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岩渕真奈が抱く“ポスト澤”への想い…レジェンドと交わした約束と未来への誓い

2015.12.30

澤(左)とともに女子W杯カナダ大会を戦った岩渕真奈(右) [写真]=Getty Images

 苦しくなった時に頼ってきた背中を、もう見ることはできない。誰にでも必ず訪れる現役との決別。澤穂希はなでしこジャパンの後輩たちに「なでしこが輝き続けるには結果が大事。結果がすべてだと思う」という熱いメッセージを託して、スパイクを脱いだ。

 だが、偉大なるレジェンドの引退を惜しんでばかりもいられない。2016年2月下旬からは、リオデジャネイロ・オリンピック出場を懸けたアジア最終予選が大阪で開催される。わずか2枚の切符を6カ国で争う厳しい戦いが待つ。

 澤はキャプテンとしてなでしこジャパンを世界一へ導き、得点王とMVPをダブル受賞した2011年の女子ワールドカップ・ドイツ大会後、こう感謝の思いを口にしていた。

「この大会では、宮間(あや/岡山湯郷Belle)や大野(忍/INAC神戸レオネッサ)、近賀(ゆかり/同)といった中堅選手たちが下の世代を引っ張り、私たちベテランを後押ししてくれた。サッカー以外のことでも、目を光らせてくれていたんです」

 翌2012年からは宮間がキャプテンを継承。ともに銀メダルを獲得したロンドン五輪と今夏の女子ワールドカップ・カナダ大会でなでしこジャパンをけん引してきた。宮間にキャプテンを託した後も、澤は盟友をサポートしてきた。ともに戦うことができなくなった今、宮間に対してこんな懸念を抱いている。

「責任感が強い子ですし、一人でいろんなものを背負わなければいいなと思う」

 ドイツ大会で宮間や大野、近賀らが果たしたような役割を受け継ぐ選手たちが出てきてほしい。言葉の間から伝わってくる澤の檄。中堅にあたる選手たちは、レジェンドの想いをどのようなに受け止めているのだろうか。

「澤さんとした約束守らなきゃ」

 岩渕真奈バイエルン・ミュンヘン)が自身のブログ『Buchi’s Life』にこんな言葉を綴ったのは、年内のチームとしての活動を終えた後の12月23日だった。

 その後、帰国した岩渕は澤のラストマッチとなった27日の皇后杯決勝を等々力陸上競技場のスタンドで見届けた。彼女の心境には、今夏のワールドカップを契機にある変化が生じている。

 カナダで銀メダルを獲得して凱旋した七夕の夜。短冊に祈りを込めるように、岩渕はそれまでの自分と決別している。

「2大会連続のチーム最年少選手ということで、自分の周りの学年の子がいないのは本当に事実ですし、その中でワールドカップを2回、優勝と準優勝を経験させてもらったので、経験値だけを取ったら確実に周りの(同世代の)子よりは秀でているので。プレーでもそうですけど、プレー以外のところでもしっかりと引っ張っていける存在になりたい」

 18歳でドイツ大会に、22歳でカナダ大会に出場。その間にはロンドン五輪も経験した。ピッチの外ではチーム最年少として誰からも可愛がられ、ピッチに立てば先輩たちが背中を後押してくれた。

 1993年3月22日に生まれた岩渕は、2016年でようやく23歳になる。年齢的にはまだ若手の部類に入るかもしれないが、積み重ねてきた濃密な経験が自立を加速させたのだろう。凱旋した際には、こんな言葉も残している。

「最低限やらなきゃいけないことは、このなでしこブームを今がピークにしたくないと個人的には思っています。来年にはリオもあるし、その先もありますけど、やはり2020年には東京五輪という舞台がある。そこへ向けてと言ったら先のことすぎると思われるかもしれないけど、それでも先を見すえてしっかりとやっていきたい」

 155センチ、52キロの小さな体を必死に奮い立たせて、5年後の夢舞台を見つめる岩渕の姿を見つめながら、取材エリアに姿を現した澤はバトンを託す後輩の一人に指名している。

