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【熊田喜則氏(INAC神戸レオネッサ監督)インタビュー後編】ミャンマー女子代表を率いた3年間…異国での挑戦を経て指導者としての集大成へ

2014.12.15

[写真]=清水英斗

ミャンマー女子代表を成功に導いたコミュニケーションの工夫とメンタル改革

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インタビュー・文・写真=清水英斗

「ピッタン」、「レピボ」、「ルチョンボー」。

 これらはファウル、スローイン、オフサイドを意味するビルマ語である。世界中で当たり前のように使われるサッカー用語が通じないミャンマーの地で、熊田喜則氏は2011年8月から2014年10月まで、3年以上に渡って同国の女子代表チームを指導した。

「ミャンマーの女子選手はポテンシャルが高いんです。技術があり、ドリブルバランスがあり、パスもうまい。数十年前の日本サッカーを見ているようでしたね」

 初めて彼女たちのプレーを見た時、熊田氏は日本人選手と似た要素を感じたそうだ。そして、その長所を生かした指導を行っていく。代表チームとはいえ、その活動はクラブチームに近い。月曜から金曜までは午前と午後の2部練習、土曜は午前練習と、毎日のトレーニングに明け暮れた。熊田氏の指導を受けて最も伸びた選手であるMFタン・タン・トゥエは、日本語新聞『YANGON PRESS』のインタビューに対し、次のように語っている。

「(熊田氏は)グラウンドでは怖い方ですが、全身全霊で私たちを指導してくれますので、それに応えられるように努力しています。特にパス、トライアングルというフォーメーションなどは本当に勉強になります。だから私たちも基本を全力でしっかりと学んでいます。尊敬できる監督ですね」

 熊田氏が海外での指導にスムーズに入ることができたのは、言葉の習得が苦にならなかったからだ。むしろ、楽しんでいると言ってもいい。その過程について、次のようなエピソードを教えてくれた。

「私は韓国で指導した時、“縦を切れ”という日本語をそのまま翻訳したんです。そうしたら韓国人の友達が、『韓国では“縦を切れ”じゃない。“前に立て”って言うんだ』と教えてくれました。それからミャンマーに来て、選手に『ボールの前に立て』ってビルマ語で言ったら、やってくれた。それで合っていたんですよ」

“切れ”というのは日本サッカー独特の表現だ。海外で直訳すると通じないが、このような表現例は世界中にもたくさんある。例えば、“背負った”という言葉。日本では、“相手が後ろから狙っているから気をつけろ”と注意を促す言葉だが、ブラジルやドイツでは違う表現を用いる。

「ブラジルでは“ラドロン”、ドイツでは“ヒンターマン”。どちらも泥棒という意味です。『泥棒だ、ボールを盗まれるぞ!』ってことなんですよ。私はそういう俗語みたいなものを作って、選手に言っていました。胸トラップ、胸ってなんだっけな……と思い、“ル・ノ”と言った。牛乳は“ノア・ノ”、牛の乳って意味だから、ル・ノは人の乳。そして『乳でトラップしろ!』って言ったら大笑いされました。でも、そういうのは覚えてくれるんです」

「あとは『お前みたいな練習をやらないやつを日本で何て言うか知っているか? “パイサンタッコーマー”って言うんだよ!』とかね。“パイサン”はお金で、“タッコー”は泥棒、“マー”は女。単語をつなげただけでも、それで通じました。『この給料泥棒!』ってね」

 このようにコミュニケーションを工夫する一方で、熊田氏は選手たちをトレーニングで徹底的に追い込んだ。そこにはミャンマーならではと言えるメンタル面の問題点も潜む。

「この国の人間は、ダダをこねれば誰かが助けてくれると思っているんです。最初に来た時なんか、練習がきついと選手がグラウンドで靴を脱いでしまう。『これ以上できません』って、プレーを放棄するんですよ。『だったら、お前もう出ていけ』と。そうやって何人も帰らせましたね」

 同じような話を、東南アジアではよく耳にする。ミャンマーに限った話ではない。しかし……。

「そのまま来なくなったら、来なくなったでいいんです。あいつらも生活がかかっていますしね。サッカーで給料をもらっているわけだから」

 ミャンマーの女子選手の場合、それぞれが国の省庁などに所属し、そのチームから代表に選出されている。サッカー協会と所属する省庁の両方から給料をもらうことになり、合わせると月3~4万円。宿代や食事代は無料だ。ミャンマー人の平均月収が1万円であることを考えると、立派な高給取りのプロ選手と言える。それだけに熊田氏も妥協はない。

