2016.02.14

「決勝は最悪の思い出」…第91回選手権得点王の東洋大MF仙頭啓矢「プロになって活躍することが恩返し」

静岡を拠点に活動するフリーライター。清水エスパルスを中心に、高校・大学サッカーまで幅広く取材。

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写真=平柳麻衣(1、3枚目)、佐藤博之(2枚目)

 第91回全国高校サッカー選手権大会で、京都橘高校は準優勝を果たした。2トップの一角を担った仙頭啓矢は、小屋松知哉(現名古屋グランパス)とともに大会得点王を獲得。躍進の原動力となったが、決勝戦でのPK失敗により、夢の舞台は「最悪の思い出」と苦い記憶になってしまった。しかし、「選手権はもう過去のこと。もっと注目されるような活躍をしたい」と前を向く。同年代の活躍に刺激を受けながら、プロを目指して大学最後のシーズンに挑む。

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欲を言えば、もう一回選手権に出たい

――サッカーを始めたきっかけは?
仙頭 幼稚園の頃から遊びで友達とボールを蹴っていて、小学校に入る時、親に「サッカーと野球、どっちをやるの?」と聞かれて、サッカーと答えたらしいです。僕は憶えてないんですけど(笑)。最初はFCジョカーレという地元のチームに入って、そこのスタッフの紹介でガンバ大阪ジュニアの門真スクールに移りました。

――スクールでの思い出はありますか?
仙頭 体が小さくても技術があれば監督は試合で使ってくれたので、技術の大切さやボールの扱い方は学べたと思います。

――中学はFCグリーンウェーブというクラブチームでした。
仙頭 ガンバのジュニアユースも考えたんですけど、結局、街クラブに行きました。今思えば、その頃は足先だけのプレーヤーだったなと思います。でも、純粋にサッカーを楽しんでいて、自分のやりたいプレーばかりやっていました。

――当時、憧れていた選手はいますか?
仙頭 親が買ってきたロベルト・バッジョ(元イタリア代表)のDVDをずっと見ていたので、バッジョに憧れていました。今も好きな選手の一人です。

――ご両親は元々サッカーが好きなのですか?
仙頭 いや、最初は全然好きではなかったと思うんですけど、僕の試合を観に来るようになって興味を持ったらしく、いろいろアドバイスもくれました。

――中学時代で一番思い出に残っていることは?
仙頭 中学最後の試合が大阪府リーグの入れ替え戦で、1部のチームと戦って、前半は0-2で負けていたんですけど、後半だけで3点取って逆転しました。僕も1点決めて、みんなでめっちゃ喜んだことが一番思い出に残っています。

――その後、京都橘に進学した理由は?
仙頭 監督の紹介で橘の練習試合に参加させてもらい、目指しているサッカーが明確でいいチームだなと思いました。大阪の高校もいくつか候補はあったんですけど、チーム数が多いので、京都の方が選手権に出られる確率が高そうだなと思って行きました。

――高校に入って、イメージと違った部分や大変だったことはありますか?
仙頭 1、2年目はチーム自体が強かったので、すごく期待されていたんですけど、全然予選で勝てず、全国大会に出られませんでした。全国に出るために親に高いお金を払ってもらって私立高校に来ていたので、ものすごく申し訳ない気持ちで、3年の夏までは「自分、何してんねやろ」と思っていました。

――京都橘では、すぐに試合に出られたのですか?
仙頭 1年の時から試合には絡ませてもらっていました。選手権予選もメンバーには入っていて、最後の試合で先輩たちが泣いている姿をベンチから見て、初めて選手権の雰囲気を味わい、悔しさを覚えました。2年目からはチームの中心として使ってもらっていたんですけど、その年も全国に行けなかったのですごく責任を感じましたし、3年目は絶対に全国に行きたいと思いました。

――当時のプレースタイルは?
仙頭 高校では、足先だけのプレーヤーではダメだということを米澤(一成)監督から教えてもらいました。例えば、勝っている時のアディショナルタイムはボールをキープしてでも勝利にこだわることや、オフ・ザ・ピッチでの行動など、技術だけではなく気持ちの部分の大切さを学べたので、サッカー選手として一回り成長できた3年間だったと思います。

