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哲学的志向のフットボーラー、西村卓朗を巡る物語「第十四回 誕生」

2015.06.29

「神は男性を創造したが、孤独さが足りないのを見てとって、
孤独をもっと鋭く感じるように女性という仲間を与えた」(ポール・ヴァレリー)

文●川本梅花

〔登場人物〕
ぼく…西村卓朗(北米サッカーリーグ[NASL] クリスタルパレス・ボルチモア所属)
妻…西村有由
息子…西村卓容

1.誰のために人は溢れ出る涙を流せるのか

 去年の10月に妻の有由のお腹に子どもが宿されたことを知らされた。

 出産予定日は7月4日。ちょうどその日は、アメリカ合衆国の独立記念日にあたる。義母は、心配になって予定日の2日前にこちらにやって来た。そして、出産前日に3人で食事に出かけた。帰宅後に妻の容態が急変する。  
 時計の針は21時を指していた。

 妻が「破水したみたい」と話す。彼女は少し動揺している。病院に連絡を入れると、「すぐに来るように」とドクターから指示を受ける。
 病院に着いたのが22時前だった。
 破水してからどのくらいの時間を費やして子どもが産まれるのか、その時の僕はまったく理解していなかった。ぼく自身に降りかかる出来事の場合、どんなに大変な時でも、比較的、前向きな方向に物事を考えようとするのだけれど、妻のこと、ましてや生まれてくる「わが子」のことに関してはたくさんの不安が頭をよぎった。「最終的には必ずうまくいく」という予感と「必ずうまくいってほしい」という願望がぼくのこころを交差した。しばらくしてから陣痛が始まり、予定日の24時を回り日付は4日になった。ここまでは見たところ事態が順調に運んでいるように映った。だから「すぐに産まれるだろう」という安易な気持ちでいた。しだいに夜も明けて朝になり、4日の昼を過ぎたあたりには妻にも疲労の色が見えはじめていた。 

 病室には、僕と妻、義母、通訳をしてもらっている日本人の女性の4人がいた。ナースは、1時間に一度病室を訪れる。そのたびに血圧を計って、妻の容態をチェックする。妻は、ドクターから妊娠を告げられたあとで、「自然分娩で生みたいの」とぼくに話をしていたので、陣痛による相当な痛みも我慢している。しかし、痛みが過度なものだったので「これでは自然分娩は無理かもしれない」とドクターが話す。

 13時を過ぎた頃から、ドクターとナースが交互に部屋を出入りして出産の準備をし始めた。だが、妻が何度も子どもをこの世に誕生させようと強く力を入れても、妻の悲痛な叫び声が病室に響くだけだった。2時間以上が経過して、15時を過ぎた頃に義母がぼくの耳元で呟く。
「これはちょっと様子がおかしい」
通訳の女性を通してドクターに相談する。
ドクターは、少し考えてぼくたちに告げた。
「確かに、お母さんの言われるように、あまりにも時間がかかりすぎていますね。これ以上、続けることは、奥さんにとってもお子さんにとっても危険な状態になります」

 ドクターが語った「危険な状態」になるという言葉が何度もリフレインしてぼくの頭の中を駆け巡る。〈妻の命と子どもの命にかかわる危険を回避するにはどういう方法をとればいいのか〉と不安にかられたぼくに、ドクターは落ち着いたトーンで「帝王切開に切り替えましょう」と話をしてきた。ドクターの言葉を聞いたぼくは、目の前が急に真っ暗になってしまったように思えた。自然分娩を希望して長時間の陣痛の苦しみに耐えて、時間が経過するごとに疲労していく妻の姿を見ていると、帝王切開を選択することはとてもつらかった。でも、2人の命には変えられないことなので、ドクターの指示にしたがうしかなかった。

 下半身麻酔をするため手術室に移る。麻酔が効いてからはぼくと通訳の女性だけが室内に入ることが許された。16時頃に手術が始まる。ぼくは妻の手を握り続け励ましの声をかけていた。とにかく妻の体の無事と、子どもが無事に産まれてくることを祈り続ける。「なんとか助けてください」とぼくはこころの中で何度も呪文のように繰り返す。通訳の女性が、ドクターから「手術は順調です」と伝えられたと聞かされると、少しだけ希望が持てたが、それでもまったく安心ができないでいた。

 手術室に入ってどれくらい時間が経ったのだろうか。妻の手を握るぼくの手は小刻みに震えてくる。その時に、突然、産声が聞こえてきた。子どもの声を聞いた瞬間、涙が自然と溢れてきて手術台のシーツにこぼれ落ちる。ぼくは、声をあげて涙する。止めることができないものすごい量の涙がぼくの目から流れる。長時間の陣痛と麻酔による影響で、意識がもうろうとしていた妻の顔をのぞくと、そこには最高の笑顔と涙があった。