「あいつらに一番最初に言いました。『自分たちの生活を変えよう』、『お母さんやお父さんに仕送りできるくらいの給料をもらおう』と。2011年にASEANで2位になって1人5万円もらい、次の年にはアジアカップ出場権を勝ち取って10万円もらった。SEA GAMEで銅メダルを取った時は200万円ぐらいもらいました。でもね、本当はそこで出しちゃいけないんですよ。出してしまうと、やらなくなってしまうから。この国の人はお金をもらわないと一生懸命にやらない。だから、お金に頼らずにハングリーさをどう付けさせるかにずっと取り組んできました」

「8対8などのゲームにおいても、負けたほうはダッシュ10本というペナルティがあります。“悔しい”という気持ちになるように、恨まれてもいいからやってみようと思ってやりました。ダッシュも途中でスピードが落ちたら、ピーッと笛を吹いて、もう一回戻す。そして終わったら、『最後にもう一回やれ』と言って戻す。『ちゃんとやれ』と。そうすると、しっかりとやるようになるんですよ。『あの監督は絶対にやらせるから、やるしかない』ってね。お金をもらわなくても悔しいとか、そういうふうに思いなさいと。自分たちはすごいというところを見せろと。そういうふうに作りたい。変えていかなきゃいけないんです」

 熊田氏とミャンマー女子代表は、様々な実績を残した。就任直後に行われた、東南アジアの覇権を巡るAFF女子選手権2011では、6年間勝っていなかったベトナムを破って準優勝。AFC U-19女子アジアカップ2013予選でも1次予選を勝ち上がると、2次予選でベトナム、プレーオフではタイを下し、U-19アジアカップ本戦出場権を獲得した。これらの実績が評価され、熊田氏は『ASEANサッカー女子最優秀監督賞』を受賞。その後、A代表もアジアカップ予選を勝ち抜き、さらに2013年に行われたASEAN SEA GAMES(東南アジア版のオリンピック)でも銅メダルに輝いている。ところが、越えられなかったのは、その先の壁だった。

異国の地で感じた限界…日本で指導者キャリアの集大成へ

 歴史を塗り替えたミャンマー女子代表だが、日本や韓国といったアジアの強豪を加えた本戦ではまったく歯が立たず、U-19女子アジアカップ2013、女子アジアカップ2014のどちらも大差での敗退となった。そしてミャンマーのスポーツ省は、仁川で行われた2014年アジア大会の出場を棄権。メダルの見込みがない女子サッカーを切り捨て、セパタクローの男女チームを派遣することに決めた(結果は男女共に金メダルを獲得)。

 2014年は公式戦そのものが少なく、女子のリーグ戦が整備されていないミャンマーにおいて、これまで以上の強化を望むことが難しくなった。3年の指導を終えた今、熊田氏は次のように自戒する。

「今考えると、最初に思っていたことを、もう少し柔軟に考えておくべきでしたね。ミャンマーの女子選手はすごくポテンシャルが高いし、パフォーマンスもそんなに悪くない。だけど、最初に直しておけばもっと違うサッカーができた。特に守備の部分を教えるのが難しくて、飛び込んでいっちゃうんですよ。飛び込んでいくのなら、絶対にボールを出させてはいけないし、裏を取られてはいけないんですが、それを何も考えないんです。自分の前の人しか見えていなくて、同一視野で両方の対象物を見ることができない。そういうところを、ちゃんとやっておくべきだったなと。それには言葉が足りなかった。通訳はいるけど、そこまで能力が高いわけではないですしね」

「できるという前提で、グループ戦術やチーム戦術から入ってしまった。もっと1対1や2対2など、ボールを動かしながら味方を見るとか、敵を見るとか、そういうところをやっておけば良かったです。ASEANでより世界に近い位置にいるのは、タイやベトナム。ミャンマーの場合は育成が悪いから下が育たないんですよ。だから、これ以上伸びないというのが分かってしまう。もう少し自分が若ければ、長い年月をかけて……とも思いますが、もう53歳。そうも言っていられないんです。指導者としての集大成を考えなきゃいけない時期なんですよ」

 短期間で、かつ個人ではどうにもならない限界をミャンマーに感じてしまった。2014年10月、熊田氏のINAC神戸レオネッサ就任が発表されたのは、そういうタイミングだった。

 今、熊田氏はミャンマーの地を去った。しかし、そこでの3年間は無為に過ぎ去ったわけではない。前述のミャンマー女子代表MFタン・タン・トゥエは、『YANGON PRESS』の「もし、選手を辞めたら?」という質問に対し、「コーチ(監督)になりたいです!」と無邪気に笑いながら夢を語ったそうだ。

 熊田氏は種を蒔いた。その種がいつの日か、ミャンマーサッカーの大木となることを祈って――。

インタビューの前編では、熊田氏が日本の育成年代についての問題点を指摘。

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