」(「旧約聖書」)

文●川本梅花

〔登場人物〕
ぼく…西村卓朗(USL1部リーグ ポートランド・ティンバーズ所属)
監督…ギャヴィン・ウィルキンソン(USL1部リーグ ポートランド・ティンバーズ所属)
平野…平野孝(USL1部リーグ バンクーバー・ホワイトキャップス所属)

1.プエルトリコ遠征で見た夢

 ぼくは、今、自分の精神力だけでグラウンドに立っている。もっと言えば、アメリカにやって来てから、自分の精神力を支えに生きている、とさえ断言できる。アウェイでの試合のために何時間もかけて移動し、時には3日で2試合をこなさなければならない環境。不十分な会話力から両者がイメージを膨らませてコミュニケーションをとらなければいけない現実。そうした不慣れな環境は、ぼくにとって荒野そのものだ。

 そして最もやっかいなことは、ぼくの身体が、いつ悲鳴を上げてもおかしくない状態にあることだった。

 カリブ海北東に位置するプエルトリコは、アメリカ合衆国の自治的・未編入地域である。ポートランドから飛行機で12時間かかる、その小さな島国の名前は、スペイン語で「豊かな港」の意味を持つ。国の名前にふさわしい港町の首都サン・ファンに建設されたルイス・ムニョス・マリン空港に、飛行機が着陸した。トラップを駆け下りようとすると、チームメイトの鈴木隆行が、「うっ、ブラジルの匂いがする」と呟く。亜熱帯地域に属するサン・ファン市の5月の気候は、比較的に過ごしやすいものだったが、街全体が南米文化の雰囲気を漂わせていた。だから対戦相手であるUSL(ユナイテッドサッカーリーグ)1部リーグに属するプエルトリコ・アイランダーズのサッカーも、ブラジルのスタイルに近い気がする。

 5月の初め、就労ビザ取得のために、ぼくは日本に一時帰国した。そしてアメリカに戻ったぼくを待っていたのは、右サイドバックのライバル、スコット・トンプソンが完全にレギュラーを確保しているという事実だった。日本に帰国する前に、トンプソンからポジションを奪いかけていた。ぼくが不在の間、チームは開幕試合での敗戦以降、不敗を続けている。その不敗神話の立役者の1人が、守備力のあるトンプソンの活躍だった。したがって、ぼくは、サブメンバーとしてプエルトリコ遠征に帯同することになった。

 チームは、試合前日に到着してサン・ファン市内のホテルに宿泊する。ホテルの部屋に入ると、腰の具合がしっくりいかないのに気づく。時間が経過するにしたがって、屈んだり身体を後ろに反らしたりすることができないようになる。〈これはマズイな……どうしたんだろう〉と、自問自答する。仙骨と胸骨が重なりあっている部分が、ズキズキと痛みだす。歩行はなんとかできるが、少し走っただけで腰に痛みが走る。監督のギャヴィン・ウィルキンソンには、「2本目の試合ではスタメンだからな」と告げられていた。こんなコンディションでは、試合に出ても満足なパフォーマンスはできない。今の自分の身体の状態を正直に告げて、「出場は無理です」と話すべきなのかどうか、しばらく考える。〈せっかくのチャンスを棒に振れば、ライバルのトンプソンとの差が開くだけだ〉と、決心をして腰の具合は伏せることにした。

 試合は1-0でチームが勝利したものの、80分で交代させられたぼくのプレーは、監督には精彩を欠いた動きに映った。

 試合が終わってホテルに戻って、〈どうしてなんだろう〉と何度も呟く。
〈大宮アルディージャにいた最後の2年間もそうだった。これからという時に、決まってどこか負傷してしまう。アメリカに来て、さあ、チャンスをつかむぞ、という時に……また怪我で……何度も同じことを繰り返す。ぼくが歩もうとする道筋はいつもまっすぐにはいかない。なぜ……なぜなんだ。もう心の翼が折れそうだ〉
ぼくはそのまま数時間眠ってしまった。

 目が覚めた。深い眠りだった。実際は1時間くらいの睡眠だったはずだ。けれども、その何倍も眠ったように感じる。起きたのは、寝返りを打とうとして腰に鈍痛を感じたのと、夢を見たからだ。それはこんな内容だった。

 夢の中でもう1人のぼくが、ぼく自身に語りかける。
「条件や環境が整わないから、満足なパフォーマンスができないと言うのか」
「そんな風には思っていないよ。ただ、どうしてうまくいかないんだろうと思っている」
「本当にうまくいかない、と思っているのか」
「これからという時に、怪我をして、いつもこうなんだ」
「アメリカに来てどれくらいだ」
「4ヶ月になろうとしている」
「まだ4ヶ月だ。はじまったばかりじゃないか。君がこうしてアメリカでプレーできているのは、君よりも先にこの地でプレーして道を築いた先駆者がいたからだろう。だから君はここでプレーできている。これから先の道筋は、君自身が造作るものだ。君が今いるのは日本ではなくアメリカだよ。条件や環境が整わなくても、コミュニケーションができなくても、やらなければならない。君はサッカーをやりに来たんだろう。道筋はまっすぐに造作ることはできる。それをやるかやらないかは、君しだいだ」

