2013.01.10

番記者の取材ノートで振り返る…昨冬、野沢拓也が神戸への移籍を決意した理由

9日、MF野沢拓也の鹿島アントラーズへの復帰が発表された。異例とも言える1年での古巣復帰。昨冬、17年間在籍した鹿島を離れ、キャリア初の移籍を決意した理由は何だったのか。サッカー専門新聞『エル・ゴラッソ』で、鹿島の番記者を務める田中滋が配信しているメールマガジン『GELマガ』より昨年掲載されたコラムを紹介しよう。
野沢拓也
提供:GELマガ
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~野沢拓也の移籍について(完)~
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“チームが苦しいとき、なんだかんだで頼りにさせるのは小笠原満男や本山雅志と言った79年組。本当の意味で中心になれるチームでプレーしたかった”

 そう言った主旨のコメントを野沢拓也は複数の人に残していた。しかし、そのすぐ後にはまったく正反対のことを口にしていた。

“彼らと一緒にやれる喜びを感じている”

 野沢は彼ら二人を心の底から敬愛してきた。彼らがスパイクをNIKEに変えれば、自分もNIKE社製のものを履いた。特に本山との意思疎通は抜群。「タクちゃんとモトさんは二人でやっちゃう」と他の選手からやっかみ半分で言われるほど、心は通じ合っていた。だからこそ、上記のまったく正反対のコメントは野沢拓也の揺れる心を的確に示している。神戸移籍は苦汁の決断だったのだ。

「なにを言いたいのかさっぱりわからなかった」

 これまで、選手の心の微妙な揺れ動きを察知し、優れたマネジメント力を発揮してきた鈴木満強化部長でも、野沢が移籍を選択する理由は最後までわからなかったという。交渉の場でも話し合いがとにかく噛み合わない。「僕は鹿島でやりたいんです……」と言ったかと思うと、次の瞬間にはまったく別のことを話し出す。

「17年間プレーしてくれたんだから、こちらとしては感謝しかない。移籍したとしても恨みもなにもないし、お前が好きなように決めればいいじゃないか」

 最後にはそう言って判断を野沢に任せたらしい。彼が下した決断は神戸への移籍だった。

 2011年シーズン、野沢は寮で暮らしていた。震災がすべてを変えてしまったからだ。愛する妻子と離ればなれの生活は、いらだちを生み、プレーのクオリティを下げさせた。思うようなプレーを出せないことが、さらなる悪循環を生む。本当に苦しい1年だったはずだ。

 今回、改めて取材を重ねてみて確信したことがある。本当は、鹿島でやりたい気持ちで一杯だったのだ。しかし、そこを曲げてでも彼には守るべきものがあった。鹿島の公式サイトに掲載されたコメントを読んでも、サッカー専門誌のインタビューを読んでも、霧の中に隠された本心は明かされていない。コメントやインタビューを初めて読んだとき、「でも、」とか「しかし、」という言葉が来ることを何度も期待した。だが、その言葉はついに聞くことができなかった。あのコメントが鹿島の関係者に対しても、神戸の関係者に対しても、そして自分や自分の家族に対しても、精一杯の内容だったのだろう。

 野沢が公式戦で鹿島のユニホームを着ることはもうないのかもしれない。しかし、今後、誰かの引退試合や記念行事がおこなわれたときは背番号「8」を着て、ピッチに立って欲しいと願うばかりだ。

GELマガ
エル・ゴラッソの鹿島アントラーズの番記者を務める田中滋が、エル・ゴラッソでは書ききれなかった鹿島アントラーズの情報をメールマガジンで配信。鹿島アントラーズの最新情報だけでなく、選手の素顔や、鹿島の強さの秘訣に迫ります。

Twitter:@gel_tanaka
GELマガ:http://www.mag2.com/m/0001282016.html

写真=兼子愼一郎