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何を求めてシンガポールへ?…吉田達磨監督が異国でのチャレンジについて語る

[写真]=Getty Images

[サッカーキング アジアサッカー特集号(2019年10月号増刊)掲載]

 9月に行われたカタール・ワールドカップのアジア2次予選で、シンガポール代表はイエメン代表と引き分け、パレスチナ代表に勝利して勝ち点4を獲得した。「誰もW杯など期待していない」はずの国が歓喜に沸いた。その立役者が、今年5月からこのチームを率いる日本人、吉田達磨監督だ。柏レイソルのアカデミーで実績を残し、Jリーグでも戦った指揮官は何を求めてシンガポールに渡ったのか。自らの監督キャリア、そして異国でのチャレンジについて語る。

Profile|吉田達磨(よしだ・たつま)
1974年6月9日生まれ。東海大付属浦安高校を卒業後、1993年に柏レイソルに加入。京都、山形を経てシンガポールのジュロンFCで引退した。指導者に転身後は柏のアカデミーで育成に力を注ぎ、2015年にトップチームの監督となった。新潟、甲府の監督を経て、今年5月にシンガポール代表監督に就任。

「サッカー選手」という武器で海外に出られる

――吉田監督は指導者になる前、現役時代の最後にもシンガポールでプレーされていますよね。これはどういう経緯だったんですか?
吉田達磨(以下、吉田) 2002年のことですね。ちょうどモンテディオ山形との契約が終わったとき、サッカー選手としてのキャリアはこれより上に行かないと分かっていました。同時に指導者になると決めていたので、残りの時間で何をするか考えて、「外国人としてプレーする」経験をしたいと思ったんですね。

――指導者になるための準備の一つと考えていたんですか。
吉田 そうです。あとは、先輩たちに刺激を受けました。大倉智さん(現いわきスポーツクラブ代表取締役)はアメリカでプレーして、バルセロナのクライフ大学で学んでいたし、曺貴裁さんも引退後にドイツで勉強していました。彼らの影響が大きかったですね。そのままJ2で何年かプレーして現役を終えることもできましたが、まだ自分の体も動く、テストも受けられるというときに、海外に出るチャンスがあるなら行こうと。

――そこでシンガポールを選んだのはなぜですか?
吉田 それはもうタイミングです。オーストラリアや中国はトライアウトの時期が合わなくて。たまたま、山形で一緒にプレーした佐藤太一と、僕の高校時代の後輩だった中村彰宏が、2人ともシンガポールでプレーしていたんですね。彼らからシンガポールで選手を探しているという話を聞いたんです。

――それがジュロンFCというクラブですね。どんなチームでしたか?
吉田 監督がヴァラダラジュ・スンドラモールシーという、シンガポールのレジェンドみたいな選手で、今のラオス代表の監督です。当時は彼が選手兼監督で、すごくテクニカルなサッカーを志向していました。レベルはそれほど高くなかったし、トレーニングも日本の部活みたいな感じでしたけど、イベントとかリーグのオーガナイズはしっかりしていました。今よりもリーグに熱気があって、例えばタイ代表の選手はみんなシンガポールリーグでプレーしていました。

――なるほど。国にお金があるから……。
吉田 そういうことです。今は完全に逆転していますけどね。

――指導者を目指すうえで、ヨーロッパや南米ではなくシンガポールを選んだ理由が疑問だったんです。少なくとも、最新の理論を学ぶような場所ではないですよね。
吉田 「サッカーを使って海外に行く」ことを優先したんです。例えば僕が一般的な仕事をしていたら、海外に行って職を見つけるのはかなり難しいと思います。今はそれほど大変じゃないですが、2002年の時点では海外に出るハードルは高かった。しかし「サッカー選手」という武器を使えば海外に出られる。それはサッカー選手の特別な力だと自覚していました。ただ、自分のサッカー選手としての能力を考えると、リーグのレベルは下げなくてはいけないので……。

――なるほど、かなり自覚的に動いていたんですね。
吉田 現実を受け入れていたと思います。それまで山形で3シーズン、ほぼ全試合に使ってもらっていた中で、自分がさらに上に行くイメージを描けなかった。同時に、いずれ指導者としてキャリアを積んでいきたい、という思いは小さい頃からずっとあったんです。

