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1977年のミルウォール【雑誌SKアーカイブ】

2020.04.15

ミルウォールの試合中に暴徒化したサポーターが警察に連行された[写真]=Getty Images

[サッカーキング No.006(2019年9月号)掲載]

1970年代の英国には、暴力的な暗いイメージが付きまとう。
オイルショック、経済不況、失業、人種対立、そしてパンク・ロックとフーリガン。
そんな時代に放送された1本のドキュメンタリーは、暴力に走る若者たちの心理を鋭く捉えていた。
そして、あるクラブのイメージを決定的に変えたのだった。

文=ポール・ブラウン
翻訳=加藤富美
写真=ゲッティ イメージズ

 2人の兄弟が公営アパートの敷地を歩いている。少年たちはガスタンクの脇を通って、スタジアムに向かっている。どこかで聞いた歌を口ずさみながら……。

「僕がまだ子供だった頃、ママに尋ねた。僕はどんな大人になる? アーセナルファン? それともスパーズ? するとママはこう言った……」

 名曲『ケ・セラ・セラ』の替え歌だ。続いて画面は“ザ・デン”(ミルウォールの本拠地。「巣窟」を意味する)を映し出す。男たちがビールジョッキを振りかざしながら、野太い声で歌の続きを叫ぶ。

ミルウォール! ミルウォール! ミルウォール! ミルウォール!」

フットボールに関する最も悪質な番組

 1977年、ミルウォールは2部リーグの底辺にいた。セックス・ピストルズがパンク・ロックの名盤『勝手にしやがれ!!』をリリースした年だ。英国全体で停電が頻発し、ヨークシャーでは“切り裂きジャック”を模倣した猟奇殺人犯が世間を騒がせていた。長引く経済不況のせいで、失業率は1930年代以降で最も高い数字を記録した。社会は不穏な空気に包まれ、それに呼応するように暴力事件も増えていた。学校でも、ストリートでも、パブでも、そしてスタジアムでも。

 フーリガンはタブロイド紙にとってネタの宝庫だった。「フットボールという名の恥」、「土曜の午後の殴り合い」といった刺激的な見出しが紙面を飾り、『デイリー・ミラー』はファンが起こした暴力事件の数を競う「バイオレンス・リーグ」というランキングを載せた。

 世間に騒がれる一方で、誰もフーリガンと真剣に向き合っていないように思えた。勇敢にもそこに踏み込んだのが公共放送『BBC』だ。人気番組『パノラマ』で放送されたドキュメンタリーは、一般人がフットボールサポーターに対して抱くイメージを変えてしまった。特にミルウォールは、現在に至るまでこのイメージを引きずっている。

 ドキュメンタリーは1977年11月14日、午後8時10分から放送された。大人気のコメディドラマ『Are You Being Served?』のあとで、どの家庭もテレビを見ている時間帯だった。放送の前に流されたシリアスな警告(「このプログラムには、通常では耳にしない言葉が使われています」)は、かえって番組への興味を高めたかもしれない。

『F-Troop, Treat ment & The Half – Way Line』というタイトルは、ミルウォールに存在した3つのフーリガン集団の名前を組み合わせたものだ。悪ぶった名前で呼び合う青年たち(ハリー・ザ・ドッグ、ボビー・ザ・ウルフ、マッド・パットなど)が率いる集団の抗争の様子は、あえて検閲による削除をせずに放送され、「暴力を称賛した内容」として批難の嵐を巻き起こした。例によってタブロイド紙が火に油を注ぎ、政治家やFA(フットボール協会)が番組を批判した。それから42年が経った今でも、「フットボールに関する最も悪質な番組」という評価は変わっていない。

1977年、BBCで放送されたドキュメンタリー番組『パノラマ』の映像。ミルウォールのフーリガンを特集し物議を醸した[写真]=Getty Images

いい試合、いい酒、いい殴り合い
それがミルウォール

ミルウォールは単なるフットボールクラブではない。一つの生き方だ」

 ドキュメンタリーはそんなナレーションで始まる。「ミルウォールは仲間意識、興奮、栄光を与えてくれる」と。しかし、その時点で2部リーグから上に昇格したことのないクラブが、どうやってファンに「栄光」を与えるのか? 栄光はチームの勝利ではなく、サポーターが自ら作り出したプライドだった。青と白のマフラーを巻いた男が言う。「俺たちはいつも2部か3部だ。でもサポーターはイングランドを支配してるぜ」

ミルウォールのファンじゃなかったら、ザ・デンなんか誰も行かねえよ」と別の男が言う。ハリー・ザ・ドッグと名乗る青年の態度は威圧的だ。「なんせサポーターがイカれてるからな!」

