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【サイゴンFCの野望 #1】元日本代表MF松井大輔を獲得し、日本化で注目されるサイゴンFCとは?

2021.03.09

 サッカー界がコロナ禍による財政難に苦しむ中、今オフには長年Jリーグのクラブで活躍してきたベテラン選手たちの退団・引退報道が相次いだ。そんななか、39歳の元日本代表MF松井大輔をはじめとするJリーグ経験者4人(松井大輔/元横浜FC、高崎寛之/元FC岐阜、ウ・サンホ/元栃木SC、苅部隆太郎/元FC岐阜)を相次いで獲得して注目を集めた東南アジアのクラブがある。サイゴンFCだ。

 この連載では、急激に“日本化”が進み、にわかに注目を集めるサイゴンFCの野望に迫る。

文・写真=宇佐美淳

ベトナムリーグが置かれている状況とは

 サイゴンFCの前身は、首都ハノイを本拠地とする強豪ハノイT&T(現ハノイFC)のセカンドチームだ。それが分離・独立し、2016年のシーズン中にホーチミン市(旧サイゴン市)に移転して「サイゴンFC」と改称。以降、オーナー会社同士のつながりからハノイFCとの協調関係が続いていたが、2019年末にオーナーが代わり、新体制となって現在に至る。

 ベトナムは国土が南北に細長く、北と南では気候、文化、言葉、食生活などが大きく異なる。ベトナム戦争中には、異なる国として長い間分断されていた歴史もあり、生活習慣や人々の気質にも違いが見られる。戦争終結から半世紀近く経ち、以前ほどの違いが薄れてきたものの、互いが持つステレオタイプの印象というものが今も存在する。サイゴンFCは、クラブ誕生の経緯から北部出身者が多かったため、南部のホーチミン市ではあまり受け入れられず、移転後は観客動員も低迷していた。

 ベトナムは東南アジアの中でもサッカー熱が高い国として知られるが、それは代表チームに限っての話。国内リーグは発展途上で、観客動員も含め、スタジアム周辺のアクティビティも皆無といまいち盛り上がりに欠ける。とくに出稼ぎ労働者が多いハノイやホーチミンなどの大都市では、現地クラブの人気が低く、貧しい地方都市のクラブのほうが圧倒的に地元人気がある。商都ホーチミンで開催される試合には、おらが村のクラブを応援すべく出稼ぎ労働者が大挙してスタジアムに押し寄せるため、ホームサポーターよりアウェイサポーターのほうが数で勝るというのが日常茶飯事だ。

 また、ベトナムではサッカー選手という職業自体が労働者階級の仕事というイメージも根強い。選手の出身地を見ると圧倒的に地方出身者が多く、都会生まれは極めて少ないことが分かる。中流階級以上の家庭で子供が「プロサッカー選手になりたい」と言い出したら、賛同する親は少ないだろう。例えば、地方のタイビン省出身ながら医者と銀行員を両親に持つ裕福な家庭に育ったベトナム代表MFグエン・トゥアン・アイン(元横浜FC)は、家族から長らくサッカー選手になることを反対されていた。タイやマレーシアなど周辺の東南アジアのプロ選手と比べると、待遇面もかなり劣る。

 サッカー選手になる一般的な道筋を紹介すると、セレクションを経てローティーンのうちに全寮制の下部組織に入り、優秀なら20歳前後でトップチーム昇格。プロ契約が可能な年齢は18歳から。問題はここで交わす7、8年の長期契約だ。このローカルルールの存在は、ベトナム人選手の海外移籍の足かせにもなっている。選手はこの間、契約によってプロテクトされるため、フリーで移籍可能になるのは早くて25~26歳。遅い場合は30歳近くまでプロ入り時の契約に拘束されることになる。

 1部リーグの選手で月俸は10万~20万円程度。これでも十年前と比べるとかなり向上したほうだが、経済成長が著しいベトナムにおいて、憧れを抱く好待遇とは言い難い。プロ選手として契約金を得るには、まずプロ入り時の契約を無事満了させる必要がある。再契約と移籍時に発生する契約金は年間約920万~1400万円とされ、ひと月に換算にすると77万~117万円。これに月俸と出場給、勝利給など各種ボーナスが加わり、ようやく成功者とみなされる。しかし、そんな成功例はほんの一握りだ。

