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哲学的志向のフットボーラー、西村卓朗を巡る物語「第十五回 チャレンジャー」

2015.06.30

「時間は夢を裏切らない。夢も時間を裏切ってはならない」(『銀河鉄道999』松本零士)

文●川本梅花

〔登場人物〕
ぼく…西村卓朗(北米サッカーリーグ[NASL] クリスタルパレス・ボルチモア所属)
彼…新井健二(シンガポールリーグ センカン・パンゴール所属)
エンゲルス…ゲルト・エンゲルス(前浦和レッズ監督)

1.シンガポールに旅立つ飛行機の中で思い巡らせたこと

一日ごとに日が短くなっていくと、夕闇に不安をかき立てられる時がある。

 成田国際空港から離陸する飛行機は、ぼくを乗せて18時にシンガポールへ向かった。機内で7時間30分過ごしたのちに、目的地のチャンギ国際空港には深夜1時30分に着陸する予定だとアナウンスされる。アメリカでアウェイへの移動にも慣れていたので、そんなに長くは感じないだろうと思った。これから待ち受ける現実が、どんなものになるのか、という不安と期待が入り交じった心境で、ぼくは離陸する飛行機の窓から成田の景色をぼんやりと眺めていた。

 アメリカでの今シーズンのチーム成績は、12チーム中の12位だった。つまり、最下位でシーズンを終えたので、プレーオフにも出場できなかったことになる。こんな成績でシーズンオフを迎えたのは、ぼくにとって初めての経験である。昨シーズン、所属していたティンバーズではリーグ優勝を果たした。しかし結局、プレーオフの準決勝で敗れてしまう。だが、チームが勝ち上がっていく喜びを選手として体験できたことは貴重な財産になると思った。今シーズン、そうしたトップのチームから下位のチームへ移籍することになったから、ボルチモアというチームがどれくらいのポテンシャルを持っているのか不安があった。実際に1シーズンを過ごしてみて、選手の質もチームの運営力も期待以上のものは望めなかった。

 ぼくは、30試合中20試合に出場した。日程も過密な中で、トータルで見ればパフォーマンスも悪くなかったと思う。しかも、与えられたポジションが、左右サイドバック、左右のサイドハーフを任されたことで、逆に1人の選手としてはポジションの広がりを持てることになった。けれども、サッカーが上手くなれる環境だったのかという視点で振り返れば、決して「そうだった」とは強く言えない。

 実は、シーズン途中で移籍を考えたこともあったのだが、妻が出産を控えていたこともあって、チームを代えることは現実的に難しい状況にあった。なぜなら、出産に関する保険を負担してくれるチームが他では見つけられなかったからだ。

 サッカーをやること、ボールを蹴ることは、どこでやっても変わらない、と割り切ってシーズンを過ごした。そして、シーズン途中から「来シーズンは地域を代えてもいいかな」と思い始めていた。
 2シーズンアメリカのリーグでプレーしたことで、どんな選手がいて、どんなサッカーをやるのかを把握できた。また、トップのチームと最下位のチームを経験して、レベルの違いも肌で感じることができた。

 アメリカでプレーする最大の難問は、ワンシーズンが短いので、オフシーズンの過ごし方に苦心するということだ。だから、選手をこのまま続けていくには、アメリカでのサッカー環境は難しい。プレーヤーを続けていきたいからこそ、違う地域も選択肢として考えるべきではないか、と思案してきた。メジャーサッカーリーグという選択もあったのだが、上のクラスのチームと練習試合をやったことで、レベルの高さとぼくのプレーヤーとしての年齢、またサイドバックというポジションを考えたなら、そのチャレンジは現実的ではないと判断できた。だから、サッカー選手を続けていくためには、違う地域でチャレンジする方が、可能性が高いと考えるようになった。

 2008年に大宮を解雇された時に、最初に関心があった国はシンガポールだった。しかし、若手しか採用されていないのでベテランは難しいという情報や、プロであっても金銭的に厳しいという話を耳にしていたので、選択肢から外していたのだった。

 アメリカでシーズンを終える前に、新井健二に連絡をした。彼は、アルビレックス新潟に3シーズン所属してからアルビレックス新潟シンガポールに移籍し、さらにシンガポール・アームド・フォーシズFCで4連覇の立役者となった。今シーズンからセンカン・パンゴールでプレーしている。

「シンガポールへの移籍を考えているんだけど。現状はどんな環境なの?」
と、ぼくは訊ねる。

「ここは、東南アジアの中でも治安が良いと言われているんだよ。実際、安心して生活できる環境にあるからね。もし、こっちでプレーするのを考えているんなら、11月の下旬に合同トライアウトがある。でも、それに参加するよりも前に、こっちに来てピンポイントで直接クラブに練習参加させてもらった方がいいと思う。まあ、2週間くらい滞在して、2、3チームの練習に参加できれば、こっちのレベルもわかるしね」
 彼によれば、「アメリカと違って通年でやれるし、日本人のプレーヤーもいるのでチャレンジする価値はある」ということだった。