――技術面よりもメンタル面の指導の方が多かったのですか?
仙頭 そうですね。クラブチームと違って監督が学校にいるので、制服のことや私生活のことでも細かく怒られましたし、人間として学ぶことがいろいろありました。あと、高校サッカーを経験したことで、理不尽なことにも対応できるようになったと思います(笑)。

――一番キツかった練習は?
仙頭 罰走ですね。3年の時にプリンスリーグでしょうもない負け方をして、試合後に走らされたことがあったんですけど、どれくらい走ったかも憶えてないくらいキツかったです。インターバル走だったんですけど、ペアを組んだ倉本(光太郎/現東洋大学)がめっちゃ足が遅くて、僕ががんばらないといけなくて(笑)。あと、橘は「朝テスト」という小テストが毎日あって、合格しないとその日の練習に参加させてもらえず、ひたすら罰走させられるんです。

――仙頭選手も朝テストに落ちてしまったことがあったのですか?
仙頭 はい。体力的にキツいだけでなく、監督が口を聞いてくれなくなるので、メンタル的にもキツいんですよ。ある時、朝テストに落ちて、その日は罰走を受けたんですけど、次の日に何も言わずに練習参加したら、監督から「お前、何で勝手に練習に参加してるんだ」と言われて、めちゃくちゃ怖かったです(苦笑)。

――最後の年の選手権を予選から振り返っていただけますか?
仙頭 全国に出る最後のチャンスだったので、全部の試合が苦しかったですけど、特に決勝は強豪の東山高校が相手だったので、本当にどうなるかわからない試合でした。雨が降っている中、前半はポンポン点が入って3-0で折り返したんですけど、後半開始5分で2点返されてしまったんです。そこからは防戦一方で、危ないシーンもたくさんありましたけど、何とか守って3-2で勝った瞬間は、人生で一番と言ってもいいくらいうれしかったです。その時、初めてうれし泣きをしたんですけど、疲労が全部飛んで、今までのキツかった練習は全部この瞬間のためにあったのかなと思いましたし、「うれし泣きってこんなに素晴らしいんや」と感じました。

――そして迎えた初めての全国舞台はいかがでしたか?
仙頭 チーム自体が選手権で勝ったことがなかったので、初戦に勝つことを目標に臨みました。本当に未知の世界でしたけど、チームとしても一戦一戦勝つごとに強くなっていると感じましたし、すごく成長できる舞台だなと思いました。

――選手権の中で、特に思い出に残っている試合はありますか?
仙頭 一番は決勝戦なんですけど、準々決勝戦も思い出深いです。初戦の勝利が目標だったチームが、国立(国立競技場)という夢の舞台に行けるということが決まった瞬間は、すごくうれしかったですね。

――準決勝で国立のピッチに立った瞬間のことは憶えていますか?
仙頭 目立ちたがり屋なので、「こんな舞台で試合ができてすごくうれしいな」と思いました(笑)。初戦では緊張していたんですけど、戦っていくうちに自信がついて、楽しもうという気持ちの方が大きくなっていきましたね。

――大会をとおして5得点を挙げ、チームメートの小屋松選手と並んで得点王も獲得しました。
仙頭 今振り返ると、もっと点を取れるシーンもあったし、もっとアシストもできたなと思います。でも、得点王になったことですごく自信がつきました。

――決勝戦は仙頭選手にとって、いい思い出ですか? それとも、嫌な思い出ですか?
仙頭 もう最悪ですね(苦笑)。申し訳ないという気持ちが一番あります。橘は高校でサッカーを辞める選手も多いので、優勝という形で終わりたかったですし、両チーム合わせてPKを外したのは僕だけなので、当時は「本当にごめん」という気持ちしかなかったです。

――試合の中ではチームの2点目を決めています。
仙頭 ゴールは自分だけのものではないので、みんなが守備をがんばってくれたり、前までつないでくれたボールを、僕が決めさせてもらっているだけです。だから、自分の得点よりもPKの方が記憶に残っていますし、一生忘れられないですね。今は、これからプロになって活躍することが、その時の恩返しになるのかなとポジティブに捉えるようにしていますけど。

