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高校サッカーアンバサダーが語る「初めて担当したのが75回大会、奇しくも母校國學院久我山の東京決勝」/前編

2016.01.22

今年94回を迎えた全国高校サッカー選手権大会。日本テレビグループ高校サッカー担当として18年間選手達の汗と涙を見つめ続け、現在は「高校サッカーアンバサダー」という立場として、部活動ならではのスポーツの価値を提唱するのが澤田勝徳(さわだ・かつのり)氏だ。毎年数々のドラマを生み出す高校サッカーの現場で仕事をすることの醍醐味、印象に残るワンシーン、スポーツ業界で求められる要素などについて話を伺った。

インタビュー・文・写真=波多野友子

――高校サッカーアンバサダーとして活躍されている澤田さんですが、ご自身とサッカーとの出会いについて教えてください。

澤田勝徳 私の祖父は元陸上の日本記録保持者で、1924年(大正13年)パリオリンピック日本選手団監督も務めたほどのスポーツ選手でした。毎年クリスマスにはオリンピアンたちが集うパーティーに私も出席させてもらったり、家のタンスを開ければオリンピック選手団の公式ジャケットや勲章などが溢れていたりするような家庭だったんです。ですから澤田家の男子はスポーツをするのが当たり前で、幼稚園の頃から祖父に走り方の英才教育を受けていました。小学校に入ってすぐ友人に誘われて、地元の世田谷サッカークラブに所属するようになったのがサッカーとの出会いでした。

――アスリートとして活躍するための一流の環境が整っていたのですね。小学校、中学校ではサッカー部を経て、高校では強豪の國學院久我山へ入学されたそうですね。

澤田勝徳 中学1年生まで部活と並行してサッカークラブにも所属していたのですが、そのクラブの恩師が久我山の監督に就任したんです。当時私は別の高校への進学を考えていたのですが、中学3年生で出場した都大会でスカウティングに来ていた恩師と再会を果たして……。誘われるまま久我山のセレクションに参加したことが、入学のきっかけになりました。当時の久我山サッカー部は、今のように不動の強さを誇っていた訳ではありませんでしたが、これから強くなっていくだろうという可能性が見え、周囲からの薦めも大きかったですね。

――久我山高校サッカー部での部活体験は、澤田さんにとってどんなものでしたか?

澤田勝徳 久我山といえば「文武両道」というイメージが強いと思いますが、当時から変わりませんでしたね。成績のキープはもちろんのこと、校則をしっかり守ることが義務とされていたので、学ランのホックは一番上まで留め、学生鞄のファスナーは必ず全部閉めるのが当たり前といった具合でした。部活に関しても練習時間はとてもコンパクトに制限されていて、朝練は禁止ですし、部活も18時きっかりで終了。18時15分には完全下校しなくてはなりませんでした。今でこそ短い練習時間の「短期集中型」を強みとしている久我山ですが、私たちの代ではなかなかそれがいい方向に表れなかったですね。練習量の少なさが意識の低さに繋がってしまい、結果を残せずに引退することになりました。それが心残りで、私はまだサッカーを続けているのかもしれません。

――その後進学した國學院大学では、社会人リーグに所属しながらも幅広くスポーツを楽しんだと聞きました。

澤田勝徳 大学では視野を広げたいという気持ちもあって、サッカー部には所属しませんでした。社会人リーグに所属しながら、冬場はスキーに熱中していましたね。当時Jリーグが開幕したばかりだったのですが、どこか斜に構えて見ている自分もいました。久我山でレベルが高く、最先端の戦術を教わってきたという自負があったのでしょうね。精度の低いロングパスを見ては「違うな!」」なんて思ったり(苦笑)。
とは言えプロで活躍できる実力もなく、就活を前にプレーヤーとしての思いに区切りをつけようと、落ちるのを承知で当時日本リーグ所属チームのセレクションを受けに行き、案の定落ちてしまいました。その後就職活動ではスポーツメーカーやフィットネスクラブ、健康器具メーカーなどの面接を受け内定は取り付けたものの何かしっくりこず、結局就職浪人をすることに決めました。結局自分はサッカーに関わりたかったんですよね。

――詳しくは講義で伺いますが、その後サッカー業界との運命的な出会いを経て、1996年に日本テレビサービスへ就職されました。具体的にはどんな仕事に携わったのでしょうか。

澤田勝徳 入社してすぐに、高校サッカーの運営に携わりました。初めて担当したのが75回大会、奇しくも母校國學院久我山の東京決勝だったんです。全国大会初進出を決めて恩師が優勝インタビューを受ける後ろで、まだADだった私は複雑な気持ちを抱えて式典の準備に追われていました。母校が東京代表になった嬉しさ、ちょっとしたジェラシー、監督への想い……。今でも忘れられない思い出です。結局高校サッカーの運営は、思い出が沢山詰まった国立競技場とともに一区切りつけようと決め、2014年でプロデューサーの卒業を決めました。18年間の在任中、異動で一時的に担当を外れることがあっても、その部署で自分なりに高校サッカーにかかわれる仕事をつくってしまうくらいどっぷりと浸っていました。

後編:高校サッカーアンバサダーが語る「高校サッカーの魅力と仕事をする上で大切なこと」

高校サッカーアンバサダー(元日本テレビスポーツ局プロデューサー)
澤田 勝徳(さわだ かつのり)

1971年 4月9日生
1994年 國學院大学卒業
※國學院久我山高校サッカー部OB
1994年 株式会社コンセイトZ 入社
※ジーコのマネジメント担当
1996年 株式会社日本テレビサービス 入社
※高校サッカー事務局、コンテンツ営業部など
2005年 同 事業部副部長
2007年 株式会社日テレイベンツ スポーツ事業部次長
2008年 日本テレビ放送網株式会社 スポーツ事業プロデューサー
※高校サッカー大会実行委員、事務局次長。他スポーツイベントのプロデュースなど
2014年 株式会社日本テレビサービス ファンド事業部長 事業開発部(兼)経営企画マネジャー
※新規コンテンツ開発、事業展開プランニングなど
    (日本テレビグループ)コミーゴ株式会社 取締役
 ※関東プリンスリーグ、東京Tリーグの運営など

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