 11月に移籍先を探すには、欧州と東南アジアが候補になっていた。東南アジアでは、ベトナム、タイ、インド、インドネシア、シンガポール。欧州は、ドイツ。1部から3部はプロ契約選手なので、すぐには難しいかもしれないが、4、5部だと生活ができる給料がもらえるという話だった。それをぼくに教えてくれたのは、前浦和レッズ監督のゲルト・エンゲルスである。彼は、ドイツのクラブとのマネージメントの仕事もしている。

2.海外でプレーするという意味は何か

 ぼくは、日本に帰国してすぐに、エンゲルスに再会することにした。今年の1月に会って以来だった。

 まず、ドイツでプレーできるかどうかの可能性を訊ねる。

「下のカテゴリーならば、年齢を気にしなくてもやっていける。だけど、体さえきちんと動いたらという条件ね。可能性はあると思うよ」
 と、エンゲルスの話を聞きながら、2004年の半年間、レッズで共に過ごした時間を思い出していた。
 その時は、ぼくは出場機会に恵まれなかったので、「ゲームに出られなかった選手」という印象なのだろうと思っていた。
 しかし彼は、当時のぼくのサッカーに対する取り組み方を知ってくれていた。
「一生懸命やっていたし、持久走トレーニングでは足が速かったよね。スタミナもあった。今でも走れるの?」
「はい」
 と、ぼくが頷くと、彼は、「レッズを出て良かったよね。大宮に行って試合に出られるようになって」と言葉を付け足す。
〈ぼくのこと気にかけてくれていたんだ〉と言葉に出さずに、エンゲルスの話をじっと聞いていた。
「W杯に出場したことがある人が6部で監督をやっていたりして、下のクラスでもそう甘いものではないことは覚悟しておいたほうがいい。ただ、ヨーロッパは国が陸続きで繋がっているので、なんとかなると思う。向こうでプレーをしたいんだったら、お手伝いするよ」
「よろしくお願いします」と言って頭を下げた。
「ところで……卓朗はどうしてそこまで現役にこだわるの?」
 ぼくは少し考えながら、エンゲルスの質問に答えた。
「現役にこだわっている理由は、選手を続けていくことによって、どうやったら上手くなれるんだろうかとか、どうやったら強くなれるんだろうかとか、ということが1日1日延びることになるわけじゃないですか。『自分がなんで上手くいったのだろう』、または『なんで上手くいかなかったのだろう』ということを毎日考えているんです。そうした時間が長ければ長いほど、僕の中でサッカーがだんだん理解できるようになっていくんです。選手としての時間を延ばすことで、より理解できるのだと思います。ぼくは、引退したらサッカーの指導者をやりたいので、その時にこそ、今の経験が活きるのだと、考えているんです」
「そうか。わかった」
 と、エンゲルスは呟いた。

 サッカーを続けていくことが、今のぼくにとって一番のプライオリティである。性格上、目的を持つと、身動きがとれなくなるような気になる。Jリーグに復帰したいという気持ちはあるが、現状、どんどん戻りづらくなっている。ぼくの場合、若手の1選手とは違う何かが必要となる。それに、ベテランを雇うにはお金がかかる、という問題もある。だから、「チームの経営的な部分もやりますよ」ということまでできなければ難しい。たとえば、スポンサーを獲得できる営業力があるとか。

 ぼくが立つ道は2つにわかれている。先のことを考えたら、子どもが生まれたんだから早く引退して次の職業を探すという道。しかし、「辞めます」と言ったとして、指導者になってもぼくを取り巻く状況は何も変わらないように思える。2、3年選択が遅れたからどうなるのか、と自問自答する。
 大宮アルディージャを解雇された時に、大宮から「普及のコーチで」という話をもらったことがあった。しかし、「まだ、サッカーがしたい」という自分の気持ちを裏切ることはできなかった。「ここで終わらせたくない」。あれだけいい環境の日本で戻らなかったコンディションが、アメリカでは動けるようになった。「まだやれる」と誰かに言われている気にぼくはなった。

 日本にいた頃は、悲鳴を上げていたぼくの体が、アメリカでは動けるようになった。ボールを触る時のコントロールする感覚を呼び覚まし、周りを見渡せる視野を取り戻した。ファーストタッチでボールを動かす感覚。その動作がどれだけスムーズに、どれだけの視野を確保しながら、自分が思ったタイミングとスピードで入っていけるのか。そうしたプレーを実現するために必要な低い態勢をとれるボディバランス。これは間違いなく動けている、という時の感覚が確かに甦った。

 ぼくは、時々「海外でプレーするそのメリットは何?」と考えることがある。最近、そう、つい最近のことなのだが、その答えが見えてきたように思う。人は、ぼくの話を聞いて笑うかもしれないが、「もう一度『サッカー小僧』に戻れる環境が海外でプレーするメリットだと確信している。つまり、海外にいると、娯楽も少なく、サッカーしかやることがないのだ。時間の使い方に関して、日本にいれば選択肢がたくさんある。たとえば、オフの日は、どこでトレーニングしようかとか、逆にどこで気分転換を計ろうかとか。時間の使い方が、ものすごく選べる環境だと言える。上手くなるためだけに、強くなるだけのためにサッカーを続けるのは、海外の方がしやすい環境なのだろう、と今のぼくは実感している。
「サッカーに集中するというのは、こういうことなんだ」と海外でプレーして初めて悟らされた。

