2016.01.04

「好きなことを仕事にする難しさをたくさん経験しました」 第10回 澤田勝徳さん(株式会社日本テレビサービス)

サッカー総合情報サイト

構成=波多野友子 写真=兼子愼一郎

サッカーが大好きで、いつか日本サッカーのために役立ちたいと考えている人にぜひ読んでもらいたいのがこの連載『サッカーを仕事にしたいので、現場で働いている人に直接聞いてみた』です。サッカーにかかわる仕事は実はさまざま。普段皆さんが目にするような表舞台だけではなく、裏方としてサッカーのために尽力する人も多く存在しています。

今回は、全国高校サッカー選手権の普及に努めてきた澤田勝徳(さわだ・かつのりさん)に話を伺いました。1996年に日本テレビグループ会社へ入社後、スポーツイベントの事業プロモーション活動などを経て、2008年から日本テレビ放送網株式会社へ。スポーツ局プロデューサーとして、全国高校サッカー選手権の大会運営や放送に深く携わってきました。昨年プロデューサー職を退き、日本テレビグループの(株)日本テレビサービスへ移籍。以降も高校サッカー公式グッズの製作、書籍企画、講演活動などを行い、高校サッカーを盛り上げるために力を尽くしています。

インタビュアーを務めたのは男子・女子サッカーの専門学校「JAPANサッカーカレッジ」のサッカービジネス科2年生の澤佳南(さわ・かなん)さん。澤田さんの講演会にも参加したことがあるという澤さんが、憧れのサッカー業界で働く楽しさや難しさについてじっくり伺いました。

澤田さんの仕事内容を教えてください。

日本テレビグループ「日本テレビサービス」で、放送外事業収入の部門を担当しています。今、テレビ局は放送外収入にも力を入れています。具体的には、キャラクタービジネスや野球チームのビジネス展開などを主に実施しています。まだ立ち上がったばかりの部署なので、世の中に貢献できるビジネスをまさに育てているところですね。

そしてもう一本の柱が、高校サッカーの仕事です。日本テレビグループに入社した1996年以来、全国高校サッカー選手権の事務局でずっと働いてきたので、グループ内でもオンリーワンの存在だと自負しています。大会実行委員会から「高校サッカーアンバサダー」という肩書きも拝命し、高校サッカー全体のPR活動や書籍の編纂(へんさん)にも携わっています。サッカーの仕事もそれ以外の業務も、どちらも自分にとっては大切なんです。「サッカーしかできないやつだ」とは思われたくないんですよね。

サッカーを仕事にしようと思ったきっかけを教えてください。

小学校からサッカーにのめり込み、高校では國學院大學久我山高校のサッカー部に所属していました。卒業後もプレーヤーとして活躍したい気持ちがありましたが、私が就職活動を始めた頃はまだJリーグ創設前。サッカーがビジネスになるか分からない時代でした。そして結局就職浪人になってしまったんです。そんな折、たまたま縁があってサッカー選手のマネジメント会社に入社することになり、ジーコ選手のマネジメントやサッカークリニックのアシスタントとして働き始めました。

ですが、好きなことを仕事にするさまざまな難しさを経験しました。そこで「最後に本場のサッカーに触れて、自分のサッカー人生に一区切りつけよう」という覚悟でブラジルへ飛んだんです。偶然にも、滞在先で開催されていた水泳の短水路世界選手権で見た光景が、その後の人生に影響を与えることになりました。

他国のスター選手には目もくれず、自国の選手を必死で応援する観客の姿に強烈なナショナリズムを感じたんです。大会終了後には運営、選手、観客が一緒になって盛り上がって……。スポーツの素晴らしさってこういうことなんだ、と改めて実感し、翌日にはチケットを取って帰国しました。改めて本気でスポーツを、サッカーを、仕事にしようと決めたんです。

どのようにして高校サッカーの仕事と出会ったのですか?