 ハリーは3つに分かれたサポーター集団の最上位に位置する「F-Troop」(F部隊)のリーダーだった。当時の資料によれば、F部隊は「とことんイカれた人間の集まり」であり、常にトラブルを求めてサポーターを煽っていた。第二のグループ「Treatment」( トリートメント) は、立見席のメンバー全員が医療用マスクで顔を覆っている不気味な集団だった。より年少者の一団は「The Half-Way Line」(ハーフウェー・ライン)と名乗り、「暴動についてはいつも上位グループのやり方を見習っていた」という。

 映像では、F部隊のメンバーが2000人のトッテナムファンを襲撃する場面、そして「自他ともに認める狂人」というハリーがブリストル・ローヴァーズのスタンドを襲う場面が流れる。ベルボトムのジーンズをはいた青年たちは、口々に暴力の必要性を語った。

「それがフットボールだろ?」

 地元のパブで一人のサポーターがそう言うと、ハリー・ザ・ドッグが言葉を続ける。「いい試合、いい酒、いい殴り合い。それがミルウォールだ」

 レポーターのデイヴィッド・テイラーは数週間にわたってフーリガンを取材した。スタジアムで、パブで、自宅で、“暴力のスイッチ”が入る瞬間を見極めようとした。テイラーは最近の取材で、当時のことをこう語っている。

「評論家はみんなフーリガンに眉をひそめ、厳しい意見を書いていた。でも、どうして暴力行為に出るのか、背景を理解している者はいなかった。だからロンドン中のスタジアムに出向いて、どのサポーターが一番尖っているか聞いたら、みんなミルウォールだと言うんだ。それでクラブに取材を申し込んだら、驚くことに許可が下りたんだよ」

英国を悩ませたフーリガンの象徴的存在

 ミルウォールは長い間──少なくとも100年前から──客席に問題を抱えてきた。早くも1906年には、ウェストハム戦で乱闘が発生した記録が残っている。1920年から50年にかけて、オールド・デン(1993年に新スタジアムが開場する前の本拠地をこう呼ぶ)は観客の暴動によって何度か閉鎖された。

 1960年代にはピッチへの乱入、審判や相手サポーターへの暴力行為が深刻な問題と化した。1965年11月、グリフィン・パークで行われたブレントフォードとの試合では、ミルウォールのサポーターが手榴弾(廃棄用の処理がされていた)をピッチに投げ込み、スタジアムが騒然となったこともあった。

 1970年代になると、フーリガンはもはやミルウォールだけの問題ではなくなっていた。アウェーの試合に遠征するサポーターが増えるにつれて、マンチェスター・ユナイテッドの「レッド・アーミー」、ウェストハムの「ICF」( インター・シティ・ファーム)、チェルシーの「ヘッドハンター」といったグループが問題行為で知られるようになった。ミルウォールのドキュメンタリーが放送される数週間前、ユナイテッドはカップウィナーズ・カップへの出場を禁止されている。サポーターがサンテティエンヌで起こした暴動が原因だった。

『パノラマ』のドキュメンタリーが放送されたのは、そんな時代だ。ミルウォールはすぐさま、英国を悩ますフーリガン問題の象徴的存在と見なされた。

1978年、敵地のウェストハム戦でピッチに乱入したミルウォールのサポーター[写真]=Getty Images


「俺たちは最高のサポーターだ」

 映像に登場する一人はそう話している。「試合があれば俺たちはどこにでも行く。そしてホームに来る相手サポーターには後悔してもらう」

 この番組のテーマを最もよく表しているのは、おそらく21歳の青年、ビリー・プラマーのインタビューだろう。もじゃもじゃした赤毛の大柄な青年は、母親との生活、実父の家庭内暴力、そして刑務所にいる継父について語っている。13歳で学校を辞めた彼は、給料の安い仕事を転々としながら「希望がない人生」を生きていると言った。

「目標をかなえるチャンスは、生まれてから一度もなかった。目標があったかどうかも分からないけどね」

 フットボールは“闘争”だと彼は考えていた。「スタジアムにいると、クソ野郎がケンカを吹っかけてくる。馬鹿にされるとムカつく」と。その挑発を無視できないのは、「仲間に臆病者と思われたくないから」だという。

 つまり、暴力だけが問題ではなかった。貧しい家庭に育ち、将来への希望を失った若者にとって、スタジアムで得られる「所属感」はある種の麻薬だ。「スタジアムに行く金さえあれば元気が出る」と彼は笑う。「ひどいチームだよ。強くもないし、下部リーグから抜け出せない。でもスタジアムに行けば頼りになる友達がいるんだ。俺たちからフーリガンという看板を外したら何も残らない。でもみんな、その看板を頼りに生きている」

プログラム放送後のミルウォール

 フーリガンに同情的とも言える番組内容は、強い反発を招いた。当時のスポーツ相デニス・ハウエル(フットボールリーグの元審判でもあった)は、「重大な懸念」と表現した。FAも「社会的脅威をさらに拡大させる」という否定的見解を示していた。では、ミルウォール自身はどう考えたのろうか?

