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未来へ紡がれるリオ五輪世代の“盟友”ストーリー カシマで邂逅した二人の思い「また一緒に戦えたら」

2016.09.23

中学時代からお互いを知る豊川雄太(左中央)と植田直通(右)。天皇杯でプロになって初めて対峙した [写真]=JFA

 最後の願いが託されたクロスが、右サイドから鹿島アントラーズのゴール前へ上がる。ファジアーノ岡山の首脳陣、選手、クラブ関係者、そして大雨が降る中をはるばる県立カシマサッカースタジアムまで駆けつけたサポーターたちの視線が、最前線のFW豊川雄太に注がれた直後だった。

 岡部拓人主審の長いホイッスルが、ゴール前に立ちはだかる鹿島DF植田直通と競り合った豊川のファウルを告げる。そして数秒後には再び岡部主審のホイッスルが、今度は3分間の後半アディショナルタイムの終わりを告げた。岡山の、そして豊川の挑戦が1-2の逆転負けとともに幕を閉じた。

 22日に行われた第96回天皇杯全日本サッカー選手権大会3回戦は、豊川と植田にとって“特別な舞台”でもあった。

 今季から岡山へ期限付き移籍し、J2を主戦場としてきた豊川は、ともに勝ち進めば古巣・鹿島と思い出深いカシマサッカースタジアムで対峙できる組み合わせに感謝していた。

「まさか今シーズン、カシマで戦えるとは思わなかった。実際にやってみると何か違和感がありましたけど、気持ちは入っていましたし、ここでプレーできるのはすごく楽しみでもあった。前からどんどん行ってやろうと燃えていたんですけど、負けちゃダメですね」

 2シャドーの左で先発し、後半から右に回ってフル出場した豊川のエンジンはキックオフ直後から全開だった。例えば12分。DFブエノに激しくプレスを掛けてボールを奪うや、ドリブルで猛然と突進。ペナルティエリア内で、追走してきたブエノに背後から倒された。

「審判のことは何も言えないですけど…PKだと思ったんですけどね」

 この時は笛を吹かなかった岡部主審のジャッジに苦笑いしながら、すぐに自分自身の課題が見つかったと努めて前向きに切り替える。

「あの場面で倒れずに、ゴールまで行くのが一番なんですよね。あぁ、点を取りたかったぁ!」

 鹿島の最終ラインに植田が名前を連ねていたことが、豊川をさらに燃えさせた。同じ1994年生まれの植田とは、中学2年時に熊本県トレセンで出会ってから9年目。ともに全国区の強豪・県立大津高へ進学すると、2013シーズンにそろって鹿島へ加入。レギュラー奪取を目指して、お互いに切磋琢磨してきた。

 しかし、昨季のJ1リーグ戦で6試合111分間の出場に終わった豊川は危機感を抱き、出場機会を求めてオファーを受けた岡山での“武者修行”を決意する。そして迎えた今季の天皇杯、彼は松江シティFCとの1回戦、J2で首位を独走する北海道コンサドーレ札幌との2回戦で連続ゴールをマークし、待望の鹿島戦へとチームをけん引した。

 熊本市立長嶺中時代に3年連続で県選抜に選ばれてエースストライカーとして名を馳せた豊川と、宇土市立住吉中学校の全くの無名FWだった植田。大津高の門を叩いた直後、前者は得点感覚をさらに生かすためにトップ下へ、後者はテコンドー仕込みの類まれなる身体能力の高さを見込まれてセンターバックへと、それぞれコンバートされた。

 1年生から主力チームに入った2人だが、コンバートから数カ月で植田がU-16日本代表に選出されたことで、お互いの胸中に強烈なライバル心を抱くようになる。日々の練習や紅白戦で繰り返されたマッチアップが、時空を超えてカシマのピッチで再現された。

 身長186センチ、体重77キロのサイズを誇る植田のケタ違いの“強さ”を何度も味わわされてきた豊川。173センチ、62キロのテクニシャンは、ある対策を練ってキックオフに臨んでいた。

「高さでは絶対に勝てないので、うまく体を当てて、(まともな体勢で)ヘディングをさせないようにしようと考えていたんですけど……」

 最後に犯したファウルも、植田を自由にさせてたまるか、という思いが強くなりすぎたのだろう。27分にも2人は空中で激突。豊川がファウルを取られ、植田は苦悶の表情を浮かべている。プロになってから敵味方として初めて対峙した一戦を終え、豊川は改めて植田の武器に脱帽した。

「強かったですよ。代表でもずっと一緒にやってきましたけど、本当に身体能力が高いなという感じで」

豊川雄太

意地と意地がぶつかり合う激しい競り合いを演じた [写真]=鹿島アントラーズ

 芳しくなかった下馬評を覆し、リオデジャネイロ・オリンピックへの切符を獲得した今年1月のAFC U-23アジア選手権。決勝までの6試合のうち植田は5試合、計480分間に先発フル出場。その中で唯一延長戦にもつれ込んだ、負けたら終わりのU-23イラン代表との準々決勝で、途中出場から値千金の決勝ゴールを決めたのが豊川だった。

