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「ビッグクラブへの入り口」ガンバ大阪社長が3冠獲得と新スタジアム経営を語る/後編

2016.02.17

2012年1月、パナソニックからの出向でガンバ大阪のスタジアム建設本部に配属され、チームがJ2リーグ降格の屈辱を味わった翌2013年1月に代表取締役社長に就任。1年でのJ1リーグ復帰、その直後のシーズンでの3冠達成、そして新たな本拠地であり、日本サッカー史上初めて寄付金のみで建設されたスタジアム、市立吹田サッカースタジアムの着工から完成まで――。波乱に満ちた日々を乗り越え、新たなステージに突入しようとしているガンバ大阪の代表取締役社長、野呂輝久(のろ・てるひさ)氏に話を伺った。

インタビュー=山本剛央、文=池田敏明
写真=コラソン梅原沙織 CORACAO Saori UMEBARA

――2012年にパナソニックからガンバ大阪へと出向となりましたが、このシーズンにチームはJ2リーグに降格してしまいます。当時、クラブのどのような部分に課題を感じていたのでしょうか。

野呂輝久 改めて整理すると、2002年に西野朗監督が来られて、10年間指揮を執られた。Jリーグ歴代最多勝利を挙げている名将ですが、10年間ずっと同じ指揮官が同じ練習方法で、ほぼ固定メンバーでやっていた。やはり5年ぐらいで戦術を新しくしたり、世代交代を図ったりして、相手を倒す方法を考えなければならないけど、それができていませんでした。また、2011シーズン限りで西野監督との契約を更新せず、2012シーズンに向けて招へいした呂比須ワグナー監督はS級ライセンスを持っていなかったので、急遽その師匠のセホーン氏を監督に据えましたが、これは混乱を招きました。実際に開幕から5連敗と結果も出なかったので、3月中に解任することになりました。このように監督を次々に代えるのは絶対に良くない。監督や社長を1年の間に2回も3回も変えたら、クラブもフロントも完全に崩壊しますし、絶対にJ2リーグに降格します。

――J2リーグでの厳しい戦いを乗り越えて1年でJ1に再昇格し、続く2014シーズンはいきなり3冠を達成しました。この偉業を達成できた最大の要因はどこにあると思いますか?

野呂輝久 J2リーグに降格した屈辱と、自分たちはJ1リーグにいるべきなんだという思いが結果に繋がったと思います。春先は宇佐美貴史選手のケガがあったり、遠藤保仁選手、今野泰幸選手がブラジルW杯に出られるかどうか不透明な部分があって悩んでいたりと、コンディション的に良くなかったんですよ。しかしブラジルW杯に遠藤、今野両選手が出場して、大会後に戻ってきた彼らが「予選敗退で落ち込んでいる場合じゃない」とJリーグに専念したら、状態が一気に上向きました。本当に神懸っていましたね。無神論者だけど、神様はいるのかなと。スタジアムの神様と勝利の女神が相思相愛になった結果、状態がよくなったんじゃないかと思うぐらい。もちろん選手たちが真剣に戦ってくれた結果なので、奇跡でも何でもないんですけどね。

――2016シーズンからは市立吹田スタジアムがホームスタジアムになります。収容人数は万博記念競技場の2万1000人から4万人と約2倍になります。運営をするにも倍のパワーが必要になると思いますが、経営の観点から最も気をつけている部分はどこでしょうか。

野呂輝久 一番はオペレーションミスのないように、という部分ですね。パワーも経験も少ないので、2倍のオペレーションが本当にできるのか、というのが心配です。スタッフの数は3割増しぐらいですが、それで2倍の経営をしなければならない。ただ、ここがビッグクラブへの入り口ですね。予算規模で言えば50億円ぐらい。アジアにも目を向けて、現地に出向いたり、来ていただいたりして、ここをアジアの聖地にする。従来の30億円規模からその路線に、いかに早く切り替えられるかが最大の命題です。その上で最も気をつけているのは、慢心しないこと。新スタジアムができて、本当にお客様本位でオペレーションができるかどうか。これを忘れたら、一瞬にしてすべてが吹っ飛んでしまいます。

――将来、サッカークラブで働きたいと思っている方々へのアドバイスをお願いします。

野呂輝久 「サッカーが好きです、ガンバ大阪が好きです」だけで就職を希望するのはナンセンスです。好きであるに越したことはないですが、ファンの気持ちのまま入ってくるのはダメ。もちろん選手たちの近くで働けるのは特典でしょうが、彼ら華やかな選手たちを“本物”としていつも輝かせておくのがフロントの役目です。我々は裏方です。舞台裏は華やかでも何でもないし、華やかな人を作るところなので、ひょっとしたら暗くて地道で、こんなことするために来たんじゃないと思うかもしれない。でも、そうではない。選手たちを支えるために、自分に何ができるかを考えてほしい。昨年、ガンバ大阪は新卒を8人採用しましたが、面接で何をしたいか聞いたら、その8人は全員が「この新しいスタジアムで○○したい」と答えてくれました。グッズの企画だったり、ショップの運営だったり、ホームタウン普及活動だったり、4万の客席を埋めるための努力だったりと、それぞれが思いを語ってくれました。30人程度と面談をしましたが、自分を持っていて、自分のやりたいことがはっきりしている人を採用し、それ以外の人はどこかでふるい落としています。自分の人生は、自分で切り開かなければならないということです。

「メーカーと対極にある」元パナソニックのガンバ大阪社長が感じたクラブ経営の醍醐味/前編

株式会社ガンバ大阪
代表取締役社長 野呂 輝久(のろ てるひさ)

1954年 8月29日生
1977年 名古屋大学卒業
1977年 4月 松下電器産業株式会社(現パナソニック株式会社)入社
2000年 10月 同 本社 広報部長 
2005年 2月 同 パナソニックシステムソリューションズ社 常務
2009年 4月 同 システム・設備事業推進本部 本部長

2012年 1月 株式会社ガンバ大阪 スタジアム建設本部 本部長
2012年 4月 同 取締役副社長・スタジアム建設本部 本部長
2013年 1月 同 代表取締役社長

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