2012.12.30

高木善朗、オランダでの挑戦「世界との差を埋めるために」

[サムライサッカーキング1月号掲載]

世界の舞台で感じたトップクラスとの差。「このままでは、彼らには絶対に追いつけない」。決断したのは、18歳での海外移籍だった。オランダへ渡って1年半。世界との差を埋めるために、高木は悩み、苦しみながらも成長を続けている。

高木善朗、オランダでの挑戦「世界との差を埋めるために」
Text by Takahito ANDO Photo by Getty Images

18歳での決断から、早1年半が経とうとしている。

「若いうちからいろいろ経験を積んでおいたほうがいい」とよく言われるが、高校を卒業したばかりの少年がいきなり海を渡り、未知の世界にプロサッカー選手として飛び込んでいくのは、相当の覚悟と勇気が必要だ。

 それでも、18歳の高木は決断した。「いつかは海外でプレーしたい」と思っていたその心に火をつけたのは、2009年にナイジェリアで行われたU-17ワールドカップで対戦した、同年代の世界中の猛者たちだった。

 U-17日本代表の一員として同大会に出場した高木は、1得点を挙げたものの、チームは3連敗でグループリーグ敗退。“プラチナ世代”と期待された彼らは、大会を制したスイスのフィジカルやメキシコのテクニックとスピード、そして、ブラジルの圧倒的な個人技に敗れた。

「ブラジルのネイマールやコウチーニョとか、同年代の世界トップクラスの選手とプレーしたことで大きな刺激を受けたし、『海外に出て行かないと、こいつらには絶対に追いつけないな』と思いました」

 翌年、高校3年生になった高木は、東京ヴェルディの一員として、J2第2節のロアッソ熊本戦でJリーグデビューを果たす。第25節の横浜FC戦では、FKから初ゴールを決めるなど、終わってみればリーグ戦33試合に出場して5得点と、堂々たる数字を残して1年目を終えた。

 そして、2011年。願ってもないチャンスが訪れる。以前、練習参加したことのあるオランダの名門・ユトレヒトから正式に獲得オファーが届いたのだ。

「話が来た時は驚きましたし、本当にうれしかったです。でも、ここでチームを離れていいのかとも思いました。本当に悩みましたが、自分の気持ちに正直になった時、やっぱりこのチャンスを逃したくなかった」

 悩み抜いた結果、高木は愛する東京Vを離れ、海外へ移籍することを決断した。

苦しみながら出した答え、自分の生き残る道

 ユトレヒトにやってきた高木を待っていたのは、苦悩の日々だった。彼の体は周りの選手と比べると一回りも二回りも小さく、練習では激しい当たりを受けて何度も地面に叩きつけられた。

「体格差もそうですけど、日本より体をぶつけるタイミングがワンテンポ早いんです。ボールが来る何秒か前に、必ず一回は体を当ててきます。ポジション取りの段階で体を当ててくるので、そのタイミングに最初は戸惑いましたね」

 そして、何より痛感させられたのは“意識の差”だった。高木は高い技術を備えながらも、チームの黒子役に徹するタイプ。快足を生かしたドリブルが武器の宮市亮(ウィガン)や多彩なテクニックとシュートセンスを併せ持つ宇佐美貴史(ホッフェンハイム)、天才パサーの柴崎岳(鹿島アントラーズ)ら同年代の選手と比べると、その特徴は目立ちにくい。だからこそ、高木は献身的なプレーでチームのつなぎ役を担っていた。

「監督が僕を使ってくれていたのは、自分の良さを出しつつ、他人の良さも出せるプレーをしていたからだと思います。“人を生かしながら、自分を生かす”じゃないですけど、個性の強い選手たちをうまくつないでいくことが自分の仕事だと思っていました」

 しかし、オランダの選手たちは多少チームプレーをおざなりにしてでも、必死に自分をアピールしようとする。思いどおりに行かない日々。いら立ちと苦悩が続く中、高木はもっと自分を強烈にアピールする必要性を感じるようになる。

「正直、戸惑いましたし、自分がうまく生かされないことも多くて、腹が立つこともあります。でも、厳しいプロの世界。僕も自分を思い切り出さないといけない」

 高木は必死で自分の生き残る道を模索し始める。印象的だったのは、2011年9月に行われたリザーブリーグの試合。4-3-3のトップ下で先発出場した高木は、時間が経過するにつれて表情が険しくなり、憤りをあらわにしていた。

 それもそのはず。高木の足元にボールがやってくる回数は少なく、自らボールをはたいても、それが戻ってくることは数える程度だった。日本ならワンツーでボールが返って来るタイミングでも、ここでは決して戻ってこない。

