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アテネ世代からリオへのエール…成長を続ける34歳浦和DF那須が抱く“悔い”と“プロ魂”

2016.08.07

湘南戦に先発出場し、3連勝に貢献した那須大亮 ©J.LEAGUE PHOTOS

 ホームにおけるクラブ通算500試合目の公式戦を4-1の快勝で飾った余韻が残る試合後の取材エリア。このメモリアルマッチにボランチとして先発し、62分からはシャドーにポジションを上げてフル出場した浦和レッズMF柏木陽介がポツリとつぶやいた。

「暑くてしんどい。日本の夏に(試合を)やったらあかんやろうって、切実に思っている」


 湘南ベルマーレを埼玉スタジアムに迎えた6日の明治安田生命J1リーグ・セカンドステージ第7節。18時半のキックオフ時点で気温30.6度、湿度は65パーセントに達し、風も緩やかに吹いているだけだった。

 文字どおりの“真夏の消耗戦”が選手たちの体力と気力を奪い去っていた中で、表情に精かんさを漂わせながら、軽やかにステップを踏むように取材エリアに姿を現した男がいた。

 1981年10月10日生まれの34歳。浦和でキャプテンを務めるMF阿部勇樹と並び、両チームを通じて最年長となるDF那須大亮が充実感溢れる口調で90分間を振り返る。

「気持ちの部分を含めて、練習の段階からいい準備ができている中で試合を迎えられているのは非常に大きいですよね。この夏場は一歩、二歩を頑張れるか、頑張れないかだと思っているので」

 準備は何も湘南戦へ向けたものだけに限らない。いつ訪れるかわからない出番へ。プロ15年目を迎えたベテランは初めて経験する状況下で、心と体の両方で常にトップコンディションをキープしてきた。

 ファーストステージを含めて24試合目を迎えたリーグ戦で、彼の出場は湘南戦を含めて7試合にとどまっている。柏レイソルから完全移籍で加入した2013シーズン以来、3バックの中央で平均31試合に出場してきた男にとっては、ちょっとした“事件”でもあった。

 今シーズン開幕前、リオデジャネイロ・オリンピック出場を決めたU-23日本代表でキャプテンを務め、ハリルジャパンにも選出されている遠藤航が新戦力として湘南から加入した。ミハイロ・ペドロヴィッチ監督がその才能にほれ込み、2年続けて獲得オファーを送ってきたホープは、ジュビロ磐田とのファーストステージ第2節から3バックの真ん中に君臨。まるで何シーズンもプレーしているかのような貫禄を放ちながら、浦和へ新たな力を与えた。

 一方の那須は柏との開幕戦こそ73分から途中出場したものの、磐田戦からは3試合連続でベンチ入りメンバーから外れた。ヴァンフォーレ甲府との第5節から復帰したものの、それでもリザーブのまま90分間を終えることが実に12試合も続いた。

 ここまでリーグ戦に絡めない日々が続くのは、駒澤大に在学中だった2002シーズンに横浜F・マリノスで大学生Jリーガーとなり、東京ヴェルディ、磐田、柏と歩んできたプロ人生で、もちろん初めてだった。

 ベテランが若手にポジションを取って替わられる――。プロの世界における掟でもある世代交代の波にさらされながら、それでも那須は「チャンスが来た」ととらえていた。

「時間がある分、フィジカルの部分に関しては、維持よりも向上させることができるので。その意味で、自分の中でコンディションはすごく良かったんです」

 ピッチに立てないということは、裏返せば週末の試合を気にせずに自分を追い込める時間を得られることになる。ファーストステージを戦いながら、那須は週の半ばまで徹底して体をいじめ抜いた。

 全体練習を終えると、天野賢一コーチを始めとする首脳陣を呼び止めては、ひたすら居残り練習を自らに課してきた。例えば、腰に結びつけたゴムチューブをゴールポストにつないだ状態で、クロスを上げてもらってはヘディングで弾き返す。

 チューブが縮もうとする力に逆らうことで瞬発力とパワーを磨き上げる。梅雨が訪れ、気温と湿度がじわじわと増した中でダッシュやランニングを繰り返してはスタミナをも増量させてきた心境を、那須はこう表現する。

「プロで15年やってきて、そういう(試合に出られない)時間は自分にとってのターニングポイントになると、自分では捉えていたので」

 週末の試合が近づき、練習に戦術的なメニューが多くなると、選手たちは先発メンバーが誰なのかをおのずと感じ取る。人間である以上は、日々の練習の積み重ねで得た成果をピッチで試したくなる。

 もちろん那須も「試合に出たい」という欲求に駆られる。しかし、それが叶わなかった時の心の持ちようで、35歳になるシーズンでまた一つ、成長への階段を上がれると自らに言い聞かせた。

「いい準備ができていたからこそ、いつか来る(出番への)タイミングへ向けたメンタルの持ち方だと自分では思っていた。いろいろなものを引用するなどして、うまくメンタルを上げられればと。今は(積み重ねきた)準備を、しっかりと試合で出せていると思っている」

 初先発のチャンスがめぐってきたのは、ヴィッセル神戸とのファーストステージ最終節。累積警告による出場停止となったDF槙野智章の穴を埋めるためだった。
 そして、遠藤が左ひじのじん帯を痛めたアビスパ福岡とのセカンドステージ開幕戦、さらには再び槙野が出場停止となった柏との同第2節と3試合連続で先発を果たす。

