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【インタビュー】「チャンピオンズリーグに出られる選手になれ」旗手怜央を“熱くさせた”静岡学園・川口監督の言葉

2022.12.27

[写真]=平山孝志

 今月28日に第101回全国高校サッカー選手権大会が開幕する。選手権の歴史を彩ってきた選手たちに当時を振り返ってもらう連載『BIG STAGE-夢の舞台に挑め-』。第5回は静岡学園高校出身のMF旗手怜央(セルティック)に夢の舞台への熱い想いを聞いた。

取材・文=川端暁彦

頑張る気持ちだけは負けない

[写真]=内藤悠史

——今回は“高校時代の旗手怜央”について大いに語ってもらいたいと思っているのですが、そもそもどうして静岡学園を選んだのでしょうか?
旗手 『選手権に出たいな』という思いがまずあって、最初は四中工(四日市中央工業高校)に行こうかなと思っていたんです。でも、『プロになりたい!』という気持ちもあって『やっぱり静学かな』と思い決めました。

——もともと静岡学園に憧れが?
旗手 僕、静岡学園中を受けて落ちているんですよ。小学生の時に選手権を観て『この学校すごいな。ここに行きたいな』と自然と思ったのが最初ですね。杉浦恭平さん(ツエーゲン金沢)がいた時ですね(※2006年度大会。静岡学園はベスト8入り)。どこにも真似できないんじゃないかと思うようなサッカーをしていて憧れがありました。

——県外に出ることに対する怖さはありませんでした?
旗手 出るときはなかったですね。行ってから初めて気付いたというか、親元を離れて苦労したし、その時の気持ちは今もハッキリと覚えています。

——キツかったですか?
旗手 まずサッカーのレベルが今まで経験したものとはまるで違いました。これはもう、本当に。正直、入ったばかりの頃は技術もなかったし、あとイメージと違うかもしれませんが、静学って意外と走るんですよ。その走りも全然できなかったので……。練習は本当に付いていくのもやっとでした。ずっとドベに近かったですね。

——サッカー以外でも大変だったのでは。
旗手 はい、寮生活でしたからね。1年生はやっぱり寮の仕事が多いし、食器を洗うとか掃除担当とか、今までやってきてなかったんで『今まで親に助けてもらっていたんだな』というのは本当に実感させられましたね。学校生活もあって朝練もあって、その上で身の回りのことを自分でやらないといけない。そういった環境が初めてで……。だいぶキツかったです。

——しかも、地元を離れてだから当初は友人もいない状態ですよね。
旗手 同じ三重から行った何人かの選手だけですね。ほとんど知らない人たちばかりで、そこでアピールしていかないといけない難しさとかも想像していなかったです。

——その頃はトップチームの試合に出るイメージを持てなかったですか?
旗手 もう正直、トップチームのことなんて自分には何の関係もない話だと思っていたくらいです。

——コーチからも厳しいことを言われましたか?
旗手 いや、コーチ陣は『別に自分でやろうとしない選手は、やらんでもいいんじゃないか』みたいな感じですよ。ただ、本当に目の色変えて頑張ろうとする選手には、すごく発破をかけて言ってくれるんです。そういった部分で、僕はやる気とか『上に行きたい!』という気持ちは強かったと思います。付いていくのがやっとの時でも、『まだまだやぞ!もっとやれるやろ!』みたいな声掛けはすごくしてもらった記憶があります。

——朝練とかからそういった感じですか?
旗手 朝練だと逆に難しかったんです。最初はリフティングとかドリブルの練習ばかりなので。

——“静学の朝練”ですからね。
旗手 最初はタッチラインからタッチラインまで、例えば右足だけとか左足だけとかでリフティングでやっていくとか、そういったメニューですね。いや、できるわけがないですよ(笑)。最初とかはなんかもう……。本当にできなくて、『いや、こんな朝からこんなできもしないことをキツい思いしてやらされて、何やねん』と思いながらやっていました。つらかったなあ……。

——放課後は対人もありますよね?
旗手 そうですね、対人の練習があったんで、そういう時は自分も自信が多少あったのでぶつかっていけました。でも、やっぱり静学はリフティングできなかったら話にならないので、できるようになることから入りましたね。

