2013.10.09

“天才ウイング”J・ナバス、パニック症候群を克服し新天地へ

[ワールドサッカーキング1017号掲載]

若くしてデビューし、環境が劇的に変化したことにより、心に深い闇を抱えてしまった天才ウイング。自らの努力と周囲の温かいサポートで問題を克服した今、ヘスス・ナバスは新天地でまばゆい輝きを放つ。
ヘスス・ナバス
文=アンドリュー・マレー Text by Andrew MURRAY
翻訳=影山 祐 Translation by Yu KAGEYAMA
写真=ゲッティ イメージズ、アフロ Photo by Getty Images , AFLO

大チャンスを眼前に自ら移籍を志願

 2005年、夏。バカンスを終えてチームのプレシーズンキャンプに合流したセビージャの選手たちは、照りつける太陽の下でジョークを言い、笑い合いながらランニングをしていた。突然、一人の選手がその輪から外れると、隣のグラウンドに向かって歩き、そこに腰を下ろした。心を襲う孤独感。彼――ヘスス・ナバスはこの時、プレーをすることに恐怖すら感じていた。

 ホームシックにかかった19歳のJ・ナバスはその夜、父や兄のいる自宅に戻った。同様の理由で離脱を余儀なくされたU-20ワールドカップ(W杯)の合宿から、わずか数週間後の出来事だった。

「J・ナバスはパニック症候群に陥った」。セビージャはそのような声明を発表した。「小さな町で生まれ育った若い選手にとって、“外の世界”はあまりに刺激が強く、メンタルに影響を及ぼす可能性がある」。溢れんばかりの才能を備えた小さなウイングにとって、乗り越えることができるかどうかも分からない深刻な症状だった。

 だが、彼はそれを克服してみせた。8年後、27歳となったJ・ナバスは、世界王者スペイン代表を率いるビセンテ・デル・ボスケ監督からも厚い信頼を置かれ、攻撃のスイッチを入れるべき場面で投入される“ジョーカー”の役割を担っている。セビージャではUEFAカップ(現ヨーロッパリーグ)連覇を始め、コパ・デル・レイやスーペルコパ、UEFAスーパーカップの優勝も経験。実力派の選手がそろっていた当時のセビージャにおいて、スピードに乗ったドリブルで右サイドを切り裂き、精度の高いクロスを供給する彼は相手にとって最も危険な存在だった。

 だからこそ、マンチェスター・シティのスポーツディレクターを務めるチキ・ベギリスタインは今夏、J・ナバスの獲得が可能だと聞いて衝撃を受けた。「ナバス? セビージャのナバスか?」

 すぐさまオペレーションが進められ、移籍金約26億円でのシティ移籍が実現した。「彼に誤解を与えることはできなかった」とベギリスタインは話す。「雨がよく降ることや、英語を学ぶ必要性があること、家族から遠く離れることなどを彼に伝えた。私はできるだけ物事を“悪く”表現したんだ。しかし、そうした問題があるにもかかわらず、彼は興奮気味に反応してくれた。ミーティング終了までに移籍実現を確信させてくれたのは、他でもない彼自身だったんだ! ヘススは我々への贈り物のような存在だ。選手層に厚さをもたらし、攻撃面を強化してくれる。今までヘススのようなウイングタイプの選手はいなかったから、攻撃パターンも増やせる」

 一方、J・ナバス本人は今回の移籍について次のように語っている。「これは本当に大きなチャンスなんだ。シティは最高の選択肢だった。これは僕のキャリアにおいて必要なこと。僕も家族も、イングランドでの生活には完璧にフィットできると思う」。ホームシックにかかっていた以前のJ・ナバスからは想像できない言葉だ。

ドリブルする姿が敏腕スカウトを動かす

 学校を管理する父親と専業主婦である母親の間に生まれ、5人兄弟の3男であるJ・ナバスは、セビージャ郊外にあるロス・パラシオス・イ・ビジャフランカという小さな町で、慎ましいながらも快適な少年期を過ごした。

