2016.10.17

【コラム】選手生命の危機を乗り越えて完全復活 松本MF田中隼磨が語るJ1復帰への青写真とは

田中隼磨
大挙駆けつけた松本サポーターに勝利を報告する田中隼磨。フル出場で勝利に貢献した [写真]=Getty Images
スポーツ報道を主戦場とするノンフィクションライター。

 まさに泰然自若だ。先に90分間を戦い終えていた3位・セレッソ大阪と5位・ファジアーノ岡山の結果にも、ましてや同日手にしたジェフユナイテッド千葉戦の勝利で6位以内とJ1昇格プレーオフ出場を確定させたことにも、松本山雅FCのMF田中隼磨は全くの無関心だった。

 敵地・フクダ電子アリーナに乗り込んだ16日の明治安田生命J2リーグ第36節。松本は攻守両面でチームの身上であるハードワークを発揮させて球際の攻防を制圧し、セットプレーから泥臭く3ゴールをゲット。クラブタイ記録となる12試合連続負けなしにシーズン12度目の完封勝利で花を添えて、J1へ自動昇格できる2位をしっかりとキープした。

攻守両面で献身的な動きを見せ、勝利に貢献した [写真]=Getty Images

攻守両面で献身的な動きを見せ、勝利に貢献した [写真]=Getty Images

 その試合後、報道陣から結果に際しての感想を問われると、34歳のチーム最年長は思わず目を丸くした。

「セレッソ、今日はどこと? 岡山? 他のチームのこと、実は全然知らないんですよね。6位以内が決まった? そうなんですか? でも、あまりそれはね、俺たちはJ1への自動昇格を狙っているので」

 この日の田中は「3-6-1システム」の右ワイドとして先発フル出場。自陣で相手攻撃陣とデュエルを繰り広げていたかと思えば、チャンスと見るや右タッチライン際をフルスピードで駆け上がってくる。味方からのパスが通らない、あるいはクロスがゴールを演出できなくても労を惜しむことなく稼働し続けた90分間を、松本を率いる反町康治監督は独特のユニークな表現で称賛する。

「いいところまで攻め上がってため息で終わることもあるんですけど、皆さんがため息をついている間に、もうハーフウェイラインのあたりに戻っていますよね。ある意味で(攻撃の守備の)一人二役みたいなところがあって、本当によくやっていると感じている。切り替えの速さと運動量の多さは回数で勝負していくウチには必要ですし、その意味では(田中)隼磨はこれからよりキーパーソンになっていくのかなと」

 指揮官をしてこう言わしめた歴戦の勇士だが、クラブ史上で初めてJ1の舞台で戦った昨シーズンのファーストステージ開幕戦から紡がれてきた連続フルタイム出場の軌跡は、通算50試合目となった今年6月4日のJ2第16節ギラヴァンツ北九州戦を区切りに突然の一時停止を余儀なくされた。

 北九州戦から中3日で行われた第17節北海道コンサドーレ札幌戦。故・松田直樹さんから受け継いだ背番号3がアルウィンのピッチ上にいないどころか、ベンチにすらも入っていない。2014シーズンのラスト3試合以来となる非常事態。当時の田中は右ひざ半月板損傷の重傷を隠しながら、J1昇格が決まるまで痛み止めの注射を打って先発フル出場を続け、悲願を成就させてから治療に専念するため戦列から離れていた。

「ハユマに何があったのか……」。一夜明けた9日、ファン・サポーターが抱いた嫌な予感はクラブから発表された悲報とともに的中する。診断名は「右眼裂孔原性網膜剥離」。全治などは「未定」とされた。8日、チームが札幌に勝利して2位浮上に成功する一方、田中は横浜市内の病院で緊急手術を受けていた。

 北九州戦から一夜明けた5日だった。右目を通して見る視界に覚えた違和感が、ただごとではない状態に変わっていった。胸騒ぎを覚えながら、練習後に向かった松本市内の病院でサッカーどころではない病状にあることを告げられた。すぐに横浜市内の病院へ転院した。

「治療法の一つとして、うつ伏せになって寝ないといけなかった。網膜が剥がれないように目の中にガスを入れたんです。手術の後にしっかりと網膜がくっついて、ガスがなくなるまでの2週間くらいは本当に一日中、病院のベッドの上でうつ伏せになった状態で過ごしました」

 クラブの全体練習に復帰したのは8月24日。悪夢のような宣告から、実に2カ月半もの時間が経過していた。その間に不安を抱かなかったといえば、もちろんウソになる。もう失明の恐れはないのか。何よりも愛してやまないサッカーを、再び始めることができるのか。全治までの期間だけでなく、手術前はどのようにして受傷したのかも一切分からなかっただけに、底知れぬ不安の日々に突き落とされた。

「もちろん最初は何も分からなかったし、最初の2カ月くらいは先のことが何も見えない状態だった。手術してくれた先生の指示に従ってずっとやってきて、こうやって克服することができた。今では(網膜剥離を起こした)原因も分かっています。プライベートなことなのでなかなか言えませんけれども、自分の中ではしっかりと把握しているので。今は(恐怖心は)ないです。本当に全くないですね。ピッチの上の俺を見てくれれば、分かると思います」