――それ以来、PKに対して苦手意識はありますか?
仙頭 めっちゃあります。大学に入っても結構外しているので、トラウマしかないです(苦笑)。だからあまり蹴りたくないんですけど、去年の(FC町田)ゼルビア戦(第20回東京都サッカートーナメント準決勝)も古川(毅)監督が順番に入れてくれたので、信頼してもらっているのかなと思いますし、これからも蹴ることで自信をつけていくしかないと思っています。

――選手権の時のキッカーは米澤監督が決めたのですか?
仙頭 そうです。自分はずっと1人目を任されていて、初戦でも決めましたし、苦手意識はあまりなかったです。決勝のPKも、ちゃんとGKの動きを見て逆を取ったんですけど、なぜかポストに当たってしまって。自分でも外すと思っていなかったのでビックリしました。

――試合後、周囲からはどんな声をかけられたのですか?
仙頭 表彰台に上がる時にスタンドから観客がめっちゃ励ましてくれたんですけど、自分は泣いていたので言葉が全然耳に入ってこなくて。周りに何を言われても結果は変わらないですし、チームの人に申し訳ないという気持ちだけでしたね。

――選手権をとおして、仙頭選手は一躍有名になりました。
仙頭 選手権のおかげで今があると言っても過言ではないし、改めて選手権ってすごいなと思いました。だから、選手権に出れたことには感謝していますし、欲を言えば、もう一回出たいなという気持ちがあるくらいです。

――いまだに選手権のことで声をかけられることもありますか?
仙頭 たまにあります。でも、選手権はもう過去のことなので、もっと注目されるような活躍をして、新たな自分を見せていかないといけないなと思っています。

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やっぱり同世代の活躍は気になります

――その後、どういう経緯で東洋大に進学したのですか?
仙頭 米澤監督と古川監督が知り合いだったので、紹介してもらって練習に参加したんです。関東の大学に行きかったし、東洋はポゼッションサッカーを確立していて、自分もボールを大事にするサッカーをしたいなと思っていたので、東洋に行こうと決めました。

――関東に行きたかった理由は?
仙頭 勉強面を考えて、指定校推薦で関西の大学に行くという選択肢もあったんですけど、サッカーをやるなら関東で、と思っていました。やっぱり関東と関西では注目度も違いますし、関西にも強豪校はありますけどチームによって差が大きくて、関東は1部と2部のレベルが拮抗しているので。

――高卒のタイミングでプロから話はなかったのですか?
仙頭 高3の夏に東洋に行くことが決まっていましたし、インターハイにも出てなくて全く無名だったので、選手権でちょっと有名になりましたけど、もう遅かったです。もし、2年生の時に活躍していたら違う道もあったかもしれないですけど、あの状態でプロに行っても全然通用しなかったと思います。

――大学に入って、高校との違いはどんなところに感じましたか?
仙頭 高校サッカーは、高校でサッカーを辞める人も結構いますけど、大学は上を目指している人が多いので、すごくレベルが高いと感じました。まず、フィジカル面が全然違いますし、意識が高い人が多い分、刺激もあります。自分にとって成長できる環境だなという印象を受けました。

――練習環境や設備の面も違いがあると思います。
仙頭 橘は本当に設備が整っていなくて、学校の中で正規のコートが一面分作れないのですが、東洋は人工芝やジムなどがしっかりしていて、本当に幸せな環境だなと感じています。

――1年目の始めからずっと試合に出ていますが、ここまでの3年間は順調だと言えますか?
仙頭 いや、全然ですね。僕が1年生の時に2部に降格して、2年目はギリギリで昇格できなくて、3年目も昇格を逃して、全然いい思いをしていません。昨年は全国大会に出ましたけど、ベスト8と中途半端な結果でしたし、高校である程度のところまで行って注目されて終わったのに、大学では何も達成できていなくて、まだまだ自分の理想とは違うなと思っています。

――1部と2部では全然違うと感じますか?
仙頭 戦ったら僅差だと思うんですけど、そのわずかな差が大きいんです。最後に決めきるところやゴールを守るところに関しては、1部の方が個人の能力で打開できたり、守れる選手が多いなと感じます。あと、1部と2部だと周りからの見られ方が違うとすごく感じています。2部という名前だけで通用しない部分があるので。