「番組は誇張されていて侮辱的」というのがミルウォールのコメントだった。1万人の観客のうち、フーリガンは200人程度の少数派だとクラブは主張した。

 その翌月、“少数派”のサポーターはトッテナム戦で深刻な暴動を起こす。翌1978年の3月にも、FAカップのイプスウィッチ戦で惨敗したあとに暴力事件が発生し、『ミラー』は「ザ・デンを閉鎖しろ!」と見出しを打った。

 その後、ミルウォールのフーリガンは『ブッシュホワッカーズ』という集団に統一された。彼らが起こした最悪の事件が、有名なFAカップ準々決勝のルートン戦だ。1985年3月、アウェーに乗り込んだグループがピッチに乱入し、ルートンの選手や審判を一斉に攻撃した。角材やナイフを手にした暴徒は警官隊と衝突し、31人が逮捕される事態になった。これを重く見た当時のサッチャー政権は、スタジアム入場時に身分証明書の提示を義務づける対策を審議した。

1985年、FAカップのルートン戦でフーリガンがピッチに乱入。警察官を含め多くの負傷者を出した[写真]=Getty Images


 現在はどうだろうか? 2002年の昇格プレーオフでバーミンガムに敗れたときは、サポーターたちがスタジアムの周囲で騒ぎを起こした。2013年のFAカップ準決勝でウィガンに敗れたときも、ウェンブリーのミルウォール側スタンドで乱闘があった。今年1月には、エヴァートンとのFAカップ4回戦を前に一部のサポーター同士が衝突し、試合中に人種差別的なチャントを歌った。これらを踏まえると、問題がすっかり解決したとは言えない。しかし、以前のように多数の負傷者を出すような、深刻なレベルでなくなっていることも確かだ。

 実際のところ、ミルウォールはずっと暴力問題を改善しようと動いてきた。1977年の番組の中でも、地域社会との関係を強化するプロジェクトに焦点が当てられていた。42年前と同じ努力が、今日も続けられている。

 ミルウォール・コミュニティ・トラストとサポーターグループは、協力して地域活動に携わっている。その結果、ミルウォールは2017年にリーグの最優秀ファミリークラブに選ばれ、2018年には5年連続となるファミリー・エクセレンス・アワードを受賞した。しかし、長年の悪い評判を簡単に拭い去ることはできていない。それはあのドキュメンタリーのせいだ、と考えているファンも多い。

1993年にオープンしたミルウォールの本拠地“ザ・ニュー・デン”。ファミリーの姿も多く見られる[写真]=Getty Images


 当時、番組に登場したフーリガンたちは今、何をしているのだろうか?

『BBC 』は2007年、彼らの30年後を描いた“続編”の制作を検討した。しかし、死亡、病気、出演拒否といった理由で、制作を諦めざるを得なかった。

 1977年、テレビに映し出された野蛮な映像が、ミルウォールというクラブのイメージを作り上げた。それが良かったのか、悪かったのかを評価するのは難しい。現在のザ・デンはかつてのように危険な場所ではないが、荒っぽいアウトサイダーのイメージが、このクラブの魅力であることは否定し難い。

 近隣のクラブがフットボールの商業主義的な流れに乗り、裕福なファンとスポンサーを抱えているなかで、労働者階級の根強いサポーターに支えられるミルウォールは異彩を放っている。再開発が進むロンドンで、ザ・デンとその周辺はなぜか昔のまま残されている。

 ミルウォールは昔も今も、栄光と縁のない弱小クラブだ。しかし英国のフットボールファンなら誰であれ、このクラブを知っている。そして耳のまわりを飛ぶ虫のように、このクラブのことが気になって仕方ない。そのアイデンティティは、サポーターが歌うアンセムに端的に表現されている。

「俺たちは嫌われ者、それで構わない」

※この記事はサッカーキング No.006(2019年9月号)に掲載された記事を再編集したものです。

By サッカーキング編集部

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