 日本での恵まれた環境を活かせなかったのは、ぼく自身の責任だった。大宮である程度結果が出た時に、今のぼくだったなら、違う過ごし方をしただろう。あの当時でもぼくは、ストイックになって、サッカーにとって一番いいと思ったことを選択してきた。しかし、日本にいた時に考えていたストイックの意味と、アメリカで経験したストイックでは違っていたのだ。日常に娯楽が溢れている日本のような国と、娯楽が少なく必然的にサッカーに向き合えるアメリカでの生活からすれば、日本にいた時にもっとウエイトをサッカーに置けたのではないか、と回顧してしまう。

3.ドイツに旅立つ飛行機の中で誓ったこと

 シンガポールでのトライアウトは、残念ながら失敗に終わった。
「常にボールに絡んでいく」。そういう印象に残るプレーをすることだけを心がけて挑んだ。最初の2試合は、既成のチームで出場した。その場合、さほどアピールをしなくても、いいポジショニングさえできれば意外とパスは回ってきた。残りの3試合は、外国人で結成されたトライアウトチームで出場した。この場合は、とにかくボールを呼んで、呼びまくらないとボールは回ってこない。だから、試合前にそれぞれの選手の名前を把握しておくことも大事だったし、彼らとのコミュニケーションを含めて、グラウンド外で選手と仲良くしておくことも大事なことなのだと知った。

 実際、ぼくがシンガポールで経験したことは、トライアウトと言うよりも、東南アジアのサッカーがどんなものなのかを把握する時間だった。ただ結果から言えば、契約を勝ち取ることはできなかったので、今の時点では何も得てはいないと言える。シンガポールでのトライアウトを活かすためにも、ドイツで何としても結果を勝ち取らなければと心に誓う。

 もしも、ドイツでのトライアウトに合格したならば、ぼくにとって最後のサッカーをする場所になるかもしれない。

 ぼくの場合、サッカーをやる場所を探しに最初にアメリカに行った。海外で生活することによって、その国の生活スタイル、時間の使い方などを知ることができ、あらためて日本にいた時の自分を冷静に見る機会を持てた。人は、比較する対象を自分の中で持たないと、正確にその物事を知ることはできないのだろう。一度日本から飛び出して外から日本のサッカーを見れば、それは遠回りに見えるけれども、逆に自分が日本でやってきたサッカーを知るための近道のような気がする。日本人の特徴、性格、プレースタイル、物の考え方などを冷静に初めて知ることができるからだ。それは今まで自分が生まれた場所や育った環境を知れることだし、過去の自分の価値観や考え方、サッカーへの取り組み方を変えるきっかけになるかもしれない。

 日本にいても海外にいても、人が過ごす時間の長さは変わらない。1年なら1年。2年なら2年というように時間の長さは普遍的なものだ。しかし、時間の長さは誰にとっても変わらないという意味で普遍的に見えるけれども、人が時間の経過の中で育てていく意識というものは、常に変化していくのだ。同時に、取り巻く環境も変化していく。

 Jリーグでぼくは8年間プレーした。8年という歳月は動かしようがない時間の長さだ。そうした時間の中で、シーズンによってはメンバーも変われば、監督が変わることもあった。また、チームを変えたこともあったし、違うディビジョンでプレーしたこともあった。ぼくを取り巻くそうした変化というのは、刺激的なものだったが、海外でプレーするというのは、その刺激が格段に増えることになる。その変化に対応しようとするぼくは、一生懸命に、とにかく一生懸命に目の前の事象に向き合うことしかできなかった。そうした環境で生まれた愚直さという姿勢が、人の意識を活性化させる要因になるのだ、とぼくは確信している。

 ぼくがドイツでプレーする意義とは何か? そのことを考えた時に、ぼくは、子どもの頃に新宿の戸山公園でボールを蹴っていたことを思い出す。ボールを蹴るのが何よりも楽しく、24時間サッカーのことを考えて過ごしていた時間。つまり、「サッカー小僧」だった頃の時間を振り返るのだ。願わくばもう少しだけ、ぼくに「サッカー小僧」の生活を続けさせてほしい。

 スパイクを脱ぐ時に、ぼくはその先に何を見るのか。きっと何かを見るためにプレーを続けようとしている。何かが見えるはずだと信じている。だから、中途半端な結論だけは出したくない。

 ドイツに向かう飛行機の中で、そう思っている。

つづく

「第十四回 誕生」
「第十三回 シンプル」
「第十ニ回 新チーム」
「第十一回 契約更新」
「第十回 荒野」
「第九回 新天地」
「第八回 旅立ち」
「第七回 結婚」
「第六回 同級生」
「第五回 同期」
「第四回 家族」
「第三回 涙」
「第ニ回 ライバル」
「第一回 手紙」

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