ATTENTION
2014.10.24

名門を救う待望の背番号7…ディ・マリアの歩みを振り返る

[ワールドサッカーキング11月号掲載]

かつて木炭を運んでいた少年は、献身的なサッカー選手へと成長を遂げた。新天地で与えられた背番号は数々の名手が背負ってきたクラブ伝統の7番。オールド・トラッフォードのファンはその姿に“キング”カントナをダブらせる。アンヘル・ディ・マリアの洗練されたテクニックと豊富な運動量は、“ルイ王”が起こそうとしている革命の引き金になるかもしれない。
Manchester United v Queens Park Rangers - Premier League
文=マーティン・マズール
翻訳=町田敦夫
写真=ゲッティ イメージズ

 プレミアリーグのQPR戦で、アンヘル・ディ・マリアが「最後の仕上げ」を繰り出したのは64分のことだった。ペナルティーボックスの反対側にいたロビン・ファン・ペルシーへ向け、左足のアウトサイドでチップキックのパスを出す。その並外れたスキルは6000万ポンド(約102億円)という市場価値を十分に証明するものだ。スタンドのファンは感嘆の声を漏らし、ベンチのルイ・ファン・ハール監督は例の気取った笑いをかみ殺した。

 ファン・ペルシーのボレーがGKロバート・グリーンの正面を突いたことは問題ではない。ディ・マリアの卓越したラストパスは、それ自体が称賛に値する。プレミアリーグ史上最高額の移籍金でマンチェスター・ユナイテッドに入団し、伝統の背番号7を背負った男が、ホームデビュー戦で早速見せたこの不敵ぶり。ファンはそこに今後への期待のみならず、栄光に満ちた過去を見た。つまり、その姿に「襟を立てたフランス人」をダブらせたのである。

 ディ・マリアは結局、この試合で1ゴール2アシストを記録。このところのユナイテッドの補強政策に批判的なガリー・ネヴィルも、テレビの解説者席でためらうことなくディ・マリアをマン・オブ・ザ・マッチに選出した。ネヴィルは「これこそが、この1年間のユナイテッドに欠けていたものだ」と、ディ・マリアの疲れを知らないランニングを称賛した。

 こうしてユナイテッドが今シーズン初めて勝ち点3を獲得した前夜、ディ・マリアの古巣レアル・マドリードは、旧敵アトレティコ・マドリードと対戦し、1-2で敗れていた。“白い巨人”が2年続けてホームのマドリード・ダービーを落とすのは史上初だ。ディ・マリアの後釜ハメス・ロドリゲスはひどく陰が薄かった。ディ・マリアがチームに与えていたエネルギー、昨シーズンのチャンピオンズリーグ(CL)決勝でアトレティコを葬り去ったエネルギーはもはや消えていた。

 この夏、アトレティコはジエゴ・コスタ、フィリペ・ルイス、更にはレンタルで借り受けていたティボー・クルトワと、3人もの選手をチェルシーに引き抜かれた。しかし勝利したダービーマッチを見る限り、戦力はそれほど落ちていないようだ。

 一方、ディ・マリアを放出したレアルの喪失感は埋め難い。「緩慢な中盤」という問題点が、マンチェスターからマドリードへそっくり移動した感がある。

 今やディ・マリアは世界で最もリッチな2つのクラブの間で噂の中心になっている。レアルのファンはなぜディ・マリアを放出したのかと嘆き、ユナイテッドのサポーターはディ・マリアとともにどれほどの偉業を成せるかを胸算用しているのである。

 マンチェスターにこのような楽観論が広がったのは、22年前に一人のフランス人がチームに加わって以来のことだ。アレックス・ファーガソンがリーズからエリック・カントナを獲得した1992年当時、ユナイテッドは苦境にあった。リーグ戦で8位に低迷し、2つのカップ戦からも既に敗退していたのだ。

