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2013年のサッカー界を動かすメッシ、「サッカー史上、最も“天才らしからぬ”天才」の物語

2013.01.06

ワールドサッカーキング 0117号 掲載]

Gioia Messi_SK

1月4日発売のワールドサッカーキング最新号では、2013年のサッカー界を動かす最重要100選手をカウントダウン形式で紹介している。ペレを超え、ゲルト・ミュラーを超え、“物言い”のついたジーコを超え、年間の公式戦ゴール数で「90」の大台を突破したリオネル・メッシも注目選手の一人。偉大な選手から、偉大な“攻撃者”へ。“神の子”と呼ばれる男の物語、その台本を紐解く。

Text by Andy MITTEN

Translation by Dai TAJIMA

Photo by Getty Images

 

次元違いの人気 お目当てはみんなメッシ

 

 台本には書かれていなかった。昨年の9月19日、チャンピオンズリーグのホームゲームで16試合無敗を継続するバルセロナが、ロシア王者スパルタク・モスクワを本拠地に迎えた。ティト・ビラノバ新監督にとっては、欧州カップ戦で初のホームゲーム。開始14分、バルサはあっさりとリードを奪う。相手FWエマヌエル・エメニケが自陣ゴール前でプレーする時間のほうが長いほど、バルサは圧倒的にゲームを支配した。ここまでは、ありきたりのシナリオだ。しかし、ここで“事件”が起こる。スパルタクがオウンゴールで同点に追いつくと、59分に逆転弾をマーク。スパルタクのサポーターはもちろん、選手たちでさえも信じられないといった表情を浮かべていた。

 

 もっとも、主役はやはりこの男だった。72分、リオネル・メッシはペナルティーエリア付近でマークを外し、クリスティアン・テージョからパスを受けると、サイドキックで冷静にゴールに流し込み、バルサを同点に導く。更に、その8分後にはアレクシス・サンチェスのクロスに頭で合わせ、決勝点をマーク。一瞬にしてカンプ・ノウに“秩序”をもたらした。

 

 メッシはサッカー史上、最も“天才らしからぬ”天才かもしれない。クリスチアーノ・ロナウドのように気取って歩くこともなければ、ジョージ・ベストのような高慢な態度も取らず、ヨハン・クライフのようなカリスマ性やディエゴ・マラドーナのようなスター性を備えるわけでもない。それでもメッシは、毎週のようにスペクタクルを披露し、勝負を決める。一瞬で“超人”へと変身し、見る者を“あぜん”とさせるのだ。

 

 2012年3月、メッシは24歳にして、57年もの間、破られることのなかったセサル・ロドリゲスの232ゴールという記録を抜き、バルサの公式戦歴代最多得点記録を更新した。クラシコでのゴール数でメッシの「17」を上回るのは、アルフレッド・ディ・ステファノの18ゴールだけ。10月にカンプ・ノウで行われたレアル・マドリー戦の2ゴールで、メッシはバルサの選手として初めてカンプ・ノウでリーグ戦通算100ゴールを記録した選手となった。

 

 メッシの価値は得点だけではない。彼はゴールの“創造者”でもある。直近のクラシコまでに、メッシは2012年のバルセロナ全123ゴールのうち78ゴールに絡んでいた。内訳は、55得点23アシストだ。

 

「個人技ばかりがクローズアップされるけど、メッシはチームプレーヤーだ」とチャビは説明する。「メッシは相手を引きつける。どちらのサイドでも敵を抜くことができるから、相手はメッシを警戒する。結果、他の選手がフリーになるんだ」

 

 更に言えば、相手だけではない。メッシはファンも引きつける。バルセロナ近郊にある6つのクラブショップのうち、最も大きい店舗には、バルサのレプリカシャツが陳列された棚が18個あり、人気選手のユニフォームが並べられている。セスク・ファブレガス、チャビ、ダビド・ビージャの棚が2つずつ。アンドレス・イニエスタの棚は4つ。しかし、ジェラール・ピケ、ダニエウ・アウヴェス、A・サンチェス、カルラス・プジョル、ペドロ・ロドリゲス、セルヒオ・ブスケといった選手のユニフォームはここに飾られていない。そう、残り8つの棚にはメッシのユニフォームが置かれているのだ。「メッシとその他という感じさ」と店員は説明する。「かつてはルイス・フィーゴやリヴァウドが人気だった。ロナウジーニョ、サミュエル・エトオの時代もあった。でも、メッシは次元が違う。観光客も、お目当てはみんなメッシだし、地元の人もメッシを愛している。もちろん、子供たちもね」

 