――実際に「外国人として」プレーしてみて、どう感じましたか?
吉田 簡単じゃなかったですよ。サッカーのレベルはJ2と比較しても高くはない。それでも外国人としてプレーするとなると、特別な力を見せなくてはいけない立場です。このレベルでプレーできます、ではダメなんですよ。プラスアルファを求められる。これは本当に難しかったですね。

「勝敗」が人間関係まで変えてしまう

吉田監督が率いた2015シーズンの柏レイソルは、主将の大谷(中央左)や工藤(左端)、武富(右)といったアカデミー出身の選手が主力を務めた [写真]=Getty Images

――その後、日本に戻って柏レイソルのアカデミーで指導されます。工藤壮人、酒井宏樹、武富孝介、指宿洋史といった選手を送り出したわけですが、改めて見るとすごいアカデミーですね。
吉田 そうですね。粒は小さくてもタレントがたくさんいました。

――育成年代を指導するときのコンセプトはどういうものだったんですか?
吉田 サッカーには戦術があること。チームでプレーすること。まずチームとしてやるべきことがあり、その中でいかに個々のキャラクターを発揮させていくか。ここにチャレンジすることを考えていました。今でも、それが僕の指導者としての根本的な考えです。

――以前、酒井選手を取材したとき、ユース時代の吉田監督の指導はものすごく厳しかったと言っていました。
吉田 普段の生活態度にうるさいということはなかったですよ(笑)。ただ、しっかりプレーさせることは徹底していました。ピッチの中に入ったときのこだわり、プレーの強度をキープしたままトライすること、あとはキャラクターを出すこと。酒井だったら、彼の持っている突破力や対人プレーの強さを出そうとしなかったときは厳しく言ったと思います。そういう厳しさですね。

――育成世代の指導者はトップチームの監督と違って、いい選手を育てることがミッションですよね。吉田監督はなぜアカデミーで成果を残せたのでしょうか?
吉田 一つは、もともといい選手がいたことです。柏レイソルというクラブの力ですね。もう一つは、クラブとして「いい選手」の定義を明確にしたこと。それが大きかったと思います。

――「いい選手」を定義することで、どんな利点が生まれるのですか?
吉田 例えば工藤という選手を評価するときに、スピードは△、競り合いのヘディングも強くない、という評価になるかもしれない。でも柏のサッカーでは、彼は点が取れる絶対に欠かせない選手、他の選手との調和を引き出すことができる選手だと。だから昇格だと。そういう評価ができることが重要です。必ずしも誰もが認める「いい選手」である必要はないんですね。

――チームとして一貫した哲学があれば、そこで機能する選手が「いい選手」になると。一般的な基準に合わせる必要がなくなるわけですか。
吉田 もちろん、酒井のような素材はどこに行っても評価されます。でも、「我々にとってのいい選手」も同時に評価の対象としていた。それが、当時は他のクラブとの違いだったと思います。

――2015年に柏のトップチームの監督に就任されます。成功を収めたネルシーニョ監督の後を継ぐ形でした。
吉田 クラブとしてアカデミーを一つの基軸に、ボトムアップでのチーム作りを掲げていましたから、いずれは監督にという流れはありました。当時はトップチームの監督をどうしてもやりたかったわけではないんですよね。誰が最初にそれをトップチームでやるのかって。とてつもなく大変な作業で、根気のいる挑戦であることは分かっていました。ただ僕自身は、2年あればサッカーを確立するのに十分だと考えていましたし、そのあとは準備のできたOBに継いでもらえたらと思っていました。クラブのサッカーに一定の流れができれば、自分が監督である必要はないですから。

――柏ではJリーグで年間10位になり、1年で退任されました。ただAFCチャンピオンズリーグではベスト8、天皇杯もベスト4。振り返ると魅力的なチームでした。
吉田 「結果」が人間関係まで変えてしまう世界だということを、当時は明確に理解していなかった。あの1年の、特にリーグの前半戦で結果が出なかったとき、どのような態度で振る舞うべきだったのか、誰といつどのようにコミュニケーションを取るべきだったのか……自分自身が未熟でしたね。

――いろんな監督の方に話を聞くと、チームを作る難しさはそこにあると言われますね。
吉田 もちろん「勝敗」の大切さは理解していましたし、ACLと並行しつつ戦っていたことを考えれば、めちゃくちゃに負けていたわけではなかったと思います。ただ当時の僕は41歳の生意気な若造監督でもあって。前半のリーグ戦で結果が伸びなかったことで崩れたものを取り戻せなかった。選手たちと頂点を目指した2ndステージの最初の8試合を終えて、ACLのベスト8を戦う頃にはもう……本当に無念でした。

