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すべてのサッカーファンに笑顔を 青木速斗(soccer junky/株式会社1009 代表取締役)

2015.08.28
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 「基本は『ふざけちゃおうかな』っていう考えですね。クスって笑ってもらえるのがいい商品なんだろうなと。『カッコイイ』は、僕にとっては褒め言葉じゃないです」

いたずらっ子のように笑うのは、ストリートサッカーブランド『soccer junky』を展開する株式会社1009代表取締役、青木速斗さんだ。

『soccer junky』はアパレルを中心に様々な商品を販売しており、社長である青木さん自身が商品デザインを手掛けている。サッカーファンを魅了するアイテムを次々に生み出している彼が、ブランド設立の経緯やこれからの展望を明かしてくれた。

始まりはストリートサッカー

 青木さんとサッカーの出会いは中学3年生の時。「ドーハの悲劇」に刺激を受け、友人と遊びでやった空き地でのストリートサッカーだった。股抜きされた悔しさが、それまでのテニス少年をサッカー少年に変えてしまった。高校でサッカー部に入り、3年生の時には東京都代表でインターハイに出場する。わずか3年で急激に上達した秘訣は何だったのか。

「高校の部活がメインだったんですけど、基礎だったり、人と出会ったりとかは、グラウンドよりは公園や空き地、要はストリートで学び、得ることが多かったですね」

 部活以外の自由時間にストリートサッカーに興じ、友人やそこで知り合った人たちとプレーすることで、技術が磨かれていった。その後、大学に進学してサッカーを続けるが、チームメートのサッカーに対する意識の低さから学校を中退し、外国人の多い乃木坂などでストリートサッカーをしながらプロテストを受ける。プロからの誘いはなかったが、突如として転機が訪れた。

「ストリートサッカーで出会ったペルー人のいとこの方が、ペルーのプロリーグの監督になったんですよ。『行く?』って言われて、『行く!』って。これがラストチャンスだと思ってチャレンジして、ペルーでプロ契約を結ぶことができたんです」

 所属チームで1年間レギュラーとして出場しながら、ペルーでもストリートサッカーをしていると、また出会いがあった。サッカーが大好きで足が不自由な15歳の少年と知り合ったのだ。彼は自分でもプレーするという夢を持っていたが、現地の一般の人々にとっては、ストリートの賭け試合しかプレーする環境がない。彼を入れると負ける可能性が高まるため、誰も彼を誘おうとはしなかった。

 そこで、青木さんは彼を自分のチームに入れることにした。相手は容赦なく少年を狙い、笑い者にする嫌なサッカーを経験させてしまったが、それでも彼がゴールを決めるとスタンディングオベーションが起こり、感動的な雰囲気に包まれた。その時、「ハンディキャップのある人でも、一生懸命頑張ったら鳥肌が立つほどの感動が得られる。そんな環境を作ってあげたい」と決心し、帰国することになった。

『soccer junky』に込められた思い

 日本に戻ると、ブラインドサッカー選手の環境作りのためにラジオ局、イベント会社、IT企業などを回りながら職業経験を積む。裏方だけではキャリアが足りないと考え、「頑張ったら得られる感動」を自ら体験するためにと、27歳でリフティングパフォーマ ーになった。そこで注目が集まったことで芸能人フットサルチームのコーチという道が開け、対戦相手チームのスポンサーとして会場に来ていたイベント関連会社の関係者と出会ったことが縁で、『SPAZIO』、『KUVERA』といったフットサルブランドの立ち上げに参加する。そして、そこで培ったノウハウを元に、30歳で自らのブランド『soccer junky』を設立するのである。

「これまでに様々な場面で出会った方たちと、今も一緒に仕事したり、お世話になったりしているんですけど、僕の今の『soccer junky』の原点は、やっぱりストリートから人脈ができているんですよ、サッカーがサッカーを呼ぶ、じゃないですけど、サッカーのおかげで今のブランドがあると思います」

 青木さん自身の体験から、ストリートサッカーというブランドコンセプトが生まれた。 そのため、ゲームウエアやプラクティスウエアだけでなく、カジュアルウエアも数多く展開している。そのことについて、青木さんはこう語る。

