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G大阪加入を決めた大学ナンバーワンFW呉屋大翔、目標は「Jリーグで得点王」

2016.01.23

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写真=平柳麻衣

 Jクラブユースへの昇格を逃し、巻き返しを誓って入学した流通経済大学付属柏高校では、レギュラーに定着することさえできなかった。しかし、関西学院大学で出場機会を得ると、秘めていた得点能力が開花し、4年間の公式戦で挙げた得点は155点に上った。瞬く間に大学サッカー界に名を知らしめた呉屋大翔は、Jリーグ屈指の攻撃陣をそろえるガンバ大阪への加入を決断。不屈の精神で厳しいレギュラー争いに挑む。

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あの時の悔しさは、一生忘れられない

――関西出身ですが、高校は関東の流経大柏に進学しました。その理由は?
呉屋 中学時代はヴィッセル神戸ジュニアユースに所属していて、まずはユースに上がることを目標にやっていました。でも、結局上がれなかったことが本当に悔しくて、ヴィッセルより強いチームに行きたいと思ったんです。当時の流経は大前元紀(現清水エスパルス)さんたちの代で、高校3冠を達成したりとめちゃくちゃ強かったし、誰も自分のことを知らないところでサッカーをやりたいと思ったので、親にはかなり反対されましたけど、流経に行きました。

――見知らぬ土地に行くことに不安はなかったのですか?
呉屋 最初は不安より楽しみな気持ちの方が大きかったんですけど、実際に行ったら、上下関係とかがキツくて苦労しました。

――高校時代で一番記憶に残っていることは?
呉屋 一番印象に残っているのは、最後の選手権(全国高校サッカー選手権大会)予選です。決勝で市船(市立船橋高校)に0ー1で負けたんですけど、大会をとおして1分も試合に出られなくて、最後もベンチで試合終了を迎えました。試合にも出られずに終わったあの時の悔しさは、一生忘れられないくらい記憶に残っています。

――高校時代はなかなか出場機会に恵まれませんでした。
呉屋 そうですね。1、2年生の時は全く出られなくて、3年生ではインターハイに少し出たんですけど、ほとんど途中交代でした。

――そのような形で高校3年間を終えて、大学でもサッカーを続ける原動力となったものは何だったのですか?
呉屋 最後の年にチームが選手権に出られず、自分自身も出場できなかったので、ホンマに悔しいまま高校サッカーが終わってしまいました。だから、全く達成感がなかったですし、大学でサッカーを続けることには何の迷いもなかったです。

――その後、関西学院大に進学しましたが、関西に戻ってくるように両親から言われていたそうですね。
呉屋 親からはそう言われていましたけど、実は、本田(裕一郎)監督の勧めもあり、流経大も選択肢として考えていました。でも、高3の夏に関学のセレクションを受けに行って、スポーツ推薦の話をもらい、迷った末に関学に行くと自分で決めました。

――関学に来た当初の印象は?
呉屋 最初は練習が2時間以内に終わることにビックリしました。流経がキツすぎたので、ホンマに「こんなに楽でいいのかな」と思うくらい楽だったんです。でも、慣れてきたら、関学の練習は大学の中ではキツい方だとわかりました(笑)。

――関学でレギュラーになったのはいつ頃からですか?
呉屋 1年生の前期リーグ戦から途中交代で出させてもらい、後期からレギュラーになりました。

――関西リーグでは2年生から3年連続で得点王を獲得しました。率直にお聞きしますが、なぜそれほど得点が取れるのですか?
呉屋 関学はみんなレベルが高くて、いいパスをくれるので、周りの選手のおかげです。

――ゴールを取るために意識していることはありますか?
呉屋 僕はいいパスをもらえないと点が取れない選手なので、周りとうまく合わせないといけないと思っています。だから、常に練習中も試合中も、サイドの選手には「こういうクロスがほしい」、中盤の選手には「こういうタイミングでパスを出してほしい」と声をかけています。そうやって周りとコミュニケーションを取ることが自分にとっては一番大事だと思っているので、それは今後プロに入ってもこだわって続けていきたいと思っています。

――大学に入って、高校時代と比べて変わったところは?
呉屋 プレースタイルはそれほど変わってないですけど、大学で試合に出られるようになり、点を取りだしてからは気持ちに余裕が出てきて、いろいろなことを考えたり、周りを見ながらサッカーができるようになりました。やっぱり自信がついたからこそ僕のプレーは伸びたと思うし、一番成長したのは気持ちの部分ですね。大学に入る前は正直、ここまでの成績が残せるとは全く思っていませんでした。

――高校時代はメンタル面で苦労したのですか?
呉屋 高校の時はとにかく練習がキツかったので、“やらされている”感じでした。さらに、自分は試合に全然出られなかったので、自分が出るため、自分が活躍するためだけに練習していたと思います。それも大事だとは思いますけど、それだけに3年間を費やしていて、結局出られずに終わって。大学では、特に4回生になってから周りのことにも目を向けてサッカーができるようになったので、選手としてだけでなく、人間としても成長できたと思います。

――失点後にチームメートを鼓舞する姿も見ます。
呉屋 それも以前は全然やっていませんでした。本当に自分が点を取れればいいと思っていたんです。でも、4回生で副将になってからは、主将のリク(井筒陸也/2016シーズン、徳島ヴォルティス加入)と一緒に意識してやるようになりました。