甲府では2017シーズンにJ2降格を経験。「不完全燃焼だった」と振り返る [写真]=Getty Images

「もっとサッカーを深く考えろ」

――柏のあとにアルビレックス新潟、ヴァンフォーレ甲府と監督をされて、今年からシンガポール代表監督に就任されました。現役時代に外国人選手としてプレーしたかった、という言葉を踏まえると、今度は外国人監督として指導することに魅力を感じたということでしょうか?
吉田 かなり魅力的でした。甲府を解任されたとき、自分の力不足を感じたのと同時に、不完全燃焼というか、まだ戦えるという気持ちもあったんです。そんなとき、今年2月にシンガポールの話が来ました。シンガポールは住んだことがあるからイメージができたし、英語で話せるという要素も大きかった。さらに代表監督という立場ですね。選手を選ぶこと、国を背負ってW杯予選を戦うこと、そのプレッシャーを受けること。そしてそれが縁のあるシンガポール。これは自分のキャリアで大きな意味があると感じました。

――なるほど。よく考えるとクラブの監督と代表監督は全く違う仕事ですね。
吉田 やってみて分かりました。毎日練習して、選手と顔を合わせながらベストの形を作っていくのではなく、その都度、同じ国籍を持っている選手たちからメンバーを選んで、その1回で何かをやる。だいぶ違いますよね。

――5月末に就任されて、ここまで3カ月半の手応えはどうでしょうか?
吉田 ようやく慣れてきました。選手との信頼関係を築いて、コーチングスタッフに自分の考えを理解してもらう。それをできる限り、選手たちの能力を見極めながらトレーニングメニューに落として、ミーティングの材料にする。選手に要求して、結果を評価して、それをまたフィードバックする。監督の仕事はどこでも同じなんです。ただ、代表監督はトレーニングとフィードバックの回数がかなり限られます。それと伝えるツールが英語になるので、曖昧なことが明確に伝わらない。シンプルに伝える必要があります。

――通訳はいないんですか?
吉田 通訳はいるんですが、代表チームの活動期間だけなんですよ。普段のコミュニケーションのときにはいないし、いてくれたとしても、自分でできることはやらせてもらってます。それが受け入れてもらえる国でもあるので。だから、シンプルになりましたよね。考え方、伝える言葉が。そうしないと英語力の面でも難しいですから。

――考えを整理しないで、曖昧なままだと理解してもらえないと。
吉田 日本だったら言葉で、トレーニング中にちょっと微調整することもできるんですが、こちらではそうはいかない。伝えることを自分の中でより強く思って、よりフォーカスしてシンプルに伝えていますね。それについては選手も理解してくれるし、むしろロジカルに言わないと聞いてもらえないです。エモーショナルなものが通用しない。ロジカルに、的を外さずに彼らのやる気に火をつける、という部分ではおもしろい仕事ですね。

――国が違うだけで、全く違うおもしろさがある。全く違う課題もあるでしょうね。
吉田 そうですね。でもこれは自分に「もっとサッカーを深く考えろ」と。「コミュニケーションを深く考えろ、シンプルに物事を伝えることをもっと考えろ」と。そういうお告げなんじゃないかなと思ったりします(笑)。

――9月の2試合で信頼関係を深められた今の目標として、W杯予選でどれくらいの結果を残すことを想定していますか?
吉田 W杯はこの国の普通の人たちにとっては、基本的にターゲットに入っていません。どうせ1勝もできないだろうという空気を感じましたし、実際にそう言ってくる人もいました。もう慣れましたけど(笑)。

――ということは、9月の予選でイエメンと引き分け(2-2)、パレスチナに勝った(2-1)という結果は……。
吉田 ものすごく喜んでくれましたよ。結果だけでなく、こんなにインテンシティの強いサッカーは初めて見たと言われました。おもしろかったと。そういう声も僕としてはうれしいです。勝ち点4を取ったことで、「期待が持てるんじゃないか」という空気になってきています。

――パレスチナ戦の勝利は「してやったり」という内容だったのではないでしょうか?
吉田 この2試合はそうですね。国内リーグが直前までやっていたので、実質3日間くらいしか準備する時間がなかったんです。メンバーが全員そろったのがやっと前日というスケジュールで。だから、きっとこういう展開になるからこう戦おう、というプランを極限まで絞り込んで、3つか4つのことを徹底してトレーニングに落とし込んだ。その成果がそのまま試合に出ました。選手との信頼関係も深まったし、スタッフにも「日本の監督はこうやって仕事をするのか」と理解してもらえました。