――プロ入りを考えた場合も、ということですよね。
仙頭 そうです。そういう意味で、去年昇格して最後の1年を1部でできれば、と思っていたので、昇格を逃した時にショックはありました。

――一昨年も去年も本当に僅差で昇格を逃してしまいましたが、昇格したチームとの差はどんなところに感じていますか?
仙頭 去年の最終節は筑波大学戦で、2点差で勝てば昇格できる状況でした。そこでしっかり決めてくる筑波の方が個人の力が上回っていたと思いますし、逆に先制したのに守れなかった自分たちの力不足を感じます。決められるシーンを決めきれなかったし、やっぱり最後は点を決めるのも守るのも個人なので、個人のスキルアップは本当に大事だなと思いました。

――昇格こそ逃しましたが、総理大臣杯ではチーム初の全国大会出場を果たし、天皇杯予選もあと一歩で本大会というところまで進みました。チームとしての成長は感じますか?
仙頭 僕がいる間に、しかも自分が試合に出てチーム初の全国出場を達成できたことはうれしいですし、チームとしては確実に成長していると思います。それは、今まで先輩たちが築いてきてくれたものがあってのことなので、僕たちもそれを受け継いでいかないといけないし、先輩たちの想いもしっかり背負ってやっていきたいと思います。僕個人としてポジティブに考えると、高校時代も3年目で成果を出せたので、大学でも過去3年間の悔しさをバネにして、4年目でしっかり結果を出せればいいと思っています。

――仙頭選手自身の強みと、改善しなければいけないところは?
仙頭 得点を決められて、アシストもできることが自分の強みです。でも、上に行けばもっと球際などの細かい部分が大事になると思いますし、体がまだ華奢なので、もっと鍛えないといけないと思っています。あとはメンタルも鍛えて、大事なところで点を決められる選手にならないと上にはいけないと思います。

――東洋大は大宮アルディージャと提携を結んでいますが、大宮の練習に参加することはあるのですか?
仙頭 去年は1カ月くらいキャンプに参加させてもらいました。正直、足元のうまさやポゼッション能力で言ったら東洋の方がうまいなと思ったんですけど、実際に試合をしたら勝てないんです。その原因を考えたんですけど、東洋はパスをつなぐことに満足している部分があって、リスクを冒して前に進もうとしない選手が多いから、パスを回すことはできるんですよね。でも、サッカーはゴールを決めるスポーツなので、いくらポゼッションしてもゴールを決められなかったら意味がないですし、1本のパスでゴールに近づけるならそれが一番手早いです。やっぱりプロの選手は、ゴールという最終目標に向かいながらポゼッションをしているので、チャンスがあれば隙を見逃さずに決定的なパスを入れてきますし、球際も厳しいと感じました。

――キャンプに参加して、印象に残った選手はいますか?
仙頭 播戸(竜二)選手はすごいなと思いました。サッカー選手の年齢としては上の方ですけど、技術ではなく気持ちの部分を若手に伝えようとしているのがすごく伝わってきて、やっぱりベテランの人から学ぶことはたくさんあるんやなと思いました。

――今後、プロを目指すためにどんなことが必要だと思いますか?
仙頭 一番大事なのは結果だと思います。あとはフィジカルをもっと上げないと通用しないですし、一人でもチームを勝たせるぐらいの選手にならないといけないので、今年はトレーニングから意識してやっていきたいと思います。

――入りたいチームはあるのですか?
仙頭 特にないです。サッカーでご飯を食べていけたらどこでもいいと思っています。

――プロで対戦したい選手はいますか?
仙頭 同世代で高校サッカーをやっていた選手とは対戦したいですね。やっぱり同世代の活躍は気になりますし、早く自分もプロに行ってやりたいという気持ちはあります。

――最後に、今年にかける想いを聞かせてください。
仙頭 まずはチームの目標である1部昇格を達成して、総理大臣杯でベスト8以上の結果を残すこと。個人としては、二ケタ得点、二ケタアシストを達成して、プロ入りを決めて、プロ1年目から活躍できるように、トレーニングをしっかりやっていきたいと思っています。

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