FOLLOW US

【プレイバックW杯】「ガーナ 歌と踊りとサッカーと」2010年 南アフリカ大会

2014.06.03

俺たちが愛したワールドカップ WORLD CUP CHRONICLE1986-2014」ワールドサッカーキング増刊 2014年6月号増刊(5月30日発売)
「ブラック・スターズ」ことガーナ代表にiPodは必要なかった。彼らにとって音楽は聴くものではなく、自分たちで作り出すものだった。サッカーも同じ。彼らは結束し、「アフリカの大会」を大いに楽しんだ。

緊張ではなく興奮が

 2010年7月1日、私はヨハネスブルグのパークトニアン・ホテルの1906号室にいた。男性の集団が大声で合唱する声が、数フロア上から聞こえている。その騒々しさは増すばかりだ。時計を見ると、23時を少し回ったところ。私はガーナ代表が宿泊する21階に向かった。

 エレベーターのドアが開くと、そこには声の限りに歌うガーナ代表選手の一団がいた。自分の部屋で聞く分には騒音でしかないが、実際に見てみるとあまりにも感動的で神聖な瞬間に立ち会ったように感じた。

 この出来事は、ある意味、W杯で躍進したガーナ代表を象徴していた。彼らは歌い、踊り、そしてサッカーを楽しんだ。常に前向きなスピリットを持ち、何も恐れなかった。明日の20時半には準々決勝のウルグアイ戦が始まるというのに、緊張はどこにもなかった。

 階下に降りると、ガーナ代表監督のミロヴァン・ライェヴァッツがビールを飲んでいた。「緊張なんて全くないね」と56歳のセルビア人監督は言う。

 彼らにとっては特別なW杯である。南アフリカ以外のアフリカ勢も、アフリカ初のW杯を「俺たちの大会」だと信じていた。他のアフリカ勢は、ホスト国の南アフリカも、最も実力があると見なされていたコートジボワールも、W杯での経験が豊富なカメルーンもナイジェリアも、グループリーグを勝ち抜けなかった。いまやガーナは、すべての同胞たちの注目を集めるアフリカ代表なのだ。そしてアフリカ勢として初めてW杯の準決勝に進出するという夢が、明日には実現しているかもしれない。ただ、そこに緊張はなく、興奮だけがあった。ドキュメンタリー番組の制作班の一員として、ガーナ代表が南アフリカに到着した時から密着している私は疲れ果てていた。ハラハラとドキドキの連続だったからだ。

オープンな代表チーム


 ガーナの挑戦は決して幸先の良いものではなかった。プレトリアのホテルに到着した時点で、選手たちは極めて不機嫌だった。滞在先のホテルは快適だったが、周囲には何もなく、彼らは着くなり時間を持て余した。「ホテルを変更してくれなければ、練習をボイコットする」という要求が選手から出たという怪情報が流れた。それが本当かどうかは分からないが、その24時間後には150キロ離れたサン・シティのホテルへと宿舎が変更になった。

 サン・シティはひなびたリゾート地で、ラスベガスにはほど遠いが、選手たちに自由を感じさせるには十分だった。ここに来てようやく選手たちは一息ついた様子で、ロビーのテーブル・サッカーで遊んだり、ファンと写真を撮ったり、警備員を連れずに何人かで連れ立って散歩したりした。

 アサモア・ギャンは言った。「アフリカの選手たちは厳しい規則が嫌いなんだ。自由を与えてくれる監督がいい。試合の2日前からは集中しなきゃいけないけど、それまでは好きにやらせてほしいんだ」

 しかし、ライェヴァッツ監督はただのお人好しではない。初戦のセルビア戦では2人のベテラン、アリ・サリー・ムンタリとスティーヴン・アッピアーがメンバーから外れた。不満気な態度を見せたムンタリは、続くオーストラリア戦でも終盤の13分しかプレーさせてもらえず、ロッカールームのトイレのドアを蹴飛ばした。1月のアフリカ・ネーションズカップでもムンタリを代表から外したライェヴァッツは、今回も彼を帰国させようとしたが、他のベテラン選手たちが監督に頼み込んだ。ムンタリ自身も涙ながらに謝罪し、結果的にチームに残ることになった。

