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「頑張る時はいつも今」ドイツで働くある日本人の物語

2012.06.25

提供:小澤一郎の「メルマガでしか書けないサッカーの話

写真提供:瀬田氏
 
 6月16日、千葉県内で開催された「ドイツサッカーセミナー」と題する講演会に参加した。登壇者は、来季からブンデス1部に昇格するフォルトナ・デュッセルドルフの日本デスクとして働く瀬田元吾(せた・げんご)氏。
 
 瀬田氏との出会いの場は、19日に放送されたBSスカパー!『フットボールクラッキ』の収録現場だった。すでに放送をご覧いただいている方もいるかと思うが、その収録のテーマは「サイドバック進化論」で、ゲストに安田理大(フィテッセ)とサッカー解説者の三浦淳宏氏を招き、私がナビゲーターを務めた。瀬田氏は安田選手と親交が深く、また決定はしていなかったものの、今週23日に放送されるテレビ東京の『FOOT×BRAIN』に三浦淳宏氏と出演する可能性があったということで、瀬田氏は収録現場に来ており、運良く名刺交換することができた。
 
 デュッセルドルフには、昨年4月の欧州取材で滞在したことがある。さらに、JFAアカデミー一期生の選手がデュッセルドルフで複数名プレーしていたこともあって、立ち話ではあるが瀬田氏と会話が弾み、「機会があれば、ぜひ取材させて下さい」とお願いをして別れた。
 
 一時帰国中で週明け19日にはドイツに戻るということもあって「取材は不可能だろう」と思っていたのだが、しばらくして瀬田氏の方から詳細なスケジュール付きで「取材して下さい」というメールを頂戴した。私の予定も詰まってはいたのだが、16日の夜に千葉で行なわれる講演会に参加することは可能で、その後に取材できないかという返答をしたところ、瀬田氏のみならず、主催者側も快諾をしてくれ「取材用に部屋も用意します」ということで講演会の参加とその後の取材が決まった。
 
 そこでのインタビュー取材は、週明け26日発売の『サッカーダイジェスト』に掲載予定なので、ぜひともチェックして欲しい。取材自体は雑誌向けに行なったものであり、ここでインタビュー記事を掲載することはできないのだが、予想していた以上に瀬田氏の歩んできた道やパイオニア精神は琴線に触れるものだった。瀬田氏のようにドイツ1部クラブで働く日本人フロントのインタビューとなると、どうしても「ドイツから見た日本人評」になってしまい、今回のダイジェストでのインタビューもそういう構成になっているのだが、だからこそメルマガという媒体では瀬田元吾という一人のサッカー人としての生き様の一片を紹介したいと思う。
 

写真提供:瀬田氏
 
■偶然を必然に変える行動力
 
 瀬田氏が、フォルトナ・デュッセルドルフの日本デスクとして働き始めてから4年が経過。そもそもフォルトナで働き始めたきっかけは2005年1月にまでさかのぼる。今から7年半前の2005年の1月、瀬田氏は2シーズン所属したJFLの群馬FCホリコシ(アルテ高崎)を解雇されてしまう。
 
 彼はサッカーを続けるかどうかを悩むことになるが、下した決断は「国内ではもう辞める」。国内での現役続行を諦めた瀬田氏だが、翌年の2006年にドイツ・ワールドカップがあることで、現地へ見に行くために思い切って「ドイツでサッカーをする」ことを選択する。
 
 そこでデュッセルドルフという都市を選んだ理由だが、実は「全くなく、偶然だった」という。群馬FCホリコシに新しく来たGMがたまたまデュッセルドルフ帰りで、解雇通知を受けたミーティングにおいて、GMから「他に何かある?」と言われ、「ドイツに行きたい」と答えた瀬田氏に、そのGMが気軽に「じゃあ、自分のいたデュッセルドルフに行くといい」という感じで勧めたことがドイツ・デュッセルドルフ行きの真実だ。
 
 いざデュッセルドルフ入りした瀬田氏だが、やはりそのGMからのフォローはほとんどなく、単身で地元のクラブを回ることになる。言葉はもちろんのこと、生活習慣やドイツのクラブの練習時間も分からない状態で、瀬田氏はインターネットで場所を調べ、4部から7部のクラブに飛び込み営業をかけた。その中には、フォルトナのセカンドチームもあり、スタッフからは高評価をもらったものの所属するまでには至らなかった。
 
 しかし、そこで諦めないのが瀬田氏の真骨頂。夏のオフ明けに知り合いを通じて、フォルトナの元会長と会うことができた彼は影響力のある元会長に直談判する。すると、瀬田氏の熱意を感じた元会長は、「そういう人間ならもう一度トライアウトできるよう、話してあげよう」と返事をし、実際にフォルトナのセカンドチームのテストを再度受けることができた。それが2005年の6月のことで、最終的に練習には1カ月半ほど参加し、晴れて入団が決まる。
 
