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“不死鳥”佐々木翔、2度の悲劇を乗り越え…2年ぶりに戻ってきた広島のピッチ 

移籍初年度にシャーレを高々と掲げた佐々木翔。しかし、レギュラーの座を掴んだ翌年3月に右膝の靭帯が悲鳴を挙げた。さらに復活を期した2017シーズンには開幕前に同箇所を再断裂。約2年を経て、広島のピッチに戻ってきた佐々木の今季に懸ける思いとは。
取材・文=中野和也(紫熊倶楽部)
写真=J.LEAGUE

悲劇の始まり

 浦和レッズに勝利した後だというのに、佐々木翔の表情は暗かった。

 「勝てたことはよかったが、自分のところを組織的につかれて、やられた。本当に悔しい。全く、満足できない」

 この言葉を聞いて、逆に嬉しくなった。

 佐々木翔がサッカー選手として戻ってきた。その実感が湧いてきた。

 悲劇の始まりは2016年3月10日。NACK5スタジアムでの対大宮アルディージャ戦、アディショナルタイムでの接触プレーで、佐々木はもんどりうった。

 サッカーにおける不運な事故である。誰も相手を傷つけようなどと思って、やっていない。強く、激しく。それが求められるのがサッカーというスポーツであり、プロの世界。誰が悪いというわけではなく、本当に不幸な出来事だった。実際、佐々木自身はこの事故そのものについては「自分がチョイスしたプレーの結果だから」と語っている。

 ただ、尋常じゃなく痛かったことは間違いない。担架で運ばれた時にドクターから告げられた言葉は「右膝の前十字が断裂しているだろう」。重大な通達だったが、実感が湧かなかった。その次によぎったのは、少なくとも半年以上はサッカーができないという現実。時間を追うにつれて、佐々木の心にダメージを浴びせた。ドレッシングルームで感情が噴き出した。

 しかし、ミックスゾーンに松葉杖をつきながら外に出た彼は、笑顔だった。

 「心配されたくない。大丈夫だって思ってもらいたい」

 それは強がりでもあり、佐々木なりの気配り。しかし、誰がどうみても、大丈夫ではなかった。診断は予想どおり、前十字靭帯断裂。腫れがひくのを待ち、4月20日に手術。全治8カ月。

 ただ、佐々木を襲った不運は、それだけではおさまらない。

 その年の秋、膝の状態が戻ってきたと診断されたこともあり、彼はトレーニングに戻った。2016年10月25日、4日後に控えた広島のレジェンド=森崎浩司の引退試合に関連して「この試合に出られない自分が悔しい。でも、もうすぐ紅白戦にも入れそうだし、少しでも長く、一緒に練習したい」と意気込んでいた。

「みんなの前で浩司さんが引退の話をされた時、僕は(検査と治療のため)病院に行っていた。リリースが出た時に知って、本当に気持ちがめいっていたんです。(浩司さんもケガをしていたので)ずっとリハビリも一緒にやっていましたし、スタンドで一緒に試合を見ている時にもたくさんのことを教えてもらった。あれほどスーパーな人はいないし、目線や経験がまったく違いますからね。だから、浩司さんにしっかりしろって言われないよう、僕が頑張ります」

ドクターの宣告と2度目の悲劇

 ただ、この頃からジワリと彼に辛い運命が襲いかかる。トレーニング中に違和感を覚えた佐々木に対し、ドクターは告げた。

「靭帯が半分、切れかかっている」

 実はかつて、元日本代表DFの上村健一も同じような症状に陥った。1996年、アトランタ・オリンピックに出場した後のトレーニング中に左膝前十字靭帯を断裂した上村は翌年7月18日、対横浜フリューゲルス戦で復帰。しかし、8月2日の対ジュビロ磐田戦にフル出場した後、再断裂が判明。上村は離脱した。回復の過程で特別な衝撃がなかったとしても問題が発生することはある。いや、実はリハビリの間で大小の問題が身体を襲うことはどんなケガでもあることで、右肩上がりに何も問題なく順調に回復することは、ありえない。ただ、上村や佐々木に襲いかかった問題は、過酷すぎる。

 この秋の時点では、絶対に再手術が必要だという診断ではなかった。保存療法でもいけるかもしれない。しかし、絶対に大丈夫という保証もない。

 佐々木は手術しないという方向を選択した。もし再手術となれば、また同じようなリハビリの日々が始まる。シーズン途中で復帰しても、当時は鉄板と呼ばれていた水本裕貴・千葉和彦・塩谷司の3バックには対抗できない。開幕から、キャンプから勝負したい。

「その選択は間違いではなかった」と佐々木は言う。人は誰もが、結果から見て「正しい」「間違い」を判断する。しかし、「結果」とはどの時点でのことなのか。たとえばプロサッカー選手を夢見て頑張って、でもなれなかった。その時点では「失敗」かもしれない。しかし、その悔しさをバネにして努力して、次の成功をつかんだとすれば「挑戦は正しかった」ということになるかもしれない。選択が正しかったかどうか、それは他人ではなく自分自身で決めることだ。

 結果から言うと、佐々木の右膝前十字靭帯は再び、断裂した。翌年1月22日、鹿児島キャンプのトレーニング中の出来事だ。2月14日に手術。全治8カ月。またも、シーズンを棒に振ることになる。負傷する3日前、「絶好調です」と彼は言っていた。「足は全く問題ない。張ってくるとゴワゴワする感じはある。でも、それはケアすれば問題ないから」とも。しかし、現実は辛い。

