2012.09.15

【ストーリー】ジョルディ・アルバ「頂点への挑戦」

ワールドサッカーキング 0920号掲載]
頂点への挑戦ジョルディ・アルバは身長わずか170センチのサイドバックだ。長身選手が決して多くないリーガでもかなり小柄な部類に入る彼がヨーロッパサッカー界の最も高い頂きに到達しようとしている。バレンシアとスペイン代表での活躍で古巣復帰を勝ち取り新生バルサの新たなピースとして期待される新鋭の歩みを振り返る。

ジョルディ・アルバ
文=パウ・フステル 翻訳=オフィス・アドオン 協力=EIS

 フライドポテトとサラダが好物で、休日は兄とチェスをして楽しむ。ピッチ外でのジョルディ・アルバはごく普通の青年だが、プロサッカー選手としての彼は、この1年で劇的な変貌(へんぼう)を遂げた。

 昨シーズン開幕時点では、バレンシアの将来有望な若手とはいえ、レギュラーポジションをようやく確保した程度の存在だったが、昨年10月にスペインA代表に初招集されて注目を浴び、更にリーガでセンセーショナルな活躍を見せた。この夏のユーロ2012では左サイドバックのレギュラーとして優勝に貢献。同時に、カンテラ時代を過ごした古巣、バルセロナへの移籍も決まった。 まさに「飛躍の連続」だが、そのサクセス・ストーリーは、本人の才能と努力だけでなく、偶然と幸運が重なって生まれたものでもある。ワールドクラスの選手たちの中には、何の挫折も経験しないまま育ったエリートもいる。だが、アルバはトップチームで頭角を現すまでに何度も挫折を経験し、そのたびにより強くなって困難を乗り越えてきた。小さな体の中に心身両面の強さを備えている、それがアルバの魅力なのだ。

小柄な天才少年が味わった栄光と挫折

 豊かなスピード、無尽蔵のスタミナ、確実なテクニックに加え、強い意志をも兼ね備えたアルバ。そのサッカー選手としての起源は、4歳の時に始めた2つ違いの兄ダビドとのボール遊びにさかのぼる。自宅にあるペタンク(編集部注:鉄球を投げて点数を競う、スペインで日常的に行われているスポーツ)のコートに、ゴールに見立てたラインを引いて、兄弟でミニサッカーに明け暮れた日々は、本人にとって忘れられない幼少期の思い出だ。 父のミゲルと母のマリア・ホセは熱狂的なサッカーファンではない。しかし、祖父のフランシスコとミゲルはともに、下部リーグの選手としてプレーしていた。サッカー選手としての血筋を受け継いだ兄弟はリビングやダイニングの花瓶や皿をいくつも壊しながら基礎技術を身につけていった。「テクニック的には自分よりも上だった」とアルバが語る兄との一対一でテクニックを磨いたことで、6歳にして“ボール蹴り遊び”の枠には収まらないほどの実力があった。そんなアルバが本格的にサッカーを学ぶために選んだのは、地元ロスピタレ最大のクラブ、セントレ・ドゥ・エスポルツ・ル・ロスピタレではなく、2番目のクラブであるアトレティコ・セントロ・ロスピタレンセだった。

 出場機会が確実に得られるとのもくろみ通り、プレベンハミン(幼児カテゴリー)のレギュラーに定着したアルバは、トップ下や左ウイングとして常にキャプテンマークを巻いてプレーした。アトレティコ・セントロ・ロスピタレンセのホセ・ピナール会長は、当時の記憶が今も鮮明に残っていると言う。「たった6歳だが、他の少年とは段違いだった。ボールを持った彼は情熱の塊で、その才能は誰の目にも明らかだったよ」

 あっという間に周囲から注目されるようになったアルバ少年は、9歳にしてバルサからスカウトされる。1998年のことだ。しかし、国内外から才能溢れる若手が集まるバルサのカンテラは、地域クラブとはレベルが違う。厳しい競争に勝ち残るのは生易しいことではなく、アルバは入団からそれほど時を経たずして、クラブから移籍勧告を受けることになった。

 それでも彼は屈しなかった。小さな頃から「転んでも自分で立ち上がりなさい」と両親から教えられてきた少年は、困難に向きあった時こそ自分を奮い立たせる。「退団すべきだと言われて動揺しない者はいない。でも、僕は自分を信じていた。平常心を失わず、常に前向きに努力したよ」と彼は当時を振り返る。