新興勢力サイゴンFCの野望

 随分と前置きが長くなってしまったが、サイゴンFCに話を戻そう。クラブが日本化を進めるのは、一昨年末に新オーナーに就任し、今シーズンから新会長を務めることになったチャン・ホア・ビン氏の存在が大きい。地元ホーチミン出身のビン氏は20年以上も日本に住んだことがあり、日本とのビジネスにも精通した“やり手”の実業家だ。

 今シーズンのキックオフイベントの挨拶で、ビン氏は流ちょうな日本語で語った。

「1年目は設備投資、2年目は人材投資に力を入れた。サッカーの投資において我々は成績を最重要と考えておらず、クラブの価値こそが最も重要であると捉えている。今年は松井大輔選手や霜田正浩シニアダイレクター(元レノファ山口監督。のちにサイゴンFCの監督に就任)をはじめ8人の日本人選手およびJリーグ関係者を招聘した。皆、我々のビジョンに賛同して集まってくれた。我々が目指すべきは、この地にスポーツを文化として根付かせることだ」

 サイゴンFCの野望は現時点でどこまで進んでいるのだろうか。設備投資については、昨年に市郊外にあるタインロンスポーツセンターを買収した。現在は市内にある複数の練習場を転々としている状態だが、同センターの改修が終われば、ここを本拠地として活動できるようになる。さらに、今年に入ってからは、パートナー会社であるバンラン教育グループがハノイ近郊にあるPVFサッカーアカデミーセンターの運営権を取得。同アカデミーは2008年にベトナム最大の財閥ビングループが設立したが、同グループが今後テクノロジーと工業に注力することを決めたため、PVFのすべての施設、インフラおよび在籍するアカデミー生をバンラン教育グループに譲渡することになった。PVFは国内屈指の強豪アカデミーであり、アジア有数の近代的施設を持つことで知られ、昨年6月までは元日本代表監督のフィリップ・トルシエ氏(現Uー19ベトナム代表監督)がテクニカルダイレクターを務めていた。サイゴンFCが今後、PVFアカデミーをどのように活用していくかは定かでないが、既存の施設としてはこれ以上ないものを手にしたことになる。

 人的投資については前述したとおり、今シーズンはMF松井大輔、FW高崎寛之、MF禹相皓、MF苅部隆太郎の4選手が加入した。これ以外のメンバーも昨シーズンから大きく入れ替わっており、昨シーズンの所属メンバー28人中22人が退団(引退を含む)し、全く新しいチームに生まれ変わった。昨シーズンはクラブ史上最高の3位という好成績を残してAFCカップの出場権を獲得。大幅な戦力刷新を不安視する声が多かったが、開幕3節は2勝1敗で勝ち星先行と、上々の滑り出しを見せている。現状、ブー・ティエン・タイン前監督が掲げた「ボールを保持して主導権を握るサッカー」にはほど遠いが、結果が出ていることで選手たちは自信をつけている。

 また、サイゴンFCはクラブ間提携でもJリーグとの関係を強めている。昨年4月末にはJ1のFC東京と、今年2月末にはJ2のFC琉球と業務提携を締結。FC東京との提携内容は、サッカースクール事業、クラブ運営全般(地域貢献活動など含む)、アカデミー組織立ち上げへの協力。一方、FC琉球との提携内容は、サイゴンFCが推薦するベトナム人選手の受け入れなどとなっており、サイゴンFCは年内にベトナム人2選手を派遣する方針だ。

 日本化の波はクラブスポンサーにも及んでおり、今シーズンはENEOS、JAL、JTB、佐川急便、ミツトヨ、SONY、すき家、ニチバンなど多くの日系企業が新スポンサーに就任した。現地在住日本人の間でもサイゴンFCへの注目はうなぎ上りで、スタジアムには日本人ファンの姿が急増している。そして、2月末にはタイン前監督に代わり、霜田氏が新たな指揮官に就任。日本化にさらに拍車がかかった。Jリーグを成功モデルとしたサイゴンFCが、今後どのような進化を遂げていくのか目が離せない。

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