「これからはなでしこを背負っていってほしい」

 岩渕はつかの間のオフを経て、7月下旬にドイツへ旅立った。実は日本滞在中にある雑誌の企画で、澤と対談している。話が盛り上がりを見せた中で、澤はあるノルマを岩渕に要求している。

 東京五輪のメンバーに選ばれて、10番を着けてキャプテンをやってほしい――。おそらくはこれが、ブログで綴った「澤さんとした約束」なのだろう。

 唐突な展開に腰が引けていた岩渕も、最後は「自覚と責任と、目標を持ってやっていきます!」と決意を語っている。約束を交わしてから半年後。なでしこの10番は、新たな持ち主を求めることになった。

 岩渕は2010年に日テレ・ベレーザで10番を託されている。育成組織のメニーナから昇格して3シーズン目。U-17女子ワールドカップでMVPを獲得し、FIFA(国際サッカー連盟)もその将来性を絶賛した逸材に対する期待の大きさがエースナンバーに込められていた。

 だが、当時の岩渕は17歳になったばかり。なでしこジャパンでデビューを果たしていたとはいえ、澤が1994年から背負ってきた、いわば象徴とも言える背番号の拝命は重い十字架となったのだろう。

 当時の澤は日本とアメリカを行き来しており、2010シーズンは後半戦からベレーザに復帰。その際に10番ではなく20番が用意されたことも、岩渕をさらに精神的に追い詰めたのかもしれない。迎えたシーズンオフ、岩渕は背番号の変更をフロントへ申し出ている。日テレ・ベレーザの運営母体、東京ヴェルディ1969フットボールクラブの羽生英之社長は当時をこう振り返る。

「2011シーズンから背番号を『13』に変えました。まだベレーザの中心選手ではないし、周囲からの信頼も得られていないからと、岩渕本人が希望してきたので」

 決して呪縛から逃げ出したわけではない。いつかは必ず10番にふさわしい選手になってみせる。決意を新たにした岩渕は、2012年夏から活躍の場をドイツへ移して心技体を磨いてきた。

 そしてスーパーサブとして起用された今夏のワールドカップ。ベンチで戦況を見つめる岩渕の隣には、決勝トーナメントに入ってからリザーブに回った澤の姿が常にあった。

「ホントにいろいろとしゃべりました。サッカーのこともそうですし、サッカー以外のことも。人としてもすごく尊敬できる方なので、ホントにお世話になりました」

 会話の内容は明かされなかったが、それまでとは比較にならないほど多くの時間を澤と共有したカナダでの日々が岩渕の心を変えた。なでしこの10番が似合う選手に。志をさらに高く掲げるようになった。

 12月23日付けのブログには、澤に対するこんなメッセージも綴られている。

「なでしこが認知されるまで私が知らない時代から女子サッカーってものをいろんな先輩と共にここまで築き上げてきてくれた澤さん。それをしっかりと継続できるように……女子サッカー選手の一人としてしっかりと未来に繋げていかなきゃなと感じています。大好きで偉大な澤さんに一歩でも近づけるように私なりに頑張ります」

 シーズン開幕直前の練習試合で古傷でもある右ひざを負傷。長期離脱を強いられている岩渕だが、その後の必死のリハビリで順調に回復。年明けからは全体練習に合流できる見通しとなった。

 なでしこジャパンが11月に行ったオランダ遠征へ、岩渕はリハビリの合間を縫って観戦に訪れていた。リオデジャネイロ五輪をにらんで再編成されたチームには、ベレーザ時代のチームメイトであるDF村松智子やFW田中美南ら、岩渕と同じ世代の選手たちがようやく名前を連ねていた。

 その一方で、10番はこれまでの澤の不在時と同じく空き番となっていた。果たしてこれは何を意味するのか。27歳で迎える東京五輪からサッカー人生を逆算して、澤のように頼りになる背中を見せられる選手に、なでしこを輝かせることのできる選手になる道を歩み始めた岩渕が、誰よりもよく分かっているはずだ。

文=藤江直人

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