 そんな光景もテレビカメラに収まっている。我々はW杯の参加32チームすべてにクルーを送り込んだが、ガーナほど快く受け入れてくれたチームはない。彼らのすべてがオープンだった。セルビア戦に1?0で勝利した後のロッカールームに、我々は招かれた。「リチャード・キングソンにバースデー・ソングを歌ってやるから一緒にどうだい?」というのが彼らの言い分だった。この大会の全試合でゴールを守るキングソンは、「なんでケーキが用意されてないんだ!」と不平を言いながらも、とても幸せそうだった。

 チームの注目選手だったギャンには何度もインタビューを申し込んだが、一度も断られなかった。「筋トレ中は撮影しないでくれ」と言う警備責任者をギャンがさえぎったこともある。「待ってくれ。こいつらは代表チームの一員なんだ。大会の最初からずっといるじゃないか。中に入れてやってくれ」

 監督のインタビューもたびたび行ったが、取材には全面的に協力してくれた。それどころか毎回ビールを飲ませてくれた。彼は決まってこう言った。「いいか、ビール代を払おうなんて考えるな。これは私に幸運をもたらすジンクスなんだ。だから私におごらせてくれ。いいね?」

真の意味でのチーム

 ガーナの選手たちは好き勝手にやっているように見えたが、私がこれまでに見たどんなチームよりも強固なチームスピリットを備えていた。練習に向かうバスの中で一緒に歌い、練習の前後に一緒に祈り、ピッチでは一緒になって戦った。ジョン・ペイントシルはチームの団結についてこう説明した。「チームにはキリスト教徒もいればイスラム教徒もいる。だけど、一緒に祈り、一緒に歌った。それがチームにとって大事だと分かっていたからだ。僕たちは真の意味でのチームだった」

 若さもまた彼らの武器だった。平均年齢24歳の彼らは、大会で最も若いチームであることを誇りにしていた。チームのうち5人は前年にエジプトで行われたU?20W杯の優勝メンバーだ。ガーナのベストプレーヤーであるマイケル・エッシェンがケガで大会を欠場したが、それも問題としなかった。アフリカ勢で唯一グループリーグを突破した秘訣を、ライェヴァッツ監督はこう語る。「新しい世代のプレーヤーを活用した唯一のチームだったからだ。他の国はベテランに頼ったが、私たちは実力が同じであれば若手を使った。若手とベテランがほどよくミックスされたチームだったんだ」

 ベスト16のアメリカ戦。試合前の両者は好対照だった。アメリカ代表がルステンブルクのロイヤル・バフォケン・スタジアムに着いた時、その場の雰囲気はピリピリしていた。グレーのスーツを着たCIA職員がうろつきながら無線を使ってヒソヒソと話し、通行人を片っ端から呼び止めて身元確認を行っていた。その間ずっと頭上にはヘリが飛んでいた。バスを降りる際の選手たちは下を向き、イヤホンをして、全員が自分の世界に深く入り込んでいた。緊張しているというより、不機嫌に見えた。

 しばらくしてガーナ代表のバスがやって来た。誰もiPodなんて持っていない。彼らにとって音楽は自分たちで作るものだ。ギャンはピッチ内だけでなく、ロッカールームのいたずらでも、移動時の歌でもリーダーシップを取っていた。アフリカのカウベル・リズムを取り、大声で歌いながら先導していく。何人かのチームメートが彼を囲み、祈りの歌を唱えながらロッカールームへと進んだ。アメリカ代表のキャンプにはビル・クリントンやミック・ジャガーが激励に訪れたが、アフリカ大陸すべてがガーナの味方だった。

 アメリカ戦は延長にもつれ込んだ。接戦になれば大陸すべてのサポートを受けたガーナが有利だった。決勝ゴールを挙げたギャンが言う。「カメルーンとセネガルに次いで、俺たちは準々決勝まで上り詰めたんだ。俺たちは今、世界で一番幸せ者だよ!」

