2014.12.13

【ロンドンの残光】ロンドン五輪サッカー日本代表の真実「Episode 1 不協和音はロッカールームから始まった」

 2016年ブラジルのリオデジャネイロで南米初の夏季オリンピックが開催される。サッカー日本代表はリオデジャネイロ五輪で、4位に終わって惜しくも銅メダルを逃したロンドン五輪の雪辱を晴らそうとするだろう。そのためにも、マレーシアのクアラルンプールで2015年3月に予定されているU-23アジア選手権予選が大切な戦いの場所となる。なぜなら、U-23アジア選手権は、2016年のリオデジャネイロ五輪のアジア予選を兼ねているからである。

 日本は抽選の結果、グループIに振り分けられた。同組には、マレーシア、ベトナム、マカオがいる。3月27日にマカオ、同29日にベトナム、同31日にマレーシアと対戦する。五輪出場のためのアジア枠は3チームである。日本代表を指揮する手倉森監督は「本大会に向けて、この予選から日本の可能性を示していきたい」と意気込みを語った。

 ところで、サッカーキングで今回から始まる連載「ロンドンの残光-ロンドン五輪サッカー日本代表の真実-」は、筆者がロンドン五輪の開幕前と閉幕後に選手たちに取材して得た情報をもとに綴ったノンフィクションの読み物である。2015年3月から次期オリンピックのサッカー出場国が決められていく。その前に、ロンドン五輪のサッカー日本代表の戦いを改めて整理する必要があるのではないかと思い至ったのである。彼ら選手たちは、アジア予選から本選の五輪までの道のりをどのように戦っていったのか? 彼らの軌跡を多くの人に知ってもらいたいと思うのだ。なぜならば、二十歳そこそこの若い選手たちが、勝利を手にして時に敗北を味わって、大人の選手に成長していく過程が描かれているからである。

 読者は、グラウンドの外からしか選手たちの動向を知ることができない。何らかの出来事の内実はどこにあって、そのときに選手は何を考えていたのかを、きちんとした言葉で伝えるのがライターの仕事だと筆者は思っている。筆者は、この物語を発表できる機会がいつの日かやってくることを願っていた。その機会が今回やっとめぐってきたのである。当時に記した文章から今回発表するために書き換えや書き足しをして読みやすい文章にしている。ただし、当時の緊迫感やリアリティは損なわないように注意した。どうか多くの人にこの物語の読者になっていただきたいと望んでいるのである。

川本梅花


Episode 1 不協和音はロッカールームから始まった


Photo by Getty Images

「さあ、ノーリスクでいこう!」

 U-23サッカー日本代表の監督を務める関塚隆は、ロンドン五輪出場を目指す選手全員を前にして、数分後に行われる対シリア戦に向けたミーティングの中で、この言葉を発したのである。

「ノーリスクでいこう!」というなにげない監督のひと言が、選手たちに深い動揺を与えることになる。監督が意図して使った言葉の意味と、選手たちが受け取って理解した言葉の意味には大きな乖離ができていた。発する側と受け取る側が、言葉の意味をまったく違ったものとして解釈する。その結果、選手たちのプレーは個人個人でバラバラな動きを作り出していくのだった。

 U-23日本代表は、2012年2月5日、ヨルダンのアンマンでアジア最終予選の第4戦となるU-23シリア代表戦に臨んだ。もしも、この試合に敗れることがあれば、日本は勝ち点9でシリアに並ばれる。しかも総得点で下回ることになってしまう。そして、グループCの2位に転落し代わってシリアが首位に浮上する。そうなれば、日本の五輪出場は厳しい状況になってくる。このような悪夢が、現実のものになろうとは、監督も選手たちも、そしてサポーターを含めた誰もが、この時点では思ってもいないことだった。

 試合前のロッカールームで監督が話した「ノーリスクでいこう!」という言葉が、選手たちの中で勝手に一人歩きしていく。アジア最終予選での五輪代表のサッカーは、ボールを大切にして繋いでいくやり方を信条としていた。関塚も選手たちには、日ごろから「ボールを繋げるところは繋ぐように」と指示している。しかし、シリア戦で見せたサッカーは、その信条に反するもので、後方から前方にロングボールを蹴るという、いわゆるキック&ラッシュのような戦い方であった。

 キック&ラッシュとは、以前にイングランドで使われていた攻撃戦術である。今では、同国の下部リーグに属するチームが戦い方の一つとして使っている程度だ。この戦術の元来の考え方は、自陣後方でボールを回してビルドアップを始める場合、味方のGK(ゴールキーパー)の近くでボールを回すことになる。もしも、自陣でボールを回している最中に相手にインターセプトされたなら、味方のDF(ディフェンダー)と相手選手が1対1になってしまう。また、DFを振り切った相手選手が味方のGKと1対1になられてしまう。そうした「守備のリスク」を回避する手段としてキック&ラッシュは考えられた。ボールを相手のGKの近く、つまり相手DFの裏にボールを蹴り込むことで、ボールが自陣のゴールから遠い距離に置かれることになる。それによって、守備のリスクを軽くして、攻撃も相手陣内のゴール近くでプレーできるというメリットがある攻撃戦術なのだ。ただしこの攻撃戦術は、DFの裏に抜けるのが上手い選手や足がめっぽう速い選手が前線にいなければ、活きてこない戦術だと言える。