 フォルトナのユニフォームを着て公式戦に出ることが叶った瀬田氏にとって、その時点でフォルトナは、「ドイツで自分をデビューさせてくれた思い入れのあるクラブ」となる。ただし、当時のフォルトナ・デュッセルドルフのトップチームはまだ3部所属で、その中でも下位に位置するクラブ。そのセカンドチームともなれば、晴れやかなドイツでのプロ契約は雲の上の舞台であった。だが、常に前向きな瀬田氏は「ブンデスリーガクラブと比べて劣っているなんてことは全く思わずにいた」のだという。
 
 確かに、フォルトナは5万人収容のスタジアムを持っていて、セカンドチームとはいえ日々素晴らしい環境、トップのすぐ横でサッカーができていた。その環境への感謝を感じていた瀬田氏は、「ものすごく充実した日々を送っていた」と当時を振り返る。
 
 その後、アマチュアクラブを転々とする瀬田氏は、ドイツ・ワールドカップ後に日本に完全帰国するかどうかで悩むも、「もっとドイツのことやドイツ語を身に付けて、ドイツサッカーの第一人者になりたい」という強い思いが勝ってドイツに残るばかりか、サッカー関係者の中では有名なケルン体育大学を目指すようになる。
 
 目標ができて以降の瀬田氏は、クラブのレベル以上に「どれ程の月給を払ってくれるか」でクラブ選びをすることとなり、当初のように何度も飛び込みでトライアウトを受け、転々とクラブを移る。ピッチ外でも、努力の甲斐あってケルン体育大学の大学院に通えるようになる。
 
 瀬田氏が最初に抱いたイメージでは、ケルン体育大学でマネジメントを学びながらインターンとしてフォルトナで働く道を目指すつもりだった。しかし、ビザも含めていろいろな事情で大学院では、『高齢者スポーツ』の分野を専攻せざるを得なくなる。重要なテーマではあったが、勉強、勉強の毎日となり、「これは違う」と感じた瀬田氏は休学を決断した。
 
 当初描いた道からずれた瀬田氏は、焦った。しかし、逆転の発想で大学院所属を武器にフォルトナに再び売り込みをかけることに決める。「日本でマネジメントを勉強してきました。現場でこういうことを勉強したい」と主張した上で、「日本と連携して、日本の選手を獲りましょう。スポンサーを獲りましよう。そのために力を貸します」と書いた履歴書を3回、4回と提出する。
 
 当然のようにフォルトナからは何度も無視されるが、諦めることなく粘りに粘ってようやく面談という形で広報部長に会う機会を得る。向こうからすれば、「何者だ?」という感じで、瀬田氏が「かつてここでプレーしていた」と言っても、「そうですか(だから?)」という感じの応対だったという。
 
 だが、彼はとにかく一生懸命に「これができる、あれができる」と“もがく”プレゼンを行なう。ここでもその熱意が伝わり、「ならば研修生から始めてみようか」という感じで採用となり、2008年の初めから晴れてフォルトナ・デュッセルドルフの日本人スタッフとなる。
 

(C)Ichiro Ozawa
 
■雑用を売り込みの場に変えるポジティブシンキング
 
 念願叶ってフォルトナのフロントで働く権利を得た瀬田氏だが、最初に与えられた仕事は「物理的に与えるデスクがないから」という理由で、試合当日の運営の手伝い。具体的には、メディア受付だった。
 
 業務内容としては、試合前にカメラマンやテレビクルーらピッチ内で取材活動を行なう人間向けに、受付で身分証を受け取り、そのかわりに色別のビブスを渡す作業。試合が終われば、預かった身分証を返すと同時にビブスを戻してもらう。はっきり言えば、言葉は必要ない仕事であり、瀬田氏もやり始めた当初は「何という雑用だ」と落胆した。
 
 しかし、ここでも瀬田氏はポジティブシンキングを忘れない。彼は、その業務を「デュッセルドルフに関わるメディアの人間と顔見知りになれる機会」だと思い込むことで前向きにその仕事に取り組んだ。
 
 「アジア人がいない環境にいるのだから、顔を覚えてもらうことができるかもしれない」と考えた瀬田氏は、カメラマンが受付に来ても、ただ事務作業をするのではなく「今日はいい天気だね」「今日試合どう思う?」といった声掛けをして、必ず会話をするに心がけた。すると、年間を通して毎試合受付にいるので、メディア関係者から「変わった日本人がいるな」という感じで顔を覚えてもらうようになる。
 
 メディアの受付は、他の仕事と並行して2年くらい続けることになる瀬田氏だが、ポジティブな思考と行動力によってマスコミに顔が売れる。今となっては、瀬田氏が試合会場で報道陣とすれ違えば、「よっ」という感じで向こうから挨拶してくれるようになり、取材される機会も増えたという。「正直、最初は『どうでもいい仕事だな』と思いましたけど、ここからでもやれることはあると思って一生懸命やりました」。メディア受付という雑用をチャンスに変えた瀬田氏はこのように語る。
 