 彼と現在はイングランド4部のベリーFCでプレーする兄のマルコは、ボールを蹴っているか、祖父の家のテレビで試合を観戦しているかという“サッカー狂”だった。当時について、J・ナバスは次のように振り返る。「学校に通う前からサッカーをしていた。プレーを学んだのはストリートだ。年上の、力の強い相手とプレーすることで、僕は成長したんだ」

 小さなナバス少年はすぐにUDロス・パラシオスという地元のクラブに入り、めきめきと頭角を現していく。動画投稿サイトには、とても小さな10歳の少年が、親子ほども体格差のある相手のタックルをダンスを踊るようにかわす様子がアップされている。今のプレースタイルは、この頃既に完成されていたのだ。

 それでも、セビージャへの入団が決まったのは偶然の出来事からだった。J・ナバスが14歳の時、セビージャの敏腕スカウトとして知られるパブロ・ブランコが、ユースチームのGKを託すべき人材を探して各地を視察していた。そしてロス・パラシオスの質素なグラウンドの、雨に濡れたピッチでプレーするJ・ナバスの姿を目撃したのである。「我々はこの少年と契約しなければならない」。ブランコは直感したという。「彼は水たまりをよけながら、ボールを濡らすことなくドリブルしていた。衝撃だったよ」。この逸話ゆえ、故郷では彼は今でも愛情を込めて「水たまりのドリブラー」と呼ばれている。

急激な環境の変化に心理的不安が増大

 スピードとテクニックを武器にセビージャのカンテラに定着したナバスがトップチームに抜擢されたのは、18歳の誕生日からわずか2日後、2003年11月のエスパニョール戦だった。その9カ月後、彼はトップチームで不動のレギュラーになった。しかし、同時にプレッシャーも増大していった。合宿や遠征などでほんの数日間、家族と離れるだけで、彼はパニック症候群に襲われた。プレス対応にも苦しみ、初めてのテレビインタビューでは、あまりに大きく呼吸をするためにプロデューサーたちが途中でCMを入れなければならなかったほどだ。

 その後、心理学者や家族、チームメートの協力、以前から信仰していた宗教的な信念の助力の下、J・ナバスは心理的不安を克服していく。敵地への遠征が平気になり、代表の合宿やW杯、ユーロといった国際大会にも参加できるようになり、そして今夏、彼はついに故郷アンダルシアを離れる決意をした。しかも、新天地はスペイン国内ではなく、海を隔てたイングランドの地だ。これを見越してか英語を勉強していた妻のアレハンドラ、生まれて間もないヘスス・ジュニアを伴い、彼はマンチェスターに上陸した。

「僕が最も恐れるのは、パニックが再び起こることだ。サッカーを最大限に楽しむことが僕の信念なんだけど、それは困難を伴うものだった。10代の頃にトップチームに引き上げられ、ファンやメディアから過剰な注目を浴び、想像を絶するほどのプレッシャーを受けてしまったからね。でも、既にパニックは克服した。問題に対して真剣に取り組み、家族や神様の助けもあって乗り越えることができたんだ。これからは成長あるのみさ」

 ひらりひらりと相手をかわし、右サイドからチャンスを創出するJ・ナバスの仕掛けは、サイドアタックを伝統とするセビージャにとって最大の武器だった。トップチームには10シーズンにわたって在籍し、公式戦には通算で388試合に出場、自ら34ゴールを挙げた上、77ものアシストを記録した。「ドリブルとスピードは僕にとって最大の武器だ。右サイドのタッチライン際に立てば、僕はチームメートのためにサイドを突破し、クロスを上げることができる。いつもワクワクしながらプレーしているよ」

問題を克服したJ・ナバスは、スペイン代表でも躍動、今夏にはマンチェスター・Cへの移籍も決断した。セビージャの下部組織時代からの親友であるセルヒオ・ラモス、新天地の指揮官を務めるマヌエル・ペジェグリーニ監督が、J・ナバスについて語った。続きは、ワールドサッカーキング1017号でチェック!

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