2011.11.10

カルチョ・スキャンダルの“黒幕”が独白「インテルは暗黒期に戻ってしまった」

 ルチアーノ・モッジの名前は、カルチョ・スキャンダルの首謀者として毎日のように新聞紙上を賑わせている。だが、ここでは彼に別のテーマについて語ってもらおう。イタリアサッカー復権を成し遂げるためには、モッジのような辣腕マネージャーの手腕が必要なのは間違いない。もちろん、その善悪は別として、ではあるが。


Text by Nicola CALZARETTA, Translation by Minato TAKAYAMA

「2011年夏のメルカートで最もうまくやったのはミランだ」

 チーム作りが成功したかどうか、それはシーズンがある程度進まなければ判断しようがない。結局のところ、すべてはピッチ上で決まる。それがカルチョというスポーツだ。ただ、利口に振る舞ったか、その逆だったかの判断はこの時点でもできる。2011年夏のメルカートで最もうまくやったのはミランだ。まずはその理由を説明しよう。

 チームを作る上でまず重要なのは、チームがどんな補強を必要としているかを見極めることだ。簡単なように思うだろうが、それができないクラブはいくらでもある。その点、今年のミランは極めて合理的に、過不足なく手を打った。ガッリアーニとブライダには、スクデットを奪還したことで精神的に余裕があったのかもしれないな。ミランはチーム内の力学を保ちながら、選手層を強化すればよかった。ビッグネームの獲得はなかったが、不必要なリスクを抱える愚を犯さなかったと見るべきだ。

 ミランに続くのがナポリだ。こちらもビッグネームの獲得はなかったが、マッツァーリやハムシク、ラベッシといった主力を引き抜こうとするライバルの揺さぶりに動揺することなく、チームの根幹を成す人間をキープした。これはデ・ラウレンティス会長の勝利であり、ビゴンSDの勝利でもある。

 他のビッグクラブは下手を打った。インテルは、いやモラッティは、2000年前後の暗黒期に戻ってしまったようだ。レオナルドに逃げられ、エトオに逃げられ、どうしていいのか分からなくなったのだろう。昨シーズン終盤の時点でモラッティが描いていた2011-12シーズンのチームは、今のチームとは全く違ったものだったはず。モラッティは今、どこで道を間違えたのか分からず呆然としているんだろうな。

 ローマは何をやりたいのかがはっきりしないまま動き、それが大きなマイナスとなった。戦力はアップしたが、チームとしての形がまるで見えない。派手なだけで実体のないチームだ。トッティとルイス・エンリケが衝突することなど誰にでも想像できたはず。ところが、知れきった衝突の後に慌てて右往左往している。ボリエッロの処遇にしても同じだ。会長は素人でもいい。だが、実際に働いている者がそうであってはならないはずなんだがね。

 ユーヴェについては改めて言うようなことはない。これまでと同じような補強をまたやっただけだ。その結果は、ここ数年と変わらないだろう。つまり、何も手にすることはないということさ。それなりの選手は獲得した。だが、違いを示すことができるフオリクラッセは来なかった。そして、自分がチームのプロジェクトに入っていないことを認識している選手がたくさんいる。これが今のユーヴェの姿だよ。

 言っておくが、俺は一度も失敗をしなかった。獲得に動いた選手はすべて手に入れた。俺が獲得に動かなかったのは、その選手にそれだけの価値がなかったということだ。資金難を言い訳にするのも間違っている。金なんかなくても、チーム強化は何とでもなるものさ。本当に良い選手を見いだす目があればいい。俺はいつも選手の人間性を重要視した。人間は金だけにこだわるわけじゃないんだから、そこを突けばいい。もちろん、金だけで解決できれば話は簡単だが、そうじゃない仕事のほうが面白いものだ。

「ジダンは正真正銘の怪物だった」

 人間を落とす、という仕事で具体的な例を挙げてみようか。すぐに思い浮かぶのはジュニオールとネドヴェドのことだ。ジュニオールを獲得したのは1984年のことで、俺はトリノのGMだった。ジュニオールのことはすぐに気に入ったよ。セレソンでは左サイドバック、フラメンゴではレジスタをやっていた。カリスマ性と不屈の精神力、そして抜群のテクニックを持っていた。まさにトリノにうってつけの存在だった。

