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[丸岡]憧れのユニフォームを身に纏い…系譜を継ぐ“丸岡らしいストライカー”【高校サッカー選手権】

2019.12.31

田海寧生は「丸岡らしさ」を兼ね備えたストライカーだ [写真]=安藤隆人

 久しぶりに“丸岡らしいストライカー”が登場した。

 FW田海寧生(3年)は181cmの高さと屈強なフィジカルを活かしたポストプレーだけではなく、反転からのシュートや鋭い動き出しで裏のスペースを突く。多様な動きでゴールを陥れることができるストライカーだ。

 丸岡はこれまで多くのJリーガーを輩出し、1997年度には選手権ベスト4に輝くなど、北信越を代表する強豪校の1つだった。しかし、近年は苦しい戦いを強いられ、全国大会に出でも思うように結果が出せず。プリンスリーグ北信越においても、2014年に県リーグ降格の憂き目にあってから、なかなか再昇格できずにもがいていた。

 それでも、昨年度は3年ぶりに選手権出場を果たすとベスト16に進出。加えて県リーグを制して参入戦を勝ち抜き、5年ぶりとなるプリンスリーグ復帰も果たした。原動力となったのが当時2年生だった田海だった。1年次からコンスタントに出番を掴んでいた男は、初戦の東山戦でオープニングゴールをたたき込み、チームに勢いをもたらした。

 3年生となった今年、背番号10とキャプテンマークを託されると、よりスケールアップ。「高1の選手権予選で何も出来ないまま負けた時に、自分の無力さを痛感した」ことで、徹底的に取り組んでいた筋トレと、「前線でやれることを増やそうと思った」とポストプレーと前を向いてのプレーとのメリハリを意識してきたこともプラスに働いた。プリンス北信越では得点ランキング2位につける13ゴールを叩き出し、チームを3位に導くと、インターハイでもベスト16に進出。そして、2年連続での選手権出場も手にした。

 丸岡の歴代のストライカーと言えば、奥野誠一郎氏(元横浜フリューゲルス、大宮アルディージャ)、橋本早十氏(元大宮)、棗佑喜氏(元川崎フロンターレ、栃木SCなど)がいた。久しぶりにその系譜を継ぐストライカーとして、田海はチームを最前線で牽引している。

「僕は丸岡で生まれ育って、小さい頃から丸岡が選手権に出ていたので、絶対にここでプレーしようと思っていました」

 憧れだったエンジのユニフォーム。その想いが強くなったのは、中学時代のコーチである木村誠氏の存在によるものだ。木村氏は丸岡が選手権ベスト4に輝いた時のメンバーで、川崎やモンテディオ山形などで活躍した元Jリーガーだ。田海は丸岡の伝統や系譜を聞いていたという。

「自分が入ったら強くしようと思ったし、小阪康弘監督の下でやりたいと思った」

 その覚悟は本物だった。丸岡には一般入試で入学した。毎年複数人募集されるスポーツ推薦組には入れなかった。それでも、「丸岡に行く意思は一切変わらなかった。逆に推薦入学組には絶対に負けたくないという気持ちで臨めた」と、反骨心に変えて彼はエースまで上り詰めた。

 卒業後は駒澤大学に進学する。実は“丸岡 → 駒澤”ルートは丸岡にとって定番の進学先で、前述の橋本、棗、木村も駒澤大を経てプロになった。本人もこのルートの重要性を理解している。

「自分も駒澤でプロになりたいし、先輩たちが歩んだ道を僕も歩まないといけない。意識して4年間を全うしてプロになりたい」

 目標に向かって突き進む『丸岡らしいストライカー』。もちろん今はその前に高校最後の選手権で結果を出すことに集中している。

「去年、先輩たちにベスト16に連れて行ってもらったと思っているので、今年は10番でキャプテンだからこそ、責任を持ってチームをそれ以上の成績に持っていきたいです」

 有言実行となるか。まずは初戦の長崎総合科大附戦に向けて、その牙を研ぎ澄ます。

取材・文=安藤隆人

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