ドゥンガ「断言してもいい。日本は正しい道を進んでいる」
[Jリーグサッカーキング6月号 掲載]
ドゥンガがJリーグに足を踏み入れたのは1995年夏。それは彼がアメリカでワールドカップを掲げてから、わずか1年後のことだった。サッカー王国ブラジルを世界の頂点に導いたカナリア軍団の“闘将”は、Jの舞台で何を見て、何を感じたのか。あの頃の記憶に思いを馳せる。
協力= Jリーグメディアプロモーション
日本で過ごした約3年間について、日常生活についてはどんな思い出が残っていますか?
ドゥンガ ピッチの内外を問わず、海外から来た我々に対する尊敬の念や友情をいつも感じていました。私たちが彼らを理解するよりももっと深く、彼らが私たちを深く理解してくれたことに強く感謝している。サッカーの国からやって来た私がピッチ上で叫ぶ姿は、おそらく多くの日本人にとっては親しみを感じにくい“異文化”だったはず。それでも彼らは理解し、忍耐強く接し、私のことを受け入れてくれた。それだけじゃない。お互いがより深く理解できるように、日本人としての考え方を教えてくれたんだ。
特に印象に残っている試合は?
ドゥンガ 確か、97年のセカンドステージだったと思う。アウェイの浦和レッズ戦は優勝するために何が何でも勝たなければならない一戦だった。我々は延長戦でVゴール勝ちを収めたが、あの時、私は私が伝えたかったことをチームが完全に理解してくれたと感じた。それまでは確かに美しいサッカーをするチームだった。しかし、大事な試合ではいつも勝利から見放されていたんだ。シーズンの目標を4位や5位に設定することも、私にはよく理解できなかった。だからチームメートにはいつもこう言っていたんだ。「日本代表に選ばれたければ、まずはこのチームで結果を残さなければならない。そうすればメディアの注目を集めて、結果的には監督の気を引くこともできる」とね。チームメートはそれを理解し、大好きなサッカーの練習に取り組んでくれた。だから浦和にしっかりと勝利を収めて、97年のセカンドステージで優勝した時は、もう何も言うことはないと素直に思ったよ。なぜなら彼らは完全に理解してくれたんだ。磐田が他のどのチームよりも強く、相手がどこでも、ホームであれ、アウェイであれ、勝つためにピッチに立つということをね。
その97シーズンはMVPに輝くなど、あなた自身も素晴らしいパフォーマンスを見せてくれました。
ドゥンガ そう言ってもらえるとうれしいよ(笑)。印象に残っているのは、私自身が直接FKでゴールを奪って優勝を決めた試合、確かジェフ市原(現千葉)戦だったと思う。
その他に日本で印象に残っている試合はありますか?
ドゥンガ 相手は忘れてしまったが、長らく連敗していたチーム(編集部注:京都パープルサンガ/現京都サンガF.C.)との対戦で、先制した直後に追いつかれて前半を折り返したことがある(96年8月31日Jリーグ第19節)。あの時、ロッカールームで私はこう言ったんだ。「俺たちは相手に負けているんじゃない。自分自身に負けているんだ! 俺たちのほうが強い! 絶対に勝とう!」とね。そして後半に勝ち越しゴールを決めて勝利することができた。まさに私が伝えようとしてきたことが、結果に結びついた試合だったと思う。
当時のJリーグには、あなたと同じく強い発信力を持つ外国籍選手がいました。
ドゥンガ 浦和にはギド・ブッフバルト、鹿島にはジョルジーニョ、名古屋グランパスにはストイコビッチ、ヴェルディ川崎(現東京ヴェルディ)には長年日本でプレーしていたラモス瑠偉がいたね。もちろんみんな友人だが、ピッチ上では勝利を争うライバルだった。すべての試合が忘れられないよ。外国籍選手だけじゃない。例えば、チームメートだった勝矢(寿延)のビジョンや集中力、若手を一つにまとめようとする気持ちも素晴らしかった。彼からは大きなものを学ばせてもらったからね。
あなたがいた3年間で日本サッカーは成長したと言えそうですね。
ドゥンガ もちろん。日本代表の成長を見れば、それは明らかだった。日本のサッカーは今も成長し続けている。かつて日本人選手がヨーロッパに行くのは“流行”に過ぎなかったが、最近では当たり前のように“戦力”として海外のチームと契約している。そこで確かな成功を収める選手の姿を目の当たりにするたび、私は誇りを感じているよ。私にとって日本は第二の母国のようなものだからね。今の世代は直接的に指導したわけではないが、サッカーは歴史を積み重ねて成長していくもの。今、日本人選手はどの国でも“戦力”になれる力を持っている。
今、外からJリーグを見て何か感じることはありますか?
