2013.02.27

清武功暉(サガン鳥栖/MF)「いつか兄と同じ色のユニフォームを着るために」

[サムライサッカーキング3月号掲載]

 清武功暉、21歳。日本代表・清武弘嗣を兄に持ち、名門・福岡大学で1年生からチームの中心。4年時にはサガン鳥栖の特別指定選手としてJリーグデビューも果たしている。

 そんな彼には忘れられない“夏”があると言う。福岡大学に入学して間もない2009年、総理大臣杯全日本大学サッカートーナメント。

 背番号18を付けた彼は、誰よりも輝きを放っていた。

「1年生の時の大臣杯は、本当にノっていました。優勝も経験しましたし、自分のプレーも良かった。振り返っても、あの大会は大きかった」

 その境遇から様々な視線が注がれた大学時代。卒業を控えた今、慣れ親しんだキャンパスで巡らせた4年間と、プロサッカー選手として歩む新シーズンへの思いを語った。

kiyotake_omoriインタビュー・文=青柳舞子 写真=大森麻日香

武器は無回転のFK、チャンスメークや得点に絡むプレーで「前へ、前へ」

――まずは福岡大学での4年間を振り返り、一番の思い出を聞かせてください。

清武(以下K) 大分トリニータU-18から福岡大に進学しましたが、結果として“プロサッカー選手”になることができましたし、福大を選んで良かったなと改めて思います。一番の思い出は、1年生の時に夏の(総理)大臣杯で優勝したことですね。そこから、偶然にもケガで辞退した選手の代わりに布(啓一郎/当時U-18日本代表監督)さんに代表に呼んでもらって(※SBSカップ2009で追加招集)、MVPをいただいて、仙台カップではキャプテンも経験させてもらったんです。あの大臣杯は、自分のプレーも良く、本当にノっていましたね。

――当時は1年生ながらスタメン出場。プレッシャーはありませんでしたか?

 そうですね。もともと、プレッシャーは感じないタイプなので自由にやれていました。福大は上下関係も厳しくないのですが、1年生の時はやっぱり4年生に近寄りがたくって、直さん(藤田直之/現サガン鳥栖)とかには、あまり話し掛けられなかったですね(笑)。今は鳥栖でも一緒ですし、普通に話せます。でも逆に1、2年生が僕にあまり話し掛けてくれなくて寂しい感じです(笑)。牟田(雄祐/福大→名古屋グランパス)にはみんな話し掛けるんですけど、僕は近寄りがたく見えるんですかね(苦笑)。

――昨年は“学生生活”、“サッカー部”、そして鳥栖の“特別指定選手”という3足のわらじを履く多忙な生活でした。

 はい。授業に出られない時があったり、授業で鳥栖に行けなかったりと、時間のやりくりが大変でした。でも特別指定選手としてJリーグの舞台を経験させてもらったことは、2013年シーズンに向けて良いスタートダッシュを切れる財産になりますし、本当に良かったと思います。

――Jリーグデビュー(12年4月21日、J1第7節アルビレックス新潟戦)も果たしましたが、プロを経験して変化はありましたか?

 Jリーグの試合に出たことで、福大に戻った時に、今まで以上に落ち着いてプレーができ、周りがよく見えるように感じました。僕自身が福大で上手く合わせられれば、今までとは違ったプレーが生まれると考えていましたし、それぞれのプレーの中でのとまどいも特になく、鳥栖で求められるプレーと、福大で求められるプレーは違うので、そこを切り替えてやろうと意識していました。実際にも(切り替えは)上手くできていたかなと思います。

――切り替えは上手なタイプですか?

 そうですね。ピッチ内では鳥栖でも福大でも本当に厳しい環境の中、しっかりと集中して練習や試合に臨んでいました。それ以外では、リラックスしながら学業を頑張れていたかなと思います(笑)。実は教員免許を取るために必要な授業が多くて、想像以上に大変でした。でも、せっかく大学に進学するのだからと、教員免許などの資格取得を考えて専攻したんです。選手としてのキャリアが終わった時に、「今度は新しい選手たちを教えられたら面白いかな」という気持ちがあったからでした。男子生徒ばっかりの学校で教育実習の授業もちゃんとしたんですよ(笑)。

――大学生活は楽しめましたか。

 4年生になってからは、お昼くらいに起きて大学に行って授業を受けて、練習。そして家でご飯を食べて寝て……。その繰り返しでしたね(笑)。大学でも教室、食堂、グラウンドのほぼ往復です。一人暮らしだったので家事もしますが、洗濯が面倒でした。洗濯機を回すのはいいのですが、干すのが……(笑)。

――ではオフの過ごし方は?

 オフは昨年の11月中旬くらいまで教習所に行っていたので忙しかったのですが、無事に免許の取得ができたので、それ以降は特に何もすることがなくなっちゃいました(笑)。でも、さびしがり屋な面もあるので、岸田兄弟(和人、翔平の双子)を家に呼んでゲームなどをすることが多かったですね。

――その岸田翔平選手は鳥栖でも一緒にプレーをすることになりますね。

 そうですね。双子とは小学校からずっと一緒で、僕のこともよく知ってくれています。鳥栖に入る翔平は、ピッチでも常に僕を見てくれていますし、僕もアイツをどう生かしたらいいのかが分かるので、やりやすいですし心強いです。

――その鳥栖ですが、加入を決めた一番の理由を改めて教えてください。

 ユン(尹晶煥)監督ですね。ユンさんの下でサッカーをしたいという気持ちが強くありました。ユンさんは本当に熱い監督で、僕のこともよく知ってくれています。一番最初に声を掛けてくれたというのも大きかったですし、チームの雰囲気も良く、みんな優しいです。

――鳥栖でこういうプレーを見てほしいというアピールポイントは?

 攻撃に関わるポジションなので、ゴールに向かうプレーを自分の武器にしていかなきゃいけないと思っていますが、無回転のFKは見てほしいですね。チャンスメークや得点に絡むプレーを心掛けたいですし、印象に残るので得点したいという気持ちも強くあります。アシストできる時はアシスト、ゴールを狙える時はゴールを目指したい。前へ、前へと行かないと自分のリズムは出てこないですし、そういうプレーが自分の特長ですから。プロでも意識していきたいと思います。

――最後に今後の目標をお願いします。

 また、兄(弘嗣/現ニュルンベルク)と同じピッチに立ちたいですし、いつか同じ色のユニフォームを着たいですね。昨年、ヤマザキナビスコカップで(鳥栖が)セレッソ大阪(6月27日、第7節※清武兄弟はともにスタメン出場)と対戦した時は母と一番上の兄が見に来てくれて、「二人が同じピッチに立ってくれて、それを見られて良かった」と言ってくれたんです。本当にうれしかったですし、そういう親孝行、家族孝行ができればいいですね。やっぱり、ここまで来られたのは恵まれていたから。いろいろな人への感謝の気持ちを忘れずに、鳥栖でも頑張ります。