2013.06.17

コンフェデ開幕戦の裏側で…世界最大の日系人コミュニティからの恩恵

 世界一のサッカー大国であるブラジルは、世界最大の日系人居住地でもある。日本の裏側に位置しながらも、1900年代初頭から移住が始まり、今では150万人にも上る日系人が在住している。

 街を歩いていても、顔は日本人ながらも喋っている言葉はポルトガル語という人々に頻繁に出くわす。ブラジルと日本が激突した開幕戦でも、日本代表のユニフォームを着用したブラジル人も見受けられ、スタンドから観戦した知人によると、「スタジアム内は友好的で、試合を楽しもうという感じ」だったとのこと。サッカー王国でのアウェー戦ということもあり、観客からのプレッシャーも厳しいのかと思われたが、「ブラジル人に囲まれていたけれど、隣の人と少し話をしながら楽しめた」との答えがあり、予想外の反応だったが日系人の多さを思えば親日的な対応にも合点がいく。

「もちろん、日本を応援したわ」

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 ブラジリアのホテルから空港に向かうバスの中で声をかけてきた飯田京子さんは、そう語った。日本人なら当たり前だろと思われるだろうが、彼女はサンパウロ出身でブラジリア在住のれっきとしたしたブラジル人。ただ、対外的には「京子」ではなく、「ローザ」という名前を持つ日系3世だった。

 日本とブラジルのどちらを応援したのかを聞くと、笑顔で答えた彼女は、「残念だったね」と続けながら、ブラジルの治安についても「リオ・デ・ジャネイロとサンパウロは危険よ。楽しいところだけど、住むのはブラジリアね」と語り、日本対イタリアの一戦が行われるレシフェについては、「少し危ないわよ」と忠告してくれた。誰もが気になる安全面についての不安も打ち明けると、「ブラジル人は親切だけど、物を置いたままにしていたら取られてしまう。パスポートも売ってしまうのよ」と教えてくれた。

 彼女は、祖母から教えてもらったという流ちょうな日本語で、「イグアスの滝は行くの」、「オーロ・プレットも載っているじゃない」と笑顔で語りながら、日本語のガイドブックを興味深そうに眺めていた。

 かつて教壇に立ってポルトガル語を教えていた飯田さんは、現在は離職して、4人の娘と6人目の孫に囲まれて悠々自適に暮らしているという。10月の新たな孫の誕生を心待ちにしている彼女は、今回のコンフェデレーションズカップで空港のインフォメーションを担当している。

 彼女は忘れ物を取りに、僕はレシフェ行きの飛行機に乗るためと、共通の目的地だった空港が近づいてきたときに、何気なく日系人だったことでの苦労はあったのかと聞いてみた。

 彼女は、「やっぱり、少しはあったわよ」と答えるとともに、「ただね」と続けた。

「日系1世の祖母達はもっと大変だったから。言葉も何もわからないところにきて、畑を耕すところから始まった。今は飛行機で30時間ぐらいだけど、当時は船で1カ月。親戚の中には、戦時中に日本に戻って戦死した人もいた。昔の人達の苦労のお陰で今の人達はのんびり暮らせているのよ」

「レシフェ行きの搭乗口はあっちだからね」と、空港に着いても親切に案内してくれた飯田さんとは、最後に握手を交わして別れた。

 到着してまだ間もないが、開幕戦のスタンドでの友好的な雰囲気な他にも、街で不安そうな顔していると、「どうした。何か分からないことがあるのか」とやたらに声をかけられたことを不思議に思ったことがある。ただ、予想を越える歓待の陰には、彼女や彼女の祖先達による苦労や努力があったことは間違いない。先人が積み重ねてきた結果の恩恵を今、享受しているのである。

文●小谷絋友