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高原直泰「J2のレベルを考えてみても、日本サッカーの底上げが分かる」

2013.11.05

中学2年生の時にJリーグの誕生を迎え、ジュビロ磐田でJリーグ制覇を経験、得点王にも輝いた。そればかりではなく、南米、ヨーロッパ、アジアでプレーし、現在はJ2のクラブで日々、ボールを追いかけている。停滞することを嫌い、常に冒険の道を選んできた高原直泰の目には、Jリーグの20年と、その先の未来はどう映っているのだろうか。J2のレベルを考えてみても、日本サッカーの底上げが分かる。
高原直泰
インタビュー・文=飯尾篤史 写真=足立雅史

――高原選手が中学2年の1993年にJリーグが誕生し、5年後の98年にプロ入りしました。いくつかあったオファーの中でジュビロ磐田に決めたのは山本昌邦さん(元アテネ五輪日本代表監督/当時磐田ヘッドコーチ)に口説かれたからだそうですね。

高原直泰 そうですね。最初は横浜フリューゲルスに行こうと思っていて、ジュビロのスカウトの方にもそう伝えたんです。そうしたら昌邦さんから連絡があって、「まだ正式に決めたわけじゃないんだろう」って。それで一度会うことになって話を聞いて、お世話になりますっていう感じになったんですよね。

――決め手は何だったんですか?

高原直泰 「ジュビロにはいい選手がたくさんいるから、うちでトレーニングを積んで、試合に出られるようになったら、日本代表への道も絶対に開けるぞ」っていう話をしてくれて、たしかにそうだなと思って。

――当時の磐田は黄金時代を築きつつある時期で、ドゥンガ、中山雅史さん、藤田俊哉さん、名波浩さんといった錚々たるメンバーがいました。

高原直泰 レベルが違いすぎましたね。みんな代表レベルだし、まず練習中に単純なミスをしない。だから、ミスをするとすごく目立つんですよ。練習の流れを切ってしまうし。緊張感がすごくあった。でも、そうした厳しい環境でやれたことは、自分にとって良かったと思いますね。このチームで絶対にレギュラーになってやるって、高いモチベーションで練習に臨んでいたことを思い出します。

――彼らと一緒に練習して、どんな影響を受けましたか?

高原直泰 一番はプロとしての姿勢ですね。生活面もそうだし、練習に取り組む姿勢とかも学びました。

――ドゥンガにはよく怒られたのでは?

高原直泰 いや、特にガーっと言われた覚えはないですよ。それに俺も周りからいろいろと言われるの、好きじゃないですから。自分からも聞きにいかないタイプで、どちらかと言うと、見て学んでいく。結局、いくら人からアドバイスされても自分が意識しなければ何にもならない。逆に自分が意識していれば、人に言われなくても取り組むものですから。中山さんとはよく一緒に居残り練習をさせてもらいましたけど、「ああしよう」「こうしたほうがいい」なんて会話は一切なく、お互い黙々とやっていました。でも、俺にとっては身近で練習させてもらうだけで十分。見て、盗んで、試して、の繰り返しでした。

――京都パープルサンガ(現京都サンガ)との開幕戦で途中出場して、いきなりゴールを決めました。あの一発でプロとしてやっていける自信が得られたんじゃないですか?

高原直泰 いや、自信だけは最初からあったんですよ。逆に自信がなければプロにはなってない。むしろ、気をつけていたのは、自信が過信にならないようにすること。いい意味で自信を持った上で謙虚にやらなければならないと思ってましたね。

――18歳の若さで、そんなことを意識していたんですね。

高原直泰 それは中学生の頃の監督にすごく言われていて、ずっと頭の中にありました。

高原直泰

――1年目から公式戦28試合に出場し、99年にはワールドユース(現U-20ワールドカップ)、2000年にシドニー五輪を経験。そして01年、アルゼンチンのボカ・ジュニアーズに移籍するため、21歳でいよいよ海を渡るわけですが、そもそも海外でのプレーを意識するようになったのは、いつ頃からだったんですか?