 シリア戦でキーマンになったGKの権田修一は、関塚が言った「ノーリスクでいこう!」という言葉の意味を次のように解釈していた。

「試合の中でロングボールを多用したのは関塚監督の指示というよりも、選手たちが『これは大事な試合なんだ』とナーバスになっていった結果、うしろからボールを蹴ってしまったんだと思います。監督に言われた言葉の受けとめ方が、攻撃側の選手と守備側の選手で違って受けとめられたんだ、と。監督は確かに『ノーリスクでいこう!』と言ったんですが、それを『ピッチ状態もよくないから、うしろで変な横パスをするんだったら、ノーリスクで前を向くことも必要だ』という意図で話されたんだ、と僕は解釈しました。だから、『試合の入りはノーリスクでいこう』という話があって、みんなそれを普段ならポジティブに解釈して『俺らは繋ぐサッカーをしたいから、繋げるときは繋ごうよ』と話し合うんです。でも、シリア戦は違った。みんな『グラウンドが悪いからボールを繋げない』とか、『この試合は重要だから安全策をとろう』とナーバスになって考えて、監督に言われたことを1人ひとりが拡大解釈していったんだと思うんです。『繋いでいけるところは繋いでいこうよ』という声は、ロッカールームで誰からも上がらなかった。試合前のミーティングが終わると、『シンプルにやれるところはやろうよ』という風に、言葉を選手それぞれがかけあったんです」

 権田が述べた「ピッチ状態もよくないから、うしろで変な横パスをするんだったら、ノーリスクで前を向くことも必要だ」という解釈はおそらく正しい。関塚も権田が理解した意味で使っていたはずだ。しかし、「この試合に負ければとんでもないことになってしまう」と思った選手たちのナーバスな心理状態では、監督の意図を正しく読み取ることは難しかったのかもしれない。権田が理解できたのは、彼がGKというポジションの選手だったからだろう。プレーヤーの中で監督に近い視点でいられるのがGKだからだ。なぜならば、一番うしろからフィールドプレーヤーの動きを俯瞰して見られる立場にいるからである。それに、権田自身、クレバーな頭の持ち主だとも言える。また、彼自身、この試合ではある意味でキーパーソンになったので、冷静に出来事を回顧し監督の言葉の意味を正しく解釈できたのは、試合が終わって日本に帰国してからであったと言う。

 選手たちは「ノーリスク」という言葉の意味を、まずは「シンプル」という自分たちの言葉に置き換えた。最初に使われた言葉のもつ意味が、人から人に伝わっていくほどに、意味に色合いがつけられていく。意味の色合いのことを「ニュアンス」と呼ぶ。選手たちは、「ノーリスク」という言葉の意味の「ニュアンス」を受け取って、「それはシンプルということだろう」と解釈したのである。

 最初に使った言葉の意味は、受け取る側によって「意味のズレ」をもって解釈される場合がある。人は、言葉を使って他者とコミュニケーションをしている以上、話し手が「こういう意味で使った言葉の意味」を、受け手が100%正確に解釈することなどほとんどない。言葉の「意味のズレ」は、言葉を話す私たちにとって、免れることができないものなのだ。

 選手たちは、「監督が言ったノーリスクという意味は、シンプルという意味である」と意味の置き換えをしたときに、監督が最初に言った「ノーリスク」の意味から「シンプル」という意味に変えている。一見すれば、「ノーリスク」と「シンプル」は似ている意味合いを持っているように思われる。しかし、「リスクがない」ことと「単純に」では、意味内容そのものが違ってくる。

 相手に「言葉の意味を正しく理解してもらう」ためには、徹底的に話し合うことしかない。話し合ったところで、確実に理解し合えるという保証はないのだが、人は、徹底的に話し合うことでしか解決方法をもっていない。だから、「コミュニケーションは大切だ」と思われてきたし、コミュニケーションで他者と関わることで、人はお互いを補完し合える知恵をだせる存在であるのだ。選手たちは、予選を通して、そしてロンドン五輪の開幕を前にして、コミュニケーションの大切さを理解することになる。しかしそれは、まだ先の話である。

 監督の発した「ノーリスクでいこう!」という言葉は、選手たちによって「シンプルに」という言葉に置き換えられて、次に、キックオフの笛が鳴ると「ロングボールを多用しよう」という意味にまで解釈されていったのであった。