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永遠のワンダーボーイ田中達也の軌跡「サッカーを諦める訳にはいかない」

2013.01.11

浦和レッズマガジン 1月号掲載]
田中達也

文●島崎英純 写真●足立雅史

 出番は与えられなかった。名古屋とのJリーグ最終節、柏木と槙野のゴールで劇的な勝利を果たし、アジア・チャンピオンズリーグの出場権獲得が決まる3位となって熱狂に包まれる埼玉スタジアムで、田中達也は若手選手たちに声を掛けていた。「必ずチャンスは来る。だから頑張れ!」

 原口元気にはこう言った。「お前はもっとやれるんだよ。だからもっとやれよ!」

 孤高の存在だった。

 日常では他愛のない話で場を和ますが、ことサッカーに関してはストイックで、常に周囲を圧するオーラを放っていた。

 一途な選手だ。

 虚飾を排除し、ただサッカーのためだけに生きてきた。規則正しい生活を送り、練習に打ち込み、週末の試合に全神経を集中させる。凄まじいその追い込みぶりはチームメートからも半ば呆れられるほど。それほど、彼のサッカーへの想いは深かった。 そんな達也がサッカーを取り上げられかねない出来事があった。2005年10月15日の駒場スタジアム、柏レイソル戦で右足首脱臼骨折を負い長期離脱。それ以降、達也は様々なケガに見舞われ、リハビリに明け暮れることになる。

 プレーしたくても身体が言うことをきかない。リハビリを重ねて復帰しても、すぐに新たなケガに苛まれて戦線離脱を繰り返す。サポーターの期待に応えられず歯がゆい日々を過ごす中、それでも達也はサッカーへの想いを立ち切ることなく精進した。

 同時期にリハビリ期間を過ごしたことのある岡本拓也が話す。「達也さんはトレーナーから『もう止めろ』と言われても、それ以上のトレーニングをしてしまう。普段の達也さんはバカなことばかり言ってあまり僕ら若手のためになるようなことを話してくれないけれど、そのような練習への取り組み方を見て、無言でプロの姿勢を示してくれていたような気がします」

 一切弱音を吐かなかった。

 ケガの影響で試合出場が叶わないことを問われると「すべては自分の責任」と言い、「僕のアピールが足りない」と自省する。

 嬉しくても悲しくても、公の場で涙を見せたことは一度もない。それがプロの責任だと、達也は誰よりも深く理解していたのだろう。

 2012シーズン・リーグ最終節の埼玉スタジアム。スタンドを埋めた大サポーターは試合が終了したにも関わらずほとんど席を立たない。12年もの長きに渡り赤いユニホームを着て戦った闘士を称えるために、その別れを惜しみ、メッセージを送るために、浦和のサポーターは感慨の眼差しで背番号11の姿を追ったのだった。

 北ゴール裏前に立った達也がマイクを握って言葉を紡ぐ。「12年間、熱い声援ありがとうございました。レッズでのサッカー人生、素晴らしく充実した時間を過ごすことができました。リーグ優勝、ナビスコ優勝、天皇杯優勝、ACL優勝、たくさんの栄光を掴むことができたのは、家族、友人、チームメート、チームスタッフ、そして、ここにいるたくさんの熱いサポーターのお陰です。

 ここ数年、ケガを繰り返し、チームの力になれませんでした。そんな自分に悔しく、恥ずかしく、歯がゆい毎日でした。

 プロだから、結果を出さなくてはいけないのは分かっています。けど、そんな中でも、俺を信じて応援してくれる人がいるんです。『達也頑張れ』、『達也待ってるぞ』、『達也点を取ってくれ』って。そんな言葉に何度も勇気をもらい、支えられてきました。

 だから俺は、そんな人がいる限りサッカーを諦める訳にはいきません。これからは違うユニホーム、違うスタジアムかもしれないけど、元気にピッチを走り回っている姿を見せることが、その人たちへの、せめてもの恩返しだと思っています。

 だから、俺はここから前に進みます。12年間、浦和レッズでプレーできて本当に幸せでした。いつまでも浦和レッズを愛してます。ありがとうございました」

 浦和レッズサポーターを前にして初めて涙を流した達也は、精一杯の想いを彼らにぶつけて、愛すべきこのクラブに別れを告げた。

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