 もっとも、U-23日本代表で同じ時間を共有してきた2人の軌跡は、6月29日を最後に一時停止を余儀なくされている。リオ五輪本大会に臨む代表18人の発表前最後の実戦となったU-23南アフリカ代表との国際親善試合後、豊川は手倉森誠監督から落選を告げられたのだろうか。取材エリアに姿を現した彼の目は、心なしか潤んでいた。

 リオへの想いを「託す」側に回った豊川は、しかし、植田を始めとする戦友たちへテレビ越しに声援を送るとともに、おぼろげながらも次なる目標を定めていた。

「ずっと高校から植田とやってきたので、これから先もまた一緒に戦えればいいですよね」

 言うまでもなく、“次”とは植田も招集されている日本代表に他ならない。五輪代表の正式発表から2日後の7月3日。清水エスパルス戦で64分に投入された豊川は、わずか7分後に同点ゴールを一閃。捲土重来を誓う雄叫びを上げている。

 岡山ではスーパーサブとして28試合に出場して、ここまでチーム2位の6ゴールを挙げてきた。迎えた鹿島戦のスタメンは中2日で待つV・ファーレン長崎とのリーグ戦を見据えてキャプテンで元鹿島のDF岩政大樹、リオ五輪代表MF矢島慎也ら、レギュラー組の大半が温存された。だが、逆に捉えれば、途中出場組や出場機会が少なかった選手たちにとっては絶好のチャンス。その象徴となる豊川に生じていた“変化”を植田は感じ取っていた。

「オレが決めてやる、という強い気持ちをアイツが一番持っていた。試合中はずっと『オレにパスをよこせ』といった声も出していた。チームを勝たせたいという思いが伝わってきたし、そういう意識の部分では少し変わってきているのかなと。岡山ではジョーカー的な役割を任されて、試合で結果も残している。相手の脅威でもあったので、そこはしっかりと潰さなきゃいけないという思いでプレーしていました」

 植田が無類の強さを誇る空中戦だけではない。44分には豊川を狙ったスルーパスを、球際での激しい攻防から弾き返すなど地上戦でも体を張り続けた。盟友・豊川とのマッチアップを「久々という感じだし、楽しかった」と振り返った植田だが、22分に一本の縦パスから先制点を献上したこともあって、最終ラインのけん引役としての自分自身には及第点を与えなかった。

「勝てたことは良かったけど、まだまだ内容がついてきていない。あの失点も許してはいけないもの。もっとうまく試合を運べるんじゃないかと今でも悔いが残っている。次までにしっかりと修正したい」

 一方、試合後に古巣へあいさつに行き、昨季まで苦楽をともにしたチームメートたちから「早くロッカールームから出ていけ」といじられた豊川も、満足感にはほど遠い思いを口にしている。

「守備に回る時間が多くなることは覚悟していましたけど、個人としてはもっと攻撃できるイメージを持っていた。鹿島は(守備が)マンツーマンだったので、(最終ラインの裏へ)抜け出せるチャンスも結構ありましたし、そこでパスの出し手とのタイミングが合わないことが多かった。負けたことも悔しいけど、攻撃で違いを見せられなかったことが個人として悔しい。鹿島サポーターからも拍手されてすごくうれしかったけど、だからこそゴールを挙げることが一番の成長の跡だったと思うので」

 戦いを終え、2人は所属クラブの一員として新たな戦いへ気持ちを切り替えている。残り10試合となったJ2戦線で、岡山はJ1昇格プレーオフ圏内となる5位につけている。自動昇格できる2位・松本山雅FCとの勝ち点差は4。さらに今後は松本とセレッソ大阪、清水エスパルスと上位陣との直接対決を残している。手の届くところまで手繰り寄せた夢が、はっきりと輪郭を成して見えている。だからこそ加入時に目標として掲げた10ゴールをクリアすることが、悲願のJ1昇格につながると豊川は信じている。

「J1は上がらなきゃいけない場所。来年(の所属が)どうなるかは分からないけど、岡山が来年また鹿島と戦えるように。やっぱり鹿島の選手はみんなうまいし、後半に入るにつれて自分たちの(運動量が)落ちてしまったところを突かれてしまった。戦ってみて、改めて嫌だなと感じましたけど、自分自身を含めてそれを打開できるようにレベルアップを果たしていきたい」

 明治安田生命J1リーグ・ファーストステージを制し、同チャンピオンシップへの進出を決めている鹿島は、一転してセカンドステージで苦戦を強いられている。威風堂々としたオーラを放ち、ファーストステージで成長した姿を見せた植田も精彩を欠き、ポジションをブエノやファン・ソッコに奪われるケースが多くなっていた。今回の岡山戦がリオからの帰国後では初めて得たスタメンの機会だった。

「試合に出るチャンスがあればいいプレーをしなきゃいけないし、それ以前にチームを勝たせるプレーをしなきゃいけないと思っているので」

 MF南野拓実(ザルツブルク)とDF室屋成(FC東京)は大阪府熊取町生まれの幼なじみで、ともに4歳から同じチームでサッカーを始めた。FW久保裕也(ヤング・ボーイズ)とMF原川力(川崎フロンターレ)は山口市立鴻南中学校の同級生で所属チームの垣根を越えて自主練習で汗を流した。「盟友」と書いて「ライバル」と読むリオ五輪世代のストーリー。カシマのピッチで邂逅を果たした2016年9月22日を経て、植田と豊川の物語は未来へと力強く紡がれていく。

文=藤江直人

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