2013.02.01

長友佑都の“脚”のルーツ「健脚のDNA を探る」

[サムライサッカーキング2月号掲載]

長友の祖父、大叔父がともに競輪の名選手だったというのは、ファンの間でよく知られた話だ。長友の最大の武器である“脚力”の系譜を辿るとともに、偉大なアスリートから受け継いだDNAに迫る。

adachi-121016_0468文¬=岩川悟 写真=足立雅史

世界で輝く健脚のルーツは競輪史に残る名選手にあり

「天才型」、「努力型」、「遺伝型」。

 トップアスリートをタイプに分けて語る際、この3つの指標を基に考えることができる。長友の場合はもちろん、サッカー選手として天賦の才に恵まれていただろうし、その才を開花させる“努力の才能”も備えていたはずだ。しかし、本質的には「遺伝型」に該当すると言える。そう断言できる興味深いバックボーンが彼にはあるからだ。

 1948年、自転車産業の発展と戦後復興費用の捻出を目的とした自転車競技法が成立した。これにより公営競技として今も知られる「競輪」が誕生し、のちに自治体復興の資金源として多大な貢献を果たしていくことになる。自転車競技法が定められた同年、北九州は小倉にて事実上1回目となる「競輪競走」が開催されたのだが、そこに出走した選手の1人が長友の母方の祖父・吉田達雄であった。

 達雄の弟である吉田実も1950年にデビューした競輪選手であるが、この実、こと“記録”においては達雄をしのぐ。通算勝利数は歴代2位となる1232勝(出走数3425)。日本選手権競輪優勝2回、オールスター競輪優勝2回といった特別競輪のタイトルホルダーであり、2度の賞金王も獲得している。まさしく競輪史に名を刻み込んだ偉人で、昭和30年代終盤、“逃げの神様”と呼ばれ一世を風靡した高原永伍が頭角を現すまで一時代を築き、社会現象にまでなった競輪を盛り上げたレーサーなのだ。60年以上の歴史を持つ競輪界において、たった14人しか会員となっていない「日本名輪会」(野球でいう名球界のような位置づけの会)のメンバーであることからも、その偉大さが分かる。

 長友佑都は、これら日本屈指の競輪選手のDNAを受け継いでいるのだ。その突出したスピードとスタミナの由来として、祖父や大叔父に“健脚のルーツ”を見出さないわけにはいかない。彼自身、「高校を卒業したら競輪学校を受験するつもりだった」という話があるが、明治大学進学後、サッカー選手としての実力が開花したことで、競輪選手・長友佑都の誕生は夢と消えている。とはいえ、発育しきった太腿はサッカー選手離れしており、スピードスケート選手や競輪選手を彷彿とさせるもの。身体能力と併せて考えると、祖父と同じ道を辿っても大成する可能性が大いにあったと想像する。

長友がもし競輪選手だったら花形であったに違いない

 せっかくなので、「長友佑都が競輪選手であったなら」という仮定の下でシミュレーションしてみたいのだが、その前に少しだけ競輪競走と選手の特徴について説明をしておきたい。

 現在の競輪競走は9人競走が主流で、その9人がレース番組ごとに所属する地区や競輪学校の卒業期などの関係でラインと呼ばれるチームを作って戦う(例えば3対3対3の「3分戦」など)。選手は自分の“脚質”に適した戦法を持っており、それぞれ「先行」、「捲り」、「追い込み」のタイプに分類される。「先行」は各ラインの先頭を走る選手で、風を真正面から受けて後ろの選手を引っ張る役割を担う。「捲り」もラインの先頭を走るが、力を貯めておいて後方位置から一気の仕掛けをするタイプ。「追い込み」は、先行、捲り選手の後ろについて風圧から身を守りながら最後の直線まで可能な限り脚を温存する、といった具合だ。

 さて、これらを踏まえた上で長友を競輪選手に当てはめてみよう。屈指のダイナモである彼は先行タイプに適するだろう。スピードを維持しながら、長い距離をもがける選手、つまり競輪でいうところの“地脚タイプ”だ。

 地脚タイプが勝利するパターンは、先行してそのまま逃げ切ること。先行逃げ切りは、立ちはだかる風圧だけでなく、後方から捲り上げてくる選手や虎視眈々と好機を狙う選手をシャットアウトするのだから、ファンから特に賛辞を贈られる。“先行・長友”は競輪界でもきっと花形選手として喝采を浴びたことだろう。他の選手に疲れが出る試合終盤、驚異的なスピードと粘りを披露する彼のプレースタイルを見ていると、まるで連勝街道をひた走る一流の先行選手の姿に見えてくる。「もし長友が競輪選手になっていたら、どんなに力強いレースをしたのだろう」と勝手に気持ちを高ぶらせてしまうのだ。

 ちなみに、先述したタイトルホルダー・実も、“日本で最初のスプリンター”と称された選手で、全盛期は先行、捲りで他の選手を圧倒し続けた。長友はサッカー選手として大成したわけだが、2人とも強靭な脚を商売道具にするトップアスリートである事実は、確かなDNAの系譜を一層強く感じさせる。

海を越えて世界へ――、受け継がれるもう一つのDNA

 更に、長友佑都と吉田実は「世界指向」というキーワードでも結び付いている。吉田実は、ギャンブルである競輪競走以外にもスポーツとしての自転車競技に力を入れ、国際大会へ積極的に出向いたという。当時、自転車競技における世界の壁は厚く、厳しい戦いを余儀なくされたが、それから数十年後に中野浩一が達成した世界選手権スプリント10連覇という偉業に繋がる礎を築いたのは、間違いなく実だった。

 大叔父が海の向こうに抱いた大いなる挑戦の気概。「世界一のサイドバックを目指す」との壮大な夢とともに同じく海を越え、チェゼーナを経てインテルというビッグクラブでプレーする長友が受け継いだもう一つのDNAと言えるだろう。

“脚”と“世界指向”。世代をまたいだ英雄譚にも映るこのシンクロニシティーも含め、避けようのないDNA、正真正銘の血統が長友には存在するのである。