 現在のユナイテッドも、昨シーズンのプレミアリーグで7位に終わり、今シーズンはリーグカップで何と3部のMKドンズに敗れている。彼らはファーガソンの勇退という現実に、いまだに対応できていないようだ。

 22年の時を経て、ユナイテッドは自信喪失という同じ問題に苦しんでいる。だからこそ、ディ・マリアのチップキックは大きな意味を持っていた。なぜならあれは、いかにもカントナがやってのけそうなプレーだったからだ。

医者の診察を機にサッカーを始める

 ディ・マリアが将来のスターへの道を歩み始めたのはわずか4歳の時。幼い頃のアンヘル(天使という意味)は小さな悪魔だった。休むことなく駆け回っては、いろいろなものを破壊する。その過剰なエネルギーでそのうち家を引き倒すのではないかと心配した母親は、彼を医者の下へ連れていった。

「この子に運動させなさい」と医者は言った。「これは運動過剰症だ。体を動かす必要がある」

 それでアンヘルは初めての自転車を与えられ、同時にサッカーも始めた。ディ・マリアのプレースタイルはその頃に生まれたものだ。レアルに加入した4年前に本人は語っている。「走って、走って、走り抜く。僕のサッカーはそれがすべてだ。それが僕の特長なのさ。僕が走るのをやめたら、そこで交替させられてしまうだろう」

 ディ・マリアは非常に慎ましい家で育った。「居間はダイニングと兼用で、隅に小さなキッチンがあった。僕は2人の姉妹と一緒の部屋で寝ていた。その後、父と祖父が居間の壁を壊し、僕用の部屋を建て増してくれたんだ」

 ディ・マリアはその部屋に小さな戸棚と14インチのテレビを置き、ロサリオ・セントラルのポスターを貼った。彼のアイドルはキリ・ゴンサレス。当時のアルゼンチン代表のウインガーであり、ロサリオ・セントラルの象徴、抜群の走力から「4つの肺を持つ」と言われた選手だ。

「ただ走るだけじゃない。彼はスピードを生かして、素晴らしいアシストを供給していた」と、ディ・マリアは振り返る。「僕はずっとキリに憧れていた。その彼とチームメートになって……そして怒られ続けたんだ」

 憧れの選手に罵倒されたらがっくり落ち込んでしまいそうだが、ディ・マリアは違った。「実際のところ、キリはいつも僕を気にかけてくれたよ。試合前に話しかけ、試合中に叱り、試合後には叱った理由をちゃんと説明してくれた。僕の成長を促してくれたのさ。怒鳴ったり、ミスを指摘したりしてね」

 キリ・ゴンサレスも今は笑顔でそうした「忠告」を振り返る。「一番おかしいのは、アンヘルがいまだに私をアイドルだと言うことだ。既に私を超えていることを分かっていない。今の彼を見てくれ。世界最高の選手の一人だし、タイトルを山ほど獲得した。セントラルの頃、周囲が口うるさかったのは、彼の素晴らしい潜在能力を見抜いていたからだ。ヨーロッパに渡ってからも、アンヘルはどの監督にも自分を使うよう納得させている。物静かで控えめな男だが、アルゼンチン代表でも不動のレギュラーだ。アルフィオ・バシーレ、セルヒオ・バティスタ、ディエゴ・マラドーナ、アレハンドロ・サベージャとタイプの異なる監督たちが、そろいもそろって『ディ・マリアは不可欠』と考えたんだよ」

 今やプレミアリーグ最高額の移籍金を動かすディ・マリアだが、地元クラブのエル・トリートからセントラルに移籍した時は、サッカーボール25個との交換だった。この慎ましやかな移籍は彼の暮らしぶりとも調和していた。

 ディ・マリア家の人々は自身が所有する木炭工場で働いていた。やせっぽちだったアンヘルも10キロ、20キロといった木炭の袋を日常的に配達していた。近隣の人々がアサド(アルゼンチン式の焼き肉)を調理するのに、その炭は欠かせなかったのだ。