 スパルタク戦、モスクワからやって来たスパルタク・ファンの大半がメッシのユニフォームを購入した。メッシの魅力は、クラブの垣根を越える。スパルタクのサポーターは「メッシの華麗なプレーを思い出したい」とは思わないかもしれないが、彼らを除く世界中のサッカーファンはそう思ったはずだ。

「メッシ級」という特別な給与システム

 

「メッシは世界最高の選手で、違いを生む選手だ。彼はすべての記録を打ち破りつつある」とブスケは言う。もちろん、サッカーはチームスポーツだが、モスクワのクラブに振り込まれる可能性もあったUEFAからの100万ユーロ(約1億円)の賞金をバルセロナの口座にもたらしたのはメッシだ。そう考えれば、高額なボーナスを含む彼の1800万ユーロ(約18億円)という年俸も決して不当ではない。この額はロシアでプレーするエトオに次ぐ高給で、広告収入などを含めると、2011年のメッシの年収は3300万ユーロ(約33億円)。エトオを抜き、堂々の「サッカー界ナンバーワン」だ。

 

 昨今のトレンドに漏れず、バルサもコスト削減に取り組んでいるクラブで、2011年の支出は前年の4億7200万ユーロ(約472億円)から4億4100万ユーロ(約441億円)に減少した。もっとも、人件費はレアル・マドリーを抜き世界最高額。「支出の半分以上が選手の給料に充てられている」とはサンドロ・ロセイ会長の言葉だが、「もちろん、世界最高のチームを維持するために様々な収入源も模索している」と続ける会長の下、バルサは老朽化が進むカンプ・ノウの2015年からの改築に備え、債務削減に努めている。それでも、クラブの“成功の源”であるメッシには、「メッシ級」という専用の給与システムを用意。チャビ、イニエスタ、ビージャらA級の上に「メッシ級」がある。

 

 2008年にファーストチームの指揮権を委ねられたペップ・グアルディオラは、メッシ中心のチーム作りをスタートさせた。フロントは最高の待遇をメッシに用意。現在マンチェスター・シティーでチーフエグゼクティブを務めるフェラン・ソリアーノが中心となり、バルサはメッシの家族とも強い信頼関係を構築した。ソリアーノは、シーズン毎に給料が上がる契約をメッシと結んだが、彼の言葉を借りるなら「他のクラブを寄せつけないため」だ。バルサとメッシ家の絆は固く、それは金だけで結ばれたものではない。メッシは、タイトルを取り続けることのできるビッグクラブでのプレー、そしてバルセロナという街での生活、更にはチームメートをとても気に入っている。バルセロナ空港から南米への直行便は3便あるが、その一つはブエノスアイレス行き。金満クラブが増えたロシアからでは、母国アルゼンチンに戻るのも容易ではない。

 

偉大な選手から偉大な“攻撃者”へ

 

 スパルタク戦の翌日、メッシは契約メーカーであるアディダスのCM撮影に臨んでいた。ヨーロッパ各地から何十人ものスタッフが、アディダス「最大の広告塔」の撮影に集う。バルセロナでは珍しく、どんよりとした空の下、撮影場所となるピッチは壁と警備員で封鎖されていた。ピッチの片側では、ガウディのグエル公園を訪れた観光客が何事かと好奇心を募らせる。ピッチの反対側では、子供たちを中心にうわさが広まったようだ。「メッシがいるらしいよ」。子供が目を輝かせ「本当にいるの? ちょっとのぞいてみる」と興奮気味に話している。

 

 一方、当のメッシは慣れたものだ。17歳の頃からスポンサーと付き合いがあり、父親と兄は“商品としてのメッシ”をしっかりと管理している。もちろん、メッシはバルサからも保護されているため、プレーに専念できる環境は保たれている。過去のバルサのスター選手の中には、友人や取り巻きのためにバーやピザ屋を開くなど、ビジネスに手を広げすぎた者も少なくなかったが、その点、メッシのスケジュールは慎重に管理され、本人の望まないことを強要されることはまずない。バルセロナの広報部は、メッシのメディア露出をもう少し増やしたいと考えているようだが、メッシ自身もまた、「プレーで主張すること」を望んでいる。

 

 メッシがバルサの下部組織にいた頃、彼に対する懸念の声は少なくなかった。得点力不足が欠点だと言う者もいたし、早熟であるがゆえに若いうちにピークを迎え、「23歳の頃にはレバンテ(当時2部)あたりで用済みになっているだろう」と嘲笑気味に語る者もいた。しかし、ご存知の通り、メッシは彼らが間違っていることを見事に証明して見せた。

 

 ペレやゲルト・ミュラーをも上回る年間ゴール数。偉大な選手から、偉大な“攻撃者”へと進化を遂げたリオネル・メッシの台本に「止まれ」の文字は記されていない。

 

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