「アルゼンチンやブラジルでストリートサッカーがうまい人って、プルパーカーに短パンとスニーカーみたいな服装なんですよね。ユニフォーム上下にサッカーソックスまでバッチリ決めている人って、逆に下手な人が多い。普通のTシャツとか、くるぶしソックスとか、そういう人のほうがうまかったんで、『うまい人はこういうスタイル』というイメージが植え付けられました」

 また、ブランドロゴに採用しているフレンチブルドッグとボストンテリアのハーフ『Claudio Pandiani』、通称「パンディアーニ君」にも、青木さんの理念が込められている。

「サッカーだったらサッカーボールを持っているパンディアーニ君、野球だったらバットを持っているパンディアーニ君、ラグビーだったらラグビーボールを持っているパンディアーニ君。それぞれロゴを変えて、名前も変えているんです。個人的主観なんですけど、あらゆる生き物の中で、洋服を着て他人に自己欲求をアピールしたり、誇示したりする動物って人間しかいないなって思って、それをパンディアーニ君に投影しました」

 自分が好きなことを、何かを身に着けることで周囲に伝えたい。ファッションアイテムが少ないスポーツならば、ロゴを変えることでアピールできる。それは現在、『baseball junky』という新たなレーベルでも実現されている。サッカーを通じて様々な人と出会った青木さんだからこそ、同じような感動を消費者にも味わってほしいのだろう。

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世界に「日本」を知らしめる

 2015年、『soccer junky』はJ2リーグ、横浜FCのユニフォームサプライヤーとなった。 そこには、青木さんの次なる目標がある。日本でユニフォームの実績を作り、ヨーロッパでもサプライヤーになること。「日本のサッカー文化を、ヨーロッパも含め世界に発信していきたい」というのが青木さんの野望だ。
 
 きっかけはなでしこリーグ、INAC神戸レオネッサの元監督である星川敬さんとの出会いで海外へ挑戦する勇気をもらい、
また、他から聞いた話ではJFAの監督ライセンスではUEFA管轄のクラブを指揮できないという現実を知り、日本サッカーのレベルがかなり低く見られていることを痛感した。

 また、青木さん自身の経験で、日本文化の発信を志す出来事があった。リオネル・ メッシが出演していた海外のCMの中に、柔道着にカンフーシューズで、忍者と畳の上で戦うシーンを発見したのだ。日本と中国が混同して伝わっていることに気付かされ、日本文化を正しく世界に伝えたいと考える契機となった。

 海外でサプライヤーになることによってブランドが認知され、Tシャツ、小物などのイラストを通じて日本の文化を発信する。それが現在の目標だ。

「海外で日本の文化といえば、やはり江戸時代のイメージが強いと思うので、『江戸×サッカー』をコンセプトにしようと思っています。例えば忍者が分身の術でFKの壁を作ったり、侍が刀で斬っているものがボールだったり。あるいは飛脚が走りながらドリブルしているとか、お相撲さんがオーバーヘッドキックをしているとか。日本人がちゃんと作った日本の文化ってこういうものですよっていうのを、サッカーを通して伝えていきたいですね」

 そのための第一歩を『soccer junky』は踏み出した。

偉業を次世代に伝えたい

 青木さんにとって、日本人初のブンデスリーガ選手で横浜FC会長の奥寺康彦さんは特別な存在だ。奥寺さんとは『soccer junky』の個人サプライヤー契約を結んでいるのだ。

「ブンデスリーガのサポーターアンケートで最も有名な日本人サッカー選手を尋ねると、2位が香川真司で1位はいまだに奥寺さん。こんなすごい方とサプライヤー契約することができて光栄です。商品や露出を通じて、世界が知っている奥寺さんのすごさをもっと国内の若い人たちに知らしめたいですね。それをどういう形でやるのか。真面目にやり過ぎるのは僕っぽくないんで、昔のソクラテスが着ていたようなタイトで汗も全然吸わないような生地で『奥寺モデル』を作ろうと思っているんです」

 独自の視点で競技者や観戦者など様々なサッカーファンを楽しませようとする青木さんが、笑顔で今後の抱負を明かした。これからも自身の夢をかなえながら、我々にサッカーの魅力を伝えてくれるに違いない。

インタビュー・文=吉田規紘(サッカーキング・アカデミー
写真=葛城敦史
撮影協力=SOCCERKING SHOP

●サッカーキング・アカデミー「編集・ライター科」の受講生がインタビューと原稿執筆を担当しました。
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