——最初はキツくとも、やっている内にできるようになりましたか?
旗手 そうですね、それこそ自主練もしました。負けず嫌いな部分はあったので、『このままではアカンな』という思いもあって、全体練習が終わってからも個人的にもやっていましたね。それこそ寮生活だったので、一緒に住んでいた選手たちとやりました。そうやって周りと切磋琢磨できて『負けてられないな』と思える環境でやれたのは良かったですね。本当にそういった仲間たちと出会えたのが一番です。

——コーチは旗手選手のそういう頑張って向上しようとする姿勢を買っていたみたいですよ。
旗手 そうなんですね、足も遅いし技術もなかったので、頑張る気持ちみたいなの部分だけは負けないぞと思ってやっていました。夏に1年生から3、4人をトップチームに上げて経験させるという話になり、なぜか自分も選ばれました。正直、呼ばれると思っていなかったので驚きましたし、あそこで『頑張っていればチャンスはもらえるんだ』と思えたのは大きかったと思います。

——当時の先輩も凄い選手多いですよね。米田隼也(V・ファーレン長崎)らJリーグで活躍している選手もいます。
旗手 いや、何かもう『うわ、すごいな。うまいな』みたいな目でしか見ていなかったですね(笑)。高1と高3でしたし、対等の存在とは思えなかったというか、憧れしかなかったです。

——その感覚になったのは2年生になってレギュラー争いをするようになってからでしょうか?
旗手 そうだと思います。でも、2年生の夏まではレギュラーという感じではありませんでした。それこそ選手権のちょっと前ぐらいから、ようやくスタメンで安定して出られるようになった感じでした。

——全国大会では左ウイングバックで大活躍でしたが、ポジションはかなり色々とやっていたみたいですね。
旗手 3年間を振り返ると左サイドも右サイドもトップ下もFWやったし、ウイングバックの左も……。でも、本当に色々やりました。中学ではボランチでしたしね。

——実際に味わった選手権はいかがでしたか?
旗手 3年間で1回しか全国大会を経験できてないですけど、やっぱその1回が自分にとって凄く大きかったなと思います。東福岡ともやりましたし、選手権のような大舞台だから得られるものはありました。

——あの時『旗手いいじゃん!』と思った人は多いと思いますよ。私もその一人ですが。
旗手 目の前のことで精一杯で評価とかは考える余裕がなかったですね。今までに経験したことない数の人たちからマイクを向けられた覚えはあります(笑)。

——そのうちの一人が私ですね(笑)
旗手 そういう経験もできて良かったと思うのですが、2年生が終わって3年生になってからですね。主力として使ってもらっている中で、自分でも気付かないような変化があったのかもしれません。インターハイの予選前に川口監督から呼ばれて、『天狗になってる』と言われて10番をはく奪されて先発からも落とされました。あの時は本当にもうどうしたらいいのか分からなくなっていました。ただ、今にして思うと、すごく良い経験でした。『このままじゃアカン』と思えて、そこからまたやり直してプレーできるようになりました。

——そして迎えた最後の選手権は予選敗退でした。
旗手 この言い方が良いのか悪いのか分からないですけど、静学らしい負け方をしたなと思います。攻めてはいるけど決められず、ワンチャンスをものにされて負けました。

——感情的には整理できました?
旗手 いやなんかもう『終わったな』という感じで……。でも、そのあとにプリンスリーグ東海で、(選手権予選で敗れた)清水桜ヶ丘との試合が残っていたんですよ。『もうそこでボコボコにしてやるぞ!』みたいになった記憶がありますね(笑)※静岡学園が5対1で勝利し、プリンスリーグ東海を優勝

——あの時の静岡学園は本当に強かったと今でも思っています。プリンスリーグ東海では、18試合で73得点9失点。普通の戦績じゃないです(笑)。
旗手 うん、強かったですね。本当に攻守両面においてすごくバランスが取れた良いチームだったかなと思いますし、良い選手もいっぱいいました。