 すると、高木は一つの行動に出る。ジェスチャーで不満を表し、大きな声でチームメートに指示を出し始めた。高木にとってこの行動は大きな前進だった。

「最初は何も言えず、我慢していた部分があったんですけど、それじゃダメだってことに気がついたんです。もっと自分から主張しないと、自分にボールは来ないですから。そうすれば、少しは自分を見てくれるようになりました」

 すると、終盤になると多少ではあるが、高木にボールが集まるようになる。連係面でのズレもあり、本来のプレーを見せることはできなかったが、試合後にはすっきりとした表情をのぞかせた。

「確かにイラついたり、悩んだりはしますよ。でも、それを求めてこっちに来たわけですから」

VVV戦での大活躍、1年目でつかんだ手応え

 次第に、高木が求めていた海外での刺激は、彼に大きな変化をもたらしていく。

「こっちのやり方は、とにかく自分が生きる道を探すことなので、自分を生かすことを第一に考えています。今までは自分を殺すことで納得している部分があったし、それはそれで良いことだと思っていたけど、それだけではここでは通用しないし、もっと成長するためには自分を出し続けていかないといけない」

 高木の特長は、すべてのプレーを高い水準でこなせること。そして、どんな戦術やチームの雰囲気にも自分を落とし込むことができる、高い“サッカーIQ”を備えていることだ。

「僕は地味ですからね。宮市みたいにプレーがはっきりしていないし、宇佐美のような華麗さもないですから。でも、ここのみんなはデカすぎて僕の動きについて来れないんです(笑)。ボールのないところで押されたり、ユニフォームを引っ張られたりすると、『コイツ、僕の動きを嫌がっているな』と思って、もっと動いたりしています。チームにとっても、僕が動くことで“かゆい所に手が届く”というか。繋ぎの部分だったり、カウンターの起点だったり、チーム内の役割をこなせるようになりました」

 高木は、2011年12月4日に行われたエールディヴィジ第15節トゥヴェンテ戦で念願のリーグ戦デビューを果たすと、次節のフェイエノールト戦で初のフル出場、初アシストを記録。年明けからはスタメンに定着し、その特長がユトレヒトという組織の中で徐々に存在感を放つようになる。そして、4月15日に行われた第30節VVVフェンロ戦で、高木の名は一躍オランダ中に轟いた。

 日本代表DF吉田麻也とFWカレン・ロバートが所属するVVVに対し、0-2とリードされたユトレヒトだったが、スタメンで出場した高木がセットプレーから正確無比なキックを繰り出し2得点を演出。更に2-2の同点で迎えた58分、絶妙なスルーパスで逆転弾をアシストすると、82分にも再びスルーパスで4点目をお膳立てし、4-2の逆転勝利に貢献した。2アシストを含め、4得点すべてに絡む大活躍。苦悩に満ちた表情を見せていた半年前の彼はもういない。大柄なチームメートに信頼され、攻撃の中心としてプレーする小さな体が、とても大きく見えた。

 高木はその後、最終節のローダ戦で初ゴールを決め、リーグ戦通算15試合に出場して1得点6アシストを記録。アシスト数はチームトップと、確かな手応えをつかんだ。

「自分はここでもっと成長できる。これから先、もっと上に行くためには、まだまだ結果を残さないといけないですね」

 迎えた今シーズン、高木は序盤に負傷した影響もあり、ベンチを温める日々が続いている。チームも現在、ヨーロッパリーグ出場圏内まであと一歩の6位と好調を持続しており(11月28日現在)、出場機会はなかなか巡ってこないのが現状だ。それでも、11月18日に行われた第13節のトゥヴェンテ戦で今シーズン初スタメンを飾るなど、高木は虎視眈々とレギュラー奪取の瞬間を狙っている。

「ここでは、何事も思いどおりにいかなくて当たり前。自転車の鍵が3回も壊れたりとか、試合の日にオランダ語の授業が入るとか(笑)。でも、それもすべて良い経験ですよ。異文化に慣れるのは大変ですけど、オランダはW杯で準優勝している国。だから、自分に必要な一対一の強さや勝負強さを身につけるには、ここでプレーすることが一番効果的だと思っています。海外に出たことで成長を実感できているし、楽しめていますよ」

 高木が1年半前に下した決断は間違いではなかった。若いうちから海外で刺激的な経験を積むメリット。彼はオランダの地で確かな技術と精神力、そして知性に磨きをかけ続けている。