 今回もまたロッカールームに誘われたが、警備担当者と相談してシャワーと着替えが終わるまで待つことにした。選手たちは気にしなかったが、彼らは全裸で踊り狂っていたし、我々にはテレビカメラがあった。大声で歌が始まる。この頃には、我々の足も勝手にリズムを取るようになっていた。

人生最悪の出来事

 準々決勝のウルグアイ戦、勝利は手中にあった。あとは握り締めるだけだったものが、手のひらからこぼれ落ちた。1?1で迎えた延長後半のロスタイム。右サイドのFKからゴール前での混戦となる。押し込んだと思ったシュートは、相手FWルイス・スアレスに手でかき出された。当然ながらスアレスは一発退場、そしてガーナにはPKが与えられる。決めれば勝ち越し、ベスト4進出を決めるビッグチャンス。ところがギャンが蹴ったボールはバーを直撃して枠を外れた。

 意気消沈するガーナと、喜びを爆発させるウルグアイ。この時点で、数分後に訪れるPK戦の勝者は決まったようなものだった。ガーナ代表の選手たちは、ヨハネスブルグのサッカー・シティのピッチを涙の洪水とともに後にした。

 大会を通じて、彼らが我々に対して口を開きたがらなかったのは、この時が初めてである。それでも、悲痛な敗戦を彼らはしっかりと受け止めた。ロッカールームでは歌も踊りもなかったが、ホテルに戻ると気を取り直し、自分たちの達成したものが何であるかを確認するだけの余裕を取り戻した。PK戦で4番手のキッカーを務め、失敗したドミニク・アディアーが言った。「今日の僕らに降りかかったのは、人生でも最も悪い出来事だろうと思う。それでも、ほぼすべての選手と僕らの監督は、この大会を通して名を挙げたんだ」

 この日、チーム関係者で唯一悲しみと無縁でいられたのが、ライェヴァッツとガーナ代表選手数人の代理人を務めるゴラン・ミロヴァノヴィッチだった。「何人かの選手の市場価値は跳ね上がった。ガーナサッカー協会も、監督を引き留めようと思ったらかなり思い切った提示をする必要があるだろうね」。これだけ話す間にも、彼の携帯電話は鳴りっぱなしだった。

 翌日、ガーナ代表はネルソン・マンデラとウィニー・マンデラを訪問した。ウィニーの孫娘たちは顔を赤らめてケヴィン・プリンス・ボアテングと一緒に写真を撮りたがった。ネルソンも彼と話し込んだ。「マンデラに会う夢がかなった。マンデラは伝説だよ」とボアテングは言った。FAカップでミヒャエル・バラックを負傷させてから、すべてのメディア対応をシャットアウトしていた彼が、初めて公式に語った瞬間だった。「ここでは俺は人気があるんだ。肌の色が濃くないからかな。タトゥーもあるし、まだ新顔だからね。サインしたり一緒に写真を撮ることで、子供たちに喜んでもらってうれしいよ」

 喜ばれたのはボアテングだけではない。ガーナ代表の全員が英雄だった。マンデラ訪問を終えてショッピングモールに行くと、彼らは映画スターのように揉みくちゃにされた。それは、ホスト国の選手と同じ扱いだった。ガーナに帰国した後はそれ以上の歓迎が待っていた。

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 キャプテンのアッピアーは宣言した。「ブラック・スターズは2014年にもW杯に出場して、優勝候補になる」と。

 アフリカ人最優秀選手に3度選ばれたアベディ・ペレの息子であり、南アフリカ大会でも活躍したアンドレ・アイェウは、その言葉が現実のものになると信じている。「2006年のガーナはアフリカ勢で初めてベスト16に進んだ。2008年にはアフリカカップの準決勝まで行った。2009年にはU-20W杯で優勝。2010年にはアフリカカップの決勝に行き、W杯のベスト8になった。僕たちは上昇気流に乗っている。チームの顔ぶれを見れば、もっと上まで行けるはずさ」

SHARE

RANKING今、読まれている記事

  • Daily

  • Weekly

  • Monthly

SOCCERKING VIDEO