 試合中の接触プレーで受けた衝撃に原因があるとしたら、人間である以上は、復帰後は心の片隅に恐怖心が巣食いかねない。実際、復帰後の練習でも接触のあるメニューはしばらく回避した。それでも天皇杯全日本サッカー選手権大会による中断から明けた9月11日の第31節京都サンガF.C.戦で、彼はピッチに帰ってきた。以来、まるで何ごともなかったかのように6試合連続で先発フル出場を続け、J1昇格へのプレッシャーが一気に増してくる終盤戦で「負けなくなった」松本の右サイドを支えている。

「復帰した京都との試合から、俺自身は何も変わっていないかな。(カウントダウンへの)プレッシャーは大いになければいけないし、それに打ち克ってこその俺たちだからね。そういうプレッシャーを楽しむことも大事だし、プレッシャーがあってこそ、乗り越えればより強くなれるわけだから。メディアの皆さんも含めて、周りはどんどんプレッシャーをかけてくれていいと思うよ」

 誰よりも田中自身が、選手生命の危機という未曽有のプレッシャーに打ち克ったばかりだ。例えるならば“修羅場”をくぐり抜けてきた男の言葉は重く、説得力をも帯びる。

 千葉戦終了後にはこんなワンシーンがあった。ゴール裏を緑色に染めたサポーターへ挨拶に向かう直前。途中出場した高卒ルーキーFW前田大然(山梨学院大学附属高校卒)に寄り添いながら、田中が身ぶり手ぶりで何かを伝えている。

「それは俺と彼の間の話だから」と詳細については多くを語らなかった田中だが、88分には右サイドを深くえぐった田中の折り返しを、フリーで走り込んできた前田が空振りするシーンがあった。決めればプロ初ゴールとなった18歳は「それ(初ゴール)もあって、ちょっと体が硬くなった」と申し訳なさそうに振り返るが、試合の余韻が残る中で田中が伝えたのは、ストライカーに必須なポジショニングだった。

「若い選手に対しては、試合が終わってすぐに言うことが大事。少しでも俺たちがサポートして、彼らが活躍することでチームの勝利も近づくわけだから。彼らには本当に伸び伸びとプレーしてほしいし、その手助けをするのが俺たちの役目でもあるからね」

 勝ち点6差で追いすがってくる清水エスパルスを十八番のセットプレーからのゴールで1-0で振り切った9月25日の第33節でも同じような光景が繰り返されていた。この試合で通算8枚目のイエローカードをもらい、2試合の出場停止が課されることが決まった24歳のFW山本大貴を、田中は期待を込めて叱責している。

「アイツ(山本)も責任感が強い男だし、何をしなければいけないかがだんだん整理されてきて、それがピッチで表現されてもいる。それがアイツの成長した姿だと思うけれども、イエローカードを8枚ももらうことは俺には受け入れられない。アイツも反省しているけど、チームにも迷惑を掛けているわけだからね。それは試合中にコントロールしなきゃいけない俺の責任でもある」

 千葉戦から一夜明けた17日に大阪府内で始まったGKだけによる日本代表候補合宿に招集された24歳のシュミット・ダニエルに対しても、田中は期限付き移籍で加入したシーズン開幕前から「代表を狙え」とエールを送り続けてきた。「候補」の二文字がついているとはいえ、松本としては初めてとなる快挙に、横浜F・マリノス時代の2006シーズンに1キャップを獲得している田中の声も弾む。

「試合のたびに自分のミスを克服して、しっかりと次の試合に生かしている。性格もいいし、候補ではなく絶対に上を目指せると思ったから、ミスをした時にはちょっとアドバイスもしてきた。俺ももちろん(A代表を)目指しているし、若い選手たちには負けたくないよね。そういう思いが、チームの中で相乗効果にもなると思う」

 プレーだけでなく、若手選手へ精神面でも影響を与える田中の姿に、反町監督も丸刈り姿の前田を例に出しながら再び目を細める。

「ハートが強くて、サッカーに対して一切の妥協を許さない。サッカーに対する紳士たる姿勢も、ウチのお坊さん(前田)はちゃんと学んでくれたら」

 42試合を戦う長丁場のリーグ戦も残すは6戦。自動昇格を巡る戦いも、いよいよ熾烈さを極めてくる。2位に食い込んだ2年前の経験者が少なくなる中で、魂の象徴として松本を支えてきたレジェンドは「チームとして得た経験は残っているから」と心配無用を強調する。

「ここまで来たら、残り試合はすべて大一番。何も新しいことをやるのではなくて、自分たちのスタイルを貫くことがJ1昇格への一番の近道。うまい、ヘタはちょっと別にして、前からどんどんプレッシャーをかける、かわされてもスライディングで再びボールを奪う、最後まであきらめることなくひた向きにシュートブロックに行く。そういうプレーをしているからこそ大勢の山雅のファンはスタジアムに来てくれる。それを(若い選手に)伝えていかなきゃいけない」

 アウェイの千葉戦が行われたフクアリにも、実に4000人ものファンやサポーターがはるばる駆けつけた。その眼前で魅せた無骨で泥臭く、それゆえに逞しさすら感じさせる完勝劇。試合後の取材エリアで岡山と引き分けた3位・セレッソとの勝ち点差が「4」に広がったことを知らされた田中は、ちょっとだけ笑みを浮かべた。

「それはでかいね。あまり周りのことは気にしないと言っても、それはでかい」

 戻るべきJ1の舞台へ。6試合中で5つ勝てば、3位以下の成績に関係なく2位以内が決まる。雄々しくラストスパートを掛ける松本の中心に、心技体のすべてを充実させている田中がいる。

文=藤江直人

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