高原直泰 95年にエクアドルで行われたU-17世界選手権(現U-17W杯)に出たんですけど、その頃からですね。

――そのU-17世界選手権に一緒に出場した小野伸二選手と稲本潤一選手が同時期にヨーロッパへ行ったのに対し、高原選手が選んだのは南米のアルゼンチンでした。

高原直泰 いや、別に南米を選んだわけじゃなくて、ボカからしかオファーがなかったんですよ(苦笑)。実はボカの前にも別のクラブからオファーがあったらしいんですけど、自分のところに届く前に断られちゃった。もともとは、もっと早く海外でプレーしたいと思っていたし、オファーをくれたのが、あのボカなんだから、迷う必要はないなって、トランクケース一つ持って飛行機に飛び乗ったという感じでした。

――当時のチームにはリケルメやテベスがいたんですよね。

高原直泰 そうなんです。リケルメは中心選手でした。身長は180センチくらいあって体は強いし、ドリブルもパスもシュートも全部できちゃう。もう、衝撃でしたね。リケルメのプレーを集めたビデオがあったんですけど、見ていて飽きなかった。だって楽しいんですもん(笑)。テベスは当時、17歳くらいだったのかな。ちょうどU-17世界選手権に出場した頃で、注目され始めていましたね。

――チームにはすぐ溶け込めました?

高原直泰 すごく良くしてくれましたよ。それに食事の時とか、俺が頑張ってスペイン語をしゃべると、めちゃめちゃ喜んでくれて(笑)。そういう意味では、自分自身も初めての海外生活で、それまでよりも性格がオープンになったかな。プレー面だけじゃなくて、人としても成長させてもらったと思いますね。

――南米というと、選手がみんなハングリーなんじゃないかという印象があります。

高原直泰 やっぱり生活が懸かっているというか、家族全員の生活を背負っている選手がたくさんいましたよね。日本とはサッカーをする動機も覚悟も違うなっていう。もちろん、歴史や環境の違いもあるんだけど、彼らから自分の人生を懸けてサッカーで生きていくという強い意志と覚悟が必要だと学ばせてもらいましたね。

――ピッチ内はどうでした? すごく激しかったんじゃないですか?

高原直泰 激しかったですねぇ(苦笑)。開幕戦だったかな、試合前日か前々日に大雨が降って、ボンボネーラ(ボカのホームスタジアム)の芝生を刈れなかったらしいんですよ。そうしたら、試合当日、くるぶしが隠れるぐらい芝生が長いんです。「え、これでやるの?」って思ったし、「みんな普通にやれちゃうんだ」って驚いた(笑)。ボンボネーラの雰囲気も鳥肌が立つほどすごかったですよ。こんなところでサッカーができるなんて幸せなことだなって思っていました。

――アルゼンチンの経済が崩壊してしまい、半年で帰国することになったわけですが、復帰した02年に磐田は完全優勝。高原選手も得点王に輝きました。そして03年にドイツへ行きます。Jリーグではやるべきことをやり尽くしたという心境だったのは?

高原直泰 いや、やり尽くしたから出て行くっていう感じではないですね。アルゼンチンの経済状況の問題であったにせよ、自分としては志半ばで帰国を余儀なくされたわけで、まだまだ海外でサッカーをやりたかった。それには結果を残さないと道は拓けないだろうなと。だから02年はもう一度頑張って、自分の力でヨーロッパへの道を切り開くんだという高いモチベーションで臨んだシーズンでした。結果的には、すべてがうまくいったんじゃないかって思います。

