2017.12.12

【ライターコラムfromG大阪】現役最後のクラブは「大好き」なガンバで…藤ヶ谷陽介、19年のプロ生活に終止符

今季限りで現役を引退した藤ヶ谷陽介 [写真]=大木雄介
雑誌社勤務を経て、98年よりフリーライターに。現在は、関西サッカー界を中心に活動する。ガンバ大阪やヴィッセル神戸の取材がメイン。

 19年間の現役生活からの引退を表明して臨んだ、明治安田生命J1リーグ最終節。アウェイでのFC東京戦。「引退を決めても実感が湧いてこない」と話していた彼は、この日もどことなく『引退』という文字がしっくりこないまま現役生活最後の公式戦を迎えていた。

 いつも通り、GK陣と切磋琢磨しながら――。例えば、この日のように控えメンバーに回るとなれば、チームの勝利のために先発でピッチに立つGK東口順昭を全力でサポートし、あとは戦況を見守りながら、いつ途中交代を告げられても大丈夫なように心身ともに準備をする。そうやって19年間、変わらなかったルーティンは最後まで揺らがず、だからこそ翌日、引退発表記者会見の席についてもなお「まだ実感が湧いてこない」と笑った。

「試合終了の瞬間も、自分に残ったのは勝てなくて残念だったなという気持ちだけでした。もっとも、改めて考えれば、ここまでやってこれたのは家族をはじめ、周りの皆さんの支えがあったからだと思っています。ただ……。自分が改めて『引退』考えることをしなければ『これで終わるんだ』という感慨深さもなかったし、グッとくる瞬間もなかった。もしかしたらまだ続くんじゃないかという気持ちもあって……。だから今この会見の席についてもまだ引退を実感できていません」

藤ヶ谷陽介

19年間の現役生活にピリオドを打った [写真]=JL/Getty Images for DAZN

 19年間もの長いキャリアを想像して始まったプロサッカー生活ではなかった。事実、磐田東高校を卒業後にプロの道を切り拓いたのも、例えば高校サッカー選手権の活躍が目に止まったとか、Jのスカウト陣に声をかけられてではない。彼のポテンシャルを信じ、また「プロになりたい」と強く願っていた藤ヶ谷陽介の夢を何とか叶えてやりたいと、磐田東高校時代の恩師・宮司佳則監督が自身の伝手を頼って、Jクラブに練習参加をするチャンスを手繰り寄せてくれたのだ。

 実際に練習に参加したクラブは4つ。その中で唯一、手を差し伸べてくれたのが当時J2リーグのコンサドーレ札幌だった。

 そうしたスタートだったからこそ、当時、宮司監督も「10年やれたら一流だ」と言って、その背中を押してくれたと懐かしむ。だが気がつけば、そのキャリアは19年の時を刻んでいた。

「プロになれたこと自体が奇跡なのに、これだけのキャリアを築いてくることができたのは驚きでしかない。宮司先生を始めとするいろんな人との出会い、チームメイトやスタッフに恵まれたからこそ今の僕がある。本当に僕に関わってくださった全ての人に感謝しています」

 その札幌では6年、ジュビロ磐田で1年、ガンバ大阪で12年というキャリアを築いた。中でも2005年に加入し、同年のJ1リーグ優勝に始まる数々の『タイトル』に貢献してきたガンバでの時間は、誇りであり、チームに対する愛着をより深めるものになった。

 記憶に残るシーズンは08年。J1リーグ戦での成績こそ振るわなかったものの、この年ガンバはクラブとして2度目のチャレンジとなったAFCチャンピオンズリーグを無傷で勝ち上がり、頂点に立つ。その後に戦ったFIFAクラブワールドカップでのマンチェスター・U戦は今もファンの間で語り継がれる一戦だ。それだけではない。そうしてACL制覇を実現しながら、そのままシーズンが終われば翌年のACL出場権を手にできないという状況下にあった。クラブW杯の興奮冷めやらぬまま、疲労のピークに達し、ケガ人続出のチーム状況の中、年末の天皇杯に臨む。その中で準決勝の横浜F・マリノス戦を延長の末に制して決勝進出を決めると、柏レイソルとの決勝戦でも再び延長戦を強いられる中、播戸竜二が決勝ゴールを決めて頂点に立つ。この年、ガンバが戦った公式戦は、過去最多の61試合。藤ヶ谷はそのほとんどの試合で先発を預かり、守護神として躍動した。

藤ヶ谷陽介

2008年はフル稼働でG大阪の躍進に貢献した [写真]=Getty Images

「もちろん、ガンバに移籍して最初のシーズンに獲得した、クラブとしても初めてのJ1リーグ制覇は印象深く残っています。ただ、08年は本当に激動のシーズンで……。アジアの頂点に立った後、クラブW杯、天皇杯まで、本当に全員で戦い抜いた。そういう意味ではシーズンの最初から最後までほとんど休まず、チームとしても個人としてもある種、異様なハイテンションで戦い抜いた特別な1年として記憶に刻まれています」

 そうした歓喜の瞬間とは対照的に、クラブ史上初めてJ1リーグの残留争いに巻き込まれ、降格が現実となり、J2リーグを戦った13年は藤ヶ谷にとって「それまでとは違う覚悟を持って臨んだ1年だった」と振り返る。

「12年はチームの成績はもとより、自分自身にも不甲斐なさを感じたシーズンだったからこそ、仮にJ2で優勝できなければ、そこに力を貸せる自分がいなければ、自分のサッカー人生は終わると思っていた。そう考えると他のシーズンにはない危機感をもって臨んだ1年でした」

 また、J2優勝、J1昇格を実現し、一度ジュビロ磐田に移籍をした後、15年に再びガンバに戻ってからの3年間も、藤ヶ谷にとってはそれまでとは違う時間を刻んだ。というのも、藤ヶ谷と入れ替わるように14年にGK東口順昭が加入したガンバはその年、史上初のJ1復帰1年での『三冠』を実現していたからだ。そこに戻るという選択は、以前に増して厳しいポジション争いに身を置くことも意味する。それを自分なりに噛み砕いた上で復帰を決めた彼は、冒頭に書いた「変わらないルーティン」を最後まで、一切の手を抜くことなくやり抜いた。

 そんな彼を支えたものは何だったのか。彼の言葉を借りるなら「とにかく試合に出たいと思う気持ち」。そして、「ガンバが大好きだから」。今年限りでユニフォームを脱ぐと決めたのも、その大好きなガンバで自身のキャリアを締めくくりたいと思っての決断だった。

文=高村美砂

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