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よりレベルの高いところでやりたいという欲が勝った

――ご自身のプレーにおいて、どこが一番の強みですか?
呉屋 動きだしです。周りの選手より一歩速く準備をして、ゴールに向かえることは強みだと思っています。

――昔からプレースタイルやポジションは変わらないのですか?
呉屋 ポジションは小学生の頃からずっとFWで、プレースタイルもずっと変わっていないと周りからよく言われます。でも、細かい部分によりこだわるようになったのは、大学に入ってからです。点が取れるようになったら、相手のマークも厳しくなってきたので、その中でどうやってゴールを取ればいいのかと考えて、準備や動きだし、そして結果にこだわるようになりました。それは昔から持っていたものというより、自分でがんばって学んで身につけたことだと思います。

――先日のインカレ(全日本大学サッカー選手権大会)準々決勝では、前年度の決勝で「何もできなかった」と完封された流経大を相手に、初ゴールを決めました(取材は2015年12月中旬に実施)。
呉屋 前半は相手の思うようにやられて、去年のインカレと同じような感じだったんですけど、後半は攻撃のパターンも作れましたし、去年よりはうまくマークを外して自由に動けたと思います。今シーズン、関西リーグでもセンターバックの2人にガッツリとマークされることは少なくなかったので、試合の中でワンチャンスを逃さないことを意識してやってきました。結果的に、流経からチームとして初得点も取れましたし、成果は出たと思います。

――逆に、自身のプレーで変えなければいけないと感じている部分は?
呉屋 挙げたらキリがないですけど、一番は狭いスペースでも正確にプレーすることです。そういう細かい部分がまだまだ苦手で、ガンバの練習に参加した時も、狭いエリアでタッチ制限があるゲーム練習では、何もできずに終わってしまったので、プロではそこを大事にやっていきたいです。

――憧れている選手はいますか?
呉屋 好きな選手は(フィリッポ)インザーギ(元イタリア代表)で、プレー動画でクロスへの入り方などをめちゃくちゃ見ます。

――海外サッカーはよく見るのですか?
呉屋 ゴール集はよく見ます。海外よりもJリーグの方がよく見ますね。テレビで放送している試合を見る程度なんですけど、周りの人と比べたらよく見ている方だと思います。

――国内で参考にしている選手はいますか?
呉屋 あまりいないですね。しっくりくる選手というか、自分と重なって見える選手がなかなかいないんです。

――卒業後はG大阪に加入しますが、その他のクラブからもオファーはあったのですか?
呉屋 最終的にオファーを頂いたのは、ガンバを含めて3クラブでした。

――その中でG大阪に決めた理由は?
呉屋 プロのチームは練習をダラダラやっていたり、結構手を抜いているイメージがあったんですけど、ガンバの練習に参加した時に、ベテランも含めて全員が激しく、全力でバチバチやっていたので、こういう環境でやりたいなと思ったからです。あとは、自分がもっとうまくならないと、ここでは試合に出られないと感じたから。自分の力を一番引きだしてくれるのはこのチームだなと感じたので、賭けだとは思いますけど、最終的にガンバを選びました。

――G大阪の選手層の厚さはJリーグの中でもトップレベルですしね。
呉屋 大卒なので、やっぱり周りからはすぐに試合に出られるチームに行った方がいいと言われたんですけど、よりレベルの高いところでやりたいという欲が勝ちました。

――加入後のイメージはしていますか?
呉屋 イメージはまだ全然できないですけど、開幕前のキャンプが勝負だと思っています。新スタジアムもできますし、選手も少しは入れ替わると思うので、横一線で見てもらえる最初のうちに、どれだけアピールできるかが大事ですね。

――練習参加した時にある程度、手応えなどは感じましたか?
呉屋 いや、正直全く手応えはなかったです。1タッチや2タッチの練習ばかりで、みんなめちゃくちゃうまくて全然ボールに触れなかったので、これはヤバいなと思いました(苦笑)。

――特に相談に乗ってもらった選手はいますか?
呉屋 大学の先輩の阿部(浩之)君に一番話を聞いてもらいました。僕がまだ進路を迷っていた時だったので、練習が終わった後に一緒にご飯に行ってもらって。阿部君も結構悩んだけど、結局はレベルが高いところでやりたい気持ちが勝ったから来たと言っていて、参考になりました。

――G大阪というチームに対してはどんなイメージを持っていますか?
呉屋 攻撃的なチームで、足元の技術が優れている選手が多い印象です。僕はあまり足元が得意なタイプではないのですが、そういうチームに入れば、逆に他の選手とは違う良さを出せると思っているので、楽しみです。

――関学も攻撃的なチームですが、チームのスタイルも進路を決める際に意識しましたか?
呉屋 多少はありますけど、サッカーの内容よりもチームの雰囲気を重視していました。サッカーのスタイルはどのチームも変わることはあるし、うまい選手だったらどのスタイルでもやれると思うので。

――ジュニアユースからユース、トップへと昇格はできませんでしたが、結果的にプロ選手になれたことについて、どう思っていますか?
呉屋 回り道にはなりましたけど、もし、そのままユースに上がっていたらプロにはなれなかったと思います。高校で本田監督、大学で成山(一郎)監督に出会って、サッカーもサッカー以外の部分も、2人が僕を変えてくれたおかげです。

――今後の目標は?
呉屋 ガンバはFWに外国人選手が多いし、レギュラー争いが過激だということはわかっています。それでも1年目からしっかり自分を出していかないと、その後のサッカー人生が続かないという覚悟を持ってやるので、1年目から出場機会を得たいです。そして、いつかJリーグで得点王を取ることが今の一番の目標です。

――日本代表や海外移籍について考えたりしますか?
呉屋 今はJリーグのことだけを考えています。とにかく試合に出ることと、点を取ることだけにこだわって、あまり先のことを考えずに必死にやりたいと思います。

By 平柳麻衣

静岡を拠点に活動するフリーライター。清水エスパルスを中心に、高校・大学サッカーまで幅広く取材。

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