2015.12.15

全中でのオウンゴール、高校時代のボランチ転向、明治大での“真逆”のサッカー…仙台内定の差波優人が歩んだサッカー人生

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インタビュー=安田勇斗 写真=平柳麻衣

 的確なゲームメークで攻撃陣を自在に操り、プレースキッカーとしても非凡な才能を持つ。次世代の司令塔として期待を寄せられる差波優人は、青森山田中学校、高校とエリートコースを歩み、明治大学で闘争心を養った。4年間の大学生活で成熟したプレーメーカーが満を持してプロの舞台に乗りこむ。

人生で一番長い10分間でした

——中学高校ともに青森山田出身ですが、どういう経緯で入学したのでしょうか?
差波 元々地元のスポーツ少年団でサッカーをしていて、区内の中学校に行こうと思っていたんですけど、青森山田に声をかけてもらって行くことになりました。

——小学校で良い成績を残していたんですね。
差波 そうですね。八戸の選抜チームにあたる八戸ゼブラに入って東北大会で優勝して、全小(全日本少年サッカー大会)に出ていたのが大きかったと思います。

——中学時代はどんな選手だったんですか?
差波 小学校の時はトップ下で、中学ではサイドハーフでプレーしていました。ドリブルを仕掛けたり、積極的にシュートを打ったり、自由にやってましたね。攻撃9、守備1ぐらいの感覚で。

——成績はどうでしたか?
差波 一つ上に柴崎岳さん(鹿島アントラーズ)がいて、僕が2年の時は全中(全国中学校サッカー大会)で準優勝しました。でも次の年は2回戦で、僕がオウンゴールして負けました(苦笑)。

——そのシーンを憶えていますか?
差波 憶えてます。高校の黒田(剛)監督は、青森山田の総監督なので、全国大会には来てくれるんです。その時も監督からセットプレーの守備の仕方、特にポジショニングなどを指導してもらっていました。でも試合終盤のセットプレーの守備で、暑くて水を飲みたくて、ゴールポストのところで水を飲んだんです。それでポジションに戻って顔を上げた瞬間にボールが飛んできて、自分の体に当たってゴールに入ってしまいました。監督の言うとおりのポジションにいたら防げたかもしれないですし、本当に悔しかったです。

——その後、高校でボランチにコンバートされました。
差波 高1の時に、正木(昌宣)コーチがボランチで使ってくれたのがきっかけです。最初は嫌でしたね(苦笑)。想像もしてなかったですし、真ん中なのでプレッシャーもキツいので。でも、やっていくうちに楽しくなってきました。

——すぐに慣れましたか?
差波 最初はどうプレーしていいか全くわからなかったです。何となくのイメージはありましたけど、ここで勝負できる自信はなかったですね。

——どうやって自分のポジションにしていったのですか?
差波 高1の時、高3に椎名伸志さん(松本山雅FC)がいて、高2に岳さんがいたので、練習で2人とマッチアップしながら、そのプレーを見て学んでいきました。1年の時に岳さんがけがした時は椎名さんと組ませてもらい、椎名さんがけがをした時は岳さんと組ませてもらえたのが大きかったですね。あの2人がいなかったらここまでできなかったと思いますし、自分にとって本当に貴重な経験でした。

——2人のすごいところは?
差波 椎名さんは体は大きくないんですけど、左利きで独特の感覚を持ってるんですよね。あの世代でキックと足元の技術は日本トップクラスだと思います。人への思いやりがすごくあって、でも厳しいこともちゃんと言う、素晴らしいキャプテンでした。岳さんはサッカーに必要な要素をすべて持ってる人だと思います。中学の頃からプロになると思ってましたし、人間性もプロにふさわしいと思います。オンとオフの切り替えがしっかりしていて、サッカーでは厳しいことも言われますけど、プライベートには持ちこまず普段は本当に優しい先輩です。

——高1の選手権で青森山田は準優勝しました。この大会でさっそく出場機会を得ましたね。
差波 といっても10分ぐらいなので。準々決勝の神村学園戦で4-0で勝っている場面で出させてもらいました。椎名さんがけが明けだったので、残り10分になって「お前行くか」って感じで。たった10分だったんですけど、自分的には雰囲気がなんか良くなくて、人生で一番長いと感じた10分間でしたね。

——2年生の時は、柴崎選手と1年間コンビを組みました。
差波 はい。でも、その年は3回戦で負けて、3年生の時も3回戦で負けました。2年の時は浜口孝太選手と樋口寛規選手(SC相模原)の“ダブルブルドーザー”を擁する滝二(滝川第二高等学校)に負けたのでよく憶えてます。

——その青森山田の練習で一番思い出に残っているのは?
差波 いつも練習が16時か17時に終わるんです。それだけ聞くと厳しい感じがしないんですけど、Bチームはグラウンドの使えるスペースが限られていて、Cチームはバスで移動して土のグラウンドで練習していました。環境的にあまり良くないので、みんな一番環境がいいAチームを目指して、それこそ死ぬ物狂いで練習していたので、毎日すごく疲れましたね。集中している分、あっという間なんですけど、終わった後の疲労はすごかったし、それが毎日だったので本当にキツかったです。

——雪の時は、どういう形で練習していたのですか?
差波 室内練習場がないんですよ。だから体育館をハンドボール部と半分半分で使ってました。雪がそれほどでない時は、みんなで雪かきして練習することもありましたけど、雪かきに時間がかかってミニゲームだけして終わることもありました(笑)。そんな感じなので、冬場は実戦的な練習があまりできなかったんです。