(C)Ichiro Ozawa
 
■サポーター育成へのこだわり
 
 フォルトナ・デュッセルドルフが来季からブンデス1部のクラブとなることで、瀬田氏が長年クラブに働きかけてきた「日本人選手獲得」の可能性は高まったと言えるかもしれないが、実は瀬田氏にはそれと同じくらい重点を置いてきたことがある。
 
 「ファンを育てるのではなくて、サポーターを育てたい」
 
 瀬田氏はこう語る。ライン・ルール地方の主要都市であるデュッセルドルフは欧州の玄関口として数多くの日本企業が拠点を置く都市であり、現在8000人近い日本人が暮らす日本人社会のある海外都市だ。とはいえ、デュッセルドルフで暮らす大半の日本人は駐在員であり、家族を含めて3年から5年で入れ替わってしまう。しかし、瀬田氏はこう主張する。
 
 「彼らは日本に帰ってもデュッセルドルフという第二の故郷という特別な帰属意識を持つものなので、わが街のクラブであるというアイデンティティをフォルトナに持ってもらいたい。わずか3年、5年かもしれないですが、その時に暮らした街にあるクラブを『自分のスペシャルなクラブ』と思ってもらいたいし、そういう人間を育てたいと常に思っています」
 
 「決して悪いことではないと思いますが」と前置きした上で、瀬田氏はこう続ける。「日本人というのは、どうしてもファン体質というか、選手を応援して、選手が移籍してしまったら応援するクラブも変わってしまいがちです。そうではなく、クラブを応援するサポーターを育てたい。
 デュッセルドルフでフォルトナをわが街のクラブだと思う人間が増えてくれれば、いつか日本人が来た時にすごく盛り上がるでしょうし、その選手が出て行ったとしても、『フォルトナ出身の彼はどうなっているかな?』とか、『彼の代わりにうちに来るのは誰かな?』という形で“うちのクラブ”という表現を使ってもらえるようになる。そういう気質、文化を人間の出入りがある中でも枠として作りたいというのがずっとあります」。
 
 フォルトナ・デュッセルドルフには、2年前に結城耕造という日本人選手が1年間プレーしたことがある。トップ出場は2試合に留まり、1シーズンのみでクラブを去ることになる結城選手だが、それでも「フォルトナの結城」といってデュッセルドルフに住む日本人の子供たちの中では盛り上がった。そうした土壌を瀬田氏は長年意識して作ってきた。
 
 今回、フォルトナが1部昇格を果たしたことで、デュッセルドルフ在住の日本人からしたら、百歩譲って日本人選手がいなくとも、日本人が所属している10クラブが毎週のようにデュッセルドルフにやってきて試合をすることになる。
 
 当然、「自分たちが応援しているフォルトナ・デュッセルドルフが、あの内田選手のいるシャルケ04と対戦する」という楽しみが現実のものとなるわけで、瀬田氏も「フォルトナに日本人選手が今ポンと来て日本人対決となれば、それに越したことはないですが、段階を追っていくという意味では1部に上がったことがものすごく大事なこと」と語る。
 
 欧州、ドイツの地で、「日本人のサポーターが応援してくれるクラブを確立したい」と思いを抱きながら着実にその夢の実現に向けて前進する瀬田元吾氏。彼の頭の中には、フォルトナの強化や成長のみならず、「日本とドイツをつなげる役目」、「日本代表を強くする、日本サッカーを成長させるための貢献」もイメージされている。「頑張る時はいつも今」。彼の座右の銘であるこの言葉の通り、瀬田元吾という人間は、ドイツで一歩一歩夢を実現させながら、日本サッカーに貢献してくれるに違いない。
 

写真提供:瀬田氏

瀬田元吾(せた・げんご)
 1981年東京都生まれ。筑波大卒業後、群馬FCホリコシで2年間プレー。2005年に渡独し、アマチュア4クラブでプレー。2010年に現役を引退するも、サテライトチームでプレーした縁もあって2008/09シーズンからフォルトナ・デュッセルドルフのフロント入り。現在は同クラブの日本デスクとして働く傍ら、ドイツスポーツフリーランサーとして日本とドイツの橋渡し役として遠征や練習参加のコーディネイトやアテンドなどもこなしている。Twitterアカウント:@gen5setax 
GENGO SETA OFFICIAL BLOG 頑張るときはいつも今 http://blog.lirionet.jp/gen5setax/

小澤一郎の「メルマガでしか書けないサッカーの話
ス ペイン在住歴5年、スペインでの指導経験も持つ気鋭のジャーナリスト・小澤一郎が、メルマガでしか読めない深い論考をお届け! 選手育成を軸足に、日本 サッカーにおける問題点の数々を鋭く指摘します。ライトファンにはディープな知識を、選手・指導者・保護者には真摯な問題提起を。あらゆるサッカーファン 必読のメルマガです!

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