――移籍したハンブルガーSVでは3試合目で早速ゴールを奪いました。

高原直泰 相手がバイエルンで、GKはオリヴァー・カーンだった。これで波に乗っていけるんじゃないかって思っていたんですけど、ケガしていた選手が戻ってきて……。

――アルゼンチン人のロメオですね。

高原直泰 そう。監督は彼のことをすごく信頼していたし、たしかにゴールをよく決めるんですよ。それで途中出場が多くなって。短い時間でも結果を残せれば違ったんでしょうけど、そこは俺の甘さもあった。やっぱり監督の信頼をつかんで、できる限り早くチーム内で自分の地位を確立しないことには難しいですよね。それに当初は言葉が大変でしたね。ドイツ語が全く分からなかったので。オファーをくれたのがたまたまドイツのクラブで、すぐに行った感じでしたから。今でこそ日本人選手がたくさんドイツでプレーしていて、通訳もついているみたいですけど、当時は俺しかいなくて、通訳もついていなかった。だからミーティングで監督が何を言っているのかが、なんとなくしか分からないし、練習中も「こういうパスが欲しい」とか「こう動いてくれ」って思っても、その場で解決できないからストレスになる。せめて最初の3カ月でも通訳をつけてくれたら、どれだけ楽だったかって、今は思います(笑)。

――今、これだけ多くの日本人選手がドイツでプレーするようになりましたが、彼らの活躍ぶりをどう見ていますか?

高原直泰 すごくうれしいですよね。ブンデスリーガの中継は常に見ているし、俺が対戦したことのある選手たちもまだまだたくさんプレーしているから面白いですよ。それにバイエルンとドルトムントがUEFAチャンピオンズリーグの決勝まで勝ち上がったように、リーグ全体のレベルも当時より上がっていると思う。毎週末、楽しんで見ています。

――その後、08年に6シーズンぶりにJリーグに復帰して、浦和レッズに加入しました。かつてと比べてJリーグのレベルは上がっていると感じました?

高原直泰 そこに関しては正直、分からない部分があるんです。というのも、自分にとっても久しぶりのJリーグで、なかなか順応できなかったから。やっぱりリーグが変わると全然違うんです。日本は前からどんどんプレスを掛けていって展開が早い。それは戻って来て、すごく感じました。ボカから戻って来た時、ジュビロのアドバイザーをしていたドゥンガに「お前は今、アルゼンチンの感覚に馴染んでいて、ボールを少し持ち過ぎているから、早くJリーグの感覚に戻せ」って言われたんです。わずか半年でもそうなのに、6年も離れていたんだから本当に難しかった。もちろん、早く順応してチームの中で自分の地位を確立できなかったのは自分自身の問題なんだけど、一方で、移籍が成功するかどうかはタイミングや運も大きい。実際、ハンブルクからフランクフルトに移籍した時はうまくいって、すぐに結果もついてきたし、逆に、どんなに名選手でも移籍で失敗するケースは珍しくない。でも、一つ言えるのは、うまくいかなかったとしても、自分にとってはいい経験だっていうこと。選手としてはありがたくない経験かもしれないけど、人間としての成長を考えたら貴重な経験だと思うんですよ。他人は失敗だって言うかもしれないけど、そこで何を得られたかは本人にしか分からない。うまくいっても、いかなくても、サッカーを通して人間として成長していくことが大事だと思います。

――経験と言えば、高原選手は南米、ヨーロッパに続いてアジアでもプレーしました。

高原直泰 ハハハ(笑)。確かにそうですね、韓国にも行きましたからね。

――日本人としては、ライバル韓国の現状が気になります。

高原直泰 当時(10年)は14チーム、今はもっとあるのかな? 上位の6チームぐらいはすごくレベルが高いですよ。俺がいた水原三星もそうだし、FCソウルなんかもJリーグで優勝争いができるぐらいのレベルだったと思います。それに今はボールをつなぐサッカーができるようになってきた。以前は韓国と言えば、どちらかと言うとフィジカルを前面に押し出したゴリゴリ系のサッカーというイメージがあったじゃないですか。まあ、下位のチームは戦力的に蹴ってセカンドボールを拾うサッカーなんですけど、上位6チームには技術の高い選手が多くて、すごくいいサッカーをしていた。それに外国籍選手の質も高い。最近、韓国のクラブがACL(AFCチャンピオンズリーグ)で強いのは、そういうところに理由があると思うんですよね。日本にも韓国からたくさん外国籍選手が来ていますし。俺のいた水原は特にコンビネーションで崩そうとしていたから、やっていて、すごく楽しかったですよ。

――そうなんですね。環境面はいかがでした?

