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元日本代表GK川口能活40歳、燃えたぎる現役続行への思い

FC岐阜との契約満了が発表されたGK川口能活 [写真]=Getty Images

 絞り出されるような低いトーンの声が、耳にこびりついて離れなかった。

「このまま終わりたくないですから」

 ホーム、長良川競技場のメインスタンド下に設けられた取材エリア。十数人のメディアに囲まれたFC岐阜のGK川口能活は、「来年も岐阜で、ということでしょうか」という質問にこう答えている。

「それはチームに聞いてください」

 今シーズン限りでの退団が発表されたのは、このやり取りから4日後の11月27日だった。

 アビスパ福岡をホームに迎えた同23日の明治安田生命J2リーグ最終節で、川口は約7カ月半ぶりとなる先発出場を果たした。リザーブにも名前を連ねなかった日々から一転して、カマタマーレ讃岐との前節でベンチに入っていた。
 その讃岐戦で岐阜はJ2残留を決めた。そして最終節での先発復帰。この時点で、おそらく川口本人には来シーズンの契約を更新しない旨が伝えられていたのだろう。

 右ひざに抱えてきた違和感が激痛に変わったのは、4月11日の東京ヴェルディ戦後だった。

「何かおかしいなと思っていたんですけど、開幕から出たかったのでキャンプから無理しちゃいました」

 半月板の損傷。違和感をかばいながらプレーしたことが、他の部位をも腫らす悪循環を招いた。治療とリハビリを経て練習に復帰できたかと思えば、再び違和感を覚えて離脱する。手術を勧める声もあったが、川口は保存療法にこだわった。

「それでもこれだけかかってしまったわけですから、手術をするともっと長くなってしまうので」

 苦難を乗り越えての帰還。しかし、現実は甘くなかった。J1への自動昇格を狙える位置につけていた福岡の波状攻撃にさらされ、実に4度もネットを揺らされた。クロスに対してボールウォッチャーになる――。岐阜の悪癖を事前に伝えられていた福岡は、右MF中村北斗を中心に徹底してクロスを放り込む。4失点のうち3つが、右からのクロスから献上したものだった。

「チームの力に全くなれなかったし、福岡戦を含めて、自分のパフォーマンスや成績に関して当然、納得はしていない。ふがいないし、悔しさだけが残るシーズンでした」

 プロ22年目をこう総括した川口は、一方でこんな言葉もつけ加えている。

「右ひざの違和感が消えたのはつい最近のこと。最終戦ですけど、チャンスをもらえて、プレーをして終えられたことはポジティブに考えたい。1年間、よく頑張ったなと」

 岐阜でのラストゲームとなった福岡戦。相手のゴールマウスには20歳の中村航輔が仁王立ちしていた。柏レイソルから期限付き移籍で加入したホープは、夏場からレギュラーを奪取。福岡の快進撃を最後尾で支えてきた。自身が20歳の頃とダブらせたのか。年代別の日本代表に選出されてきた中村へ、穏やかな口調で川口はエールを送る。

「いいGKになる資質を十分に持っている。勢いがあるうちに周囲へインパクトを残して、『自分はこういうGKなんだ』とアピールしていけば、さらに信頼を勝ち得られると思う。監督の井原さんから守備の哲学をどん欲に学んで、さらに成長してほしい」

 清水商業高校(現清水桜が丘高校)から横浜マリノス(現横浜F・マリノス)へ加入して2年目の1995年。ホルヘ・ソラリ監督に大抜擢された川口を支えたのが、最終ラインを束ねていたキャプテンの井原正巳だった。ポジションを奪われた大ベテランの松永成立が激怒し、シーズン途中でチームを去る騒動が起こる中で無我夢中でプレー。マリノスの年間チャンピオン獲得に貢献し、自身も新人王を獲得した。

「井原さんたちに支えられながら、当然、野心も持ち続けた。将来は自分が日本代表のゴールマウスを守っていくんだという気持ちでプレーしていた。彼にもそういう気持ちでやってほしいですね」

 翌1996年のアトランタ・オリンピック、今も語り継がれる「マイアミの奇跡」で“王国”ブラジル代表撃破に貢献した。直後にA代表に初招集され、悲願の初出場を果たしたフランス大会を含めて、4大会連続でワールドカップの日本代表メンバーに名前を連ねた。獲得したキャップ数はGKでは最多の116を数える。

 闘争心を前面に押し出すプレースタイルから、川口が“炎の守護神”と命名されて久しい。そして、GKしては決して恵まれていない180センチ、77キロの体を燃えたぎらせる原動力となった「野心」は、向けられる方向を変えて今もなお川口の心に宿っている。

「若い選手がどんどん出てきて下から突き上げてくれないと、GK全体の成長というものはなかなか望めないと思う。20歳前後の選手が躍動していかないといけない」

 かつては自身と楢崎正剛名古屋グランパス)が切磋琢磨し合い、お互いに成長していくことで日本のレベルを引き上げた自負がある。当時と同じ役割を、中村をはじめとする世代に託したい。若手から受ける刺激をエネルギーに変えて、まだまだ成長していきたいという貪欲な思いが川口の体に熱く脈打っている。

 2001年10月にイングランド2部のポーツマスへ移籍するも出場機会を得られず、2003年9月に移ったデンマークのノアシェランでもリザーブに甘んじた。ヨーロッパでプレーした5シーズンで、リーグ戦出場は20試合に満たなかった。それでも、川口の心は折れなかった。

 世界のGKを振り返れば、40歳を超えて活躍したレジェンドは少なくない。例えばディノ・ゾフ。40歳で出場した1982年のワールドカップ・スペイン大会で、イタリア代表を優勝に導いた直後にこんな名言を残している。

「GKはワインと同じ。年を重ねるほどに味が出る」

 横浜での充実した日々。ヨーロッパで味わわされた苦難。復帰したジュビロ磐田で達成した史上3人目のJ1通算100試合完封。すべてが血肉となり、日々成長していると信じて川口も歩んできた。

 今年8月15日には40歳になった。福岡戦は“不惑”で迎える初めての公式戦だったが、これまでの蓄積を還元しようと考える余裕もなかったと川口は苦笑する。

「福岡戦が約7カ月ぶりの試合でしたので、そこはもうちょっと。ただ、右ひざを完治させてピッチに立つことが、今シーズンのやるべきことだったので、その点をクリアできたのは良かった。もちろん、繰り返しになりますけど、パフォーマンスや結果に関しては全く納得していません」

 退団決定とともに発表されたリリースには、2年間プレーした岐阜への感謝の思いとともに、川口のこんなコメントが掲載されていた。

「まだまだ現役で頑張りたいと思いますので、他のチームに行っても応援してほしいです。僕も陰ながら岐阜を応援します」

 2000年からプレーする名古屋で前人未到のJ1通算600試合出場を達成した終生のライバル・楢崎とは対照的な道を歩み続ける覚悟を、川口は固めている。まだまだ成長できるという純粋な思いと、10歳の時に幕を開けたGK人生の集大成となる舞台を追い求めながら。

文=藤江直人

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