2019年9月5日のイエメン戦では、ノルウェーリーグでプレーするファンディ(左)のゴールで先制。一度は逆転されたが引き分けに持ち込んだ [写真]=Getty Images

――選手やスタッフとの関係性は、日本人同士とはまた違った感覚だと思います。
吉田 もちろん最初から役職に対するリスペクトはありますが、基本的に個々人は対等です。信頼は自分で勝ち取らなくてはいけません。その辺は英語の国だと感じます。ようやく、6月に2試合戦って少しリスペクトを得られて、9月の2試合でさらに信頼関係を深められた。その点はすごく良かったと思っています。ただ、シンガポールがポット5の国であることは事実ですし、今後も格上にチャレンジしなければいけません。この勝ち点は相手が全く警戒してなかった結果かもしれない。相手に対策されたら、同じように戦えない可能性もあります。そのときにどうするか。まだまだチャレンジし続けなければいけないでしょうね。

――将来的にも監督としてキャリアを積むことを考えていると思うんですが、その中で今のシンガポール代表での経験をどう捉えていますか?
吉田 異文化、異言語の中に入るのは、基本的に良いことしかないと思っています。海外に来て、レベルが高い低いじゃなく、責任を持って監督業をする。選手との関係を築いて、自分のアイデアを示して、トレーニングをする。彼らの心を理解して、チームを方向付けしていく。やることは全部同じです。でも、ちょっとした文化の違いで壁にぶち当たるんですね。

――思ってもいないところに障害があると。
吉田 日本だと言わなくても全部分かってくれることが、伝わらないわけです。だからトレーニングでも、どこにフォーカスするかを練習の最初に伝えるようにしたり。今日はこういう練習をする、ここがメインパートで、重要なメニューだと伝えると、選手も集中してくれます。細かいことを含めて、「なんだこれは」という苦労はたくさんありますよ。そのたびに自分の考えを整理してアプローチする。そういう意味では海外に出ていくこと、アジアに出ていくことは、総合的に考えるとすべてポジティブなものだと思います。

――そこをポジティブに捉えられるかどうかで、結果も違ったものになるんでしょうね。
吉田 そこにストレスを感じたらもう無理ですね。この人たちはなんで言わないとやってくれないんだろうとか、「なんでこの人たちは」という発想が出てくると難しいと思います。ここの文化、考え方、人々のリズムを大事にしながら、そのうえで自分を理解してもらう。毎日何かを飲み込んで、それを別の何かに変えるという感じです。

主将のハルンに指示を出す吉田監督。「シンプルに伝える」ことを意識しているという[写真]=Getty Images

――シンガポールに出たことで、日本のサッカー界に対する見え方も変わってきたのではないでしょうか?
吉田 日本サッカーは素晴らしいと思いますよ。リーグのオーガナイズ、物事の決め方、チームの運営、すべてプロの仕事だと思います。選手の技術レベル、フィジカルレベルも上がっている。ポジティブなことがたくさんあります。あとは監督たちが、もちろん全員ではないですが、自分の仕事を、自分の哲学や方針を自分自身でリスペクトすること、その結果を背負うことをいい意味でエンジョイできたらいいんじゃないかなと。

――エンジョイできていないように見えますか?
吉田 自分自身にも言えることです。我々の仕事は多くの人々を元気づけることができる素晴らしい仕事です。一方で、責任の伴わない忠告や、手元の材料とリクエストの不一致に惑わされることもあります。ただ、どんな状況であってもすべての責任を負うんです。やれることをやって、結果を受け入れる。出し切って、結果を待ち、受け入れる。この部分がシンガポールに来て、外から日本を見て、さらにクリアになりました。自分の持っているものをすべて出すなんて当然なんですけどね。

――一つ言えるのは、それぞれの監督が独自の考え方で個性的なチームを作ったほうが、見ているほうは楽しいです。
吉田 僕もそう思います。そうなれるよう、この大きな経験をいつか日本のために生かしたいと思います。

インタビュー・文=坂本 聡

※この記事はサッカーキング アジアサッカー特集号(2019年10月号増刊)に掲載された記事を再編集したものです

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