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【インタビュー】長谷部誠 ボールを追い続けられる理由~折れない心を作り上げたもの~

 2019年の新年度、プーマが新たに展開をスタートさせたキャンペーン『オレヲミロ』。高校生世代を中心としたプレーヤーに向け、トップレベルで活躍するプレーヤーとの差を表現し、『新たな高みへ』たどり着くためには何が足りないのかを考えるためのインスピレーションを与え、マインドを変えていくことをプーマがサポートしていく。

 いつもの日常。繰り返す毎日。自分の日々にはフットボールしかないのに、輝かない。突き抜けない。上手くなっているのか下手になっているのかすら、わからない。焦る。もがく。海の向こうでは、トッププロたちが躍動している。あいつらとオレ、なにが違うんだろう。そんなに違うんだろうか。

 様々な選手の経験から、次の一歩を踏み出すためのヒントを探るインタビュー連載企画。第1回は長谷部誠を迎える。

 ロシアでの激闘後、日本代表引退を表明した今シーズン、クラブチームでハイパフォーマンスを続けている35歳。

 プロキャリアとしては“晩年”と言っていい年齢だが、「改めてサッカーが面白いと感じている」と話す顔は充実に満ちる。そんな彼を作り上げたメンタル、人間性はどのようにして生まれたのか。高校時代を中心に紐解き、ルーツを探る。ボールを奪われても、追い続ける。自信を失いかけても、顔を上げて次へと進む。その今を作り上げているものとは――。

インタビュー=湊昂大
構成=小松春生

■第2回 久保裕也 確実に、着実に前へ

■第3回 伊東純也 成長曲線を支える不動心

■第4回 鈴木優磨 反骨精神の源流

■第5回 遠藤航 信念と深念で貫く我が道

■一瞬しか共に闘えない仲間たちとの時間はすべてが貴重

長谷部誠

―――高校時代、これほど長くプロ、そしてトップレベルでプレーを続けていると想像していましたか?

長谷部 プロになれるかもと思ったのは高校3年生の夏くらいで、それまでは全く。1年生の時はC、Dチームだったし、2年時でもBチームまでしか上がれなくて。3年生になってから自分の中で急激な変化、成長を感じましたし、実際に何が起こるかはわかりませんからね。

―――藤枝東高校を一般入試で受験し、進学を決めています。

長谷部 藤枝は自分が生まれ育った街で、幼い頃から藤枝東が高校選手権で活躍していた姿を見ていたので、進学したい思いがありました。ただ、当時は推薦入学もなく、勉強がしっかりできないと入れない学校なので、サッカーはもちろんですが、勉強も頑張りました。

―――伝統がある強豪校に進んだことで、不安や重圧もあったと思います。

長谷部 練習試合であっても地域の方たちが期待して見に来る学校だったので、多少のプレッシャーは感じました。でも、当時の監督だった服部康夫さんは「とにかくサッカーは楽しんでやるもの。自分たちが楽しんでやっていれば、見てくれる人たちも楽しんでくれる」と言っていて、“楽しさ”が1つのテーマでした。練習はもちろんキツかったですが、その中でもサッカーをプレーする喜びや楽しさは、すごく教えられた時期ですね。

―――その喜びや楽しさは、どういったところで感じましたか?

長谷部 高校3年間というその時、その一瞬でしか共に闘えない仲間たちがいて、その仲間たちと、時には喧嘩をすることもありましたけど、苦しみや喜び、楽しさ…、喜怒哀楽をすべて共有しているその時間がすごく楽しく、すごく貴重で。今思い返しても、素晴らしいものでした。プロ生活においてもチームメイトは仲間ですが、関係性は異なります。気心知れた同級生や仲間たちと一緒に苦しい練習をしたことも楽しかったし、今でもその仲間たちと集まって昔話をするのも楽しいですし。だから学生時代はすごくいい思い出です。

―――高校1、2年生時はプロを意識していない中で、上を目指すために切磋琢磨できたのはなぜでしょう。

長谷部 高2の冬までトップチームでの出場が無かったので、正直、何を目指したらいいのかと感じる時もありました。まずは、「試合に出たい」というモチベーションで、ポジションを奪えるように練習も試合も頑張りましたし、僕の場合は「静岡のサッカーを全国で見せたい」と、途中から考え方も変わっていきました。

長谷部誠

―――高校3年生でプロを意識したきっかけは?

長谷部 浦和レッズからオファーを頂いたからです。それまではプロ入りを考えてはいませんでしたし、志望している大学もありました。進学しか考えていなかった中、浦和からオファーを頂いて。「俺なんかにもオファーが来るんだ」と、半信半疑な部分はありましたけど、国体に出場するなどして全国のレベルを肌で感じ、「これだったら自分もやれるのでは」と気持ちが変わっていったんです。

―――オファーを考えるにあたり、将来への不安は?