ブラジルから帰国後、本格的にサッカーの仕事を探していると、これまでのサッカー経験や熱意が結実し、幸運にも高校サッカーの事業を担う日本テレビグループへ入社が叶いました。

日本テレビによる全国高校サッカー選手権大会の放送事業は、私が生まれた71年から始まりました。少年時代の私も、一視聴者として夢中になったものでした。成長してからも、選手権出場の夢を叶えられなかった自分の心の真ん中には、サッカー部の思い出がいつもありました。そして念願叶ってこの仕事に就くことになり、“自分のベースを生かせるフィールドの周辺で情熱をもって動き続ける”ことで、おのずと可能性が開けるということを知りました。

これまでに印象に残っている仕事はなんですか?

初めて仕事として高校サッカーにかかわったのが、75回大会でした。その年、母校の國學院大學久我山高校が、初の東京代表に輝いたんです。西が丘サッカー場で恩師が監督インタビューを受ける後ろで、まだADだった私は式典のため、トロフィーや優勝旗などの準備をしていました。喜びや後輩達へのちょっとしたジェラシー、さまざまな感情が胸をよぎりました。そして柄にもなく涙する恩師の姿を見て、「いつか母校が選手権に優勝したときに自分がプレゼンターになれるくらい偉くなってやろう」と強く思ったことを覚えています。

反対に、これまでで最も苦労した仕事は?

13年、大雪に見舞われた91回大会の決勝では、それまでに体験したことのないプレッシャーを感じました。当時の私は、高体連の部長と一緒に大会全体を仕切る立場にありました。当然全国放送枠は決まっていて動かせない。そんな中、あらゆる立場の人がそれぞれに要望をぶつけてくるわけです。延期を望む人がいれば、強行開催を訴えてくる人もいました。

最終的に一週間の延期を決めたのですが、延期決定から会見までの3時間は怒涛のような時間でした。関係者は立場ごとに要求が違い、それを調整する役割がいかに重要かを思い知らされました。そして残った雪を毎日必死にかき続け、一週間後に満席の状態で無事に決勝が開催できたときには、非常に感慨深いものがありましたね。

仕事をするうえでのポリシーを教えてください。

誰よりも早く会場入りし、誰よりも遅く会場をあとにすること。「ハレ」と「ケ」という言葉がありますが、選手や観客が入っていないスタジアムは「ケ」の状態。私はその雰囲気を味わうのが大好きなんです。特に、自分たちで設営し運営した大会の「ハレ」の盛り上がりと、最終的に撤収されていく「ケ」の様子を最後まで見ていたい。

14年の92回大会は、国立競技場での最後の高校サッカー開催となりました。その日もいつものように、試合が終了して撤収作業が終わるまで会場に残りました。照明が落ちた後の薄暗いメインスタンドに立って、ひとつの歴史の区切りをしみじみと体感したものです。

プロサッカーの世界にはない、高校サッカーの魅力とは?

全国には4000校、15万人の高校生サッカー部員がいますが、その中からプロ選手になれるのは0.02パーセント程度です。そういう意味でも、高校サッカーは「プロ養成機関」ではなく「人間教育機関」だと私は思っています。

時間を守り、ルールを守る。仲間を思いやり、対戦相手をリスペクトする。先輩の理不尽な要求に対して、正面からぶつかって信頼を得る、あるいは頭を使ってうまく切り抜ける。人間として揉まれながら、サッカーに真剣にぶつかっていく高校生の姿は、観る者に清清しさを感じさせてくれるプライスレスなものだと思いますね。


サッカーの仕事を直接教えてくれた人
澤田勝徳(さわだ・かつのり)さん

株式会社日本テレビサービス事業部長・ファンド事業部長。1996年から日本テレビ高校サッカー事務局員として、2008年から2014年3月まで日本テレビ放送網株式会社・スポーツ局プロデューサーとして、高校サッカーの大会実行委員に携わる。現在も「スポーツが社会を明るくする」をモットーに、高校サッカーアンバサダーとして高校サッカーの魅力を発信する活動を行っている。「高校サッカーには、地元のヒーローを地元で育てて盛り上げていくという楽しさもあると思います。高校サッカーを経験した日本代表選手も多いですが、どんなに世界で活躍しても、地元の人にとってはいつまでも自分たちの身近なヒーローなんですよね」と話す。

日テレ

サッカーを仕事にしたいので、現場で働いている人に直接聞いてみた
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