 会長にリオ・デ・ジャネイロ行きのファーストクラスの航空券を頼んだら、「ファーストクラスで旅をするのはローマ法王かアンドレオッティ(合計7期にわたり首相を務めた政治家)だけだ」と断られたのを覚えているよ。ファーストクラスを望んだのはマスコミに知られたくなかったからなんだがね。フラメンゴとの交渉はスムーズに行った。だがジュニオールは「プライアから離れたくない」と繰り返すばかりで話にならない。女性の名前だと思っていたんだが、ポルトガル語でビーチという意味だった。当時の俺は、リオの人間がどれだけビーチに執着するかを知らなかったのさ(笑)。何とか説得してトリノに連れて来たよ。いつもギターを持っていて、インディアンのボスみたいだったな。

 ネドヴェドの獲得には条件があった。ジダンの放出を先に決めるということだ。ジダンは俺の仕事の中でも最大のヒットでね。96年のUEFAカップで、ボルドーはミランを撃破した。若き日のジダンのプレーに驚いたものさ。ラッキーだったのは、先にボルドーに接触していたミランが、ジダンではなくデュガリーを獲得したことだ。ボルドーはデュガリーをミランに売り渡して大金を手に入れ、満腹になっていた。

 そこで俺は、ジダンの獲得交渉をわずか50億リラ(約3億円)でまとめたんだ。ユーヴェは最高の、ボルドーはまずまずの、そしてミランは最低のビジネスをしたのさ(笑)。

 まあ、ジダンほどの選手であっても、ユーヴェでのデビューは上出来とは言えなかった。最初は俺も焦ったよ。間違えて弟を連れて来たんじゃないかって、アッヴォカート(ジャンニ・アニェッリ元会長の愛称)から散々嫌味を言われたものさ。だが、最終的に俺の見立ては間違っていなかった。ジダンは正真正銘の怪物だったんだよ。

 そして01年夏、俺はジダンをレアル・マドリードに売った。ジダンの妻がスペインで暮らしたがっていたなんて言われているが、俺は知らん。戦力をキープしつつ、もっとフィジカルの強いチームへと、ユーヴェをバージョンアップすることが必要で、そのためには思い切った手を打たなければならないと感じていた。ジダンは30歳になろうとしていたし、レアル・マドリードのペレス会長はジダンに異常な執着心を燃やしていた。会長選挙を前にした彼は、ジダンを獲得してファンの票集めをしたかったんだ。ペレスは何度もナポリの俺の家にやって来たよ。俺はそのたびに値を100億リラ(約5億5000万円)ずつ上げ、1470億リラ(約81億円)に達した時点で手を打った。

 ネドヴェドの話が出てくるのはこれからだ。ジダンの代わりが務まるような選手を確保するまで、ジダン売却を成立させはしなかった。これはメルカートの鉄則だ。ジダンのマドリー移籍が発表されたら、ラツィオはネドヴェドの移籍金を3倍に引き上げただろう。だから、ジダンの移籍は合意しただけで公表せず、ラツィオと交渉した。ここでもクラブ間の合意はできたんだが、選手自身の説得に苦労してね。ネドヴェドはラツィアーレの絶対的なアイドルで、ファンを裏切りたくないと思っていた。それに、ローマ近郊の高級別荘地に買ったばかりの自宅に愛着を感じていた。そこで俺は、「せめて我々がトリノに用意した家を見に来てくれ」と誘った。「プライベートジェットを準備する。君がトリノに来るのは誰にも知られない。まずは我々の誠意を見て、それから移籍を検討してほしい」とね。

 ネドヴェドは「秘密を守る」という言葉に納得してくれた。まあ、そこまで漕ぎ付けるにも相当苦労したんだが、代理人のミーノ・ライオーラが「キャリアアップのためには移籍すべきだ」と説得してくれた。そしてネドヴェドはプライベートジェットに乗った。俺は知り合いの新聞記者やテレビ局に電話し、ネドヴェドがタラップを降りた瞬間、報道陣に囲まれるという状況を作った。実際、大騒ぎになったよ。既定事実ができてしまった以上、もう後ろには戻れない。まあ構わないだろう。俺のおかげでバロン・ドール受賞選手になれたんだからな!

◇モッジの最近の発言は?
・モッジ氏、ユーヴェのデル・ピエロ退団発表に苦言「相応しくない対応」

◇サッカー界からの永久追放処分
・八百長スキャンダルの元ユーヴェ幹部モッジ氏が永久追放処分

【浅野祐介@asasukeno】1976年生まれ。『STREET JACK』、『Men's JOKER』でファッション誌の編集を5年。その後、『WORLD SOCCER KING』の副編集長を経て、『SOCCER KING(@SoccerKingJP)』の編集長に就任。『SOCCER GAME KING』ではCover&Cover Interviewページを担当。