長谷部 人生における大きな決断でしたし、プロに行く不安も伴っていました。家族や周りの人たちも不安があったと思います。大学に進学し、安定した道に進むことを望んでいた人もいたかもしれませんし、その気持ちも十分理解できます。僕も不安半分、期待半分でした。

 決断するにあたり、最後は自分が本当に何をやりたいか。プロにチャレンジできるのは限られた人しかできないことであって、その権利があるなら、逃す手は無いと思ったんです。当時は「チャレンジしたい」という思いだけでしたね。

■自問自答するし、葛藤もする。だけど、それはすごく大事なこと

―――プロ選手生活が始まった時の夢は何でしたか?

長谷部 描く夢は段階、段階なんです。「日本代表になる」「海外でプレーする」と、プロ入り当時は全く描いていませんでした。まずは「浦和レッズで試合に出られるようになりたい」と。試合に出られるようになれば、「タイトルを獲りたい」になり、叶ったら「日本代表になりたい」になったし。日本代表でプレーすることになってからも、「日本でプレーしていたら成長は緩やか」という感覚があったので、「海外行ってみたい」気持ちになりました。

 目の前のことを積み重ねてきて、今の自分があるので。大きな夢を持つことも大事だと思います。でも、僕の場合はそうではなかった。どちらかと言うと、目の前の一個一個、手に届くか届かないかの目標を積み上げていって、大きなものになっていったのかなと。

―――その時々で目標を定めていくのは、自分と向き合っていないと見つけられない部分もあるのではないでしょうか。

長谷部 特に苦しい時は自問自答するし、葛藤もします。だけど、それは自分の中ですごく大事なものだと今でも思っていて、苦しいときに投げやりにならないことがすごく大切だと思いますし、自問自答して導き出した答えで、どれだけ踏ん張れるか、耐えられるかが大事だと思います。その積み重ねがあり、今はちょっとやそっとの苦境では全くブレなくなりました。

―――もちろん、心が折れそうになったこともたくさんあると思います。

長谷部 いろいろありました。プロ入り1年目の合宿は、連れて行ってもらえず、居残りでトレーニングしなければならなくなった時は、「出鼻を挫かれた」と思ったし、1年目はほぼ試合に出られませんでしたから。ドイツでも3〜4カ月くらいベンチにも入れない時期がありましたし、2部降格も経験しました。苦しいこと、大変なことは、これまでのプロサッカー人生で多々ありましたけど、当時はとても苦しくても、今振り返れば、それが自分の財産になっているし、自分を形成する上で大きなものになったと感じます。苦しい時間もすごく大切なものと改めて感じますね。

―――これまでで経験した最大の挫折は何でしょうか?

長谷部 ヴォルフスブルク時代の移籍問題で、4カ月ぐらいベンチ入りもできなかった時期ですかね。練習も一緒にさせてもらえなかったですし、年齢も27〜8歳くらいで選手としていい時期で、メンタル的にもキツかったです。

―――自分でどうすることもできないという状況の中、自身を律することができた理由は何でしょう。

長谷部 そんな状況だからと投げやりになるのが嫌だったんです。一緒にトレーニングできなくても走り込みをして、常にいい準備をしようと思ったし、そういうものをしていたら、いつか運を引き寄せられると信じてやっていました。だから偲んで耐えて…。

 そういう時間は、人それぞれ、どんな人生を歩んでいる中でも絶対にあると思うんです。僕にとって、キャリアで一番苦しい時間でしたけど、振り返れば今の自分にとって一番貴重な、大事な時間だったと思います。それはどんなタイトルを獲るよりも、大きな出来事でした。

■素の部分は昔も今も変わっていない

―――ドイツに来て、そういった経験を経てメンタルが強くなったと感じますか?

長谷部 いえ。「とにかく適応していった」という言葉が一番正しいですかね。自分の長所の一つは、「今いる環境にどう適応していくか」を自分の中で考え、適応していけることだと思います。それはピッチだけではなく、生活の部分もそうで。あと、ドイツに来てから様々なポジションを任せられていますけど、そこでも与えられたポジションで自分のできること、チームのために何ができるかを考え、適応できる力だけで僕は残ってきた感じがします。

―――その適応力は、ドイツで培われた?

長谷部 もともとそういう力はあった気がします。プロに入っても1年目は「たぶん試合に出られないだろう」と思っていた中で、いつの間にか、ゆっくりだったけど適応していったのかなと。それが考える力なのか、他の何かなのかと言われると、具体的に言うのもなかなか難しいですけどね。

―――苦境を突破することを精神的に支えたものはありますか?

長谷部 一番は応援してくれる人たちです。ファンの方、家族や友人もそうです。そういった人たちがいなければ、心が折れていた場面は間違いなくありました。だから、サッカーをするのにも、ただ自分の喜びだけでやっているかと言われると全く違い、サポーター、家族、友人など周りの人が喜んでくれることがモチベーションになるし、それが大きければ大きいほど、自分の意欲もより出てくる。周りの人たちとの関係性をすごく大切にしています。

―――これまでたくさんの苦労も経験されていますが、高校時代から「変わったな」と思う部分はありますか?