ドゥンガ 非常に多くの優秀な選手がプレーしているということだね。日本代表の試合はいつもチェックしているし、気になる選手はたくさんいる。Jリーグにおいては、ブラジルと同じ現象が起こっていると言えるだろうね。名門と言われた磐田や鹿島が順位を落とした時期があった一方で、それまで中堅に過ぎなかったクラブが良い成績を残している。それは日本全体で良いトレーニングが行われた成果であり、サッカー界全体のレベルが上がっていることを意味すると思う。
では、Jリーグがさらなる発展を遂げるために必要なことは?
ドゥンガ Jリーグには非常に素晴らしい運営組織がある。良いサッカーをするために必要なのは良いグラウンドだ。Jリーグにはそれがある。それから先ほども言ったとおり“良いカレンダー”も大切な要素の一つだが、Jリーグはそれも持ち合わせている。言っておきたかったのは、これは世界中の国が持っているものではないということ。国民性や文化的な背景を含めて、日本だからこそ手に入れられるものと言えるだろうね。
現在は非常に多くの日本人選手が海外で活躍しています。彼らの存在も日本サッカーの成長を後押しする力になるのでしょうか。
ドゥンガ もちろん。彼らが“戦力”として海外でプレーしている以上、その存在が日本サッカーの力になることは間違いない。これまでにも世界の強豪国の多くが、そうやって力を高めてきた。それにマンチェスター・ユナイテッドやインテルの一員としてプレーすることで、日本人選手の力、ひいては日本サッカーの力を世界にアピールすることができる。サッカー界全体の力を押し上げる上で、それもまた重要な要素の一つだと思うよ。
現在の日本代表は、多くの海外組で構成されるようになりました。
ドゥンガ 間違いなく、日本代表はものすごい勢いで成長していると思う。私が日本でプレーしていた頃とは比べものにならないくらいにね。当時はレベルの高いJリーグに比べて、日本代表はどこかもの足りないという印象だった。しかし今は違う。Jリーグも日本代表も非常にレベルの高いリーグであり、チームであると言える。選手たちの学ぼうとする姿勢は相変わらず優れているし、そういった姿勢があるからこそ、リーグ全体の底上げが可能になり、闘争心を持った日本代表を作れるのだと私は思う。
2010年の南アフリカW杯で日本代表は決勝トーナメントに駒を進めました。
ドゥンガ もちろんよく知っているよ。私もあの大会にブラジル代表の監督として臨んでいたからね。日本の活躍はうれしい。次のW杯では、前回よりも良い成績を狙えるだけのチームであると思う。昔はW杯に出場することだけを目標にしているように感じたが、今は世界最高の舞台で、一つでも多くの勝利を勝ち取ろうとする意気込みと闘争心が伝わってくるよ。
Jリーグと日本サッカーは正しい道を進んでいると言えますか?
ドゥンガ 断言してもいい。日本サッカーは正しい道を進んでいる。大切なのは今の状態を維持し続けることだ。経験豊富な選手、外国籍選手、経験の浅い若手をしっかり組み合わせたチームを作ることも大切だと思う。それから様々な意見に耳を傾けるようにしなければならない。ただし、何か大きな問題が起こっても、あわてて何かを変えようとする必要はない。Jリーグは正しい道を進んでいるのだから、自分たちの力を信じて前進してほしい。20年や百年というスパンの話ではなく、サッカーは永遠に続くのだから。
ファンの皆さんへ
93年の開幕から20年、他に類を見ないほど飛躍的な成長を遂げてきたJリーグは、今や世界でも屈指のリーグの一つに成長したと私は思います。ただし、ファンの皆さんに心に刻んでおいてもらいたいのは、この20年間の発展が、少し急ぎすぎた結果として得られたものであることです。つまり、今後は発展の速度が減速することがあるかもしれません。しかし、スピードの変化こそあれ、大切なのは発展し続けることです。もはや日本には、例えば簡単に作れるものではない“サッカーの基盤”があります。20年間をかけて作り上げたこの基盤の上に、これから一つずつ経験を積み重ねていけばいい。そこで必要になるのが、サッカーを愛するファンの皆さんの力です。
どうか皆さん、これからもJリーグを応援してください。私は両チームのファンが一緒にスタジアムを後にし、お酒を飲みながら試合について語り合う日本のスタイルが好きです。純粋な気持ちでサッカーと向き合う姿勢は、世界のサッカー界が模範とすべきモデルケースになれるでしょう。
異なるクラブを応援するサポーター同士が、同じ時間と喜びを共有し合うことができる── 。そうした本来あるべきサポーターとしての姿を、これからも世界に発信し続けてもらいたいと思っています。