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[ROAD TO BRAZIL]衰退した国内リーグと希望をもたらした“英雄”…コートジボワールの光と影に迫る

2014.06.04

[サムライサッカーキング3月号掲載]

内戦の暗闇に希望の灯をともした“エレファンツ”と人気が凋落していった国内リーグ。その数奇なサッカー事情をリポートする。
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文=小川由紀子 写真=AFLO, Getty Images

経済不況がもたらした勢力図の変化

 コートジボワールにナショナルリーグが発足したのは1956年のことだ。中心都市アビジャンで行われていたリーグ戦を全国区に拡大させたもので、その4年後に同国がフランスから独立を果たすと、リーグ戦として本格的な活動が開始された。

 当時の名称は『スーパーディビジョン』。その後改称し、現在はかつての宗主国に倣って『Ligue1(リーグアン)』と呼ばれている。

 システムは秋春制で、シーズンによっては国際試合のスケジュールを考慮し、2グループに分けて上位3チームずつがプレーオフで優勝者を決定、という方式を取ることもある。今シーズンはホーム&アウェー方式で、優勝チームと準優勝チームがアフリカ・チャンピオンズリーグ、3、4位チームがCAFカップ出場権を獲得し、下位2チームがリーグ2へ降格となる。

 80年代~90年代には隆盛を極め、アビジャンでは3、4万人を収容するスタジアムが毎試合満員になった。

 2000年代に入ると市民戦争が勃発し、コートジボワールに暗黒の時代が訪れるのだが、その間も、試合が延期されたり、会場をより安全な場所に変更するといった処置がとられたことはあっても、リーグ戦は完全に休止することなく続けられてきた。

 主要チームは、アビジャンを起点とするASECミモザとアフリカ・スポールの2強だ。54年間のリーグ史の中で、この2チームが実に41回もの優勝をさらっている。

 とりわけ最強のミモザは、これまで24回優勝とダントツの成績を誇り、80年代後半から90年代前半にかけては108試合無敗という圧巻の記録を打ち立ててもいる。

 ミモザはまた、優秀な選手を輩出する育成所としても知られ、現在のコートジボワール代表でも、最古参メンバーのディディエ・ゾコラを筆頭に、ヤヤとコロのトゥーレ兄弟、ロマリック、ジェルヴィーニョら約7割がこのアカデミーの出身者だ。

 ところが最近になって、そのヒエラルキーに変化が起きている。

 南西部の港町サン・ペドロを拠点にするセヴェ・スポールが、一昨シーズン、アビジャンの2強を退けてリーグタイトルをさらうと、昨シーズンも連覇。今シーズンも現在首位に付けている。

 会長のユジェヌ・ディオマンデは、国内で“マジシャン”の異名を取るやり手のビジネスマンで、自身も若い頃に選手としてプレーした経験を持つサッカーフリーク。コートジボワールサッカー協会への入閣も狙っていると言われる野心家である。彼が参画した03年から、セヴェ・スポールはカップ戦で上位に進出するなど着々と力をつけ、ついにリーグの頂点に立ったのだ。

 また、05年に設立されたばかりの新勢力AFADジェカヌも、トップリーグに初参戦した10年にいきなり6位という好成績を収めると、11、12年と2シーズン続けて準優勝し、チャンピオンズリーグ参戦を果たした。今シーズンも現在3位と、2位のミモザを脅かす位置に付けている。

 AFADジェカヌは、元サッカー協会会長で、コートジボワールサッカーの父とも言われるジャック・アモウマ氏が立ち上げた育成アカデミーがプロクラブに発展したもので、育成部門も充実しているのが特徴だ。

 このような勢力図の変化が起きた大きな要因は、市民戦争が招いた経済不況にある。

 その影響は、これまで資金力に支えられてきたビッグクラブにこそ大きく響いた。かつては4万5000人もの観衆が詰めかけたミモザのフェリックス・ウフエ・ボワニスタジアムも、今は2000人ほどしか入らない。そのためチケット収入は激減。戦争の影響でテレビ放送も定着しなくなると、放映権料も見込めない。テレビへの露出や観客数が減少すれば、旨味がないからとスポンサーは次々に去っていく。となれば優秀な選手を手放さざるを得なくなり、魅力を失ったクラブからは、サポーターの足も更に遠のいていった。これがミモザやアフリカ・スポールが置かれている現状だ。