——ラストゲームはプレミアリーグへの参入戦・大津高校との試合でしたね。
旗手 やっぱり選手権で終わりたい気持ちもありましたけど、絶対に高校サッカーは終わる時があるわけですし、ああいった舞台で終われたのも良かったなと思っています。大津とお互いの良さを引き出し合うような試合をして、負けてしまいましたけど、本当に良い試合ができたなという感覚でした。

——ずっと高校サッカー取材してきましたが、指折りの名勝負だったと思います。
旗手 そう言ってもらえるのはちょっと嬉しいです。負けたけど一番楽しい試合だったと思います。出し切れました。※延長戦の末、3対2で大津が勝利

——負けた試合でそう言えるのは静学の文化でもありますね。
旗手 願望を言えば勝ちたいですよ(笑)。でも、なんか自分もそう思います。『自分たちらしくやれて負けたなら、もうそれ以上やることはないやろ』という考えになるので、確かに静学っぽいのかもしれません。

——そうやって3年間で培ったものが、今も旗手怜央を支えているんですよね。
旗手 技術の部分は間違いなくそうですし、高校3年間が本当に僕の土台を作ってくれたという感覚があります。今、ジュビロ磐田にいる鹿沼直生とずっと1対1をやっていたんですよ。こうやって話していると、当時を思い出しますね。技術もメンタルも磨かれました。

CLに出続けられるような選手でありたい

[写真]=Getty Images

——そんな高校サッカーで“熱くなった”思い出はなんでしょうか?
旗手 やっぱり、親に『頑張ってるぞ!』と言いたい気持ちはずっとありました。競争は激しかったですし、試合出て親にいいことを言いたいみたいな。そこの熱さは本当に持っていたと思います。あの場所が本当に自分を熱くさせてくれました。

——指導者から掛けられて “熱くなった”言葉はありますか?
旗手 それこそ卒業した後に川口監督から『チャンピオンズリーグに出られる選手になれ』と言われたことですね。その当時は『何言ってんだ?』と思っていた部分もあるんですけど(笑)。やっぱり、その言葉は今も自分を熱くしてくれています。実際に出場して感じましたけど、チャンピオンズリーグは本当にトップの中のトップが集まっている舞台なので簡単に出られる大会ではない。でも、そこに出続けられるような選手でありたいですね。本当に化け物かと思うような選手がたくさんいますし(笑)。自分の現在地も知ることができました。川口監督の言ってくれた意味が今ではよく分かります。

——スパイクの話も聞かせてください。高校時代からミズノを着用していますよね?
旗手 監督から『ミズノ履くか?』と言われた時は嬉しかったです。スパイクは高いので、それまでワゴンセールで買ったものを履いていましたから。

——その時に初めてミズノを?
旗手 いや、昔にクリスマスプレゼントでモレリアを買ってもらって、大喜びして履いていたことがあります。その時も『めっちゃ履きやすいな』と思いました。

——なおさら嬉しいですね。
旗手 はい、2年生の選手権前くらいだったと思います。履いてすぐ『やっぱ違うな』と思いましたね。フィット感がまるで違うので、本当にありがたかったです。

——今、履いているスパイクはどうですか?
旗手 今はモレリア・ネオ3を履かせてもらっているんですけど、やっぱり軽いのがいいですし、フィット感もすごくいいです。

——ミズノの方は『日本人の足に合うことにこだわっている』と言われますね。
旗手 正直、日本人に合うかどうかは分からないですけど、間違いなく自分には合っています。走る時、ボール触る時、パスをする時、トラップをする時もそうですし、その時に足に馴染んでくれるかどうかは本当に僕の場合は大きくて。僕の場合、スパイクのこの箇所でトラップをするというより『足のここでトラップをしたい』『ボールを蹴りたい』という感覚なんですよ。だから、『自分は足のここで当てている感覚なのに、なんかズレてる』みたいなのは困るんです。今、履いてるスパイクはそれが全くないので、本当に使いやすいです。やっぱりスパイクはフィット感だと思っています。

——最後に高校サッカーを頑張っている学生へメッセージをいただけますか?
旗手 僕にとってもそうでしたけど、みんなにとっても高校での3年間は一生に一度しかない。終わってから気付くんですけど、かけがえのない時間なんです。後悔がないように、毎日の練習や試合に対して、本当に一生懸命頑張ってほしいです!




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