2012.12.26

「正真正銘1年生監督、大躍進の理由」山口素弘(横浜FC監督)インタビュー

ルーキー監督が貫いたスタイルが、現場にもたらした刺激と未来図

●インタビュー・文=増島みどり ●写真=大木雄介
山口素弘
 各地からの最終便が次々と着陸する羽田空港は、出張や観光先から戻る人々で賑わっていた。土産物を抱えた人々が「いったい何のセレモニーだろう?」と不思議そうに振り返る中、「ヨーシ!」「お疲れさん!」と張りのある声と力強い握手で、キャリーを運ぶ選手たちをロビーで見送る男がいた。

 昇格プレーオフをかけての「直接対決」となったアウェーの大分戦(2012年10月7日)を終えた横浜FC・山口素弘監督(43)である。2-1で勝利し、昇格プレーオフ圏内につけた大事な試合から帰京すると選手よりも早く出口に立ち、スタッフも含め全員に声をかけ、強い握手を交わす。2012年3月、プロでのコーチ経験もない元代表選手が勝点1、勝利なしで最下位のクラブの監督に就任したとき、「経験がないから無理だろう」、或いは「元代表だからって通用するわけがないさ」といった冷やかな反応は多かった。もちろん本人の耳にも入っている。しかしその1年生と、自信を失くしていた選手たちは8月後、4位に躍進。空港で見かけたこんなささやかなシーンに、その訳が潜んでいたのかもしれない。

 遠征から戻り、人でごった返すロビーで堂々と選手を見送り、声をかける。キャリアのある監督ならこんな面倒なことはしないだろう。自分が選手ならどう思うのか? 自分が現役時代、指導者のどんな振る舞いに意欲をかきたてられ、逆に削がれたのか? 「経験がないから」と阻まれてきた監督の座に、引退から4年をかけて就いた43歳は、選手として積んだ、溢れんばかりの経験と真摯に向き合いながら、自信を失った選手たちの気持ちを独自のスタイルで掌握して行ったように見える。

「負けて頭を下げるな、顔を上げろ」と、負けが込めばどの監督も口にするはずだ。しかしルーキー監督は、試合後のサポーターへの挨拶へ、時に選手より先に歩く。たとえ、ホームで逆転負けを喫したとしても。「プロなら負けても勝っても、同じ態度でいなくてはならない」と、その背中が無言で語る。

 試合中は、エキサイトすることもある。

 しかしホイッスルが鳴り、挨拶が終わると、誰より先に審判団に握手を求めにピッチにまで歩いていくのも山口だった。「あんな判定があったのに、よく握手できますねぇ」と、スタッフにはからかわれたが、解説者時代に海外のサッカーを現地で見て「サッカーのすばらしい一体感」を、それぞれの監督が表現する姿に学んだからだ。

 正真正銘の「1年生監督」が見せた信念のスタイルは、指導者のキャリアを重視してきたクラブ幹部、代理人にも反響を呼び、同時に、山口と一緒に初めてW杯の舞台に立った日本代表たちにも絶大な影響を与えただろう。指揮した38試合と、譲ることのなかった独自のメンバー選び、チームを活性化した競争原理と、ルーキー監督が選手と戦った2012年を振り返る。

準備とこだわりと競争が、最下位クラブを変えた

――2011年の年末頃、色々なオファーも一段落し「2012年はまた勉強の1年だ」と話していたことを思い出します。古巣に戻ったことは歓迎するとしても、開幕から勝利なし、勝ち点1の最下位で引き受けるタイミングにはさすがにちゅうちょしませんでしたか。

山口 いくつかの話が実現しなかったこともまた、このタイミングのためにあったんだ、と僕自身は非常にポジティブに臨みましたね。むしろ、非常事態での要請に、現役時代からオレのサッカー人生、順調じゃなかったからやっぱりなぁ、と。だからこそ全力でやらなければと強く思いました。

――そんな中で、何だかとても自然に監督業をスタートしたように見えました。良く言えば自然、悪く言うと初々しくない。

山口 2007年の引退会見を覚えていてくれる人がいるとすれば、あの時、これは(引退)次のための準備だ、と発言したのを思い出してくれるでしょう。本当にその思いをずっと忘れることはなかった。S級ライセンスの取得、母校(東海大)のコーチ、解説の仕事、色々経験する中で、常に、次への準備を心がけていました。

――具体的には?

山口 シュミレーションすること。自分が今監督ならこの場面はどうする、とか、練習や試合への入り方といった部分でも、いつもシュミレーションしていたので、いざ現場に立っても戸惑うといったことはなかった。

――初めて練習を見て、負けていたチームをどう立て直そうと。

山口 先ず、負けが込んだせいで下を向いている状態を変えたかった。そもそも、横浜FCというクラブの状況、試合はしっかり見ていたつもりだったので、選手が非常に高いポテンシャルを持っていることは明らかだった。何より大切なのは、選手自身がそれに「気付いていない」状態にいたことだったと思う。パス1本、ボールの奪い方1つ、サッカーへのこだわりを持っていないと、気付くことができないわけで、監督として取り組んだのは、気付けばこだわれるし、こだわればサッカーがどんどん楽しくなるという実感を知って欲しいということ。ただ勝ち点を重ねるだけのサッカーは、自分もしたくなかったし、僕が考えていた、つないでアクションするサッカーを実現するには、先ず、気付いてもらわなければならなかった。

――連敗中にはどの監督も顔をあげろ、とよく言いますね。

山口 じゃあ、顔を上げるのはどうすればいいか、と言わなければ変わらない。具体的に、このトレーニングを何のために、なぜこのやり方でトライするかを明確に伝えるようにした。練習なんて、本当は単純で面白くないものだけれど、そこで選手として徹底的にこだわれるか、そういう練習をただ受け流しているのか、両者に大きな差が出る。メンバー選びは、ここにこだわった結果です。

――シーズン中、同じメンバーで戦ったことがなかったのでは? 勝っている時は変えない、とする一般的なセオリーがありますね。ところが監督は、勝ってもかなり変えていました。どうしてでしょう?