 常にボールに触れて試合に絡むことのできるトップ下のポジションが好きだったアルバ少年は、生存競争を生き抜くためにサイドアタッカーへと転向する。縦へのスピードと緩急をつけたテクニックという、自分の武器を最大限に活用するためのコンバートだ。こうしてアルバはカンテラで7年間を過ごすことに成功した。 もっとも、そのままプロデビューへの道が開けたわけではない。小柄な体格を理由に「将来的にトップチームへの昇格は厳しい」と判断され、16歳のアルバは戦力外を通告されたのだった。 ここでアルバは再び奮起する。新たにコルネジャというクラブと契約すると、そこで目覚ましい働きを見せて、2年後にバレンシアへの移籍を勝ち取ったのだ。その1年後にはトップチームに昇格し、プロへの扉を開く。19歳のことだった。

ブレイクのきっかけは緊急事態のコンバート

 ヒムナスティックへのレンタルから戻った09―10シーズンの後半戦、21歳を目前に控えたアルバは、自身のキャリアを大きく飛躍させる“運命の時”を迎える。

 2010年3月11日、ヨーロッパリーグでのブレーメン戦。バレンシアは左サイドバックに深刻な問題を抱えていた。レギュラーのジェレミ・マチュー、代役のブルーノ・サルトールをいずれもケガで欠きウナイ・エメリ監督はセンターバックのアレクシスを左サイドに回す緊急措置でこの危機を乗り切ろうとしたが、そのアレクシスも前半でケガを負う。ハーフタイムの15分間、エメリ監督はチームの重鎮であるダビド・アルベルダ、ルベン・バラハと相談し、後半からアルバを起用することを決断した。「左サイドバックのアルバ」が誕生した瞬間である。

 指揮官としては他に打つ手がなかった賭けだったが、それがジャックポットを引き当てるのだからサッカーは分からない。アルバはこの日を境にサイドバックでも起用されるようになった。もっとも、最初からすべてをうまくこなせたわけではない。親しい友人には何度か「サイドバックは好きじゃない」と漏らしてもいる。だが、自らの実力をアピールする機会を得るため、アルバは新しい役割に挑戦することを決意した。ハードワークを重ね、ディフェンスラインを保ちながら相手の突破を防ぐという守備を学んでいった。アタッカーがDFに必要な攻守のバランス感覚を身につけるのは簡単ではないが、彼は不断の努力でそれを自分のモノとしたのだった。

 サイドバックへのコンバートにより守備面では苦労したが、持ち味である縦への突破力は、前方のスペースが広くなったことで、より効果的に発揮されるようになった。アルバは言う。「当初はチームを救うための緊急措置だと認識していた。DFへの転向は全く想像していなかった。自分がサイドバックに向いていると理解できたのは、エメリ監督の粘り強い指導のおかげだよ」

世界王者スペインのレギュラーへと飛躍

“ラ・ロハ”(スペイン代表の愛称)におけるアルバの足跡も見てみよう。バレンシアのBチームに所属していた08年3月にU―19代表でデビューしたアルバは、その後もU―20、U―21へと順調にステップアップしていく。昨夏に行われたU―21ヨーロッパ選手権の出場は逃したものの、その数カ月後にA代表から招集された。

 南アフリカ・ワールドカップで優勝し、各ポジションに有力選手を擁していたスペイン代表だが、ジョアン・カプデビラの後継者を必要としていた左サイドバックだけが空席だった。実績ある選手の中にレギュラーを任せられる者がいないと見たビセンテ・デル・ボスケ監督は、コンバートで新境地を開拓したバレンシアの若武者に白羽の矢を立てた。

 U―21代表の競争は激しいが、A代表はまた一段とレベルが高い。そこで自分の力を試すチャンスを逃すわけにはいかなかった。代表招集を受けた直後、「あらゆる物事が想像以上のスピードで進行している。この4年間で僕を取り巻く環境は全く違うものになった」と語っている。それもそのはず。スペイン代表がユーロ2008を制した時、彼はバレンシアのユースを卒業し、2部のヒムナスティックで“大人のサッカー”に足を踏み入れたところだったのだ。

 もっとも、A代表入りの後、変化のスピードは一段と加速する。ユーロ予選最終節のスコットランド戦で初のスタメン出場を果たすと、そこで鮮烈なインパクトを残す。いつものように、「キックオフの前に3回、後半開始前には4回ジャンプする」という験担ぎをしたアルバは、試合開始早々にダビド・シルバの先制点をアシストし、3―1の勝利に貢献。試合終了直後、バレンシアの先輩でスペイン代表のエースストライカーであるダビド・ビージャから、「ユーロの左サイドバックはお前だ」と言われた。憧れのビージャからの言葉を思い出すと、今でも「感激で震える」のだそうだ。