 その後の2戦はリザーブに回ったが、遠藤がリオ五輪参加のためにチームを離れた鹿島アントラーズとの第5節以降は3バックの中央で最終ラインを束ねている。

 チームが窮地に陥りかねない状況で、不在となった主力の穴を何ごともなかったかのように埋める。持ち前の激しい闘争心と空中戦における勝負強さで、プラスアルファももたらす。槙野の一発退場で数的不利に陥った福岡戦。前半終了間際に起死回生の同点弾を頭で決めたのは、他ならぬ那須だった。

 湘南戦を終えた時点で、那須が出場した試合は7戦7勝。実に100パーセントをキープしている勝率に対して、那須は「求めてきた結果です」と胸を張る。

「試合に出たら結果で示さなければいけないとずっと思っていた。そこで結果を残せないとか、試合に絡めないとなると、試合勘だの何だのと周囲から絶対に言われるので。今まで試合に出られなかった時間に意味合いを持たせるためにも、何が何でも結果が必要だった。そうじゃないと練習のための練習になってしまう。その意味でも、メンタルをすごくいい形に持っていけたと思う」

 地球のちょうど裏側にあるブラジルでは、4年に一度のスポーツ界最大の祭典が幕を開けた。自身のサッカー人生を振り返ると、那須も12年前のアテネ五輪にキャプテンとして臨んでいる。

 2004年8月12日。パラグアイ代表とのグループリーグ初戦の前半5分。浮き球の落下点に入りながら、一瞬だけ躊躇したスキを相手FWにつけ込まれて先制を許してしまった。山本昌邦監督に率いられたチームにおいて、最多となる4失点を喫して敗れる悪い流れを作ってしまった那須は、前半限りでMF松井大輔(現ジュビロ磐田)との交代を命じられてしまった。

 最終的には1点差まで詰め寄った試合展開を含め、リオ五輪の初戦でチーム結成以来最多となる5失点を喫して敗れたナイジェリア戦は、苦い思い出として那須の記憶に刻まれているパラグアイ戦と酷似している。

 続くイタリアとのグループリーグ第2戦でベンチスタートとなった那須は、駒野友一の負傷交代に伴って左サイドバックとして途中出場して奮闘したものの、日本は2-3で敗れて敗退が決定。大久保嘉人(現川崎フロンターレ)の決勝ゴールで一矢を報いたガーナとの最終戦は、ベンチに座ったまま試合終了の笛を聞いた。

 初戦終了後に気持ちを切り替えられなかったことが、今も“悔い”として心の片隅に残っている。だからこそ、那須は手倉森ジャパンのキャプテンを務める遠藤へ海を越えてエールを送る。

「キャプテンということで、初戦を勝てないと、どうしてもいろいろと考えてしまうと思う。ただ、あの大会には選ばれた者しか出られない。もちろん日の丸を背負って戦うことは簡単ではないと分かっているけれど、だからこそ楽しんでほしい。日の丸の重みを置いて……というと変ですけど、肩の力を抜いてピッチで頑張ることだけをシンプルに考えて。次(コロンビア戦に)勝てば可能性は十分にあるし、だからこそ今の状況を逆手に取って、むしろチャンスだと思って、勝つことだけをシンプルに考えて楽しんでほしい。そのためには(遠藤)一人ではなく、みんながいい雰囲気を作っていかなければいけない」

 少年時代に戻ったように大好きなサッカーを楽しみながら、シンプルに勝つことだけを考える――。リザーブに回る時間が多くなった那須が自問自答を繰り返した末、アテネ五輪から12年もの歳月を乗り越えて那須が弾き出した答えでもある。

「毎試合、これが最後だと思ってプレーしているし、だからこそ勝つことしか見えていない。そうした考えが自分の中で大部分を占めているので、それが試合でいい方向に働いていると思う」

 湘南戦の前半終了間際、FW大槻周平にゴールを許して1点差に追い上げられた。左サイドを突破したMF菊池大介にクロスを上げられ、ニアサイドを割られてしまった失点だったが、最初の一撃は大槻の左足にヒットしなかった。

 ピッチを這うように転がりながら、こぼれ球を大槻に泥臭く押し込まるまでの数秒間を“傍観”してしまった那須は、自らを戒めることを忘れなかった。

「(大槻が)もたついていた分、もうちょっと頑張って戻ればクリアできるチャンスはあった。それを引きずってもしょうがないと思い、後半は強気でプレーすることだけを考えていたし、追加点をどんどん取る姿勢を示せたことは良かったけど、結果的には失点は反省しなければいけない部分。夏場の戦いで一歩、二歩を怠ってはいけないと改めて思ったし、そこは次節以降にしっかりと生かしていきたい」

 自分のプレーとチームの結果、何よりも日々のすごし方に対して、一切の妥協を許さない。リオでの戦いを終え、遠藤が戻ってきた時には、再びリザーブに回るかもしれない。それでも那須が貫いてきたプロフェッショナリズムがブレることは絶対にありえない。

 7月7日の七夕に第二子となる次女が生まれ、ピッチ内外で充実した時間を送っている那須。セカンドステージと年間総合順位でともに2位につけ、悲願の年間王者獲得へ向けて勝ち星を重ねる浦和を、彼の放つ“いぶし銀の存在感”が縁の下で支えている。

文=藤江直人

By 藤江直人

スポーツ報道を主戦場とするノンフィクションライター。

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