 遠征が終わってポートランドに帰るために、チームを乗せた飛行機が離陸する。スペイン語で「洗礼者ヨハネ」の意味を持つサン・ファン市内の外観を上空から眺めることができた。ぼくの目に見えたものは、サン・ファン大聖堂へと通じる一本に延びたまっすぐな道だった。
 
2.監督室に呼び出された日

 アメリカに来てクラブの中で最初に感じたことは、監督にすべての権限があって、彼の発言は絶対的ものであるということだ。ぼくの所属するポートランド・ティンバーズの監督、ギャヴィン・ウィルキンソンもその点に関しては同様であった。

 プエルトリコ遠征から戻ってからも腰の具合が悪く、チーム練習には参加できずに、トレーナーの指示にしたがってリハビリに励む。しかし、1週間経っても一向に回復の兆しは見えない。このままではマズいと考えて、以前、ロサンゼルスにいた時に足首の痛みを取り除いてくれた、MLS(メジャーリーグサッカー)のロサンゼルス・ギャラクシーで専属トレーナーを5年間務めている清水俊太(Active Release Technique所属)に連絡する。彼は、イングランド代表だったデビッド・ベッカムやアメリカ代表のランドン・ドノバンを治療し続けていた。日本にも優秀なトレーナーは多くいるが、彼ほどに優れた腕の持ち主に会ったことはない。痛みのポイントを刺激してくる彼の治療法は、まるで痛む箇所を直そうとぼくの身体の細胞すべてが働きかけているような感覚にさせてくれる。

 清水に腰の具合を説明すると、治療をすぐにはじめたいのでロサンゼルスに来るように、と話してくれた。滞在期間は6月8日から14日までの1週間。1日2時間の治療を受ける。驚くことに、ポートランドに戻る日になると、あれほど痛かった腰の具合が、段々と良くなっていくのが手に取るようにわかってくる。清水が組んでくれたリハビリメニューに準じて、ポートランドでさらに1週間リハビリを行なった。結局、チームの練習に合流できたのは、離脱から1ヶ月後の6月23日になってからだった。

 ぼくに、今できることは、とにかくコンディションを上げて、自分が動けることを練習の中で証明するしかない。そしてまず、監督に認めてもらうことが先決だった。そのために、7月2日に控えたドイツのバイエルミュンヘンのBチームとの親善試合に出場することを目標に置いた。

 プエルトリコで痛めた腰も回復して、練習に合流してから、理想通りとまでは言わないが、コンディションは上がってきた。そんなぼくのプレーを見た監督は、〈これは使えそうだ〉と思ったのか、「バイエルミュンヘンとの試合で、どれだけ動けるのか試すから」と言ってスタメン出場を伝える。

 しかしまたしても、ぼくの目の前には荒野が現れた。

 6月30日になって、突然、腹痛が襲ってくる。熱も40度近い。嘔吐と下痢の症状もある。最悪な体調。原因を考えてみる。食あたり。風邪。インフルエンザ。病院に連れて行ってもらったのだが、どれにも当てはまらない。ストレスによるものなのだろうという診断。このままでは、2日の試合に出場できない。すぐにチームのマネージャーに連絡して、事情を説明して体調不良だと伝えた。しばらくすると、折り返しの電話がかかってきた。

「Anyway, come to the supervision room tomorrow.(とにかく、明日、監督室に来い)」
と、一方的に話されて電話は切られた。
ぼくには「いったいどうなっている。やる気があるのか!」と言われているように感じた。
 
 翌日、監督室に行くと、監督の他にマネージャーと彼の友人である日本人が待機していた。どうやらその日本人は、通訳のために呼んだようだ。
監督は、早速、用件を話しだす。
 「If it is when, it comes to be got for a match you.」
通訳の人が日本語に訳す。
「『いつになったら試合に出られるようになるのか』と聞いています」
ぼくにはその質問が「まったく使えないな。どういうつもりでここにいるんだ」と言われている気になる。

怒りを必死にこらえている監督の語気は、次第に強くなってくる。
「There is no help……a match. Is it that……physical condition……How do you ……physical condition……money……you. Do not you do……July 2?」

通訳がいたためか、監督の英語は、普段ぼくに話すスピードよりも速く、うまく聞き取れない。ただ、怒りは伝わってくる。今の置かれた状況から、ぼくに対する厳しい内容であるのは予測がつく。再び監督の言葉が日本語に翻訳されて、彼の真意が理解できた。
「練習や試合で怪我をするならしかたがない。そうではなく、腰が痛い、体調がすぐれない、そんなのが言い訳になりますか。いったいどのような体調管理をしているんです。あなたを獲得するのに、お金がかかっているんです。7月2日は、プレーできるのですか、できないのですか」 

 監督の真意は、もうこれ以上待てないということだろう。待てないということは、「次の試合に出場できる」と言わなければ、二度と使われないことを意味した。
監督は、ぼくの返答を待っている。
そこには〈I cannot do it.(できません)〉という答えはない。
もちろんぼくは、〈I do it if I may do it.(できるようにします)〉と話す。