山口 試合に勝って、ひとつの目標を果たしたかもしれないけれど、それは終わったこと。自分は、そこから次の試合に向けてどう準備したかのほうがより重要だと思う。練習にこだわり、練習でしっかりと準備した選手を使う。これは徹底した。AチームとBチームそのまま入れ替えたこともあり、選手もスタッフもかなり驚いた顔をしているのを分かっていました。オレが選手だったら、出るのか出ないのか分からず過ごす1週間なんて絶対にイヤだよねぇ。えーっ、何言っているんだろうって思うもの。

――監督が現役時代なら、冗談じゃないよ、って言うかも。でも実際には、本当に先発を固定しなかった。

山口 海外も含めて様々なチームを取材する中で、トレーニングを100%しなければ強いチームにはならないと実感していた。監督は、ポジティブな競争をフェアに見なくてはならない。選手がただアピールしているのか、それともサッカーや自分の役割に「こだわって」練習に取り組んでいるのか、それはしっかり見るようにしたんですね。選手がこのことを理解して、トレーニングに集中し、こだわりを見せてくれたので、引き受けてすぐに上に行けると感じていたし、夏には優勝できると確信していた。

監督経験はない、でもそれが全てじゃない

――選手の様子も変わりました。負けてもコメントをしっかりする。報道陣相手にどうでもいいのかもしれませんが、挨拶もするようになった。

山口 メディアに対しても大事でしょう、きちんと挨拶するのは。ある時、サポーターへの試合後の挨拶の仕方を、僕自身が非常に気に入らなかったことがありました。プロとして、負けても勝っても一喜一憂を態度にして欲しくないからです。いつでも同じ態度で、サポーターにもメディアにも接するように、と言ったことはある。

――1997年のW杯アジア最終予選では、2ケ月勝てなかった。そんな中でも勝ち抜いた経験は、監督として何か生きたと考えますか。

山口 監督に就任してから、ただの一度も口にしなかった言葉があります。自分が現役の時には、と、自分が代表の時には、とのフレーズ。逆に選手のほうが、モトさんはあの時……と気にしてくれるようなことがあったり、熱く言わないものだから、モトさん、丸くなりましたねえ、なんて言う選手もいたけれど、自分が経験したものを選手にそのまま伝えるようなやり方はしなかった。

――NGワードだったんですね。W杯初出場を果たし、選手としての輝かしいキャリアを持ったメンバーが、山口監督をはじめ、いよいよ本格的に現場に立つことになりました。初めてW杯に出場した体験、或いは国際舞台で戦った経験値を、強く言うのではなく言わないのですか?

山口 ライセンスを取得するとき、色々なところで選手としての輝かしいキャリアなんて何の役にも立たない、名選手が名監督になるのは難しいから、と言われていましたね。選手キャリアがイコール指導者につながるなんて僕自身思っていなかったが、そういう言われ方をすることに多少の反発も感じましたよ。東海大の恩師、宇野先生(宇野勝・元監督、2010年に監督退任)にその話をした時に、先生が、それでもお前たちのようなキャリアを持った名選手は、名監督のとても近くにいることだけは間違いないと助言してくれた。これは現場に立ってからも大きな支えになりましたね。それと、S級ライセンスの海外研修にバルセロナに行った際、グアルディオラ監督(当時)に「現役で積んだキャリアの何が、監督に役立っていますか」と聞いたことがあります。彼は笑いながら「何がって?全部だよ」と言っていた。指導者歴が浅くても、それとは違う経験を活かせることもある。そうやってアプローチするスタイルは、僕らの世代が追求していく一つの形だと思う。

――すでに柏でコーチを務めている井原(正巳)、京都で「フランス組」では最初にJ1監督を経験した秋田(豊)、川崎を率いた相馬(直樹)、来季鳥取の監督に就任する小村(徳男)、藤枝MYFCの斎藤(俊秀)、これから続くだろう名波(浩)ら、皆に刺激を与えたと思います。クラブの対戦であることはもちろん、監督同士の対戦も楽しみになりました。

山口 自分自身がそう思っている。早速、2013年はJ2で鳥取とは対戦するんで、オムちゃん(小村のニックネーム)はどんなサッカーするんだろうな、って今から楽しみです。

――来年の目標を。

山口 今、キャンプやチーム構想を練っている段階ですが、負け数が13は多い(22勝7分13敗で勝点73)。これは一桁にしなくてはならないと思う。また61得点に対して失点45も多い。これもまた減らすべき数字でしょう。チームの状況によっていつも変化し、競争や成長を常に実感できる、そんなチームを年明けから作って行けたらと考えている。そして、これも監督就任会見でもはっきり口にしたことですが、昇格するクラブではなくて、J1で勝つクラブを目指して監督を受けましたと言った。2013年もそれを忘れずに戦っていきます。