「自分自身は割り切れていた。リスクを負いながら、やっていたことだから。ただ、自分を支えてくれた人に対して申し訳なかったですね。ずっと僕を支えてくれた奥さんだったり、トレーナーだったり。そういう人たちがまた、悲しい思いをしてしまう。それが辛かった」

 運命を呪ったことはない。だが、さすがに気持ちは落ちた。

 転機は、意外なところで待っていた。拠点を東京に移し、国立スポーツ科学センター(JISS)でのリハビリを選択。そこではサッカー選手だけでなく、多くのアスリートたちが様々なケガからの復帰を目指して努力していた。佐々木と同じ前十字靭帯断裂という運命を背負った選手も少なくなかった。

「驚いたのは、3度目の断裂を経験した人が何人もいたことです。たとえば、深井一希選手(北海道コンサドーレ札幌)は僕よりも若いのに、もう3度も。それでも彼は復帰を信じて頑張っていたし、他の選手もそう。そこで気づいたんです。なんだ、僕はまだ、2度目じゃないかって」

 もうピッチに立てないかもしれない。そんな不安にかられたことがないと言えば、嘘になる。しかし、自分よりも過酷な運命と向き合いながら、それでも努力を惜しまない選手たちを見た時、「僕はまだ、たいしたことはないんだ」と思うようになった。そこからはもう、前を向くしかなかった。

 9月24日、佐々木はファジアーノ岡山との練習試合に出場。45分間だけの出場ではあったが、実戦は1年6カ月ぶり。さぞや嬉しいだろうと思ったが、本人の表情は冴えない。

「全てが物足りない。フルパワーではまだできないし、慎重にやっていた。楽しくはなかった。紅白戦のような感覚でした」

「ヨンソン監督(当時)は、パワフルな選手だと評価していたけれど」

 そういう言葉を振っても、「あのプレーでそう言われても」と全く乗ってこない。決して表情は明るくはなかった。それは「全治8カ月」という数字を超えた11月になっても同様。フルパワーでやれることもなく、トレーニングには戻れても戦力としてはみなされない日々。

 どうすれば、全力を出せる日が来るのか。

2年ぶりの高揚感

 佐々木の結論は、オフに休むこと。期間は3週間。膝に負担をかけない日々をつくり、身体を休ませた。すると、どうだろう。膝の可動域は広がり、伸ばしても曲げても痛くない。ストレスを全く、感じなくなった。

 年明けすぐのイベントで彼に会った時、「かなり状態はいい」と笑顔を見せた。ただ、前年のことがある。強がっているのではないかと逆に心配になった。しかし、タイキャンプで初めての練習試合となったポートFC戦の翌日、佐々木は笑顔を見せた。

「フルパワーでやれた。リバウンドもそれほどない。こんな幸せなことはないです」

 負傷前と同様に強度の高いプレーを見せている佐々木を城福浩新監督は高く評価。もともとヴァンフォーレ甲府時代に彼を指導した経験もあり、指揮官は佐々木の能力を熟知。左サイドバックとしてトレーニングを積ませた。それはおそらく、難しい試合ばかりの開幕シリーズの存在もあり、まず守備を高めたいという戦略が存在したこともあるだろう。攻撃で高いポテンシャルを見せていた馬渡和彰よりも、佐々木の守備面での迫力を重視した。

 開幕を前日に控えた2月23日、佐々木は落ち着かなかった。

「90分、保たないのではないか。足がつるんじゃないか。コンディションのためには、椅子に座っていればいいのか、寝ていた方がいいのか」

 1年11カ月ぶりの感覚。だがそれはずっと、リハビリ期間に追い求めていたものだ。翌日、サポーターの前に立つ佐々木は、抑えきれない想いをぐっと堪えた。ケガをしてからずっと、ホームスタジアムに掲げられていた「佐々木と共に」の横断幕。ずっと待ってくれていたサポーターに、復帰した姿を見せることができる。昂ぶらないはずがない。ただ、運命とは、サッカーとは、そう簡単に物事を大団円にさせてくれないものだ。人生は映画でも小説でもない。

 復帰戦となった開幕戦、佐々木は得点の起点になれた。バー直撃のシュートも打った。セットプレーでの守備も逞しい。しかし一方で慣れないサイドバックの守備で追い込まれる場面もあった。それは浦和戦での失点シーン、鹿島アントラーズ戦でのPKを与えたシーンなどで如実に現れている。今、佐々木は復帰の高揚感などすっかり忘れているだろう。馬渡や昨年はサイドバックで結果を出した丹羽大輝がカップ戦で好調をアピールしているし、ルーキーの川井歩も才能を証明している。危機感があるから、冒頭の台詞が出てくるわけだ。

 しかし、サポーターは知っている。2015年の佐々木翔が、どれほど優勝に貢献してくれたかという事実を。チャンピオンシップ第1戦、強烈なヘディングでの同点弾を決めて絶叫した男の凄みを。今はまだ、本当の佐々木ではないのかもしれない。しかし、必ず彼が広島を救ってくれる時がやってくる。1年11カ月もサッカー選手としてピッチに立つために想像を絶する努力を積み重ねてきたのだ。

 前述の上村健一は2度目の前十字靭帯断裂を経験した後、日本代表に選出された。青山敏弘はプロ2年目に左膝前十字靭帯を断裂した後、さらに左膝半月板断裂の手術を2度も繰り返した後で、ワールドカップに出場した。世界に目を向けても、2002年ワールドカップで得点王に輝いたロナウドや2010年にスペインをワールドカップ優勝に導いたシャビも同様のケガを負っていながら、栄光をつかんでいる。

 佐々木翔も絶対にできる。そう信じている。