内戦で分裂した心を一つにした代表チーム

 もう一つは、代表チームの人気が国内リーグの存在を霞めてしまったことにある。コートジボワール代表、通称エレファンツのメンバーは、この国では“英雄”だ。

 代表戦があれば、スタジアムは満員の観衆で埋まり、スタンドはオレンジ色に染まる。中でもキャプテンのディディエ・ドログバは、まるでダライ・ラマか、ローマ法王かのように神格化され、彼が滞在するホテルには悩みを抱えた民衆が、一目会いたい、と長蛇の列を作る。

 アフリカ・ネーションズカップすら勝っていない無冠の現代表が、そこまで崇められるのには理由がある。

 近年の市民戦争で、傷付いた国民の心を癒し、分裂した国の統合を進めるきっかけになったのが、彼らエレファンツだったからだ。

 92年のアフリカ・ネーションズカップに一度優勝したのみで、メジャーなタイトルもなかった代表は、それまでは特に人気者というわけではなかった。しかし02年にドログバが代表デビューし、トゥーレ兄弟ら黄金世代が集結。その彼らが戦う姿は平和の象徴として崇められた。

 02年に勃発した南北の対立による第一次内戦は、フランス軍の介入もあっていったんは落ち着いた。しかしその後も不安定な情勢は続き、10年には大統領選挙をめぐって再び内戦が始まった。人々の平和な生活は荒らされ、何千人もの国民が命を落とした。

 名産のカカオの輸出などで、西アフリカ最大にまで成長していた経済力も一気に後退。治安は悪化し、食べるものもない。そんな希望を失った国民に、一縷の光を与えたのがサッカーだった。不穏な状況の中で行われた予選を勝ち抜き、コートジボワールは初めて、06年にワールドカップ出場という栄誉を手に入れた。代表メンバーは全員が海外組で、日々、内戦の苦難を味わっている身ではなかったが、ホーム戦で母国に集合するたびに、国民に「武器を捨てて、一つになろう」と呼びかけ続けた。

 また、07年のアフリカ・ネーションズカップ予選のマダガスカル戦で、ドログバらの働きかけにより、敵対する南北の指導者を一つの会場に臨席させたことは、内戦を収拾に向かわせるきっかけにもなった。以来、エレファンツは政治家以上のピースメーカーであり、ヒーローなのだ。

 サポーターにしてみれば、スター選手のいない自国リーグよりも、彼らエレファンツの面々が活躍している外国リーグの試合を衛星放送で見るほうがずっと面白い。彼らにとって魅力的なサッカーは、ヤヤ・トゥーレがいるプレミアリーグであり、ジェルヴィーニョが活躍するセリエAであり、ドログバやゾコラがいるトルコリーグなのだ。

 一方のナショナルリーグは、その戦争の影響で経営が悪化し、魅力を失った。市民戦争を機に、両者の立ち位置は完全に逆転してしまったというわけだ。

 しかし、フットボールが、この国で絶大な人気を誇るスポーツであることに変わりはない。

 今後の課題は、国内リーグに優秀な選手を定着させることだ。

 欧州の主要リーグでなくとも、自国より少しでも良い環境を求めて、東欧や北アフリカのリーグに選手がどんどん流出していってしまう。昨シーズンのリーグ得点王で、国内ナンバー1選手と言われたケビン・ズーゴーラも、ルーマニアへと去った。

 ナショナルリーグの運営自体は非常にしっかりしている、と現地記者は口を揃える。2年ほど前からは、アフリカサッカー連盟の指導の下、サッカー協会が練習場の規模や質、設備、選手たちのサラリーなど、プロクラブの運営状況をチェックするシートを作成し、管理強化に乗り出した。これについては、クラブごとに財政事情も大きく異なることから一概に管理するのは難しい、という声がフロント陣から挙がっているが、その重要性は各クラブも認めている。

 予算がないから良い選手が確保できず、魅力的なプレーヤーがいないから観衆は興味を失い、テレビ放映もなくなる。そしてスポンサーが去り、資金がなくなって選手を手放す、という悪いスパイラルはどこかで止めなくてはならない。

 これからコートジボワールが取り組んでいかねばならないのは、フットボール人気を代表チームだけで終わらせないための努力だ。

 既に30代のドログバやトゥーレ兄弟の引退は近い。

 彼ら英雄エレファンツが現役から退いた時が、コートジボワールサッカーの終わりではないのだから。

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