 先輩の言葉通り、アルバは積極的な攻め上がりでデル・ボスケ監督を満足させ、たった1試合のパフォーマンスで左サイドバックのレギュラーに収まったのである。

ユーロでの大活躍とバルサからのオファー

 タッチライン際を疾風のように駆け抜ける自分の姿そのままに、ライバルたちを一気に追い抜くアルバの躍進は止まらない。バレンシアとスペイン代表での輝かしい活躍により、かつて自身に退団を宣告した古巣が彼に興味を示す。

 連戦が続いても1試合の走行距離が10キロを切ることがない脅威のスタミナ。届かないと思われるボールに追いつき、更に加速していくスピード。正確なボールタッチと質の高いクロス。そして献身的なプレーとそれを支える謙虚な姿勢。これらの要素に加え、代表に送り込んだ選手たちとの好連係もあって、バルサはこの元カンテラーノの獲得を決意する。

 ただ、この移籍が話題となった時点での彼は、バルサからの関心を本気にせず、「自分はバレンシアの一員である」との思いを強く持っていた。その証拠にアルバは、バレンシアと契約延長交渉を開始していたし、練習場に近い郊外にマイホームを購入していた。バレンシアの街でサッカー選手としての成功を収めるだけでなく、一人の人間としての生活も満喫していたのだ。

 しかし、シーズンが終盤に差し掛かった今年3月、エリック・アビダルが肝移植手術を受けるために無期限の戦線離脱となり、バルサはアビダルに代わる左サイドバックとして、アルバの獲得に本腰を入れることになった。

 アビダルを襲ったアクシデントがなければ、アルバの古巣復帰は実現しなかっただろう。バレンシアとバルサの移籍金交渉は1400万ユーロ(約14億円)でまとまったが、もしアルバとバレンシアとの契約延長が成立した後だったら、違約金は2500万ユーロ(約25億円)以上に設定され、移籍は困難となっていたはずだ。

 バレンシア残留か、バルサ移籍か。去就が注目される中、A代表として初めて臨む国際大会となるユーロを迎えたアルバは、周囲の喧けん騒そうもどこ吹く風で、大会が始まるとスペイン代表の主力として堂々のプレーを見せる。そして、スペインがポルトガルをPK戦の末に下した劇的な準決勝から一夜明けた6月28日、意外とも思えるタイミングで、アルバのバルサ移籍が正式に発表された。

 この3日後に行われたイタリアとの決勝戦で、アルバは快足を飛ばして2点目のゴールを記録し、勝利を決定づけた。全6試合にフル出場し、大会の優秀選手にも選出された。1カ月の間にユーロ優勝とバルサ移籍という夢を実現させた彼は、7年ぶりにバルサに戻り、移籍のお披露目を行った。

家族に支えられたサクセスストーリー

 バルサ加入会見で自分のここまでの軌跡を振り返ったアルバは、「自分を支えてくれた家族のことが頭に浮かぶ」と話している。

 事実、技術面では兄の影響が、精神面では自分を正しくしつけた両親の影響が大きかった。U―21欧州選手権のメンバーから漏れた時、一緒にいてくれたのは家族だった。地元でフットサルにいそしむ兄の誕生日には、日々の感謝の気持ちを込めて高級車をプレゼントしたそうだ。ちなみに、アルバが自動車を買うのはこれが初めてのこと。彼自身は高級車を乗り回すどころか、運転免許さえ持っていない。人懐こく、誰にでも分け隔てなく接する優しい性格で、常に笑い話やジョークを言うアルバには、両親や兄が練習場に行けない時でも、常に誰かが送り迎えを買って出てくれるのだ。

 家族思いの彼らしいエピソードをもう一つ紹介しておこう。キエフのオリンピック・スタジアムでスペイン代表がユーロ優勝を決めた時、スタンドで見守る両親に向けて何かを語りかけるアルバの姿があった。その言葉は大歓声にかき消されたが、口の動きから熱い想いはしっかりと伝わっていた。「僕がここにいられるのは父さん、母さんのおかげだよ!」

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 今シーズンから世界最高のクラブで新たな挑戦に臨むジョルディ・アルバの進む道には、数多くの試練が待ち構えている。だが、持ち前の才能と強運、そして誰からも好かれるキャラクターを持つ彼ならば、すぐにチームに溶け込み、バルサでも確固たる地位を築いていくことだろう。カンプ・ノウを縦横無尽に走り回るアルバの活躍に注目してほしい。