長谷部 素の部分は変わっていないと思いますよ。元々結構やんちゃで、世間で見られている“長谷部誠のイメージ”とは違うと思います。同級生に会うと、「お面かぶっているよな、お前」と言われますし(笑)。もちろん、変わったことはたくさんありますけど、それはいろいろな経験から得た知識や知恵の部分で。素の部分は変わっていないと思うことが多いです。

―――不安やプレッシャーへの対処の方法はいかがでしょう?

長谷部 それは全く変わりました。これだけいろいろな経験をしてきたので、どんなに大きな試合でも「最高の準備をすることしかできない」と割り切っているし、それをいつもやれるからピッチに立つ時は緊張も全くしない。それは経験をしてきて乗り越えてきたからこそで、今は常に冷静でいられる部分もあるので。

長谷部誠

―――先日、35歳を迎えた直後の試合で「改めてサッカーが面白くなってきた」と話されていましたが、何かまた新しいものが見えてきたのかなと。

長谷部 自分がブンデスリーガという舞台でできることが、この年齢になってすごく多くなってきていると感じているんです。30歳を過ぎたら引退に向かっている感じがあると思うんですけど、この歳にして、「どこまで成長できるのかな」と、すごく感じているし、今シーズンは自分のキャリアの中でベストなプレーを出せていると思っています。細かいところで言えば、スプリントとかは落ちてきているのは間違いないですけど、それを補うだけのものは経験から蓄積されてきて、それをピッチで出せています。ピッチ内での落ち着きや余裕はここに来て一番あるので、改めてサッカーが面白いと感じているんですよね。

―――ご家族が増えたことで守るものが増え、今シーズンは日本代表を引退したことで環境も変わりました。心境の変化はありますか?

長谷部 僕自身、変化はわからないですけど、チームにいる日本人トレーナーには「代表を辞めてから、すごく柔らかくなりました」と言われて。笑顔になる回数が増えたみたいなんです。「俺はどれだけ日本代表のことを背負っていたのかな」というのは正直ありますけど(笑)。日本代表としての活動時間分、余裕ができたので、その時間で旅行もできていますし、自分にとって新しいことですね。

 家族と一緒にいられる時間も多くなりましたし、それも新しいサッカー人生だなと思っています。ただ、自分の中では「日本代表という場所に区切りをつけたこのシーズンは大事だ」と開幕前に言って、ここで自分のプレーを見せられなかったら、評価や価値は下がる一方だと思ったし、このシーズンに懸ける思いは強いものがありました。それを今は示せていると思うので、サッカーとプライベートの部分で心身ともに良い状態でやれていますね。

―――プライベートの部分で言えば、サッカー関連として、地元・藤枝などでスクールを展開し、ユニセフの活動を通じて、子どもたちとの交流が増えました。

長谷部 これまでやってきたことでもありますし、日本代表に区切りをつけたことでできた時間を使い、ギリシャの難民キャンプ訪問もできましたし、これからも様々な社会貢献をしていきたいと思います。スクールも社会貢献の1つだと思っていますし、地元への恩返しでもあります。サッカーを通じていろいろなものを周りの人たちから与えてもらったので、今度は自分が社会貢献などで恩返しをしたいので、そこに時間を使っていきたいです。今、そういう環境にいられて、すごく幸せですね。

―――今回、高校生をはじめとした多くの若者に、長谷部選手の経験を感じ、知ってもらおうと思っています。様々な悩みを持つ高校生にメッセージをお願いします。

長谷部 高校生たち、学生たちには悩むだけ悩んでほしいですね。悩むことを止めないでほしい。悩むことは悪いことではないし、君たちが悩み、葛藤していることは、これからの自分の未来に対してすごく大事なことであるので。でも、その葛藤の中でも喜びや楽しみを何かに見つけ、その喜びや楽しみを自分だけでなく、周りの人や仲間と共有できる形を探せたら、より大きなものになると思います。一つ言えるのは、君たちには無限の可能性があるから、とにかく今を一生懸命に悩んで葛藤して、そして楽しんでください。

■長谷部を支え続けたプーマとの関係

―――長谷部選手は学生時代から現在までプーマ一筋ですね。

長谷部 中学、高校、そこからプロのキャリア20年近くをずっとサポートしていただいて。これだけ長い間、自分のサッカー人生とともに歩んでいるものは家族とサポーターとプーマさんぐらいですね。自分の中では一心同体だと思っています。これだけ良い関係性というのは人生の中でなかなか築けるものではないですね。

―――プーマとの長い歴史がある中で、スパイクへのこだわりもどんどん出たのではないですか?

長谷部 僕のこだわりは基本的にフィット感です。革の素材など、自分の足に本当に合うものを要求しますし、もし合わなければ形を変えてもらったり。いろいろなことに対応していただいているので、これまでのキャリアを十分に支えていただいていますね。

―――印象的な出来事はありますか?

長谷部 何かをお願いした時、基本的に断れたことはないです(笑)。担当者の方には、プロ1年目から20年近くずっとサポートをしていただいていますし、そういう関係性もなかなかないですよね。プーマさんとは道具、物という部分だけではなく、“人”という部分。物だけではない、すごく大事な、人間のつながりを感じる関係性ですね。

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