2.「卓容」という名前に「願い」を託す

「受容」という言葉。
 この言葉は、ぼくの中で1つの大きなテーマだ。出産に立ち会ったことで、「受容」の意味がよりぼくの人生にとって重要なものだとあらためて感じさせられた。ぼくは目標を立ててそれを成し遂げようと努力している時には、自分の精神の力強さを感じる。一方で、困難な状況に直面した時には、必要以上に無理をしてもがき苦しむ傾向がある。「必要以上に無理をする」のは、ぼくがぼく自身に自信を持てないからだろう。告白すれば、ぼくはプロになってからもなかなか自分に自信が持てなかった。だから、自信のなさを隠すために、自分にとっても誰からみても、わかりやすい生きるスタイルが欲しかった。困難な状況があったなら、それを克服する自分の姿が、人にとって「卓朗らしいね」と思われせるスタイル。そうしたスタイルを作れば、たとえ困難な状況が訪れた時でも、決まったスタイルに戻っていけて、平常心でいつもいられるかもしれないと考えた。でも、本来の自分にない「ポジティブシンキング」な性質を「ある」ように作るのだから、多大な努力と労力が必要だった。それは、自分に自信がないことをカバーするという「ネガティブシンキング」から生まれたものだ。だからぼくはいつも、「ネガティブシンキング」になりがちなありのままの自分を打ち出して、そうした自分にも自信を持って、真正面からぼく自身を信じて、目の前に現れた状況をすべて受け容れられるような大きな器を持った人になりたいと願っていた。

 子供にはそんなぼくの思いを込めて、卓朗の卓に「受容」という意味合いを含めて「卓容(たくひろ)」と命名した。
 
 慣れない海外での生活の中で出産を経験した妻には、尊敬と偉大さを感じずにはいられない。そして、義母の「これはちょっと様子がおかしい」という助言と、それをドクターに告げてくれた通訳方、さらにドクターの判断もすべてうまくいった結果、わが子がこの世に性をうけた。周りの人々の力と智慧によって卓容が生まれてきたのだと、ぼくは多くの人に感謝して、生後まもない彼をみている。

 人に「感謝する」ということは、これまでのサッカー人生の中でもたくさんあったことだ。ただ、今回の場合は、いままでの「感謝」する気持ちとは、まったく別な次元のことのように思える。サッカーでぼくが得たものは、自分の努力や願いというものは必ず結果になって跳ね返ってくるという確信だった。つまり、ぼくが主導的に動くことで何らかの結果がでて、その結果を得たから人に感謝するという利己的なものだ。しかし、「出産」に関しては、妻と子どもの無事を願うことしかできなかった。自分の努力や願いだけではどうにもならないこと。つまり、「感謝する」とは、自分の力では叶わないものを叶えてもらえたときに、こころに湧いてくるものなのだろう。きっと、「感謝」という言葉の同義語は、「祈る」という言葉なのかもしれない。

 ぼくは、「起こる出来事には必ず意味がある」と考えてきた。未来は自分の力で切り拓けるものと信じていた。サッカーをしていると、自分の状況には当然、いい時もあれば悪い時もある。困難な状況の時は、自分を奮い立たせ能動的に物事に取り組み、挑んでいく姿勢というものをサッカーがぼくに教えてくれた。しかし逆の見方をすれば、困難な状況をじっくりと見据えて、あえて困難な状況に身を任せたり委ねたりするということがぼくは苦手になってしまっていた。困難な状況を悲観せず自分を信じて、じっと「時」を待つという勇気。そうした勇気が、ぼくには欠けていたのもかもしれない、と。

 物事を「受け容れること」と同時に、自分ではどうしようもない「流れ」があったなら、その時には先が見えずに不安になるかもしれないが、ぼくのいままでやってきた努力を信じて運命という流れに乗ってみる勇気というものも大事なのだと、「出産」を通してぼくは思いさせられた。

3.コンバートは自己犠牲を払う守備によってもたらされた

 クリスタルパレス・ボルチモアというチームを選んだ1つの理由には、「出産」ということが大きく影響していた。妻の妊娠がわかり7月に出産することを知らされていたので、医療環境や保険など出産に関わる準備をする必要があった。昨シーズン所属したポートランド・ティンバーズでは、実際のところ個人で保険に入ろうとしたのだが、過去の病歴など審査が厳しく加入できないことがあった。だから、「保険」には加入できることがチームを選ぶ絶対条件だった。アメリカのUSLリーグ(昨年まであったリーグで今年からNASLに変更)は、規模が小さいチームが多いために財政的に厳しく、チームで保険まで面倒をみてくれるところは少ない。ティンバーズでさえ、そうした待遇はよくなかった。今年の2月に今のチームから興味があるという話をもらった時も、まず初めに「保険はどうなっているのか」を訊ねた。チームは、「保険」に関してサポート体制がしっかりしているとのことだったので、クリスタルパレスと契約することにした。

 そのクリスタルパレスの今シーズンは、なかなか波に乗れずによい戦績を残せないでいる。12チーム中で10位前後を行ったり来たりしている。ただし、5位までは勝ち点があまりないので、残り試合の成績によっては、プレーオフに進出する8位に入れる可能性がある。