 とにかく40度近い熱をなんとか下げるしかない。ぼくは、妻のいるアパートにすぐに帰宅した。

3.すべてを懸けてプレーしたホワイトキャップス戦

 ソファに座っている妻の股によりかかるように、ぼくは安心して眠りにつく。確かに彼女は可愛らしい。真っ白な肌も、何事にも物怖じしない態度も、好感が持てる。特に、ぼくの言葉を吸い込むような瞳と感受性の豊かさに驚かされ、そんな彼女に幸福の意味を知らされる。
 
 妻を連れて5月に日本からポートランドに戻って来てから、日本にいるよりも2人の会話の時間が増えた。そのことがとても楽しい。外食などほとんどしない。朝、昼、晩の食事は、彼女の手料理だ。日本ではそれなりの年俸をもらっていた。しかし、アメリカでは月1,500ドルしか給料は与えられていない。天と地ほどの違い。でも、〈あなたならなんとかしてくれる〉と励ましてくれる。彼女は、ぼくを信じて今この異国の地にいる。だからぼくは、彼女の気持ちに応えるために、結果を出さなければならない。そんなことを頭の中で、あれやこれやと考え巡らしていた。
 
 妻の看病のおかげで、朝になって熱は下がっていた。しかし、身体が浮遊している感じがして、〈こんなコンディションでプレーできるのか〉と疑心になる。けれども、この試合に出場しなければ、ぼくはもう使われることはない。

 バイエルンとの試合は、90分フル出場した。試合前、ボールをシンプルにはたいて、相手へのプレスは激しく、と自分に言い聞かせていた。しかし実は、自分がどんなプレーをしたのか、ほとんど記憶にない。それだけ、ぼく自身が追いつめられた状況だったからなのだろう。なぜなら、試合が終わって帰宅したら、再び高熱と下痢と嘔吐に悩まされたのだから。しかし、翌日の3日には、ミネソタ・サンダーとの対戦が控えていて、ミネソタへ遠征しなければならない。たとえ最悪なコンディションであっても、チームに帯同させてもらえるだけで、有り難いことだった。

 もし、今のぼくを語ることが許されるならば、こんなことが言える。日本にいる時は、よい条件、よい環境、よい用具、よい治療にこだわるあまり、そのことを追求し過ぎて、逆にそれに依存していた自分がいた。アメリカでプレーするということは、そうした依存体質を1つひとつ削ぎ落とすことでもあった。シンプルにサッカーをする。そこにボールがあるから、ぼくはボールを蹴る。そういう当たり前の答えが、ここにはあった。

 バイエルン戦から1ヶ月が経って、バンクーバー・ホワイトキャップスをホームスタジアムに迎えることになった。このチームには、大宮アルディージャで一緒にプレーをした平野孝が所属している。久々の再会に胸躍るものがある。ぼくは、スタジアムに向かう前に、家のカレンダーを眺めた。そこには自分が出場した試合が記述されている。
7月2日 対バイエルミュンヘン(エキシビジョンマッチ)
     スタメン90分プレー
     2-0
7月11日 テキサス遠征 対オースティン・アズテックス 
      残り10分途中出場 
      2-1
7月17日、7月19日 マイアミ遠征 対マイアミFC・ブルーズ 17日、残り15分途中出場1-1 19日、残り10分途中出場3-0
7月25日 対バーンリー(エキシビジョンマッチ)
      スタメン90分プレー

 この時点で、公式戦は20試合近く行なわれていた。日本から戻って来てから、たったの3試合しか公式戦に出場していない。しかも、すべて途中出場だ。ホワイトキャップスとの試合前日に、監督が「スタメンで使うから」と話してくる。「やっと巡って来たチャンス。すべてを懸けて試合に挑もう。そうしなければ、明日の道さえも見ることができない」と、ぼくは、言葉を心に刻み込んだ。

 試合が終わってから、平野を誘って久々にレストランに行く。彼は、連戦の疲れを考慮され、この日はピッチに立たなかった。席に着くと、彼は、ぼくの顔をちらっと見ながら「卓朗、痩せた?」と聞いてくる。「そうなんですよね」と明るい声を作って少し笑いながら答える。
「ずっと試合に出てなかったから、怪我でもしたんじゃないかと心配していたんだよ」とゆっくりと話し出す。そして、平野は言葉を続ける。「移動、大変だろう。遠征に行って2試合、3試合が平気だもんな。週末に試合があったと思ったら、すぐ火曜日にまた試合がある。俺なんて、6日で4試合こなしたよ」。ぼくは、「過酷ですよね」とただ相槌を打つしかなかった。

 家に帰って、カレンダーに今日の試合結果を記述する。
8月6日 対バンクーバー・ホワイトキャップス 
     スタメン80分までプレー 
     1-0
 ぼくは、次の言葉を付け足した。
「シンプルにサッカーをやる。道筋はただまっすぐに、荒野を切り裂いていく」

つづく

「第九回 新天地」
「第八回 旅立ち」
「第七回 結婚」
「第六回 同級生」
「第五回 同期」
「第四回 家族」
「第三回 涙」
「第ニ回 ライバル」
「第一回 手紙」