本田は100パーセントで試合に臨む選手
──まずは遠藤さんがミランに加入したきっかけから教えてください。
もともとは清水エスパルスで1994年から1年半プレーしていたマッサーロとの関係からです。医療グループのトップが変わるタイミングで、ミランに私を推薦してくれました。ザッケローニ監督の下でミランがスクデットを取った次のシーズンからなので、1999年のことですね。最初はプリマヴェーラ(ユースチーム)で、2003年にトップチームに入りました。
──どんな経緯でトップチームに昇格したのでしょうか?
ちょうどその頃、アンチェロッティの下にいたコーチが交通事故に遭い、プリマヴェーラの監督だったタッソッティが代役としてトップチームに上がったり、前十字靭帯を切ってリハビリ中のレドンドのような長期戦列離脱者が多数いて、トレーナーが足りなかったんです。そこで私が呼ばれました。雑用でも何でもよくやる人手が欲しかったんでしょうね。タッソッティとはそれからずっと一緒でした。
──奇しくもタッソッティがミランを離れたのと同時に、遠藤さんもミランを去ることになりました。
そうです。タッソッティからは「お前、いつも辞めるって言ってるけど本当か?」なんてよく言われてましたが、彼も一緒に辞めることになりました(笑)。
──その他、お世話になった人を挙げるとしたら?
補強の責任者だったミランのナンバースリーのブライダはすごく面倒を見てくれました。「調子はどうだ」といつも声をかけてくれて。私の子供がインターナショナルスクールに通うようになってお金が必要だと知ると、「その費用はクラブに出させよう」と掛け合ってくれたこともありました。
車を持っていなかった私に車を貸してくれましたのはカラーゼでした。ガットゥーゾが、カラーゼに「お前は何台も持ってるんだから、乗らない車を遠藤に貸してやれよ」なんて言ってくれて(笑)。また、私が入院した時にはカフーやセルジーニョがお見舞いに来てくれて。周りの患者さんがびっくりしていましたよ。カフーの奥さんの誕生パーティーに呼んでもらったり。やはりブラジル人は連帯感が強かったですね。
──ミランはブラジル人選手が伝統的に多くて、そこのコミュニティがうまくいってるんでしょうね。
そう思います。カフーを中心にすごく良い感じにまとまっていました。
──他の選手についても、遠藤さんの見た「素顔」を聞かせてください。
マルディーニはすごくオーラのある選手でした。仲の良いトレーナーが彼を担当していた関係で、私も彼のケアを手伝うようになりました。私が最初に遠征に帯同するようになったのは、テーピングをしっかり巻ける人が他にいなかったからなんですが、それから試合前の彼のテーピングはずっと私がやっていました。
インザーギは皆さんのイメージそのままの人です。マニアックですね(笑)。変なところにこだわるから点が取れるんでしょう。マルディーニはドンと構えて口数も少ないんですが、反対にインザーギはよく周りを笑わせる人でした。でも、インザーギはしゃべっている間にも常に相手の態度や会話の内容からいろいろなことを考え、相手の様子を伺い、駆け引きをしていましたよ。
ベッカムは優しい人です。ミランに来た時はもうベテランだったからか、落ち着いていました。試合の翌日にはよく練習場に子供を連れてきて、遊ばせていましたよ。ほのぼのとした人柄の、誰にでも優しい人でした。
──本田圭佑選手はどうでしょう?
真面目な選手です。練習にしても体のケアにしても、パフォーマンスを維持するためにあらゆることをして100パーセントのコンディションで試合に臨もうとしていました。
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