 6月12日、アウェでロチェスター戦があった。試合は、0?2では敗れる。ぼくは、右SBでスタメン出場する。しかし、それ以降は出産に備えて6月と7月の初めにかけて、キャンセルした試合を含めスタメンからは外されていた。その間の成績は、6月19日、アウェでのカロライナ戦を1?1と引き分け、7月4日のアウェのミネソタ戦は1?0で勝ったものの、つづく7月9日のアウェのプエルトリコ戦0?2で敗れる。

ぼくは、卓容が生まれてから約1週間休みをもらい、12日の練習からチームに合流した。14日にホームでロチェスター戦があって、その試合からぼくはMFで起用されるようになる。それまでレギュラーだった左MFのカメルーン出身のマシューのデキがあまり良くなかったので、ぼくが起用されることになった。マシューは身体能力が抜群に優れている攻撃的な選手なのだが、球離れが悪く守備に関してチーム戦術を理解してプレーに反映させるタイプではない。チームの守備の仕方は、両サイドのMFが、相手のSBにプレッシャーをかけるタイミングと、その時に相手を中に切るのか外に切るのかという判断が重要で、コーチの意図する守り方を実践するのが難しい。しかし、日本人のぼくは、相手の考えていることを読み取って、自己犠牲を払って守備をすることが他国の選手よりできている。つまり、監督の意図する守備を体現できる選手だと考えられていたので、MFへのコンバートがなされたと思う。

 攻撃に関しては、ボールを持った時にタッチ数を少なくして、シンプルにボールを動かしていくことが要求される。チームの戦い方は、SBが高い位置をとって攻撃に関わっていくというよりも、自分のゾーン内でプレーすることが求められるので、実のところ、ドリブルでオーバーラップを好むぼくのプレースタイルから遠くにあって、今のサイドのMFの方が自分の特徴を活かしやすい。サイドのMFは、チームで一番運動量が要求されるポジションになっているから、コンバートされてもやりがいがある。SBの時に比べて、攻撃でも守備でもスプリントをする回数が断然に多いので、コンディションも上がってきた。

 サイドのMFというポジションへのコンバートは、まったく予期してなかった。さすがに、休養から復帰して3日後に突然違うポジションでのスタメンを言われた時には、不安や戸惑いもあったが、アメリカに渡ってから予期せぬ状況に直面することに慣れてしまっていたので、難なく対応することができた。

 突然のコンバートに対して上手くこなせたのは、コーチがぼくの選手としての特長を見てくれていたことに関係している。練習が終わったある日、コーチがぼくに話し掛けてきたことがあった。
「戦術の理解度は他の選手よりも高いね」
と、コーチから話される。
その言葉から、監督がぼくを理解して信頼しているのだと悟った。

 チームメイトからは、日本にいた時と同じ印象のようで、「健康おたく」と捉えられている。そして、ストレッチや身体のケア、筋トレなどのトレーニングを含めて、誰よりも時間を割き取り組んでいることは、チームメイト全員が認めてくれている。そう言えば、プレシーズンの体力テストの結果も、チーム最年長ながら一番の成績だった。そんなことも彼らはよく覚えていて、話のネタにされることもある。ただし、チームの経営状況に関しては、あまりよくない。給料が3、4日と遅れることがしばしばで、この間、遠征での食事代の支給もカットされることになった。

4.小さな存在から大きなことを学ぶ

 わが子と過ごす時間は、自分が想像していたよりも、ずっと、ずっと楽しいものだった。子どもの世話に関しては妻がほとんどのことをしてくれているが、ぼくができることはなるべく進んでやるようにしている。当然、今まで通りでの生活のペースでは運んでいけないが、「この子のためなら」という気持ちがとても自然に湧いてくる。時には、ほとんど眠らないで練習に行くこともあった。今までだと、いい準備ができないことにすごくストレスを感じていたが、そういう感情は起こらなくなった。逆に、睡眠がとれなかった日の練習では、思いのほか調子が良かったりして、なにが幸いするのかわからないものだ。「気持ちのもちよう」なのだな、とあらためて感じさせられる。

 今までのぼくは、サッカーに取り組む「姿勢」を問題にして、自分がその「姿勢」に十分に向き合えないことに神経質になり過ぎていたのかもしれない。自分に自信がないから、自信をもとうと過剰に努力することで、不安は補えるものだと思っていた。そうした考えは、プロに入りたての選手ならいいのかもしれない。ぼくは、30歳を過ぎて35歳を目の前にしたベテランの選手だ。だから、若い時と同じ考えや取り組み方では成長していないことになる。練習では手を抜かずに、練習を離れたら上手にサッカーから距離を置くことも必要なのだと思うようになった。

 自分のことしか考えずにサッカーをしてきたぼくに、彼は色々なことを教えてくれる存在なのだと思う。
 本当に小さな彼だが、自分の中での存在感はとてつもなく大きいものだと感じている。

つづく

「第十三回 シンプル」
「第十ニ回 新チーム」
「第十一回 契約更新」
「第十回 荒野」
「第九回 新天地」
「第八回 旅立ち」
「第七回 結婚」
「第六回 同級生」
「第五回 同期」
「第四回 家族」
「第三回 涙」
「第ニ回 ライバル」
「第一回 手紙」

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