——青森山田ではどんなことを学べましたか?
差波 当時は結構生意気で、自己中なプレーに走ることも多かったんです。でも、黒田監督や正木コーチなどスタッフの方々の厳しい指導のおかげで、正しい道に引っ張ってもらいました。そういう人間性は成長したかなと思います。コーチ陣は今思うと厳しかったと思いますけど、愛のある厳しさだったんですよね。だから素直に言うことが聞けましたし、本当に感謝しています。

いち早く差波優人という存在を覚えてもらいたい

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——高校時代までエリートコースを歩んできたように思います。その頃はプロに行くことを考えなかったんですか?
差波 プロになりたいという漠然とした気持ちはありましたけど、目標までを逆算して考えると今のままでは無理だなって。ただ大学に行くことも全く考えてなかったのでどうしようって(苦笑)。

——プロから誘いは?
差波 J2の2つのクラブから練習参加に誘っていただいたんですけど、サッカー部の遠征などで行くタイミングがなかったんです。そうこうしているうちに……。

——では、どういうきっかけで明治大学に行くことになったんですか?
差波 2年の時から話をもらっていて、青森山田から明治に行く選手が結構いたので、大学なら明治、というのは思っていました。椎名さんを追いかけて流経(流通経済大学)も考えたんですけど。結局、3年の夏に明治のセレクションがあって、そこで行くことを決めました。

——大学サッカーにはどういう印象を持ちましたか?
差波 予想以上にフィジカルを重視するなと思いました。特に明治には特有の3原則(球際、切り替え、運動量)があるので、これまでのサッカーとは“真逆”のところに来てしまったなと(苦笑)。

——ボランチを経験して守備も上達したのでは?
差波 ボランチでも攻撃8、守備2ぐらいだったので(苦笑)。明治ではまず守備が求められていて、それができないと試合に出られないので、とにかく守備を磨こうと思いました。でも最初は試合に出られないんじゃないかって不安もありました。

——高校時代のチームとのギャップを感じたようですね。
差波 サッカーに対する熱意は変わらないんですけど、青森山田は戦術を重視するのに対して、明治はまずフィジカル、対人なんです。最初はものすごいギャップを感じましたね。でもその要素が、今までの自分に足りなかったものと考えるようになって、成長できたと思いますし、違う環境でいろいろなサッカーを学べて運が良かったなと思います。

——1年目から結果を残せましたか?
差波 うーん、やれる自信はあったんですけど、最初は戦う姿勢や守備を求められる中で、チームの構想に入れていなかったかなと。自信があっただけに悩みましたね。でも2年になって、1年間培ってきたものを出せるようになってきたのでそこは良かったです。1年の時の苦しみがあって成長できたんだと思います。

——大学時代の一番の思い出は?
差波 朝6時からの練習ですね(苦笑)。神川(明彦/明治大総監督、来シーズンからグルージャ盛岡を指揮)さんの作った伝統で、朝6時からバチバチやるチームはないですし、明治だからこそできる練習だと思います。これが自分たちの自信にもつながりましたし、チームの結束にもつながったんじゃないかなと。

——では一番記憶に残っている試合は?
差波 最近だからというのもありますけど、専修との試合(後期リーグ第21節)は強く印象に残ってますね。自分のゴールで試合を決めるということは今までなかったですし、決めた時間帯や、ミドルシュートで決めるのも全く想像していなかったので。ポジションや役割も、アシストとかその前段階の仕事が多いので、決めた時も何か変な感じがしました(笑)。

——大学4年間で特に伸びた部分は?
差波 根本的な部分ですね。さっき言ったような戦う姿勢や守備の意識というのを、明治で身につけることができました。

——来シーズンからベガルタ仙台でプレーします。クラブからのファーストコンタクトはどういう形で来たのですか?
差波 夏に練習参加の話をいただいて、2日間練習に参加しました。仙台は元々自分のことを見ていてくれたそうですが、声をかけてもらったのはこの時が初めてです。その後、正式にオファーをいただいて加入することになりました。

——他のクラブからオファーはなかったんですか?
差波 もう1つ、練習参加の話をいただいて、そこにも興味はあったんですけど、仙台の方により魅力を感じたので。

——魅力を感じた部分は?
差波 守備から入るというコンセプトは明治に似ていると思いますし、いち早く書面で正式なオファーをいただいて熱意を感じました。

——進路について誰かに相談はしましたか?
差波 練習参加の話をもらった時に(藤本)佳希(明治大、ファジアーノ岡山への加入が内定)にしました。佳希も岡山から話をもらった時に、自分に相談してくれたので。

——練習参加してみて、クラブの印象は?
差波 アットホームなクラブですね。選手だけじゃなくスタッフ、強化部の方なども含めて一つにまとまってる感じがしました。僕が緊張している中で、いろいろな方が声をかけてくれて本当にありがたかったですし、うれしかったです。

——最後に今後の目標をお願いします。
差波 大卒は即戦力ですし、いち早く差波優人という存在をチームやファン、仙台の方々に覚えてもらいたいです。仙台にも明治とは違った戦術やコンセプトがあって、求められる役割もありますが、その中で自分のプレーを出してチームに貢献したいと思っています。