高原直泰 他のチームを見てないから何とも言えないですけど、水原はすごかった。敷地内にクラブハウス、食堂、筋トレルーム、宿泊施設、寮があって、芝生のピッチが2面、人工芝のピッチも1面あるんです。ヨーロッパ並みでしたよ。

――Jリーグでも、そこまで整っているクラブはないですよね。

高原直泰 でも、そこまですごいのは水原とソウルくらいだと思いますけどね。

高原直泰

――今は東京ヴェルディでプレーされていますが、J2のレベルはどう感じています?

高原直泰 昔見ていたJ2の試合って、本当にドッカンドッカン蹴り合っちゃっていて、あまり形になっていなかったんですよ。でも、今はそんなことないし、うちにもJ2全体を見渡しても、レベルの高い選手がすごく多い。特に今シーズンはガンバ大阪とヴィッセル神戸というJ1でも戦えるチームが降格してきたこともあって、他のクラブにとってはすごく刺激になるし、モチベーションが高まっていると思う。そういう気持ちで臨まれる彼らにとっては嫌だろうけど(笑)。こうしてJ2のレベルを考えてみれば、日本のサッカーは本当に底上げされてきているんだなって感じますね。

――改めてJリーグが誕生してからの20年、この先の10年、20年をどう感じていますか?

高原直泰 93年からスタートして20年。今のJ2の話じゃないけど、少しずつ進歩しているのは間違いないと思うんです。ここ数年はヨーロッパのサッカーをテレビで簡単に見られるようになって、選手や指導者の意識がすごく高まったし、多くの選手が向こうでプレーするようにもなった。それだけでなく、見る側の目もすごく肥えてきた。それもすべて積み重ねであって、一朝一夕ですぐにレベルアップしたり、改善されたりするものじゃない。だから、この先も幹を太くしていく作業をコツコツと続けていくしかないと思いますね。あと、選手やクラブの人だけでなく、メディアやサッカーに関わっている人たち全員で、サッカーの魅力をどうやったら多くの人に伝えられるのかを考えていかなければとも思います。サッカーに関わっていない人をどうやって取り込んで、面白くしていくかをもっと考えなければいけないし、サッカーの魅力をどうやって伝えていくかをみんなで考えていければいいと思います。

――高原選手を始め、最初に海外に挑戦した世代が今、Jリーグに戻って来ています。いろいろな経験を踏まえてJリーグに伝えたいと思っていることはありますか?

高原直泰 これに関しては現役でやっている以上、提言みたいな大それたことは言えないんですけど、少なくともヴェルディのチームメートには経験してきたことを伝えたいと思っています。俺自身も選手として残り時間はそんなに長くないんでね(笑)。

――またまた、そんなことを。

高原直泰 いや、本当に(苦笑)。なので、選手の立場としてどこまでできるか分からないですけど、自分の立場でできる範囲のことはやっていこうと思っています。

――昔の高原選手のように、ヴェルディの若い選手には、今の高原選手の姿を見て盗んでほしいものですね。

高原直泰 俺からしたらそうですよね。俺にいちいち言わせるなって(笑)。俺もあまり言いたくないし。でも、試合になると感情が昂ぶって我慢できなくなっちゃう(苦笑)。ただ、最初も言ったように、結局は自分で気づくかどうか。プロとしてどうなっていきたいか、自分で考えられる選手は自然と上に行けるもの。だから、そのためのヒントをプレーや姿勢で示していきたいと思いますね。

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