 ラ・ペルドリエルと呼ばれるその界隈は、今もディ・マリアの心の中にある。いや、彼の腕にある、というべきだろうか。「ラ・ペルドリエルは僕のすべてだ。18歳の時、左腕にタトゥーを入れた」。そのタトゥーには「ラ・ペルドリエルで生まれたことは、人生で起きた最良のこと」と書かれている。

 彼と故郷とのつながりを示すタトゥーはそれ一つではない。一部リーグでプレーし始めるずっと前に、ディ・マリアは近所で育った6人の友人と一緒に、星印と漢字を左脚の裏に彫ったという。その6人はディ・マリアが用意したチャーター機で、ブラジルW杯の観戦に訪れている。

ディ・マリアの移籍に涙したマルセロ

 ロサリオ・セントラルからベンフィカに売却された時、ディ・マリアは信頼を勝ち取らなければならなかった。リスボンに着いた当初は冷遇され、スタメンの常連になるのに2年近くかかっている。しかし一度ポジションを獲得すると、たちまちクラブの中心選手になった。マドリードに移った時にも同じことが起こった。ディ・マリアは重要な新戦力とは見なされていなかったが、それは間違いだったと証明してみせた。

 ジネディーヌ・ジダン、デイヴィッド・ベッカム、クリスティアーノ・ロナウド、カリム・ベンゼマ、ギャレス・ベイルといった面々とは違い、ディ・マリアは「銀河系」レベルの選手として招かれたわけではなかった。移籍後に自らの力で「銀河系」の地位を得たのだ。ただしこのクラブで初めての「目立たない銀河系」だった。

 ディ・マリア本人も「契約の席にフロレンティーノ・ペレス会長はいなかった。契約更新の場にも現れなかった」と指摘する。“フィデオ”(ヌードル)というニックネームも、いかにもスター性を感じさせないものだった。

 ディ・マリアはマラドーナからジョゼ・モウリーニョに至る様々な監督から「アンタッチャブル」な存在とされ、ファン・ハールもユナイテッド再建のための最優先の駒と見ていた。ところがレアルは主として商業的な理由から今夏の話題をさらったJ・ロドリゲスを獲得し、代わりにディ・マリアを放出した。これはチームメートにとって痛恨の出来事だった。

 ディ・マリア放出直後にロナウドは語っている。「僕は僕なりのはっきりした意見を持っている。僕ならあんなことはしなかった。会長は、ああいう選手を取り、ああいう選手を出すことが、チームにとってベストだと考えているようだから、その決定を尊重するしかない。でも、ディ・マリアとシャビ・アロンソはとても重要な選手だった」

 ロナウドが怒りをにじませる一方、ブラジル人サイドバックのマルセロは、「素晴らしい選手であるだけでなく、兄弟にも等しい友人」を失って涙に暮れた。どちらも昨シーズンのディ・マリアの貢献、とりわけマン・オブ・ザ・マッチに輝いたCL決勝のパフォーマンスを考えれば当然の反応だろう。

 ディ・マリアの放出に憤慨したのはチームメートばかりではない。ファンも不満だった。8月に行われたスペイン・スーパーカップのアトレティコ戦で、ファンはディ・マリアへの愛情をはっきりと示している。移籍がほぼ決まっていたディ・マリアが77分に途中出場すると、スタンドで信じ難いことが起こった。

「アーーーンヘーーール!」

「アーーーンヘーーール!」

 満員のサンティアゴ・ベルナベウが総立ちで彼をピッチに迎えたのだ。実に意義深く、忘れ難い瞬間だった。このスタンディングオベージョンは、その数カ月前にラ・デシマ(10回目のCL制覇)をもたらしたディ・マリアに対する感謝の表れだった。

あらゆるクラブや監督の下で信頼を勝ち得てきたディ・マリアのベストポジションは? また、現在所属するマンチェスター・Uでの背番号「7」に対する思いとは? 記事全文はワールドサッカーキング11月号でチェック!

サイト人気記事ランキング